ちよど
2026-02-19 06:14:14
33967文字
Public 以蔵さんとカルデアの日々
 

自覚する坂本さんと記憶を無くした以蔵さんの話【帝都騎殺】

タイトル通り以蔵さんが記憶喪失になる話。捏造多めです。以蔵さんとカルデアの日々シリーズ3。pixivからの再掲

 地獄というものは不意にやってくる。
 カルデア一行がレイシフトで異常を調べに来た古い港町には黒い泥が降っていた。
 夜では無いはずなのに、光が消えた空には真っ暗な穴が空いている。そこからこぼれた泥のような液体が小さな町全体へと降り注いでいた。

「何、これ?」
「聖杯が、汚染されているんだ」

 呆然と空を見上げるマスターの疑問をエミヤオルタがどこか遠い声で答える。

「マスター! 戻って!」

 汚染された聖杯など災害でしかない。悲鳴をあげた清姫がマスターを町の外へ押し戻す。
 優れた結界だったのだろう。町に一歩入り込むまでこれほどの異常を視認させなかった魔術の壁は少年の体を難なく通した。
「今なら出れる! 早く君も!」
 坂本龍馬が清姫の小さな背中を押す。よろけた彼女の体を片手で抱きしめたマスターのもう片方の手は盾の少女を引き寄せていた。

「追加じゃあ!」
「きゃあああ!」

 岡田以蔵が投げたナーサリー・ライムを体で受け止めたマスターと少女達は一塊に町の外へ転がり出た。
 残る男3人は彼らを追うように町の外へと走るが、見えない壁にぶつかってたたらを踏む。
 結界が閉じている。
 何故? と考える先にぞわりとした悪寒を感じて彼らは近くの民家の屋根へと跳躍した。
 その足下を浚うように黒い泥が津波のように結界にぶつかって飛沫を上げる。
 雨のように降る小さな泥でさえ、サーヴァントの霊基をひりひりと侵している。あんな量を浴びれば変質は免れないだろう。

「下には降りるな。反転するぞ」

 エミヤオルタの言葉に龍馬と以蔵は顔を見合わせた。
 オルタ化した者はカルデアに何人もいる。目の前の男もそうだ。多少冷酷になったり、手段を選ばなくなるくらいならそれほど気にする事ではないように思えた。

「オマエのところのマスターは『俺』を育てないと明言したらしいな。俺は聖杯によって反転した訳ではないが、この通り霊基が満ちれば満ちるほど中身が壊れていく。今はもう数分前の事だって思い出せない」

 平行世界のカルデアからのサポートであるエミヤオルタは口の端を吊り上げた。
 以蔵達のカルデアにいる『彼』とは違い、その体にはひび割れたような傷がいくつも刻まれている。金継ぎを思わせるそれは文字通り砕けていく彼を繋いでいるのだ。
 エミヤオルタは額に手を当てた。その体が徐々に薄れていく。

「昔、聖杯の泥に直接汚染されたサーヴァントを見た事があるような気がする。彼女は自身の破壊衝動と戦っていた。―――俺達みたいになりたくなければうかつな行動は避けることだ。まあ、時間の問題ではあるがな」

 そう言って空を仰ぎ、金色のエーテルに溶けた彼は自身のカルデアに還れたのだろうか。
 サポートサーヴァントが消滅し、龍馬と以蔵が残っているということは、マスターはレイシフトを解除して無事カルデアに戻れたようだ。

 以蔵は胸元のお守りを握った。
 結界に閉ざされた町には泥が満ち、ひたひたと水位をあげている。
 人の気配はひとつも感じられない。平屋ばかりのこの町の屋根には雨を遮る場所は見つからず、降り注ぐ泥は取り残された彼らの霊基をすぐに変えてしまうのは頭がよくない以蔵でさえ予測出来た。

「時間の問題、か」

 ぼたぼたと降る雨の向こうに黒い太陽が見える。
 あそこに汚染された聖杯があるのだろうが、空には以蔵の宝具は届かない。
 隣にいる男の宝具はその名の通り空を飛べるが、宝具であるであるお竜さんが汚染された聖杯に触れて無事に済むだろうか。
 悪属性の以蔵ですら『泥』に触れた箇所から『悪であれ』と囁く呪詛が霊基に響いている。中立・中庸は反転しにくいらしいが、あの太陽まで無防備に突っ込んで霊基が持つとは思えなかった。
 がむしゃらに特攻をかけ途中で泥に負けて反転した場合、最悪対軍宝具を持つサーヴァントが無制限に暴れ回ることになる。

「あの男。言いたいことだけ言うて消えよった。龍馬、おんしはどう思う?」
「危ない橋は渡らない方がいいと思うよ。マスターが救出に来てくれると信じて待つしかないだろうね」

 頭のいい幼馴染みも以蔵と同じ結論に至ったらしい。
 以蔵はお守りを握ったまま口を開きかけ、閉じた。そんな以蔵の様子をどう受け取ったのか、龍馬が以蔵を呼ぶ。

「以蔵さん、着物を脱いで。被れば少しはマシになる」

 サーヴァントの衣装は霊力で編んだ霊衣だ。自分の上着を脱いだ龍馬は以蔵が言われたとおりに自身の着物を被ったのを確認して、何故か相棒に頭をさげた。

「ごめんね、お竜さん」
「分かってる。ちゃんとお竜さんが守るからな」

 女の姿をやめた蛟が龍馬と以蔵の上で体を広げる。その影になった男は困ったように笑って自分の上着を以蔵に被せた。

 雨が止んだ。
 
 彼らの上にだけ。雨は降らない。受け止めているモノがいるからだ。
 同じ霊基を共有する相棒を息を吸うように犠牲にした男は幼なじみに笑いかける。

「以蔵さんは人型特攻があるし、前から僕の事を斬りたかったんだろう。僕が僕じゃなくなったら、よろしく頼むよ」


「ふざけるなっ!」


 生存より後始末を優先した男に以蔵は上着を叩き返し、胸元に下げていたお守り袋を引きちぎった。
 その中にはとある『仕事』の報酬で以蔵が得た神代の魔女のマジックアイテムが入っている。なんの神秘も持たない以蔵のために彼女が作成したそれをお竜さんより高くに放り投げ以蔵は叫んだ。

「結界形成っ!」

 お竜さんに降り注いでいた雨が止む。以蔵の一言で形成された半透明のドームは汚染された泥の雨を防ぎきっていた。
「こんなものがあるならさっさと出せ、お竜さんの一張羅が台無しだ」
 人型に戻りゆっくりと降りてきたお竜さんに以蔵は目を眇める。黒いセーラー服のため分かりにくいが、その衣装にはなかったはずの濃淡の斑が出来ていた。
「こっちにも事情があるがよ」
 以蔵は突き返された上着を着直している龍馬に向き直った。

「この結界はメディア姉さんにしか解けんようになっちょる。他の奴らには触るな言うちょけ」

 まるで自分では伝えることが出来ないようなニュアンスに、龍馬の手が止まる。
「以蔵さん?」
 返事はなく、以蔵の体がぐらりと傾いた。
「以蔵さん!」
 慌てて受け止めた以蔵の体は熱く、青ざめた顔は苦しそうな息さえしていなければ死人のようだった。

 龍馬は手に持っていた上着を片手で広げてその上に以蔵を横たえる。
 落ち着いて観察すれば以蔵の症状は明確だった。
 魔力切れだ。
 先程まで普通だったのに突然以蔵の魔力が枯渇した原因は一つしかない。彼らを覆う結界だろう。
 しかし、神代の魔女メディアほどの者が以蔵に扱えないものを作るとは思えない。

「以蔵さん。まさか、この結界――ひとり用がか?」

 以蔵は答えない。が、彼の先程までの躊躇が龍馬の推測を裏付けていた。
 龍馬は立ち上がった。歩き出そうとするその前にお竜さんが立ち塞がる。
「念のために聞くが。リョーマ、何をする気だ?」
「結界の外に出る。お竜さんには申し訳ないけど、以蔵さんひとりなら負担はかからないはずだ」
 龍馬の言葉にお竜さんは首を振った。
「それはダメだ。雑魚ナメクジはこうなるのが分かって実行したんだ。リョーマはそれを無駄にするのか?」
 当初以蔵はこの結界を使用するのを明らかに躊躇っていた。それはひとりだけ助かるのを良しとしない彼の矜持を示している。
 分かってしまえば、龍馬はその思いを踏みにじることが出来ない。

 龍馬は以蔵の傍らに膝をついた。
「以蔵さん」
 ぜえぜえと荒い息をつくだけの以蔵の昏倒は魔力不足が原因だ。その魔力は他者から供給出来る。例えば契約で、例えば皮膚接触で、例えば体液の摂取で。
 迷い無く龍馬は腰の陸奥守吉行を抜いた。自身の左腕に押し当てる。鋭利な刃物はたやすく服ごと皮膚を切り裂いた。赤い血が溢れる。痛みを無視して自身の腕にかぶりつけば血の味が口いっぱいに広がった。

 昔は近所の子供に口の中が血だらけになるほど殴られた事もあった。弁も立たず泣き虫だった自分をその都度助けに来たのは目の前の幼なじみだ。
 自分より遙かに体格のいい相手にも怯まず暴れる以蔵は足手まといだった自分を一度も見捨てなかった。
 なのに、自分は。
 以蔵達の窮地も知らず、自分の夢だけを追って飛び回っていたのだ。

 龍馬は自身の血液を口いっぱいに含んで血の気の引いた以蔵の唇をこじ開ける。唇を合わせてどろりとした血を流し込めば、ごくり、と以蔵の喉が鳴った。
 胸が高鳴る。これはきっと安堵にだろう。
 自分の魔力を以蔵に供給し続けていれば、この結界を維持することが出来る。3人とも助かる可能性が高まるのだ。
 大義名分を得て、龍馬は夢中で以蔵に自分の体液を供給し続けた。





 以蔵の唇は意外に柔らかく、そして渇いていて何度唇を押し当てても飽きなかった。
 魔力を求めて無意識にだろう動く舌に、乳飲み子に乳を与えるように自分の血潮を含ませる。ついでに舌を絡ませると求めるように吸われて息が出来なくなった。
 逃げないように顎を押さえた手にはちくちくと無精髭の感触がする。
 幼なじみがその童顔故に髭を伸ばそうとしていた苦労を知っている龍馬は笑みを零しそうになった。

「以蔵さん」

 以蔵さん。以蔵さん。以蔵さん。
 どんどんとそれ以外の言葉が以蔵の口内に飲み込まれていくようだ。何もかも忘れてただ自分の体液を以蔵の体の中に送り込む。自分の中身が彼に注ぎ込まれていく。
 そして、ひとつに―――

マ、リョーマっ!」

 がくがくと肩を揺さぶられて龍馬は以蔵にいつの間にか覆い被さっていた体を起こした。
 視界が明るくなる。こちらを覗き込む相棒のお竜さんの背後では相変わらず聖杯の泥が降っていて、半透明のドームの外側を流れ落ちていた。

「リョーマ、迎えが来たぞ」

 何も見なかったかったかのように女の細い手が指さした先には小柄な少年が手を振っていた。
 先程のエミヤオルタの肌は黒かったが、この少年は何もかもが影のように黒い。その身に纏う呪詛の文様を青白く光らせて少年は泥の雨の下、場違いな気軽さで笑う。

「キヒヒ、お熱いところをお邪魔しちゃったな。最弱英霊アヴェンジャー。アンリ・マユ。マスターのお使いで只今参上!」

 この世全ての悪であれ、そう人々に望まれた少年はこの聖杯の泥の中を進むには最適のサーヴァントだった。
「ご休憩の時間は終わりだぜ。超過料金を払いたくなかったら、さっさとチェックアウトしてくれよ」
 軽口に龍馬は口元を拭う。そうだ。甘美な時間は終わってしまった。気持ちを切り替えなくては。
「待っていたよ。代金は後で交渉させてくれ。以蔵さんの分も支払わせてもらうよ」
「ヒュー。お熱いねぇ。いやいや。船の代金に8万両巻き上げた維新の英雄の『交渉』なんて俺にはおっかなすぎる。こういうのはダ・ヴィンチちゃんにお願いするわ」

 その声に応じたのかジジジっと音を立てて立体映像が浮かび上がる。独特の形をした杖を持つ妙齢の美女。カルデア技術開発部部長兼所長代理レオナルド・ダ・ヴィンチだ。

『私は万能の天才だからね! 交渉! 救出! なんでもお手の物さ。さあ、居場所が確定出来たのでアンカーが打てた。汚染された聖杯は別チームが対応しているから安心して帰還するといい』

「早く戻らないと逆に巻き込まれちまうぞ。なんたってオルタ連中は手加減を知らねーからな」

 アンリ・マユがキシシと笑う。その姿が歪んだ。周りの景色が白く漂白されて渦を巻く。レイシフトが解除されるのだ。

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