葉咲透織
2026-02-07 11:54:44
47641文字
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【創作BL】「サンカヨウの喪服」【J庭59サンプル】

3/22開催、J.Garden59の新刊サンプルです。エッチシーンはこれがすべてです。文庫サイズ160ページ/トレペカバー/900or1000円にて頒布。余った分は通販します。(委託・自家通販)




 所在なく、雨に打たれっぱなしの男を放っておけるはずもなかった。それが、思い出したくない過去と関わる人物であったとしても、である。

 すれっからしになった俺の、子どもの頃のなけなしの正義感のようなものがまだ残っていて、彼をひとりにするのをよしとしなかった。

 雨が透かしたのは、喪服だけではない。男の髪も、肌も、何もかもを透明にして、大気中へとその生命を霧散させてしまいそうなほど、儚げであった。

 あいにくと、傘は一本しかない。自分も彼も細身な方ではあるが、男ふたりの相合傘は物理的にも厳しいし、心理的なハードルも高い。この田舎で男同士密着することは、タブーであった。相手が彼であれば、なおのこと。

 俺はポケットからハンカチを取り出した。汗を拭ったり手を拭いたり、すでに使っているが、タオル地だからまだマシだろう。こんなもので水滴をきれいにしたところで、新たな雨に濡れるだけだが、気は心だ。

 手渡したハンカチを、彼は「ありがとう」と言うと、ただ握り締めた。どうしようと勝手なので、俺はあれこれ指示することはせず、「ひとまず俺の家に行きましょう。ちゃんとタオルで拭いて、傘も貸すから」と誘った。彼は無言で頷いた。

 坂を登ったときよりも、下りる方の足取りが重くなる場合がある。必要以上に振り返らなかった。特に、本家の屋敷へと次第に集まり始めた弔問客とすれ違うときは、絶対に。

「あら、光次ちゃん。まだそんな格好してるの?」

 近所に住んでいる、気のいいおばさんに話しかけられて、曖昧に頷いた。彼女の視線が背後にいる男の方に向こうとするのを、「あ、おばさん」と、遮った。

「俺、ちょっと家に忘れ物をしたから取りにいくんで、うちの母に俺の喪服の場所、電話させてください」

 この年頃の女は、若い男に頼られると弱い。おまけに都会の大学仕込み、アルバイト先のファミレス仕込みの愛想のよさを発揮すると、後ろにいる根暗な男のことは気にならなくなった様子だ。任せて、と胸を張って歩き出した彼女に一礼し、見送る。

「急ごう」

 これ以上、人目につきたくなかった。後ろの男の正体が、あの広海ひろみであるということが露見し、しかも俺が連れていたなどと伯母にチクられたら最後、どんな目に遭うことか。俺はどうでもいいが、母のことが心配だ。

 のろのろと歩く広海の手首を掴んだ。強く引くと、驚くほど簡単に、彼は従う。あまりにも従順で、なんだか無性に腹が立って、俺は肩をいからせ歩いて帰宅した。

「父さん、タオル持ってきてくれる?」

 俺はともかく、広海はずぶ濡れだ。このまま家に上げるわけにもいかず、仕方なく父を使う。さりげなく、広海の前に立ってかばった。太一のような巨漢であればすっぽりと隠すこともできようが、あいにく俺は、太ってもいなければ鍛えてもいない。中肉中背では、限度がある。

「お前、傘さしていかなかったのか?」

 呆れた声色とともに、タオルを持ってきてくれる。よかった、場所がわからないとか言われなくて。

 父は俺の姿を見咎めて、「おや」と、首を傾げる。ズボンの裾は濡れているが、タオルが必要なほどではない。そして背後にいる人物を確認する。

「友達にでも会ったのか?」
「ああ、まぁ……

 父の息子へのスタンスは、金を出しているのだから口を出させてももらう、という面倒なタイプだった。的外れな意見を寄越すくらいなら黙っていてくれればいいのに、考えなしで発言をする。

 俺が口を濁したのを察知して、父は後ろに隠れている男をまじまじと見つめ、ハッとした。

 俺は再び広海を庇い、「あとは俺がやるから」と、父を睨みつけた。俺がやる、とは俺が責任を取る、という意味で、山波本家の不興を買った男を匿うことについて、父の指図は受けないという意志表示だ。

「いや、でも、うん」

 はっきりしない男に、何を言われたって響かない。困った表情で視線を彷徨わせる父に、広海はすべてを悟って、「あの、傘だけ貸してもらえれば、それで」と、一礼してこの場を辞そうとするのだから、慌てて止めた。

「そのまま電車に乗るつもり?」

 彼は自分の姿を見下ろした。見事なまでの濡れ鼠である。タオルを手渡し、彼の手首を掴む。結局、そのまま家に上げてしまって、タオルの出番はない。

 呆然とする父の前を堂々と通って、自室へと向かう。その辺座って、と言ったが、広海は首を横に振った。

「いいから。普段は全然使ってないんだ」

 とはいえ、ソファもなければ座布団もない。俺が洋服箪笥から、高校時代に着ていた服を漁っている間も、彼は所在なく立ちっぱなしであった。

 まともな服はだいたい、東京に持っていっている。ここに残っているのは、土産物のしょうもないゆるキャラTシャツだとか、そういう子どもっぽい服ばかりだ。俺よりも七つか八つ年上の男が着て、そのまま電車に乗れる代物ではない。

 どうにかこうにか、最適な(もっともマシな)組み合わせを見つけて振り返ると、広海はジャケットを脱いでいた。

 濡れて透けたシャツがすべて、露わになっている。

……これ、着て。雨、寒かったよね。お茶淹れてくる。ベッドにでも座ってて」

「LOVE&PEACE」がダサいフォントで胸中央いっぱいに書かれたTシャツに、真っ赤な無地のノースリーブパーカー、ゆるッとしたハーフパンツを押しつけて、呼吸や顔色の変化が読み取られないようにして、急いで部屋の外に出た。


 シャツの下には、何がある?

 下着と、それから皮膚だ。

 自分と同じ人間だというのに、広海の身体は、昔見たときと変わらず、ゴクリと唾を飲みこんでしまうほど、壮絶な色気を纏っていた。

 太一のベッドの上で、彼の精液に制服を汚されて悲しい顔をするだけの広海のことを思い出すと、ポットで湯を沸かす時間も一瞬のことであった。

 父親が「アレはまずい」「義姉さんに見つかったら、大変なことになる」と、ごちゃごちゃうるさく言ってきたが、まるきり無視をした。シカトし続けていると、電話が鳴ったので、俺の傍を離れていった。おそらく、母からだろう。

 慣れない急須で茶を淹れた。表に出ているのは両親の普段使いのものだから、奥にある湯呑に入れる。確か四客揃っていたはずだが、いつの間にか三つに減っていた。ひとり分しか用意しなかったのは、今の自分の心理状態では、手が滑って大惨事になる未来しか見えないからだ。

「光次。喪服はクリーニングに出したのを取りに行き忘れたって電話が来たから、ひとっ走りいってくるわ」

 あからさまに安堵した様子で、早々と車のキーを取り上げた父に、俺は頷きだけで返事をした。

 広海のことが露見しても、「自分のいない間に息子が勝手に」という口実ができて、ホッとしている。まったくもって情けない親父である。妻も息子も守ることのできないのは昔からで、もはや期待もしていない。大学を卒業して無事に就職したら、もう金を出してもらう必要もない。母には離婚するよう、目下説得中であった。

 父が出ていく音を聞き、茶とその辺にあったせんべいをトレイに載せ、二階の自室へと戻る。

 トン、トン、と一定のリズムでゆっくりと登る。本家と違って、まだ新しい家(それでも俺が生まれてすぐに建てているのだから、築二十年以上になるのか)だから、それほど急な階段ではない。家を出るまでは毎日上り下りしていたので、茶をうっかり零すなんて失態はしないはずだが、慎重に。

 ――少し、強引に連れてきすぎたかもしれない。

 そんな風に逡巡したのは、部屋の前までたどり着いたときだった。

 広海がこの村で受けた仕打ちを思えば、その原因となった山波の一族の人間に優しくされたところで、何か裏があると思われるかもしれない。

 そもそも彼は、俺のことを覚えているのだろうか。 

 広海が……彼の一家が村を出て行ったのは、広海が高校三年の冬のことであった。推薦で東京の大学に合格が決まっていた。村の若者は、進学を機にひとり暮らしを始める。俺がそうであるように。

 けれど、彼らは一家そろって引っ越していった。卒業式を待たずに、隣近所に一切の挨拶もせず。夜逃げである。追い出されたのである。

 自慢の跡取り息子との不純な関係を、伯母が知ってしまったせいであった。

 あのときはもう、ひどかった。絵に描いたような村八分である。ホモの売女だと陰口を叩かれ、その言葉の意味を知らない子どもにまで、腐った卵を投げられる。そのためにわざわざ、飼育小屋の鶏の無精卵を、放置していたほどであった。

 当人たち以外で、真実――広海が太一を誘惑したのではなく、あの馬鹿ボンボンが広海の弱みにつけこんで脅し、肉体関係を強いていたのだ――を知っていたのは、当時小学校五年生の俺だけであった。

 庇ってやることが、できなかった。下手なことを言えば、自分がひどく責められる。余計に伯母は腹を立てるだろうし、その矛先は曲りなりにも山波の血を引く自分ではなく、母に向けられるとわかっていた。広海が、彼の家族が受けている仕打ちを母に置き換えて想像するのは、苦痛で仕方がなかった。

 子どもであること、無力であることを理由に、俺は戦わなかった。そんな弱虫な男を、好意的にとらえているはずがない。まして、自分のことを人間ではなく性具のように扱ってきた男の親戚だ。たとえ覚えていたとしても、にこやかに対話なんてできない。

 今日この後のことをぼんやり考えて突っ立っていると、中からドアが開いた。驚いて、湯飲みが大きく揺れ、中身が少し零れた。

 手渡した衣服を身に着けた広海は、心配そうに眼を曇らせた。やっぱりもう帰る、と言い出しそうなのを遮って、

「とりあえず、お茶飲んでよ。お腹空いてない?」

 と、ずんずん中へと押し入った。



「これ」

 湯呑を渡すと、彼は両手で持ち、「ありがとう」と言った。紙のように白かった顔には、ようやく血色が戻り始めている。その仕草と、俺の高校時代の私服が相まって、実年齢よりもだいぶ若く見えた。喪服を着ているときは、くたびれて年齢不詳であった。単純に似合う似合わないの話ではないように思った。

 ベッドの端の方に座る彼の向かい側、床にどっしりと腰を下ろした。自分の分のお茶、やっぱり用意すればよかったな。手持無沙汰だ。煎餅も、ひとつしか持ってこなかったし。

 広海がいなくなったすぐあとくらいに貼った、当時有名だったサッカー選手のポスターは、すっかり色褪せてしまっている。特にサッカーが好きだったわけではない。俺はこの選手のポジションもろくに知らないし、その後どんな風な選手人生を送ったのかも、一切興味がない。

 もしも学校で野球が流行っていたら野球選手だっただろうし、アイドルだったら女の子のポスターが貼ってあったはずだ。

 もしも、沈黙を気詰まりに思った広海が気を利かせ、ポスターを端緒にしようと話を振ってきたら、どうしよう。

 ならば自分から話しかけ、会話の主導権を握ろうと思うのだが、それも少々難しい話であった。聞きたいこと、言いたいことが多すぎて、頭の中が整理しきれていないせいで、まごつく。

「あのさ、広海さん……俺のことって」

 首を横に振られたら、自分のことも彼の中では黒歴史、消し去りたい悲しい過去のものなのだと飲みこむしかない。

 彼は茶を口に含み、ゆっくりと一口味わったところで、「もちろん」と、首を縦に振った。

「光次くん、でしょう?」

 まさか名前を憶えてもらっているとは! せいぜいが「太一のいとこ」止まりで、個として存在を認知されていないと思っていた。

 太一がこちらの名前を呼んだのは、数回だけだった。いつもそうだ。えらそうに、「おい」「お前」「ガキ」と、こちらを蔑み、一方的にこき使ってきた。小学生を、高校生が、だ。今考えれば、太一は相当情けない奴だが、当時は従うしかなかった。

 ――だから俺は、このきれいな人に、あんなことを。

 気を抜くと、過去にトリップしてしまう。夢であったかのように、脳裏に結んでは消える映像は、十年も前のことだ。鮮明ではない。ただ、目の前に当事者である広海がいることによって、はっきりと思い出せそうな気がしている。パンドラの箱か、地獄の釜の蓋を開けるようなものだ。これ以上思い出すな。警鐘が鳴る。

「光次くん?」

 突然ぼんやりとし始めた俺を不思議に思った広海に名前を呼ばれ、ハッとする。ゆるゆると首を横に振った。

「ごめん。なんでもないよ。ところで、太一のことは……

 彼に連絡を取る村人はいない。太一たちの同級生で、広海に同情的な人間であっても。緩やかな過疎の村では、保守的で差別主義者の老人たちが幅を利かせている。

 広海は微笑みを浮かべた。だいぶ暖まったからか、引きつっていない。自然な表情だ。

「同級生は、村の人間だけじゃないから」

 高校は、市内まで出なければならない。村での出来事など関係なく付き合いを細々と継続している友人がいて、現代の連絡網たるチャットグループからは漏れている彼のところにも、わざわざ連絡を寄越したのだった。

「そう」

 よかったね、とは言わなかった。

 その友人は、告げれば広海が「こう」なることをわかっていなかったのだろうか。本当に、太一との間の歪な関係に気づいておらず、「そういやあいつら、仲よかったよなあ」と、なんとなくのお節介で連絡を寄越したのだろうか。

 それとも、広海が村から追放されたことも、その理由も知っていて、わざわざトラブルの種を撒きにきたのか。後者だとすれば、ずいぶんと性質の悪い友人である。

 俺の微妙な反応に気がついたのか、彼は苦笑した。

「教えてくれたのは、本当に僕のことを心配して、教えてくれただけだよ。学校でも、僕は太一にべったりだったからさ……

 遠い目をして、俺のことを見る。潤む瞳に、吐き気がするほどイライラして、視線を逸らした。

 引っ越してから、ふたりは一度も会うことはなかったはず。

 高校卒業後、しばらくして太一は勤め始めたばかりの建設会社を辞め、引きこもり生活をするようになった。たまに顔を合わせた相手に気を遣わせ、空気を悪くする厄介者であった。

 そんな太一が、広海と密かに会っていたとは思えない。

 ほぼ十年。会わずにいる間に、あんたの知っている太一はとうに死んでいたよ、と言ってやれたらよかった。

 ぶくぶくに太って、糖尿病の治療もせず放置して、脚の切断も視野に入れなければならないくらいの話が出ていた。そして心筋梗塞でぽっくり死んだのだ。

 広海の視線が、ふいに外れる。俺はその先を見た。窓。いいや違う。

 彼が見ているのは、太一の遺体が安置されている、山波の屋敷である。

……一目でいいから、会いたかったな」

 ぽつり零れた独り言を、俺は黙殺した。聞きたくなかった。勢いよく立ち上がり、この後どうすべきかの相談をしようと持ち掛け、彼の目をこちらに向けさせることに成功して、ようやく息がしやすくなった。