葉咲透織
2026-02-07 11:54:44
47641文字
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【創作BL】「サンカヨウの喪服」【J庭59サンプル】

3/22開催、J.Garden59の新刊サンプルです。エッチシーンはこれがすべてです。文庫サイズ160ページ/トレペカバー/900or1000円にて頒布。余った分は通販します。(委託・自家通販)



「久しぶりに応じてくれたのはいいけど、どうかした?」

 シャワーを浴びに行っていた男が、ミネラルウォーターのペットボトルを手渡してくれたので、ありがたく受け取った。一口、二口と飲みこんで喉を潤していくのを、気だるげにベッドの上に横たわっていた女が眺めている。

「別に。なんでもないです」

 ふたりは夫婦らしい息の合い方で、顔を見合わせた。

 この、タツミとサオリと名乗る夫婦のことを、俺はよく知らない。知らないままに、彼らの痛々しいセックスを眺めたり、サオリを犯すのに加わったりしている。

 要は、体のいいセックスフレンドである。

 もともとはマッチングアプリでたまたま見つけた人たちだった。当初はふたりの間に入るつもりはなくて、SM愛好家夫婦の彼らが、プレイを鑑賞してくれる人を男女問わず募集していたので、手を挙げただけだった。

 定期的に特等席でのSMショー観覧に参加しているうちに、彼らに気に入られた。ネトラレ願望のあったタツミに頼まれて、俺はサオリとセックスするようになった。大学に入ってすぐの夏休みからの付き合いだから、カラダだけの関係にしては、もうずいぶん長い。

 サオリはどMだから、むしゃくしゃした気持ちをぶつけるようにすると、反応がすこぶるいい。一応、八つ当たりみたいになるかも、とは言ってあったのだが、大変喜ばれた。いつもの君の上品なセックスじゃなくて、獣じみたセックスが見られると思うと嬉しいよ、とは夫談である。

 なのに、俺は下着を穿いたままだった。濡れたり汚れたり、反応らしい反応はない。女の乳房を吸っても揉んでも、性器をどアップで見せつけられても、あまつさえ愛撫されても、ピクリとも反応しなかった。

 調子悪いみたい、とごまかして、俺は持てるだけのテクニックで、女の身体を一方的に弄んだ。時に玩具の力も借り、サオリは満足してくれた。彼女にとっては性器の挿入はオマケみたいなものであり、そこに至るまでの過程が重要なのだ。

 実のところ、最近ずっと、勃起しない。若い男特有の性衝動は湧き上がってくるのだが、肉体がまったく反応してくれない。ED、というワードが脳裏に浮かんでは、打ち消した。そんな馬鹿なことがあるか。まだ二十一歳だぞ、と。

 こんなこと、友人の誰かに相談できるわけもなく、悶々と過ごしていた。そこにタツミたちからお誘いがあり、非日常的なセックスであれば興奮できるのではと応じたが、結果は惨敗であった。

 病院に行くべきなのか、しかしどうやって探せばいい? 誰かにバレたら?

 ペットボトルの口を開けたまま、悶々と考え込んでいると、大きなベッドに腰かけたタツミが、真面目くさった顔で尋ねてくる。

「しばらく勃起していないのかい?」
「ええ、まぁ」

 素直に回答した。長い付き合いだが、お互いに本名も知らない、その場限りの関係をずるずると続けているだけだった。友人ではないから言える。

「それはいつくらいから?」

 さて、いつだったか。若い男らしく、性欲は旺盛な方だと思う。自慰行為だって、週に何度かする。特定の恋人はいないし、セックスするのも今はこの夫婦だけだ。

 悩む素振りを見せてはいるものの、俺の中では明確に、「このときから」という線は見えている。太一が死んだという知らせを受け、実家に帰った日だ。もっと厳密な話をするのなら、広海と再会を果たしたときから、俺は生理現象としての勃起、魅力的な女を対象としたエレクトをしなくなっていた。

 今だって、豊満な裸身を余すところなく見せつけてくるサオリが目の前にいる。男なら誰だってむしゃぶりつきたくなる乳を見ても、「太りすぎなんだよなあ」と、失礼なことを考えてしまうのであった。

 その後もタツミは質問責めをしてくる。彼の職業を探ることは今までしてこなかったが、ひょっとすると医者なのかもしれない。あるいは心理カウンセラーだとか、教師という線も考えられる。

 真剣な夫とは対照的に、妻はベッドの上で奔放に振る舞っていた。まだしたりないというのか、軽く自慰を始めている。喘ぎ声も水音も、今の俺にとっては雑音でしかなかった。

「サオリ。さすがに今はちょっと」

 と、タツミが苦言を呈するも、彼女はちっとも堪えていない。どころか大股を開いて俺たちにヴァギナを見せつける。鼻を鳴らして無視をすると、サオリの手が止まった。

「簡単なことじゃない? みっくん」
「何がですか」

 声が少し冷たくなったのは、あまりの身勝手さに嫌気が差していたからだ。どMのサオリには逆効果で、「あぁん、いい目ね!」と喜ばれてしまい、ますますうんざりする。怒鳴っても殴る真似をしても(そして実際に殴ったところで)、彼女は甘受するのだから、恐ろしい。

 サオリは「うふふ」と、人差し指を立てて、宙に何事かを描いた。単純な図形である。魔法を使うような仕草に、俺の目は彼女の指を追う。何度も繰り返される絵図は、ハートの形であった。

「みっくんは、恋をしたの。だから、あたしにはおっきくならないんでしょ? 一途な男ねェ」

 魔女の甘い囁きに、俺はたっぷり三十秒は沈黙し、その後出てきたのは、「は?」という一音だけだった。情けないことに。



 とりあえず今日は帰れと言われ、いつもなら一部負担するホテル代も受け取ってもらえなかった。懐が痛まなくて済んだのはありがたいが、俺が夫妻を満足させられなかったからだと思うと、少し悔しくもある。

『みっくんのそれは、恋よ』

 サオリはずっと、それしか言わなかった。暗示をかけられたようで、本当に俺が恋をしているかのような気がしてくるから不思議だ。

 彼女曰くの俺の恋のお相手は、広海のことを指している、のだろう。

 濡れて透けた喪服が頭からずっと離れないし、太一の死を心から悼んでいる泣き顔。そして鮮明に思い出せる、子どもの頃の――……

 暗いのに明るい、相反する形容詞が自然と同居する繁華街で、かぶりを振った。路上に立っている女たちは、今日の客を定めているのだろう。見るからに金のなさそうな学生風情の俺は、彼女たちの前では透明人間になる。

 駅にはすぐにたどりついたが、俺はもう一駅、歩くことにした。電車の中、残業終わりのサラリーマンや酔客が大勢いる中では思考はまとまらない。早急に結論を出さなければ、俺は事務所の手伝いに行くことすらできない。

 そうなのだ。あの日、広海をアパートに送り届け、暴力的な気分になった日を境に、俺はワタナベ法律事務所に行っていない。無責任かもしれないが、正式に雇用されていたわけじゃなく、安い賃金でほとんどボランティアのようなものだった。来れるときに来て、というスタンスだった。

 今頃、事務の女性が困っているかもしれない。その仕事の皺寄せが、所長や飯野、広海にも及んでいるかもしれない。
 手伝いに行きたい気持ちはあれど、広海と顔を合わせるのが恐ろしかった。もう、俺を俺として見てくれない。少なくとも、暴力的な衝動を飼い慣らさなければ、会えない。

 アレは俺というよりも、太一だった。あいつはいつだって、広海にひどいことをした。

 俺の目の前で、広海の身体を嬲った。大人の玩具だけじゃない。自分のペニスを突っ込んで、相手の反応なんてお構いなしに犯し尽くす。セックスの最中に、首を絞めたり、火のついた煙草を押し当てることもしょっちゅうだった。

 呼び出されれば彼の元を訪ねていた馬鹿な俺は、「やめなよ。泣いてるよ」と彼を止めた。それが太一をますます調子に乗らせて、広海を傷つけるということに、最後まで気づかなかった。

 太一は、「俺はホモじゃない」と嗤っていた。なのに広海相手に盛るし、セックスができた。

 サオリの示した「恋」とはいったい、何なんだろう。

 体……性器は心とはあまり関係がないように思う。相手のことはよく知らなくても、裸を見れば膨張し、硬くなる。俺はサオリのことは何とも思っていないけれど、触られたら気持ちよかったし、徐々に興奮していった。

 ホモじゃない、広海のことは何とも思っていない。それでもセックスできる太一と変わらない。心が伴わない肉体関係を、さらりと受け入れてしまうあたり、俺もあいつと同じクズだ。

『やっぱり、似ている』

 何度か広海の口から聞いた言葉を、苦々しく思い出す。そうだ。似ているのだ。俺はあいつと、あの大嫌いな奴と。

 ふたつめの駅が見えてきても、考えはぐちゃぐちゃ、くさくさとしていた。溜息をついて立ち止まる俺の耳に、誰かが苦しんでいる声が聞こえた。

 見れば、女であった。飲みすぎたのであろう。道端で嘔吐している。自分の格好も顧みずにしゃがんでいて、ミニスカートから下着が丸見えであった。

……

 その後ろ姿を見て、考える。

 もしもあの頃の太一であれば、こんな風に無防備に酔った女を見れば、どうしただろうか。

 後ろから近づいていって、介抱するフリをして体に触ったり、それどころかレイプしていたに違いない。あいつなら、そうする。嫌な信頼がある。

 俺は、できるだろうか。

 人気のない裏通り。さらに路地に引きずりこんで、タオルか何かを口に詰めてしまえば、悲鳴も聞こえない。何発か殴れば、大人しくなる。俺にはできる。実際、そういう性行為をずっと目にしてきたじゃないか。

「あの」

 目の前の女を犯す想像してみたが――俺にはできそうもない。やろうと思えば、やれる。だが、やる気にはならない。苦しんでいる人間に追い打ちをかけたくない。

 青い顔でげえげえと、もはや水すらも吐けないのに、気持ち悪くてまだえずいている女が、涙で化粧がダメになった目でこちらを睨みつけてきた。

 怪しいもんじゃない、というアピールをするのに、なぜ人は両手を挙げて手のひらを見せるのだろう。

「しんどそうだから、声をかけただけ。飲みかけでよければ、水、いる?」

 タツミに買ってもらったミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、女は俺の顔と水とを交互に見た。ほら、と揺らしてやると、彼女は恐る恐るペットボトルに手を伸ばす。野生動物を懐かせているみたいだと思った。

 女は水を含むと、また吐いた。

「背中摩ろうか?」

 返事はなかった。勝手に背中に触れたが、拒絶されなかった。

 吐瀉物特有のなんとも言えない臭気が漂う。何も言わずに、俺は彼女に触れ続けた。

 嘔吐するビシャビシャという音に、咳。それがいつしか、子どもみたいな泣き声に変わっていた

 彼女はもう、吐かなかった。ただ、泣いていた。悔しいのか、悲しいのか。体内に澱として溜まっていたネガティブな感情すべてが、涙として流れていくのを、俺は見守っていた。

 泣き止んだ女が俺に語ったのは、陳腐な話だった。彼氏に騙されていた。三股をかけられていて、その中でも自分は、一番序列が下であった。

 一番だったら許したとかそういうわけじゃないけれど、と、彼女は力なく笑って、最後の一口を飲んだ。俺は隣に座ってすべての愚痴を聞いた。とっくに終電は終わっていたし、なんなら一番電車まであと一時間ほどである。

 夏の朝は訪れが早い。泣き腫らした目を、取れたつけまつげを隠してくれた夜は明ける。

「おにーさん、マジでありがとうね」

 女はへらりと笑って、「いいものあげる」と、鞄から取り出した何かを俺の手に握らせた。

 居酒屋や焼き肉屋でもらえる、チープなキャンディ。

『いつもごめんね』

 フラッシュバックするのは、申し訳なさそうに眉を下げ、そして微笑むあの頃の、彼。

 ばいばーい、とスッキリした顔で大きく手を振る女に、俺も小さく振り返す。もらったキャンディは、ポケットの中。

 あのときもらった飴は、すぐに食べたんだったか。それとももったいなくてそのまま持って帰ったら、ポケットに入れっぱなしで母に怒られたんだったか。たぶん後者だった気がする。食べずに捨てられた、かわいそうな俺の。

 ――俺は、太一とは違うんだ。

 自分のことを好きだという、男にしておくにはもったいないくらいの美形。女よりも頑丈だろうから、無茶をしても壊れない。ちょうど女を抱くのにも飽きてきた頃だし、遊んでやろう。

 あいつの思考は手に取るようにわかる。自制の利かない、快楽主義者。そうじゃなきゃ、あの若さで生活習慣病にかかって死ぬはずがない。
ノリと勢いだけで生きてきて、広海に手を出したのだって、ペニスが反応したから、ただそれだけなのだ。

 そんな奴と、俺は違う。

 布団をかぶっただけのしどけない姿も、玩具で責められて顔を真っ赤にして絶頂する姿も、それはあまりにも衝撃的だったから俺の記憶に焼き付いているだけだ。俺が彼に惹かれる理由は、もっと些細な、そしてきれいな思い出の中にあるのだ。