レゾン・デートル|CASE. 01 緋色の邂逅

曰く、人は彼女を天才と呼ぶ。

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学術研究都市〈いとしま医学特区〉を舞台に描く、現代ドラマ×オカルティックサスペンス! 厚生労働省の〈螺旋捜査官〉市ノ瀬咲良は、ある任務のために学術研究都市〈いとしま医学特区〉へ赴く。彼に与えられた任務はとある人物の監視だった。
その人物の名は──四宮椿。ある一方では〈医学における万能の天才〉と呼ばれ、またある一方では〈忌まわしき名探偵〉と呼ばれる彼女と共に、咲良は殺人事件へ挑むこととなり──? いとしま医学特区の港湾部にて、逆さ吊り状態で発見された遺体。科学で解けない殺人事件、二人の邂逅が導く真実とは?(CASE FILE.01)

※同人誌版の原稿をそのまま移植しているため、改行が少なく横書きでは読みづらいと思います。縦読みリーダー表示をお勧めします。

作者X 🦜 https://x.com/asunashoko
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 俺は嫌な気配を感じ取る。最初に殺害された坂木柊作。そして刺された菊武幹春。立場も年齢も異なる二人だ。だが椿は既にこの二人の共通項を見出し、そして真実へ通じる扉に手を掛けている。俺は末恐ろしくなってコーヒーを一口飲む。
 救急部から大学棟へ移動して、エレベーターで八階へ登る。四宮研究室には瀬川、俺、四宮の三人が応接用のソファに座っている。低めのテーブルには誰が買ってきたのか、茶菓子の箱が置かれており、食べてくださいと主張していた。瀬川はラングドシャを手に取り封を切って食べ始める。四宮は難しい顔のまま俺が淹れたコーヒーを一口飲み、スマートフォンを睨みつけていた。秋津からの長文メールがそこにあるらしく、「野々花め……」と苦々しく呟いた。
「この件が螺旋捜査部に引き継がれたらしい。予想通りだな」
「どうする気や。螺旋捜査部は事件そのものを終わらせる事に特化した部署なのはお前も良く知っとるやろ」
 俺は息を深く吐き出した。確かにこのまま有耶無耶になるのは癪に障るが、本来螺旋捜査部、ひいては螺旋捜査官、その職務は〈事件の秘匿〉という所にある。
 上がどう決めるかは分からないが、上役が何者かに刺されたともなれば、流石に重い腰を上げて犯人探しを始めるのかもしれない。だが監視任務という訳の分からない仕事を与えられている俺には多分……いや絶対に、情報を渡して貰えるとは思えない。
 そもそも何か厄介な動きをされては困るから、この天才を監視するのだ。もう一人の監視要員は東京に行っていて、ここにはいないようだが。
「仕方ない」
 椿は院内用のスマホをポケットから取り出しどこかにかけ始めた。数秒のコール後、微かにだが向こう側で男性の声が聞こえてくる。
嘴馬はしま。暇か?」その言葉の後すぐにスピーカーホンに切り替えられる。
「暇なわけがあるか! お前、俺が常に時間のあるジジイだと勘違いしてるだろ」
「老け顔だからな。無精髭を剃り、保湿に気を遣えば多少は若く見えるはずだ」
「はいはい、若作りアドバイスどうも。で、どういう用事だ。椿お前、どうせまた妙な事件に首突っ込んでんだろ?」
 嘴馬と呼ばれた男は呆れた様に言った。聞き流しそうになったが嘴馬ってまさかあの? 東医において最も腕が立ち、幾人もの患者を救ってきた外科医。
 嘴馬遼士郎はしまりょうしろう。最高の心臓外科医の名だ。俺は内心冷や汗をかいていた。たとえ師匠が嘴馬でも、四宮椿が手術まで上手いとは限らない。鷹の弟子が雀という可能性もある。頼むから椿には外科医としての才覚がありませんように、と祈りながら俺は二人のやりとりに耳を傾けた。
「調べたい事がある。外科全ての手術履歴にアクセスする許可をくれ」
「まあいいけど……手術履歴なら俺が調べたほうが早いだろ」
「駄目だ。履歴が残ってしまう」椿は何かに警戒するように顔を険しくした。「私なら履歴を残さず調べられる」
「履歴が残ると困る事でもあんのか? どういう内容の手術記録を調べるんだよ」
 嘴馬は少し声を潜めて椿に問う。
「臓器移植の記録だ。心臓移植、生体肝移植から角膜に至るまで、全て」
「心臓は二ヶ月前に一件ある。俺が執刀したからよく覚えてるよ」
「二ヶ月前……
 俺は一瞬その数字に聞き覚えがあった気がして反芻する。椿は俺の様子を見て頷いた。
「他には? 記録には手をつけるな。記憶している範囲でいい」
「ん〜……移植とは違うが、印象だけで言えば五年前のはすげえ鮮明に、良く覚えてるけどなあ。ほら、因幡大学との合同医療チームで、小児患者の手術。俺は第一助手だった」
「嘴馬。そのオペ、確か執刀医は」
「菊武先生……いやちょっと待て!」
 電話越しに嘴馬は何かをガタガタ言わせていた。
「椿、一体何が起きてる? お前色々知ってんだろ? 俺から一方的に情報を引っこ抜いてくんじゃなくて多少は教えろよ」
 今からそっちに行くから大人しくしてろ、と言い残し、嘴馬は一方的に電話を切った。椿は不服そうにしていたが珍しく「仕方ない」と何故か折れた。師匠には案外頭が上がらないのか? 瀬川は俺たちのやり取りを眺めていたが、スマートウォッチの通知音に表情を曇らせた。
「すみませんが、俺はこれ以上四宮先生のお力にはなれないかもしれません」
「どういう意味だ?」
 椿は嫌な予感を感じ取ったのか、鋭い声で瀬川に尋ねた。
「この案件に関しては陰陽庁を関わらせるなと、どうも局長級が圧をかけているようです」
 瀬川は声のトーンを落としていった。
「菊武が刺された事も一員であるとは思いますが、何か……もっと大きな力が働いているように思います。単なる殺傷事件ではないでしょう。四宮先生が追っている猟奇殺人もまた、これに関係があるかもしれない」
「別に構わない。最初から陰陽庁には期待していなかった」椿は身も蓋もないことを言ってのけた。
「そもそも魔術師集団が、犯罪捜査に首を突っ込んでくるのが間違いなのだ。大人しく星でも読んでいろ。瞬きの間に私が解決してやる」
……。ご忠告痛み入ります。とはいえ、そこの市ノ瀬咲良もまた陰陽庁に所属する国家陰陽師という側面を持つことを、お忘れなきよう」
「さっさと帰れ。推理の邪魔だ」
 椿は瀬川を適当に追い払った。何かをじっと考え込むように両手の指を突き合わせ、一人掛けソファに深く腰かける。足を組み替えて集中するように瞼を閉じて黙ってしまった。
 俺は何となく居心地が悪くその場を離れる。窓を隠すように嵌め込まれたコルクボードがある。そこに貼られた事件の手掛かりは、器用に紅い毛糸のような紐で互いに結びつけられていた。坂木柊作、菊武幹春。二人を繋いだのは、まさか東医……この東都医科大学附属病院なのか?
 二か月前、坂木柊作は一度実家へ戻ったという。そして父親に対し〈自身の過去を清算し心を入れ替える〉という旨の発言をした。嘴馬の記憶が確かならば、二か月前に東医で心臓移植の手術が行われている。
 坂木柊作はドナーと何か関係があったのではないか? もしそうだとしたら、執刀医だった嘴馬遼士郎は知らずの内に事件に関係している事になる。そしてその手術の詳細を菊武幹春が知った。つまり菊武は嘴馬の口から真実を聞くため、わざわざ刺されて東医へ搬送されてきた……
 俺は思わず椿の方を振り返る。椿は相変わらず瞼を閉じて思考の海に漂っているらしい。だが勢いよく開け放たれた扉の開閉音で、椿は現実へ帰還した。

「ったく、気軽に俺を呼びつけやがってこの弟子は」
 嘴馬はそう言って、先ほどまで瀬川迅一が座っていた一人掛けのソファに腰を下ろした。僅かに香る煙草の匂い。先ほどまで嗜んでいたらしい。
 どこか草臥れた風貌に、少し伸びた襟足は適当に輪ゴムで括っている。黒縁メガネに無精髭。俺は時折見かけていたその男の印象を改めた。眼鏡の奥で光る鶯色には輝ける叡智が——いや、それ以上の神秘が宿っているのがわかる。只者ではない。
「お前が勝手に来ると言ったんだろう。こっちから出向いてやろうと思っていたのに」
「ほ〜う。本当かぁ? 毎度毎度呼びつけられりゃあ、嫌でも出向いてやる癖がついちまう。甘やかし過ぎか?」
「私を無理やりオペ看として駆り出していた奴が何か言っているな」
「その話は止めろ! 謝ったろう。というか楽しくお喋りするために来たんじゃない。菊武先生の事だ……一体何が起こってる?」
「私の質問に答えてくれるならば教えよう」
 椿は肘掛けに腕をやり、頬杖をついてそんなことを言った。
「二ヶ月前に心臓移植をやったと言っていたな。その移植された人物とドナーの個人情報が知りたい」
「移植されたのは女性だ。長岡真波ながおかまなみ、二十一歳。福岡市内からこっちに転院する形で入院。悪性心臓腫瘍で、心臓移植以外に根治の手立てが無かった」
 嘴馬は澱みなく答えた。「肝心のドナーが全然見つからなかったんだが……
「だが、何ですか?」俺は思わず問いかける。
「妹がいてな、長岡真波には。その子と血液型、白血球の型が合致した。だからもしも妹に何かあって、助かる見込みがないような状況になった場合は真波に臓器を提供すると、妹本人が言った。名前は長岡真凜まりん。当時は十九歳だった……はず」
「そして実際、真凜の心臓は真波に移植されたわけか」
「詳細は言えねえ」
 嘴馬はそう言って深くため息をついた。「とにかく俺も俺で、まだ命は惜しいからよ」
 その言葉でなんとなく背後を察した。俺は眉を顰める。
「長岡真波は今どうしている?」
 椿はそう言ってメモパッドを持ってきてローテーブルに置いた。そこに凄い速度で長岡真波・真凜姉妹の情報が書き留められていく。
「当然まだ入院中だよ。ついこの間、一般病棟の個室に移ったけどな」
「では私が〈診察〉という名目で訪問しても問題ないわけだ」椿はそう言って口角を上げる。
 嘴馬は急に俺の方へ話しかけた。「お前も苦労するな。こいつのお守りは大変だろ」
「何だと? お守り? 随分な言い草だな、咲良。お前たちが勝手に私に馬銜はみを噛ませ、手綱をつけようとしているのだろう。何も私は好きでこやつらの監視を受けているわけではない」
「俺だって好きでお前の監視任務なんかしとらんわ」
「減らず口め。まあいい。長岡真凜の搬送状況は?」椿は嘴馬に向き直って問いかけた。「できるだけ詳しく教えろ」
「脳挫傷と、頚椎骨折。他の外傷は見当たらなかった。いや、どう考えても刑事事件だよな」
「通報は?」嘴馬の浮かない表情を見て、椿は言う。「……いや、しているわけがないか」
「まあ、現場判断ってやつだな……
 嘴馬は白衣のポケットからタバコを取り出して吸い始めた。
 銘柄は椿が指摘していた〈Firenze〉ではなく、どこのコンビニにも置かれているニコチンの軽いものだ。
「搬送された時点で死に体だったとしても、救う義務が俺にはあった。だが俺は長岡真凜を見殺しに、長岡真波を救う事を選んだ」
「嘴馬先生、それは」
 俺はかける言葉を見つけられなかった。違うと言えないのは何故か。自分でもわかっている。医者である以上、往々にしてそういう事がある。全員は救えない。だが全員を救う努力はすべきなのだ。唇に煙草を当てがい、吐き出す。その動作にはどこか慣れと諦めが混じっているような気がした。
「おい椿、あんまり咲良を虐めてやるなよ。ただでさえ存在が胃痛の種なんだからよ」
 嘴馬はそう言って曖昧に微笑む。必死に不安を誤魔化しているようにも見えて、どこか痛々しくもあった。
「誰が胃潰瘍患者製造マシーンだ」
「そこまでは言ってねえよ」
……長岡真凜の持ち物や衣服に奇妙な点はあったか?」椿は気を取り直して質問に戻った。
「ああ、そういえば」嘴馬は逡巡する。「貴重品類を親族に引き渡すために預かったんだが、その時になんていうんだ、ほら。占いに使うような縦長のカードあるだろ」
「タロットカードですか?」俺は焦って問いかける。
「なんか星みたいな絵が書いてあって、マッキーペンで〈reverse〉って書いてあったんだよな。それ以外は特に何もねえかなあ。保険証、免許証、学生証なんかもそのまんまだったし」
「星……〈reverse〉、即ち逆位置か」
 椿は前屈みになって指を突き合わせ集中するモードに入った。長岡真凜には〈星〉の逆位置が、坂木柊作には〈吊るされた男〉の逆位置が傍にあった。
 タロットカードは一体何の意味がある? 俺は無い頭を振り絞って必死に考える。第一、そんなものを置くのは犯人にとって大いにリスクのある行動だ。俺が犯人ならそんなことは絶対にしない。
「坂木柊作という男が殺害されてな。特区港湾部の、今は使われていない倉庫で逆さ吊りにされ、内臓を抜かれた状態で発見された。そこに長岡真凛と同じように逆位置のタロットカードが置かれていた。カードは吊るされた男」
 椿は一度言葉を切り、タブレット端末の電源を入れて死体検案書を表示させた。
「死因は同様に脳挫傷及び頚椎骨折。坂木柊作は長岡真凛とは違い、殺害される前に拷問されていた……或いは、そう見せかけるために暴行された可能性が高い。体に複数の打撲痕や火傷痕があった」
「お前はこの殺人と、二か月前の心臓移植——ひいては長岡真凜の死に関係があると思ってるわけか……
 嘴馬は死体検案書を読みながら呟いた。そこには明確な後悔が滲んでいる。自分が犯罪に加担した可能性を考えているのは容易に分かった。
「明日、長岡真波に会いたいのだが。許可してくれるな」椿はそう呟く。
「それは無論構わねえけど……お前のワトソンは嫌そうだぜ」
「ワトソンじゃない。ただの政府の犬だ。お前が一緒に来ればいい」
 誰が政府の犬や、と思ったが、確かに国家公務員なので間違いではない。俺は椿を睨みつけた。
「いねえよ。俺は明日普通に休みです~~。勝手にいることにすんな」
「そうか。良かったな咲良。明日も元気に仕事だぞ」
 予想はしていたが、俺の平穏な土日は消え去った。もう抵抗するのも面倒くさくて白旗を上げ続ける。
 正直なところ、この事件の幕引きを見届けるまで引けない、という気持ちはかなりあった。
 どうせここまで来たのなら、最後まで付き合ってやろう。そう思い俺は研究室を後にした。未だ明かりがついたままの四宮研究室だけが、星のように瞬いている。

諸注意
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