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史加
2025-12-19 12:28:25
53658文字
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str(ファイモス)
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さいごのばんさん
ファイモス/転生×現代×学パロ/完結した物語を本棚にしまうまでのお話
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三.明日の君と出会いたい
背伸びしても届かないのなら、足場を作ればいい。たとえ他愛のない望みだって、積み重ねれば星まで届く立派な踏み台になる。
孤高の英雄のように思えたモーディスも、実際にはきちんと手の届くところにいるひとりの人間だ。オムライスに描いてもらったキメラの絵の写真を眺めながら、ファイノンはその事実を繰り返し心に刻み、噛み締めていた。
あの日から少しだけ、モーディスはファイノンに近付いてくれるようになったと思う。ファイノンが夜食を食べているときは傍らで本を読んだり、宿題をしたりして過ごすことが増えたし、パンケーキを用意してくれた日は珍しくも一緒に食べていた。はちみつをたっぷりかけたふかふかのパンケーキを上品に食べる彼の頬が緩むのを見たとき、彼は甘いものが好きなのだと知った。バイトを終えて帰宅し、姿の見えない彼を探して書室を訪れたとき、読書のために設けられた椅子に腰かけてうたた寝をしているのを目撃した。美しく整った寝顔がほのかな照明に照らされているのを目の当たりにして、起こそうか迷い、自分だけの秘密にすることにした。まだ学校でわざわざ彼のクラスまで行って話をしようとしたり、昼休みを一緒に過ごそうとしたりは出来ていないけれど、もう少し彼が許してくれたら提案してみようと思うくらいには、前向きで、前のめりになっている自覚があった。
このまま積み重なっていく時間が少しずつモーディスとの距離を縮めていってくれたらいいと、ファイノンはそう願わずにはいられない。けっして気が合わない訳ではないのだ。むしろモーディスのことをひとつ知るたびにファイノンは嬉しくなるし、もっと知りたいと欲深くなる。一緒にいられる時間が増えればいいと思うし、一緒に出来ることを増やしたいと思う。クレムノスの王子という身分が彼に様々な懸念を抱かせているようだけれど、そんなものを気にしなくてもいいと思えるくらい、強くて頼もしい男になりたいと願う。
それらの感情の根源となっているものは何か。ファイノンの若く健やかな心臓を高鳴らせて、ときには苦しめることのある、甘くも重たいそれの名に気付かぬほど、ファイノンは鈍感でも愚かでもない。だが年若いながらも衝動に身を任せてはいけないことは理解していたし、胸の奥深くのやわいところにある何かが警鐘を鳴らしていた。
そう、警鐘だ。
穏やかな日々の中ではいつからか、警鐘がかすかに、けれど確かに鳴っていた。
「あれ、今日は弁当持ってきてないのか?」
昼休みを告げるチャイムが鳴るなり財布を手に立ち上がったファイノンを見て、驚いたように友人が言った。まるで運命にでも導かれているのか、席替えを繰り返してもファイノンの隣の席を引き当てる彼に頷いてみせる。
「たまにはね」
あいまいに答えると、今は踏み込むべきではないと理解したのだろう。
「焼きそばパン、どっちが買えるか競争な!」
そう言って走り出していく友人の背がどうにもまぶしく、ありがたかった。別に焼きそばパンを食べたい気分ではないけれど、彼の言葉に乗ってファイノンはその背を追いかけることにした。
購買に行くのは冬以来だ。下宿で暮らしていた頃は老夫婦の作ってくれるお弁当では足りず、空腹を堪えることなど出来なくて、昼休みを迎えるなり購買へと走っていた。安くてボリュームのある惣菜パンの味も嫌いではないけれど、食べ飽きてしまうのも事実で、腹を満たせればそれでいいと早々に割り切っていたことを覚えている。
一年生の頃のファイノンの生活には不満とまでは言わないけれど、満ち足りているとはいえないところがいくつもあった。バイトと最低限の勉強に明け暮れるだけの日々に刺激はなく、友人と過ごす時間も穏やかで、楽しいけれどそれだけだった。それで十分なのかもしれないが、振り返れば常に物足りなさを感じていたように思う。暇を持て余すこともなかったけれど、悪く言えば淡々としていた。世界の色がのっぺりとしていてどこか薄ぼけているような、そんな感覚だった。
そんなファイノンの日常が彩度を増したのは言うまでもなく、モーディスと出会ってからだ。モーディスのいる家に帰り、彼の作った食事が自らの血肉となるのが今のファイノンの当たり前になろうとしている。その事実に、他愛のないことで気付かされる。
学生で賑わう購買に着き、焼きそばパンを無事確保した友人がガッツポーズを決めるのを見届けたあと、ファイノンは適当にコロッケパンとジャムパン、それからミネラルウォーターを買った。普段なら最低でも三つは食べる男が二つしか買わなかったのがさすがに気にかかったのか、ファイノンを待っていた友人がどこか心配そうに見つめてくる。
「それだけで足りるのか? どこか具合でも悪いとか?」
「いや、僕は平気さ。ただ
……
」
「ただ?」
「
……
、」
ファイノンは開きかけた口を閉ざすか迷った。未だにモーディスとのことを友人には話せないでいるし、相変わらず身分を気にしているのか、彼がそれを良しともしてくれていない。ただ、胸に重くのしかかる不安をほんの少しでも形にして、吐き出してしまいたい気持ちがある。
別にたいしたことではないのだ。今日ファイノンが弁当を持ってきていないのは、屋敷のキッチンが突然爆発したわけでも、モーディスと大喧嘩をしたわけでも、あるいは体調を崩して倒れたわけでもない。
倒れたわけでは、ないのだけれど。
「
……
いつもお弁当を作ってくれているひとが、ちょっと寝坊しただけさ」
いつだって規則正しい生活をしていて体調管理も徹底しているあの生真面目な男が、寝過ごした。寝過ごして、弁当を用意する暇がなかったとファイノンに詫びた。
その事実に、頭の中でがんがんと警鐘が鳴り響いて止まなかった。
おちゃらけているところの目立つ友人が、なんだ、そんなことかと笑い飛ばしてくれれば、このもやもやとした気も少しは晴れるかもしれない。大仰だ、心配しすぎだと言ってくれれば、杞憂だと思えるようになるかもしれない。藁にもすがるような思いで絞り出した声は、自分のものとは思えないほどに弱々しく、心臓の裏側が痛くなる。
ファイノンの言葉を聞いた友人は何を思ったのだろうか。何も言わずに歩き出した。
その足は教室ではなく、屋上へ続く階段へと向かっていく。
「相棒? そっちは立入禁止で
……
」
「ファイノン」
階段へ足をかけた友人を止めようとしたところで、振り返った彼に名を呼ばれた。
モーディスとはまた異なる、星々の光を詰め込んだような金の双眸がファイノンを真っ直ぐと見つめる。
「話せない事情があるのはわかってる。だけど全部ひとりで抱え込む必要なんてないと俺は思う」
「!」
「今にも死にそうなくらい心配だって顔してるお前を教室に連れて帰って無理矢理笑わせ続けるくらいなら、ちょっとでもすっきりしてから一緒に戻って先生に叱られたほうがずっとマシだ。五時間目の授業をサボったっていい。ノートは丹恒が貸してくれるし、先生にはなのが上手いこと言っておいてくれる」
きっと、購買へと走り出した時点で友人の中ではそうすると決まっていたのだろう。いたずらっぽく笑ってスマホの画面に映るトークルームを見せてくる彼に、ファイノンはどうしてかひどくほっとして、へらりと泣きそうな笑顔を浮かべる。
「
……
君には敵わないな、相棒」
ごめん、モーディス。
心の中で約束を破ることを謝って、ふたりで階段をのぼり、「立入禁止」とラミネートされた紙の貼られている重たい扉を押し開けた。
真夏を迎えようとしている正午の屋上は暑い。燦々と降り注ぐ陽光のまぶしさに目を細め、どうにか日陰になる場所を見つけてふたりで腰を下ろす。幸いにも今日は風のある日で、直射日光が当たらず風通しの良い場所にいれば夏の熱射に焼かれて茹だることはなさそうだ。
すでに汗をかいているペットボトルを開けて水を飲む。焼きそばパンの袋を開けて早くも齧り付いている友人の気ままさをありがたく思いながら、ファイノンは語った。
冬の終わりに下宿を出たこと。
行く宛てのないファイノンをモーディスが見つけて、居候させてくれていること。
春からもう三ヶ月以上彼と一緒に生活をしていること。
ずっと言えなかったのは、彼に口止めされていたからだということ。
そして、生真面目で規則正しい生活を心がけている彼が、今日は珍しくも寝坊をしたのがたまらなく心配だということ。
買ったパンを食べるのも忘れて、ファイノンは今の今まで打ち明けられなかった事実をすべて話した。話し終える頃には友人は焼きそばパンを食べ終えて、いちご牛乳のパックを空にしていた。
彼はファイノンの話を聞いてどう思っただろうか。大変だったなと同情するのか。大袈裟だと笑ってくれるのか。それとも、どうして今まで大事なことを黙っていたのかと怒るのか。
どんな反応が返ってきてもいいようにと身構えていると、さらりと吹き抜けた夏風が彼の灰色の髪を揺らす。
「ファイノンはモーディスのことが大切なんだな」
返ってきたのは、そんな言葉だった。
「
……
怒らないのかい?」
「少なくとも俺は怒らないし、笑ったりもしない。俺の知らない間に大変な思いをしていたんだなとは思うけど、同情するのもなんか違うだろ。お前がモーディスのことを大切に思っていて、大事にしたいから言えないでいたんだって、話を聞いてすぐにわかったし」
空になった紙パックからストローを引き抜いて折り畳みながら、友人は言葉を続ける。
「俺だって、もし丹恒が俺やなのに何も言わないで学校をサボったり、なのが肌身離さず持ち歩いているカメラをどこかに忘れてきたりしたら、何かあったんじゃないかって心配する。何も知らないやつが聞いたら大袈裟だって思うかもしれないけど、お前はそうじゃないだろ?」
ぽんと肩を叩かれたような気がした。実際には友人は紙パックを小さく折り畳むのに指先を使っていて、その視線もファイノンに向けられてはいないのだけれど、確かに寄り添ってくれているのだとわかる話し方だった。
まったくもって彼の言うとおりだ。モーディスが寝坊をしたことなんて、少なくともファイノンが一緒に暮らし始めてからは一度もなかった。もしかするとファイノンが居候をする前はもう少し気ままに生活をしていて、朝寝過ごすこともあったのかもしれない。けれどファイノンにはなぜだかモーディスがそのような男だとは思えなかったし、そうやって気のせいだと見過ごしてはいけない何かがあるような気がしてならなかった。
朝顔を合わせたとき、モーディスの顔色は悪くなかったし、昨晩うっかり本を読むのに夢中になってしまって寝るのが遅かったのだと、自らの失態を認める言動を取っていた。モーディスが存外読書を好み、空いている時間があれば書室で本を読んで過ごしていることも知っている。だから何ひとつ不自然なところはない。でも言い表しようのない違和感が、ファイノンの中には確かにある。
俯くファイノンを、友人の金のひとみが優しく見つめる。
「心配し過ぎだって笑うのは、全部解決してからでいいと思う。見落として後悔するよりは、何もなかった未来で恥ずかしい思いをするほうがずっといいだろ?」
「
……
後悔、か」
「ああ。選べるのなら、後悔のない選択をしないとな。そうやって掴み取った未来なら、どんな結末だろうと受け入れられる。あるいはもし簡単には受け入れられない結末だったとしても、俺たちがいる。手伝えることがあるなら手伝うし、お前がひとりで背負って悩む必要なんてないんだ。
……
もう神話の時代は終わったんだから」
「
……
え?」
ぽつりと呟かれた言葉を聞き取れず、ファイノンは首を傾げた。けれど友人はなんでもないと言ってからりと笑い、ばしっと背を叩いた。
「とにかく当たって砕けろだ、ファイちゃん!」
「待ってくれ相棒、砕けるのが前提なのか?」
「それはモスちゃん次第だからな」
「モスちゃん!?」
「この前トリビー先生がモーディスのことをそう呼んでたぞ。あいつ、先生たちと結構仲が良いみたいなんだ。古語担当のアナイクス先生とも図書室でよく話してるし」
「それは知らなかったな。
……
ということは、先生たちにモーディスのことを聞いたら何か知ってるかもしれないのか?」
「だな。善は急げって言うし、今日の放課後にでも職員室に行ってみたらいいんじゃないか?」
重苦しい雰囲気を吹き飛ばした友人の言葉はまるで天啓のようだった。
ファイノンは力強く頷き、空を見上げる。抜けるような夏空はどこまでも青く、穏やかで、澄み切っていた。この世界をおびやかすものは何ひとつないのだと、かみさまに見守られているような、そんな雄大で美しい空だ。
あるいは美しい叙事詩を並べ立てて飾り、作られたような空でもある。実際このオンパロスという世界には神話の時代があり、十二のタイタンによる創世の歴史が刻まれている。今となってははるか遠い時代の話であり、それを証明するような遺跡も、かつて英雄の身に流れていたという黄金の血もみな朽ちて消え果てているが、それが真実であることを記す書物と、形なき神への信仰だけは残っているらしい。もっともファイノンの故郷であるエリュシオンにはそういった信仰もなく、現実味の薄い話ではあるのだけれど。
そういえば、とファイノンは不意に思い出す。
モーディスの故郷であるクレムノス。そこにはかつて紛争の神が座しており、途方もない輪廻の中でこの世界を守護していたことがあるという。今もクレムノス人の中にはかの神を信仰する者が多いそうだ。
モーディスもその神を信仰しているのだろうか。
彼の書室に保管されている本に、信仰は記されているのだろうか。
そんなちっぽけなこともファイノンは知らない。けれどいつかそれを知ることの出来る未来にたどり着けるように、今は歩き出さなければならない。
今回のことがただの一度きりのことで、明日からは何ひとつ変わらない日常がまた続いていくことを祈って。こういうごくまれなことが起こるのも日常のひとつとして数えられるようになることを願って。けれどこの胸のうちがわに巣食って消えない不安と、鳴り止まぬ警鐘が、ファイノンにとって当たり前になりつつある日常をおびやかすのだとしたら、まずは大切にしたいものを大切に出来るように。
前を向いたファイノンが立ち上がると同時に、昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴った。
すっと伸びた背中を、相棒たる友人はただ静かに見つめていた。
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