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史加
2025-12-19 12:28:25
53658文字
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さいごのばんさん
ファイモス/転生×現代×学パロ/完結した物語を本棚にしまうまでのお話
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二.望みを積み重ねて手を伸ばす
ファイノンがモーディスと出会ったのは高校一年生の終わり、三月末のことだ。
それまでファイノンはモーディスという同級生のことをほとんど知らなかった。クラスが端と端で離れているものだから、合同で授業をおこなうことも、行事で顔を合わせる機会もまずなかった。お互い部活にも入っておらず、ファイノンはバイトに、モーディスは図書委員としての活動に従事していたから余計にだ。唯一彼について知っていたことと言えば、クレムノスの王子様が同じ学年にいる、という噂だけだった。
そんなふたりが出会ったきっかけは、ファイノンが世話になっていた下宿が年度末で営業を終了したことである。
進路を決めるときに故郷を出ることを選んだファイノンは、両親の負担をなるべく軽減するためになるべく費用のかからない住まいを探し、老夫婦がひそやかに営む古い下宿で暮らすことを選んだ。同じ下宿に住む学生はおらず、夫婦は唯一の客と言っていいファイノンのことを実の息子のようにかわいがってくれたが、学生のためにと用意していた部屋を持て余し、維持管理に苦労している様子でもあった。だから三月の初めにふたりが申し訳なさそうな顔をして下宿業を辞めることにしたのだと言ったとき、仕方のないことだとファイノンは静かに受け止めた。腰の曲がったふたりは娘夫婦の家に身を寄せることにしたそうで、彼らの余生が穏やかであるのならいいことだとすら思った。
ファイノンはこれを不幸だとは思わなかったが、時期が悪かったことは認めている。ちょうど社会人や新入生が移り住んでくる時期で、安い賃貸や下宿、学生寮はすべて埋まっており、残っているのは今までの三倍以上家賃のかかる物件くらいなものだったからだ。
ファイノンが故郷を出ることを選んだのに、これといった大きな目的はない。単に小さな村の外に広がる世界に興味があり、好奇心に駆られて故郷を出た。だからファイノンという貴重な男手を失い、苦労しているであろう両親にこれ以上生活費を工面してくれというのは憚られる。かといって住む家がなくなるのは事実で、友人を頼ろうにもファイノンと親しい者は皆学生寮で生活しており、泊めてもらうことは出来ない。結局次の家を見つけられないまま下宿を出る日を迎えたファイノンは、少ない私物を詰め込んだボストンバッグと、教科書類を全部入れた学生鞄を手に、学校の近くにある公園で途方にくれることになった。
まだ十六歳の未成年だ。両親に事実をありのままに伝えるべきだ。別にファイノンが悪いことをして下宿を追い出されたわけではないのだから、恥じることなんて何ひとつない。そう思うのに、指先は通話ボタンを押せないまま冷えていき、時間ばかりが過ぎていく。
幼いころから世話になっている村の人々のことも、両親のこともそっちのけで、自分自身のさして明確でもない目的のために村を出ておきながら、住む場所に困って連絡をするというのは、ひどく不誠実で、情けないことではないだろうか。
だったら最初から村を出ずに過ごしていればよかった。一応エリュシオンにも高校はあるし、成人してから村を出るという選択肢だってあった。それなら生活費は自分ですべて賄えるから、両親に金銭的な面で負担をかけることだってなかっただろう。それを選ばずに外へと飛び出しておきながら、ちょっとした問題に直面してすぐに親を頼るというのはどうなのか。まだ自分に出来ることがあるのではないか。もっとうまく立ち回れたのではないか。
冬の終わりの風は冷たかった。ひゅうひゅうと吹き抜ける寒風に体温を奪われながら、ファイノンは誰もいない公園でそうしてしばらくの間懊悩していた。日が暮れて、遊具が茜色に染まってもなお、両親に話すという決心をつけられずにいた。
別に不幸と呼ぶまでもない、ちょっとしたトラブルだ。そうに違いない。だから自力で乗り越えるべきだ。親に言う前に、まだ出来ることはきっとある。だけど何をしたらいいのだろう。
まだ幼く狭い視野がますます狭まっていく。
自らの首を絞めていることにも、寒さで身体が震えていることにもファイノンは気付けない。
この平和な世で、まだ未成熟な身で背負わなくていいものを背負おうとして潰れていこうとするひとりの少年の視界に、そのとき、綺麗に磨き上げられたローファーのつま先が映り込む。
「おい。ここで何をしている?」
聞き覚えのない声だった。ファイノンと同じくらい若いのに、どこか堂々として重みのある声だった。
はっと我に返って顔をあげると、夕陽に負けず劣らず輝くこんじきのたてがみが冷たい風に揺られていた。
瞬間、まぶしいとファイノンは思った。綺麗だと思ったし、紅に染まる空を背に立つ彼が、なんだか歴史の教科書に描かれている旧き時代のかみさまのように見えた。
そのときの彼は上質な黒のコートの下にファイノンと同じ制服を着ていたので、冷静に考えれば同じ学校の生徒であるとすぐに判断出来ただろう。そうだとわかっていたら、弱音だって吐かなかった。へらりと薄っぺらい笑みを貼り付けて、バイト終わりでちょっと疲れたから休憩していたんだ、なんて適当に誤魔化して、虚勢を張ったに違いない。
だけどファイノンはそのとき確かに冷静ではなく、思い詰めていた。だから。
「
……
帰る家が、なくなってしまって。どうしようかと悩んでいるんだ」
藁にも縋る思いで、馬鹿正直に、誤解を招きかねない言葉をぽつりとこぼしてしまった。
実際彼は
――
モーディスはそのとき、ファイノンの言葉を必要以上に深刻に受け止めてしまったのだろう。
大きくひとみを揺らしたあと、何かを決心したように手のひらを握り締め、堂々とした声で言った。
「
……
なら、俺の家に来るといい。部屋なら余っている。次に進む方向を見つけるためにも、雨風をしのげる場所で休むことは必要だろう」
初対面の者同士のやり取りというにはあまりにもお互いに言葉が足りず、妙に噛み合っていなくて、めちゃくちゃだったと今なら思う。
けれどあのときのファイノンにとって、見ず知らずの人間であるというのに迷わず手を差しのべてくれたモーディスは英雄のようであり、救世主のようだった。
その迷いのなさと寛容さが、うらやましくもあった。
大人になると時の流れが早くなるとよく言うが、学生時代も瞬く間に過ぎてゆくものだとファイノンは思う。
気付けばオクヘイマはもう自由の月が差し迫っていて、夏の盛りの気配を見せていた。いつも通りにバイトを終えて外に出ると、質量を感じさせる熱気が全身にまとわりつく。冷房の効いた室内で作業をしていた身体にはいっそう暑いように思えるそれに顔をしかめたあと、ファイノンは自転車に乗って帰路に着いた。
春先と比べて日が長くなったおかげで、まだ辺りは明るい。ペダルを漕いでいるうちにだらだらと汗が流れてくるのはしかたのないことだ。育ち盛りの男子高校生はとにかく代謝が良いのである。汗を吸ったシャツが背中にべったりと張り付く感触はこの時期だと慣れたもので、ただ、慣れたからといって不快に感じないわけではなかった。
居候をしている家に着く頃には汗だくになるこの季節は、帰ったらまずピュエロスに行くことを鉄則としている。モーディスはまったく気にしない素振りを見せるが、汗臭いまま彼の前に立つことも、食卓に着くことも、ファイノンには許されない行為のように思えた。それに最近少し生活リズムが変わったのか、ファイノンが帰宅してもモーディスは厨房に立っていないことが増えている。ファイノンを出迎えるなりもうそんな時間かと厨房へ向かうので、彼が夜食を用意してくれている間に身なりを整えるのがちょうど良かった。
二、三人で一緒に浸かってもなお余りあるほどに広いピュエロスをぜいたくにひとりで使って汗を流し、全身洗い、濡れた髪を丁寧に乾かして。部屋着に着替えて浴室を出ると、熱した油のにおいが鼻先を掠める。男子の胃袋を刺激する美味しいにおいに誘われるように厨房へ向かうと、熱した油の海に衣をつけた肉を泳がせているモーディスの後ろ姿が見えた。
きつね色に揚がった鶏肉が金属バットの上にごろごろと転がっているのを確かめるなり、空腹感が存在を主張し始める。ぐうぅ、と唸る胃袋の声が聞こえたのだろう。ちらりと振り返ったモーディスが笑った。
「もう少し待っていろ。オムライスを作ってやる」
「えっ、今日の夜食はそれじゃないのか?」
「これは明日の弁当に入れる分だ」
「なるほど、から揚げ弁当か。いいね、明日の昼休みも楽しみだ。
……
けど、お弁当に入れるには少し多いんじゃないかい?」
「お前の胃袋に合わせたらこんなものだろう」
ファイノンの食べる量をすっかり把握しているモーディスはそう言いながらもから揚げを摘まみ上げ、バットへと移していく。黄金の油が敷かれたキッチンシートの上にぽたぽたと落ちて染みを作っていくところから目が離せない。辺りに満ちるこんがりと揚がった肉のにおいはあまりにも魅惑的で、ファイノンの口の中には自然と唾が溜まっていく。
ぐう、と空っぽの腹がまた唸った。ファイノンの視線がから揚げに釘付けになっているのを確かめたモーディスは、やれやれと肩を竦めたあと、菜箸でバットの端にあるから揚げをひとつ摘み上げる。
「
……
ひとつだけだぞ。火傷をしないよう気をつけろ」
ご丁寧に小皿に乗せて差し出されたそれをファイノンは嬉々として受け取り、我慢出来ずに大きな口を開けて頬張った。ザクザクとした衣に歯を立てた瞬間、じゅわっと灼熱の肉汁が口の中にあふれ出す。
「~~~~ッ!」
「人の話を聞いていなかったのか?
HKS
馬鹿
」
肉の旨味を感じるどころの話ではない。口の中が焼け付くような感覚に目を見開き悶絶とするファイノンを、モーディスはひどく呆れた目で見ていた。呆れながらもどこかやさしく、穏やかな目をしていた。
どうにか口の中のから揚げを噛んで飲み込み、モーディスが差し出してきた水を飲んでひと息つく。未だに舌の上にはピリピリとした痛みが残っているが自業自得だ。ありがとう、と返す間もなくモーディスは夜食のオムライス作りに取り掛かってしまったので、ファイノンは空っぽのコップを流しに置き、今度こそ大人しく食卓に着いて待っていることにする。
ファイノンがモーディスと出会ってから、もう三ヶ月が経とうとしている。
下宿を出ることになって途方に暮れていたファイノンを家に招き、事情を聞いたあと、同じ学校の生徒であることを明かした彼は、卒業まで居候させてやってもかまわないと、とんでもないことを言い出した。同じクラスだったわけでもなければ、そもそも生まれた国すら違う、ほぼ初対面の相手であるのにいとも容易く手を差しのべるなんて、おそろしい男だと思ったことを鮮明に覚えている。
ただ、ファイノンにとって有難い申し出だったのも事実だ。ほかに行くあてなどなかったし、家賃はいらないという言葉も魅力的だった。なにより物語の英雄のように格好良いモーディスのことが気になって、もっと彼のことを知りたいと思った。だからファイノンは彼の言葉に甘えて、新しい部屋を探すでもなくこの三ヶ月をともに過ごしてきた。
二年生になってクラス替えがあったのに、ファイノンはA組、モーディスはH組と離れたままだ。ゆえに学校でモーディスと会う機会は相変わらずない。彼がどんな顔で授業を受けているのかも、クラスの人間とどのように接するのかも、昼休みをどう過ごしているのかも、何ひとつ知らないままでいる。
噂を聞く限りでは、クレムノスの王子様は高嶺の花のように扱われているらしい。休み時間にわざわざ彼に声をかける者といえば同じクラスにいるキャストリスという少女くらいだそうで、かの少女も見目の可憐さと大人びた雰囲気、そして本人のどこか一歩引いてしまいがちな性格によって、周りからは蝶を愛でるように扱われているのだとか。美男美女が揃っている姿というのは絵になるもので、そういった理由もあってかふたりに近付く者はほとんどいないと聞いている。
かといってこのふたりが恋人同士であるのかと聞かれると、そういうわけではない。断言出来るのは、愚かにも直接モーディスに尋ねたことがあるからだ。
そのときのことは、苦い記憶としてファイノンの中で残っている。
モーディスにキャストリスとの仲を尋ねたところ、「そんな訳があるか。キャストリスに失礼だろう。だいたい何でも色恋沙汰にしようとするな。愚かしい」と容赦のない罵倒を浴びせられた挙句、拳骨まで食らわされた。拳骨と言ってももちろん手加減はされていて、友人同士がじゃれ合うときに似たものではあったけれど、拳を振るったモーディスはひどく痛そうな顔をしていた。だからファイノンは自分がとてつもなく悪いことをしてしまった気分になった。どうしてそんな顔をするのか、真意を尋ねることも出来ずただ謝ることしか出来なかったあのときのことを、きっと一生忘れたりはしないだろう。
「
……
上手くいかないことばかりだな」
この三ヶ月を振り返り、そんな言葉がぽつりとこぼれ落ちる。モーディスのことをもっと知りたいと思ってともに生活をしてきたけれど、ファイノンが彼について知っていることなんて、見た目に似合わず生真面目なことと、料理が上手いこと、図書委員を務めていて部活動には参加していないこと、故郷を出てこの屋敷でひとりで暮らしていることくらいしかない。よくよく考えると一緒に生活しているのに彼が好きな食べものすら知らないのだ。三ヶ月も一緒にいてそんなことが有り得るだろうか。
同じ学校に通っているけれど、登校するタイミングもバラバラで、彼は使用人による送迎、ファイノンは自転車と、通学の手段まで違っている。一緒に登校しようと誘ったこともあるが、留守を預かる使用人へ引き継ぎをしなければならないから先に行けと断られてしまったためだ。
もしかするとファイノンという平民を居候させていることを親に反対されているのかと思い、従者のひとりであるケラウトルスという男に尋ねたこともある。しかしそういう訳ではないどころか、むしろクレムノスにいる彼の両親は一人息子に友人が出来たことを喜んでいるのだと返されたときには、どう反応していいのかわからなくなった。友人として紹介されていることに心は躍ったが、口先だけのようにも思えた。嘘ではないと思いたかったが、本当だと信じるには決め手に欠けた。要するに、ファイノンにはモーディスの本心が何ひとつ見えなくて、それが寂しくてたまらなかった。
モーディスは物語に描かれている英雄のようだと思う。平民には手を伸ばしても届かない存在。空に昇る太陽。何者も隣に並び立つことを許さない孤高の獅子。だけど、ファイノンと生活をともにしている。ファイノンが腹を空かせないようにと毎日食事を用意し、バイトに明け暮れていようが友人に誘われて遊びに出かけようが何も言わず、帰って休むことの出来る場所を用意してくれている。そのくせファイノンから誘っても何ひとつ応じてくれやしない。
それは雛鳥の巣立ちを見守る親鳥のようなものだろうか。否、違う。なんとなくだが、モーディスがファイノンに向ける慈愛に滲んでいるのは、そんな生やさしいものではない。もっと身勝手で、傲慢で、どこか悲痛なもののような気がする。ただそれもファイノンの直感でしかなく、上手く言葉では表せないのも事実だ。
どうしてモーディスはファイノンにここまで良くしてくれるくせに、踏み込ませてくれないのか。理由は何ひとつわからない。それが悔しいし、寂しいし、腹立たしい。すべてを教えてくれとまでは言わないけれど、せめて「友人」にはなれないのだろうかと思う。少なくとも気が合わないなんてことはないはずなのだ。ファイノンはモーディスの語ることばに嫌悪感を抱いたことはないし、時折彼が見せるふとした表情の緩みに喜びを覚えているのだから。
「出来たぞ」
ぐるぐると考え込んでいるうちにモーディスが食卓へとやって来る。真っ白なプレートの上にはむらのない黄色の卵に包まれた楕円形のオムライスがあり、白い湯気がたちのぼっていた。
ケチャップと一緒にどんと置かれた皿の上の、あまりにも平凡な家庭料理を見ていると、あれこれと難しく考えて悩んでいるのがなんだか馬鹿馬鹿しいように思えてくる。ふとしょうもないことを思いついて、ファイノンはそれを声に出してみることにした。
「なあモーディス。ケチャップで絵を描いてくれないか?」
「は?」
突拍子もないファイノンの頼みにモーディスは怪訝な顔をする。当然だろう。別にモーディスはファイノンに仕えている使用人ではないし、気心の知れた友人でも、家族でもない。ファイノンの胃袋に収まって終わるだけの料理にわざわざ絵を描くだなんて無駄としか言えない行為に時間を割く必要もないのだ。
ファイノンはバイト終わりで疲れている自覚があった。腹が空いていて半ば自棄になっているのだとも理解していた。確実に面倒なことを言ったとも思っている。けれどそれでもモーディスとくだらないやり取りをしてみたかったし、ほんの少しでもいいから彼に近付きたかった
――
否、ファイノンに近付いてもいいのだと、思ってほしかった。
「いいだろ? それともクレムノスの王子様は絵のセンスが壊滅的で、自信がなかったりするのかな?」
煽るように言葉を続けると、モーディスは眉間に皺を寄せたあと、黎明のひとみにぎらりとした光を灯す。
「服選びのセンスが壊滅的な貴様に言われる筋合いはない。いいだろう、描いてやる」
「え」
それは少し意外な反応だった。今までのモーディスなら「馬鹿なことを言う暇があるのなら冷める前に食べろ」と一蹴していただろうに、ファイノンの面倒で安っぽい挑発に乗ったのだ。
モーディスの節くれだった手がケチャップのボトルを手に取り、オムライスに何かを描き始める。途中で勢いよくケチャップを搾り出してしまったり、ミミズの這ったあとのような何かを描いたりしてくれるのではないかと最低な期待を抱くも、それはすぐに裏切られた。
存外慎重な手つきで、モーディスは小さな黄色いキャンバスの上に愛らしいキャラクターを描き上げる。確か、クラスの女子たちの間で人気になっているキメラだ。神話の時代に存在したという働きものの動物のつぶらなひとみが、ファイノンをじっと見つめてくる。
「これで満足か」
ふん、と鼻を鳴らすモーディスに恥じらいの色はない。オムライスに描かれたキメラとモーディスとを交互に見て、ファイノンは心臓が跳ね上がり、体温が急上昇するのを感じる。
胸の奥から衝動めいた感情が沸き起こった。顔が熱くてしかたない。赤く染まっているのを見られないよう両手で覆ったあと、テーブルに突っ伏して、それから呻く。
「いくらなんでもずるくないか
……
」
「あれだけまじまじと見ていながら俺がズルをしたとでも言うのか?」
「そうじゃない
……
」
心臓がばくばくとうるさくて敵わなかった。どう考えてもおかしい。否、今までファイノンが本当にモーディスのことを何ひとつ知らなかっただけといえばそれでおしまいなのだが、ほんの少しでも知りたいと願ってダメ元で仕掛けた一撃がまさか倍どころではないダメージとなって跳ね返ってくるだなんて、一体誰が想像出来ただろう。
「はぁ
……
なんなんだ。お前が言い出したことだろう。そんなに不愉快だったか」
ファイノンの心臓を殴り付ける衝撃の質が不意に変わる。まただ。紡がれた言葉に混じる痛みの色に、ファイノンははっと我に返り、顔を上げてモーディスを見つめた。
またも身勝手な好奇心と我儘で、彼を傷付けようとしている。そうではない。それはファイノンの本意ではない。それを伝えなければ、モーディスはきっと、今の距離感を変えてくれない。
せっかく手を伸ばしたら指先くらいは届きそうなところに来てくれたっていうのに。
捨て鉢になって伸ばした手の指先が、今ようやく、届きそうになっているっていうのに。
「っ違う! それは誤解だ! まさか我儘を聞いてくれると思わなかったからびっくりしただけで、嬉しいよ」
単純に歓喜と呼ぶには難しい情動に名をつけることはまだ避けて、ファイノンは真っ直ぐに思いを伝えた。思わず大きな声がでてしまったし、つい勢い余ってモーディスの手を握ってしまった。それは「同居人」として、あるいは「友人」として正解なのかわからないが、少なくとも嫌がるような素振りが返ってくることはなかった。
モーディスの手はファイノンと同じようにあたたかい。きちんと人の温もりを宿している。手の届かない太陽でも、孤独に生きる獅子でもない。少し考えれば分かることなのに、触れてみたらそれが真実であるのだと、ファイノンの胸にすとんと落ちる。
「ありがとう、モーディス。このキメラ、すごく可愛いね。せっかくだし写真を撮ってもいいかい? あっ、もちろん他のやつには見せたりしないから!」
まくし立てるように言うと、ファイノンに気圧されたモーディスがたじろぎ、視線を彷徨わせる。困惑したような、迷うような、苦味をどうにか飲み干そうとするような、そんな揺らぎを見せたあと、黎明のひとみは一度静かに閉じられて、すぐにゆっくりと開かれた。
「
……
好きにしろ。冷める前に食えよ」
穏やかに緩むその頬がうすく赤みを帯びている。花の咲くような美しい微笑みに、ファイノンはどうしてか、泣きたくなるくらいに幸せだと思った。
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