「土用の丑の日じゃからのう」
そう言った早乙女博士が黒いダイヤル電話をコロコロ回してたと思ったら、岡持ちをくっつけたバイクが登山口近くまで上がって来た。舗装も不十分な登坂を可哀想にとあわれむ隼人に、なあに蕎麦やラーメンではないから慈悲深いわいと博士は言った。緊急出動に備える職員以外は支給をもらって各自山を下りて食べに行くのだとも。
「牛じゃないの?土曜じゃねえのに?」
との武蔵にそっちのウシでもそっちのドヨウでもねえよと竜馬とともに言いつつ、でもこの日が週末にかぶるとテレビはすげえ土用ドヨーって騒ぎたがるんだ、ありゃ狙ってやがるよ、から始まる竜馬のクレームには隼人は肩を竦めた。
「ウナギじゃなくても『う』が付きゃいいんだって聞いたことあるけど、親父とは一緒に飯を楽しむってことからしてなかったんだよなあ、懐具合だけじゃなくさ」
ウドンでもスイカっでもキュウリでもいいって教えてくれたのは、お古のガクランくれた親父の知り合いだっけと言いつつ、ちぇっ、おい変な同情はよしてくれよという彼に、俺だってお前を可哀想になんか思いたくないさ、ばか、と声には出さず、隼人は。
コーヒー店の出前のようにでかい魔法瓶で付いてきた吸い物には、ひとりまえずつをアルミホイルのカップで小分けにした浮き味も供ぜられる。
「なんだこれ」「肝吸いだな、滋養強壮にいい」「あっ美味い。食感が」「俺のも食っていいぜ」「おっヤリィ
―――じゃねえ、なんで、いいよ」「ガキの頃顔色が悪いからってこういう席でよくバカみてえにもらったの思い出して既に腹いっぱいだ」「へえ
……旨いのになあ」
そうしたらワシのもやろう、リョウ君食べてと周囲からそこそこの数をもらって心温まる丑の日デビューを果たしたはいいが、精が付き過ぎたどうしよう、と困った顔してその晩ハンガーの隼人にちょっかいを出しに行ってしまった竜馬は、
ただのプラシーボ効果である。
下界からよ、腹の減る匂いが吹いてくらあ、とは土用の丑の日の竜馬の話
いかにその日であろうと浅間山の麓の街の飯屋の匂いがここまで届くとも思えないが、ゲットマシンでの偵察帰りに彼は散々切ながった、曰く今日は眼下に並ぶ行列が芋虫みたいにうねうねしていやがったあそことあそこが鰻屋なんだろなあ、だのと。大空を行く鳥並みの目を持つついでに頭も鳥頭か、とは早乙女の吐き捨てた言だった。菓子屋どころか平賀源内の、大昔のやくざな野郎の残したマーケティングに乗りたがる馬鹿があるかチンピラめと、この老人はその顔貌同様、必要以上の不快をまき散らすところがあるから、その尊大が滑稽で哀れでもあるのだが。
夕食後、シャワーも済ませた竜馬が宛がわれた部屋
―――本来は職員の仮眠室であった三畳半に戻ろうとすれば、そこまでの解剖室、小規模実験室準備室カンファレンスルームのどこかからぷんと甘じょっぱい匂いがした。たまにあるのだ、下界から持ち込んだちょっと旨いカップ麺やスナックの夜食を執る者が、缶ビールのタブを起こす者が、そしてそれを彼等に気付かれてしまうことが。流竜馬、ここににかりと口の端を吊り上げ、シャワー帰りの突っ掛けサンダルを聞こえよがしにぱん、ぱん、と踏み鳴らし
「おいコラァっワリイモン持ち込んだ奴は手を挙げろッ、先生の見回りだボッシューだ!」
あたかも鬼に嗅ぎ付けられたらもはや最後、かのように、”ヒー、ホー、フム、イギリス人の血の匂い”の歌のごとくに。
誰だァウナギなんぞ持ち込んだの!臭うってもんじゃねえぞ!”生きていようが死んでいようが骨を粉にしてパンを焼く”
「
―――ってなんでぇ、お前かよよりによって」
ありえねえ、とまで言われたのは同じく軟禁生活のゲッターパイロットの隼人だった。TV会議および万一の「鬼」感染対策としてオンライン面会用にしつらえられたちいさなブースが並ぶ一番端、そこだけ電子レンジが脇に置いてある席で彼は白い皿をレンジから取り出し、フォークを添えたところだったのだが
おお、いい味じゃねえか、でもウナギじゃねえな、アナゴかな?
レンジってのは「蒸す」仕事もできるからな、悪い肉と骨も多少ほどけるかと。臭うのも職員連中が24時間隠れて何か食ってやがるこの辺でやって短時間で離脱すりゃいいとおもったらこれだ
傍らのペットボトルにある黒い液体は厨房からくすねた割下を作るための各種の混合液だったのか
てめえらが「卵産んでる」って大騒ぎして、外に行くたびにホースで水浸しにしたあげく小便かけてたとこがあるだろ、あれを掘ってきて、育ったの逃がしたら聞き分けのねえ戻って来るのがいやがってよ
どうだてめえの小便の味でもするかよ、その蛇
夜食を横取りされてデスクに肩肘付いてむくれる負け犬、、いや具合の悪い痩せ猫か、そう見えた隼人が、今は切り揃えられた半透明の爪の生える血色悪い指をゆらりと擡げ、扇でするように相手を指せば
その後といえば竜馬はトイレに全力疾走し、匂いにつられてにこにこのこのこやって来た弁慶は『パタリ●!』みてえなことやってんなよお、たしか愛蔵版じゃなきゃ7巻ネタ、とぼやいた。
悪女の深情けなどとは言うが、隼人のそれは得体が知れない
※小説『羅生門』に出る「蛇を干し魚と偽り売っていた、髪の美しい女の死体」は今昔物語のノンフィクション要素が入ってると聞いて、ギスギス竜隼にしてみるの図

サーガの竜隼、同日午後
「そういやキュ『ウ』リじゃなくて『ウ』メボシでもいいって聞いたっけな」
とは、麓の食堂が鰻の重箱を回収に来た時、怪しげな実験の真っ最中で、なんぴとたりとも立ち入り禁止だった敷島博士がいたせいで。二度手間も可哀想だから店に届けてやろうぜと言い出したのが午後の竜馬だった。
そこそこいい店だったらしく重箱の塗りが剝げたら悪いと風呂敷に包み、ついでに買って来てとミチルに頼まれたアーモンドプードルとアラザンとキルシュワッサーに彼は目を泳がせたあと隼人の方を見た。かくて風呂敷を片手に抱えた隼人を後ろに乗せて、竜馬運転する研究所のカブは夕方の街へ。また夕飯時合わせでよく匂ってくる御馳走の匂いに竜馬がふと言う。
「家で作ってなきゃ絶対あるってもんでもねえだろ」
「違えねえや、俺んとこはいつも塩むすびだった、ガキの頃から自分で作ってたよ」
然り、街なかにコンビニが林立し、梅干し入りのおにぎりが手に入るようになるにはもう十数年を要した
じゃあなんで急に言い出す、と背中越しに聞かれれば、いや向こうに薬局があるから肝油ドロップとかトローチとか仁丹思い出した、など竜馬は肩越しに答えた。
「仁丹にはあのまじいの以外に梅とレモンがあんだよ」
あれが結構旨えの、との言葉に、彼の腰に回されている腕がふと緩む
「全部薬の端くれじゃねえか」
「ん、だからたまにそのつもりの無い大人が急にくれたり、具合ワリイ時にもらえて慰めになったりでさ、ああいう甘いもの」
その声は楽し気に聞こえた、気がした。哀れには聞こえず惨めにも響かないのをいぶかっているようにか、彼を閉じ込めている筋肉質な細い腕は、竜馬に言われたように「しっかりつかまる」ことをやめていた。その弛緩に彼も気付き「ん?」と疑問ではなく声掛けとしてだろう、言ってその白い腕を軽く叩く。
「寄って行かねえか、おまけで風船くれるかもよ」
赤とか青とか。
その言葉にも慰撫のような、『大丈夫』というような何かは別段なかったのに、うん、とだけいう静かな応えがあり、カブはまたエンジン音を上げた。
夕闇迫るころ。

おまけ、アニアク
「ウナギじゃなくても『う』が付きゃいいって言いますけどね」
うどんとか瓜
―――スイカとか梅干しとか。今日びワシントン条約物件でしょうウナギって
「珍しく敷島博士が頼んでしまったんだ、やむをえまいよ」
子供はともかく孫は甘やかしたくなるというやつかな。
レッドデータアニマル相手でなくとも食べごとに情熱を見せない所長、神隼人は手元の書類から目線を逸らさないまま応えた。だからそれでその場の話は終わりだった。
しかしあいつらどうやって保護すんでしょうね、一定年齢まで育てるのかなあ、でもあんな生き物どこで判断するんだ、だなんだ言いつつ伊賀利も指令室を出て行った
だがこっちは違った
「魚は食べん、近親食になるから」
竜の国の皇子様は面倒臭かった。
自分たちと同じく鱗の肌を持つものは食さず、クジライルカ等の哺乳類、養殖の地上生物で蛋白質摂取するのがあちらの意識高い系だとかで。ウならウサギでもと白い横顔に真っ赤な目の彼がぼそり呟いたら怖いなと思う前に
「やだなー、安心しろよ、ウナギにはウロコなんてねえって、ほらほら」
「本当か」
「ああ、だから安心して食ってみ」
「あ。甘い,香ばしい
……美味い」
と、不意にパイロット詰所付きの家電が鳴る。ハンズオフにしてみれば
「あるぞ。鱗」
「え」
「え。」
「生きてる状態でも粘膜の下に生えてるのがわかるからそれで年齢もわかる」
それだけ言って電話は切れた
かくてカムイはオフトゥンならぬバグに籠って出てこないから、拓馬は天に向かって戦友に代わり震え叫ぶ
「神さんあんたは残酷な人だあぁ!」
そんな頃、「返却なんてしなくていい」発砲スチロールの鰻重の容器を前に、ひとり感慨にふける長い銀髪の神隼人がいたとか、いないとか。ヒトと変わらず多くの動物を愛した弁慶が、彼の嘗ての戦友の一人がそんなことを言っていた、と。
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