ロンド
25550文字
Public 奈落の大穴
 

Lost Children【再録】



   五 オーゼンとライザ、花見に散策する




「オーゼン、オーゼン! きれいだなぁ!」
 薄紅色のしだれの花木がそよ風に揺られている。ひと枝に無数に咲き誇る小花のせいで重みに耐えられずに下向きにしなっているのだろうか。満開の季節だった。雨上がりの街は水と草木の匂いが染み渡っている。
 平らにならされた道の両側に薄紅の可憐な花をつける樹木は等間隔に並ぶ。瓦屋根に白壁の平屋が道にそって何軒も連なり、道は四方に垂直に別たれてまた家屋が続き、几帳面な格子模様の街を作り上げている。
 そのまた昔、高名な篤学の士が居を置いたのをきっかけに学問の街として栄え、学者、哲学者、文人、詩人、あらゆる知識階層が集まり智を求道したという。時を経るにつれて学者はひとり、またひとりと自らの足で戻らぬ探求の旅に出てしまい、いまや名が知られるばかりとなってしまったが、かれらが残していった優美な屋敷としだれの花木が過去の風雅な趣味が愛された面影を残している。
「中にはアビスを目指して旅立った奴もいたらしいぞ? 黄金郷を目指した予言者についていったとかなんとか」
「さて。呪いの大穴に突っ込んでいく身の程知らずの大馬鹿野郎なんて大勢いたから、どいつのことだかわからんよ」
「私たちにも跳ね返ってくると思わないか」
「探窟家はみなそうだろ」
「違いない!」
 ひとしきり笑って、ライザは急に真顔になって前方に走り出す。ゆるりと動いていた人力車が急ブレーキをかけて危ない。ライザは店の裏側にあたる細い路地に入り込み、塀の上の野良猫を驚かせ、水たまりを踏み荒らしながら隣の街路へ駆けて行く。
 ライザを追いかけてオーゼンが大通りに出ると、正面には青銅の人物像が座していた。共用語で書かれた立て看板によれば、遠い昔に街に立ち寄った件の予言者の像であるらしい。年月に風化してしまっていたが、へらりと眉を下げた顔つきをオーゼンはうさんくさく思った。
「オーゼン! こっちだ!」
 ライザが暖簾のかかった店先の長椅子に腰掛けている。さっそく三つ折りのメニュー表を手に眺めていた。
「甘いもんの匂いがしたからって突然いなくなるのはやめておくれ」
「団子屋だって! 豆の餡とアイスをかけたり、あまじょっぱい蜜をかけたりするんだって」
「話聞いてないな。私はお茶がいい」
 まもなく店員に案内されて、オーゼンとライザは個室に落ち着けた。格子に薄紙の張られた窓は開け放たれ、茶屋の自慢の庭が照明を抑えた店内からよく映えた。天上から降り注ぐ日光が庭だけぽっかりと舞台のように照らし、苔むした岩は青々と潤して、溜め池にぽーん、かぽーん、と清涼な水が流れ落ちていく、優雅な設えだ。ここにも薄紅の花木が植えられていた。
 ライザは塔のような器に盛られた色あざやかな餡蜜を、オーゼンは温かい緑茶と炭火焼の団子を注文した。いかにも甘ったるそうな餡蜜は胸やけするのではないかとオーゼンは思いながら茶をすする。ライザが団子とたっぷりのクリームを乗せたさじをオーゼンにやろうとするので、勘弁してあーんと食べさせられ、感想も求められて甘いとだけ告げる。結局ライザは、飽きたと云ってオーゼンに大半を寄越し、オーゼンが追加のミソ仕立て団子とともに完食した。
 小腹が膨れたのでまた周辺の散歩へと繰り出す。ライザはガイドブックを片手に、オーゼンへ得意げに説明した。
「この季節にしか咲いていない花らしいんだ。春は花、夏は新緑、秋は枯葉、冬は雪――だとさ」
「文人詩人とやらは仰々しくて理解に苦しむなァ。季節の移り変わりなぞに一喜一憂してたら足元がおろそかになるんじゃないか」
「だからオーゼンは『不動卿』なのか?」
 本当に不思議そうにライザが見上げてくる。そう呼ばれるのもずいぶん久しぶりな気がした。白笛を首元に携帯しない日常に慣れかけている。
 ライザのらしくない衣装にも見慣れてしまった。今日は袖まわりが膨らんだブラウスと腰をベルトで締めるえんじ色のトレンチスカート。大仰な荷物は衣装替えのためだったのかと思わせるような衣装持ちだ。オーゼンは変わらず探窟服を身にまとっていたが、このところは暖かい地域なのもあって上着のない軽装だった。さすがに遺物の埋め込んだ手や捻くれた髪を自然のままさらす真似はしていないものの、――なぜだか、ふとした瞬間に弾んでいる自覚が湧いてきている。
「オーゼン?」
……さてねえ。二つ名なんて他人が勝手につけてるんだ」
「まぁ、そうだな! 私なんて『殲滅卿』だし! いったい私がなにをしたって云うんだ!」
「日頃の行いをかえりみてみな」
 少なくとも、ライザの苛烈なお礼参りを体験した者は二度とアビスに近寄りたがらないだろうな、とオーゼンは考える。
「あの木、アビスに一本くらい持ち込めないだろうか」
 枝をつついて雨露(あまつゆ)を落として遊ぶライザの横顔は、本気なのか冗談なのか判断しがたい。オーゼンは思いついたままに返した。
「やめときな。往々にして外来種は負けるんだ」
「オットバスみたいなのもいるだろ」
「じゃ、逆にトコシエコウが減ってもいいのかい?」
「それは駄目だ! やっぱいまのなし!」
 匂いを嗅いでいたしだれ花の枝から手を離して、ライザは一軒の土産物屋に入っていった。かつて学者たちの住まいであった家々は、風情そのままに食事処か土産物屋か博物館として繁盛している。たいしてものめずらしい土産はないので、オーゼンは子供向けのおもちゃを眺めた。
 ライザは絵葉書を真剣に選び始めた。いずれも屋敷と花を描いている。じっと固まったまま動かないでいるので、オーゼンは寄って行った。
「土産かい?」
「トーカに出してやろうと思って。心配してるだろうから」
……ふぅん」
 間抜け面ののんびりした顔は思い出すのもいらいらするので脳内から締め出す。なんで旅先でまで思い出さなければならないのか。
「あ、オーゼンも土産いるか? あの木彫りの牛とか!」
「要らないよ」
「可愛いんだけどな。ひとつ買ってくか。私からの土産なんだ、喜ぶだろ?」
「いいんじゃないかい」
 トーカにやるぶんにはオーゼンはむしろいい気味という気持ちでうなずいた。ライザが指した牛人形は奇妙に歪んでいて、絵の具を塗りたくったような派手な色味という、なかなか前衛的な趣をしていた。店員がこの街に住む木彫り職人の作品だと紹介する。今も昔も、芸術家は街に馴染んでいるらしい。
 ライザは木彫りの牛と、しだれの花木を写実に描いた絵葉書を買って、その場で郵送に出した。オースへは船便などを経由して一か月ほどで届く予定だそうだった。