とある呪術師の息抜き

あの『とある呪術師の息抜き』がリメイクされて帰ってきた!!



第五章 落とされぬ罠


その少し前、尾威の城内。
静かな空気が漂う広間にて、荒正と橿本が再び言葉を交わしていた。
「宝の地図は送られた。これであとは満月の日に戦って終わりだな」
橿本は淡々と告げる。
「それはそうなのだが………呪術師殿、我が国の民を使って何をしようとしている?」
荒正は不安げに眉を寄せた。城の外に民の姿はなく、兵たちの間でも戸惑いの声が上がっていた。
「彼らには勝利への呪い(まじない)を手伝ってもらっている。
必要ないと思ったのだが、勝利への願いは兵への活力になるだろう。戦の前には戻らせるから安心してほしい」
そう言って橿本は、まるで何事もないかのように微笑んだ。
その笑みに荒正は言葉を返すことができなかった。




満月を三日後に控えたある朝、尾威の城へ急報が届く。
恵刃の軍が突如として国境を越え、尾威の居城に迫っているというのだ。
それは明らかに奇襲だった。
城へ向けて一直線に進軍しながら、周囲の村や耕地を避けて通っている。
土地は荒らされず、民も巻き込まれていない。
だが、その整然とした進軍こそ、攻撃の意志が明確である証だった。
荒正は、橿本に言われた通り大量の罠を張っていた。



しかし──その罠に、敵がかかることは一度もなかった。



そのまま恵刃の軍勢は風のように尾威の城門へと到達した。
門はすでに混乱の最中にあり、半ば開かれた状態で、兵たちは抵抗らしい抵抗も受けずに城内へ流れ込んでいく。 守りの薄い廊下を抜け、奥へ奥へと進むその様子は、まるで濁流が堤を越えるような──止めようのない力を感じさせた。

そして、城の奥。

広間の片隅に、数見荒正がひとり立っていた。
腰を落とすこともなく、ただ背を伸ばしたまま、ぼんやりと前を見ていた。
その姿には、戦うでも逃げるでもない、すべてを諦めた者の気配が漂っている。

「これで……終わるのか」

そう呟いた直後、刀が振るわれた。
首が落ちる音よりも先に、刃が空を裂く風の音が広間に響いたという。



その後、数見荒正の首は恵刃の城門前に晒された。
瞳はすでに虚ろで、苦悶の色も残ってはいなかった。
ただその表情には、敗北も後悔もない、奇妙なまでの静けさが浮かんでいる。

「首だけになって、ようやく執念から解き放たれたようだ」

そう言ったのは、見物していた民の誰かだった。









戦が終わった後、山道にて男ふたりが顔を合わせた。
「もっと頑張ると思っていたのだが、あっけなく落城したな!」
晴れやかな笑みを浮かべてそう言ったのは、橿本である。
その隣に立っているのは、恵刃の国主・今仲慎之助。
戦を終えたばかりのその表情には、深い疲労と哀しみが刻まれていた。
「貴殿のおかげだ。罠の存在を知らずにいたらこちらの被害は甚大なものになっていた。
これで妻への弔いになったと思う」
今仲の声はかすれていたが、橿本は何も言わず、ただ頷いた。
「奥方の首は地図の場所にあるだろう。あの国主が手元に置いていなければの話だが」
「明日にでも探しに行こう」
「何にせよ、これで戦いは終わった。自分との約束は果たしてもらうぞ」
橿本は静かに、しかし揺るぎない口調で念を押す。
「わかっている。その約束の民だがどこへ? 姿が見えなかった」
「この国から南へ行ったところにある高台荒栖原と言ったか。そこへ避難させておいた。彼らには今まで通りの生活をさせてやってほしい」
今仲は頷いた。だがその表情には、わずかな戸惑いの色も滲んでいる。
「迎えに行きたいが………呪術師殿にもついてきてほしい。我々だけでは怯えさせてしまう。敵対しかねない」
「わははは! それもそうだな。彼らが家へ戻ったのを確認するまでは共に居よう」
橿本の笑い声が風に乗って空へと舞い上がる。
静かな金陽山の裾野に、ふたりの影が長く長く伸びている。



呪術師の願いは叶った。