とある呪術師の息抜き

あの『とある呪術師の息抜き』がリメイクされて帰ってきた!!



 

第一章 霧の中の訪問者


霧が立ち込める朝、恵刃の城門に一人の旅人が現れた。
黒布を垂らした背中は、遠目には長い黒髪のようにも見えた。風にそよぐその姿を追えば、手には奇妙な杖。
杖の先には三本の熊の爪がまるで生き物のように青い玉を掴んでいる。誰が見てもただの旅人には思えぬ異様さが、そこにあった。
男の名は橿本栄四郎。彼は北へと流浪し、いま恵刃の国を経由して蒼水へ帰郷する途上にあった。



案内されたのは謁見の間。質素だが清潔な室内に、恵刃の国の国主・今仲慎之助とその正室・志鶴姫が並んで座している。
今仲は細身の体に小さく首を傾げ、慎ましやかな笑みを浮かべており、志鶴姫は対照的に凛とした面差しで、赤い髪がキラキラと陽を受けて輝いていた。
「このような国にようこそ。貴殿が噂の呪術師か……
「今はただの旅の者です。呪医でもあるので困っておられるようでしたら、手を貸しましょう。わはははは」
橿本は笑った。その声からは軽薄とも快活とも取れる印象が滲んでいたが、二人は気を悪くした様子もなく、むしろ打ち解けた空気が流れた。
「自分で言うのもなんだが、恵刃は良い国だぞ。しかし民の顔に笑みがない。尾威との争いが長引いてな……だが、そろそろ終わりが来るかもしれぬ。尾威の国主、数見荒正が病を患ったと聞いた」
今仲の口調は静かであったが、その目にはかすかな光が宿っている。
「えぇ。もうすぐこの国にも平和が訪れるのです」
志鶴姫が柔らかく微笑みかける。
橿本は二人の姿を見つめるでもなく、視線をそっと逸らす。
向けられた先は、志鶴姫の左手。薬指に嵌められた指輪が、燦然と金色の輝きを放っていた。
これは今仲が、志鶴姫との婚礼の折に贈ったものだと照れながら語った。
夫婦の絆を象徴する指輪は彼女が最も大切にしている品でもある。
その金は恵刃の霊峰・金陽山より採れたものだという。
かつて山肌から掘り出された黄金は、仏具や供物に用いられ、志鶴姫の指輪もまた、民の祝福と信仰の証として鍛えられた逸品であった。
金陽山──美しき金の源は、国の栄えを支える一方、争いの種ともなり得た。
その輝きには祈りと血が共に宿っている。
橿本は、それを見つめていた。美しく、そして温かく。
言葉はなかった。ただ一礼し、「よき旅の途中」とだけ言い残して、橿本はその日、恵刃を去った。