河童の皿箱
2025-04-02 09:15:59
11966文字
Public 旧作
 

赤気

娑楽斎とランブラのお話。



 ふわり浮かんだ雲の上。スプレーガンで雪を降らすシエルの隣に立ち、天気予報にて決められた時間を待つ。下を見れば、いつか描いたような摩天楼が見えた。キラキラした街並みは、やっぱり綺麗で。雪の降る街は、何かのお祝い事か、あちこちに飾りが施されていた。できれば降りてみてみたいけど、これからがお仕事だから。
 久しぶりのお仕事で嬉しい。でも、あの山とあの家は、ここにはない。見知らぬ土地でちょっとだけ残念な気もした。もしあそこだったのなら、わたくしが描く本気をみせられたのになぁ、と。

 道を行き交う人々に、神秘的な雪がちらりちらりと降る。ゆるりゆるりと落ちていくそれを眺めていると突如、街1番の摩天楼の頂上に、パッと明るい光が灯った。
 ふと、そちらに視線が行く。煌めく街をギュッと詰め込んだかのように眩いその頂上から、音楽がここまで聞こえた。つい目を凝らすと、その中心の建物を取り囲むようなたくさんの摩天楼の上に、たくさんの人が居る。大盛り上がりの大歓声と、拍手と。
 さらにその中心に目を向ければ華やかな衣装の人たちが歌ったり、踊ったりしていた。初めは、何人いるかわからないほどのたくさんの女の子たち。次に、5人ぐらいの男の子たち。次にはおしゃれな大人たちが。演者はかわるがわるに変わっていって、その度に、聞こえる音も、見える色も、全部違っていた。はたはた、ぱたぱたとついつい足を鳴らしては、シエルと一緒にその音楽を楽しむ。



 仕事の時間が近づく。シエルのスプレーガンにつけたインクが、空っぽに近づいていく。スレットが遠くからすっとこちらへとやってきて、少しずつ雲を切り始める。そろそろ、わたくしも描き始めないと。
 雲から飛び上がり、空にローラーを滑らせる。透明な赤色がクッと伸びれば、天幕が広がり始めた。力加減に細心の注意を払いながら、空模様を描いていく。久しぶりの天気模様。けれど、ここのところ絵をずっと描いていたからか、以前より少し、上手に描けている気がする。

 ドォンと、何かが爆発したのかと思うほどの音。驚いて耳をすませば、それは轟く大太鼓の音だと気づいた。その節の合間に歌われるのは、あの日聞いたような、高らかな男の人の声と、女の子の声。いや、まさか。そんなはずはない。
 次には、ガチャガチャという金属音が。いや、これも聞き覚えがある。絵を描いている時に、隣の建物から聞こえてきたそれだ。
 まさか、まさか。いや、いるはずがない。だってここにはあの山も、あの家もないのに。思わず振り向く。光の中心を見る。高鳴る胸の鼓動に呼応するように、青い髪の彼の姿は、そこにあった。

 月の無い夜。本気を見せるのなら、絶好の機会。

 見てなさいと心に誓い、ローラーを両手でギュッと握る。きっとこの本気を彼が見ても、彼はそれをわたくしの作品だとは気づけないだろう。それが、わたくしたちの宿命なのだから。それでも、それでも。

 轟音の祭囃子と熱狂の上に、赤をこれでもかと描き続ける。濃淡を、折り重なりを、そして透き通りを。音色に導かれるように踊り、その軌跡に色が広がる。ふと下が見えれば、彼も同じように、筆と踊っていて。筆先には色が踊り、軌跡が光る。あぁ、なんて美しいのだろう。なんて、楽しいのだろう。まるで一緒に描き続けた、あの半月のようで。
 歌に踊り、転がし、翻り。夢中になっては、何度も何度も繰り返しているうちに、大熱狂の中心が、まるで雷のような速さでこちらに。ハッと気がついたときには、その青色は、赤い天幕の中で、生き生きと息をしていて。なんとも穏やかな目をした勇壮な龍が、そこにはいた。
 さあと吸い込んだ息。そして轟と吼える。巻き起こる突風に雲は切れ、雪は止み、あぁ、今まで隠されていた紅き天幕の全貌が明かされたのだ。あの、青い龍によって。そんな錯覚すらも覚え、くらりくらりとその景色に酔いしれた。
 けれど、逆立つ青い鬣に紛れていた青い髪を見つけそしてそれが振り向けば、酔いは雲のように吹き飛んでいった。

「先生ッ!?」
「先生っ!?」

 彼と娑楽斎先生と、声が重なる。まさか、こんなところまで上がってくるだなんて。今まで見たことがないほどに驚いたその表情、けれど、またきりりと格好いい表情になって。

負けませんから」

「うっふふこっちだって!」

 龍はまた、彼を連れて下へ下へと降っていく。彼の姿は見えなくなってでも、心につけられた炎は消えることなく。その赤をローラーに乗せて、もっと広く。もっと雄大に。もっと、もっと!
 今日はお客さんがたくさんいるの。だから彼よりももっともっと目立ってやる! そんな悪戯心が、踊るローラーをさらに転がしていく。空の端から端まで、真っ赤に染め上げてしまいたい。心が駆る衝動のままに、地上から伝わる衝撃のままに。
 演奏がもっともっと盛り上がっていく。足踏みはもっともっと強くなっていく。広がる赤に、緑と青をわずかに重ねる。透き通る先には、星々を。夜空を彩る赤い天幕は太陽風に揺れ、けれど雲も、雪も、月もなく。今日は、今日だけは、わたくしが主役の夜空。あぁ、大満足の出来だ。今までにないくらい、上手に描けた。心が色に満たされていく。

 摩天楼の上では割れんばかりの拍手の嵐が巻き起こっていて、中心には彼と、彼の仲間たちがいた。
 彼が空を見れば、視線がかち合う。あぁ、こんなにも離れているのに、彼はたしかに、わたくしを見ているんだ。
 彼らの出番が終わって、また次の演者たちがステージに上がる。完成したオーロラを見た人々は、一体どんな心を持っているのだろう。

 オーロラは、太陽や水のように、生命を育むものではない。ただ空に揺れる、色であるだけ。それでも、人々はよく空を見ては、空を描く。その中の1枚に、わたくしの作品もあったのなら。