井見
2025-02-09 11:15:21
34431文字
Public 真Ⅰ二次
 

【再録】ゆめはめぐりて

真1主人公の道中掌編集の再録です。サイトにあげたことのある6本の改稿+新規3本、磨耗している主人公についてのお話を詰めました。痛みも悲しみも拭えなくても。
あとがき:
https://privatter.me/page/66dc6af2077b6


輝くポッド


 一歩踏み出したパスカルに、こら、戻れと言うつもりだった。ぱちぱち光っているから気になってしまったのかもしれない。まだ敵が残っているのかと思って、噛みつきにいったのかも。ぐるぐると鳴る喉の音は、昔のパスカルよりもずっと獰猛で、その気になれば簡単に僕たちを噛み殺すこともできそうだった。もちろんパスカルはそんなことはしないのだけれど。
 これからパスカルの手当てもしてやるつもりだった。パスカルの白くなった毛並みは、炎で炙られることはない。でも、ところどころ赤く薄汚れているのは、噛みちぎった悪魔の血がついてしまったからだし、パスカル自身の血でもあった。パスカルは全然屁でもないって顔をしていたが、それでも疲れているはずだった。
 それに魔法で傷は治せても、血は洗い流せない。だから、ここから出たら一度帰って、パスカルを洗ってやらなきゃな、って。今のパスカルは風呂場には入らないから、庭のホースを使うしかないって、思っていたのに。
 
 パスカルは消えた。
 
「パスカル?」
 喉が振るえて、短い名前すらうまくだせない。
 物々しい機械たちは、一瞬まばやく光って、パスカルを飲み込んだ。それきりうんともすんとも言わない。コンピューターに悪魔を戻すときみたいに、パスカルは光になって吸い込まれて、最初からいなかったみたいになった。
 僕は機械のキーを叩く。モニターには文字が点滅している。転送。研究所。
 腕をぐい、と引かれた。いつの間にかその機械に伸ばしていた腕だった。
「おい、一旦体制を整えてからだ」
 眼鏡の奥がきらりと光った。怒られているのだとわかった。
「今のパスカルはそう簡単にくたばらないだろ。闇雲に追いかけたんじゃ、おまえの方が先にくたばる」
「でもパスカルが、……パスカルが」
「あのなあ、おまえ、自分の顔見てから言えよ」
 顔を見ろと言われても、大していつもと変わらない顔だ。最後についた傷は焼けたおかげで血も出てないし、服にへばりついたままの染みは洗っても落ちないだけの汚れだ。そんなことはどうでもよくて、はやくパスカルの後を追いかけかった。
 画面を見た感じ、きっとこれはテレポートができる装置だ。そんなとんでもない装置が、なんて逡巡はどうでもいい。パスカルは機械に一瞬で殺されたわけじゃなくて、これに飲み込まれてどこかへ飛ばされたはずだ。腕のコンピューターを見ても、悪魔が死んだときの表示じゃなくて、そもそもパスカルの『ケルベロス』という名前がなくなっている。僕の仲魔じゃなくなった、ということだ。だからパスカルは、生きている。そのはずだ。
 でもいくらパスカルが強くても、さっきみたいな敵がたくさん出てきて、取り囲まれたらきっと敵わない。僕の知らない場所で僕を探して、悪魔とひとりきりで戦っているかもしれない。ひとりで? いつまで?
「気持ちはわかりますが、一度落ち着きましょう。
 パスカルはぼくらよりずっと強い。今はパスカルを信じるべきです」
 そんなのわかってる。君はいつだって正しい。僕らはむしろパスカルに守られていた。僕たちがいなければ、パスカルは自分の身くらい自分で守れるはずだった。
 でももう、パスカルしかいないんだ。パスカルまでいなくなったら、もう僕はひとりなんだ。パスカルだけが、パスカルだけが、僕の家族なんだ。
 二人は互いに目を合わせて、頷いた。口に出ていたのだろうか。
 しぶしぶ僕に従ってくれるのかと思ったが、そうじゃないみたいだった。
 腕をもう一度引っ張られた。僕の肩を揺さぶる彼とは違う腕だ。反射でそっちを見た。見てしまった。
 目を合わせるのは、一つのプロトコルだ。そこに眼鏡があっても関係ない。だから絶対に悪魔と目を合わせてはいけない。魔法を使える人間とも、目を合わせてはいけない。
 まずい、と思った時には遅かった。
 名前を、優しく呼ばれた。
 ‪──‪──。
 深い声が、頭の中に直接響いた。何を言ったのか聞き取れなくて、何をされたのかわかった。体が金縛りにあったみたいに動かなくなっていく。もがこうとしても、僕にそんな力はない。
 倒れた体を受け止められて、ゆっくりと床に寝かせられた。動けない。金縛りの魔法だ。僕は恨みを込めて彼らを見上げようとしたけど、できなかった。横になったら、すぐに意識が重くなってしまった。認めるしかなかった。僕は疲れていた。
 
 *
 
 パスカル。
 パスカルは賢くて強かった。パスカルはぼくのだいじな家族だった。
 だから、駄目だった。パスカルが悪魔に傷つけられそうになると、僕はなにもかもを放り出してそっちに行ってしまう。パスカルもそうだった。ぼくが不意を突かれたとき、何より先にパスカルが僕の前に躍り出て、僕の代わりに傷つけられる。そのたび、僕の思考は真っ赤になる。
 このままでは共倒れだとわかっていた。
 パスカルは自分の身くらい自分で守れる。普通のときならそう言えたかもしれない。突然の天変地異で野良犬にさせてしまっても、パスカルならひとりでたくましく生きていける。そうかもしれない。
 でも、もう〝普通〟はなくなった。
 人も獣もない、悪魔達が街を蹂躙していく。こんなところにパスカルをひとりにしたら……それは絶対にできない。でもこのまま一緒にいたら、どちらかが、きっとパスカルが、死ぬ。
 それはいやだ。パスカルまで失ったら、もうなんにもない。パスカルには死んでほしくない。
 
 だから、僕は茫然と、輝くポッドを見ている。
 
「正気ですか? 犬が悪魔と合体なんて、耐えられるとは思いません!」
 肩を強く揺さぶられて、訴えられた。
 目の前で禍々しく輝く一対の筒。中央に刻まれた大きな魔法陣。悪魔と悪魔を一つにする儀式が行われるここはいやに暗くて、全部が気持ち悪く見えてくる。
 彼は長い髪を影にして、僕の説得を続けている。ここに来る前でもずいぶん止められたが、もう一度聞きます、と同じ質問を繰り返された。
「仮に上手くいったとしても、もうパスカルは悪魔になってしまうんですよ? きみのことだってわからないかもしれない、それはパスカルを生贄にしただけの悪魔かもしれないんです。きみは、きみはそれでいいんですか?」
 わかっている。馬鹿げた発想だって自分でも思っている。
 でも、ならどうすればいい?
「なによりパスカルが……パスカルの意志は、どうなるんですか」
 パスカルは、僕が行けといったら行く。それはパスカルの同意なんだろうか? わからない。
 パスカルが僕の足元で小さく鳴いた。怒っている人がいるから、少し萎れているのだろう。僕はしゃがんで、パスカルの背中を撫でた。こんな状況になっているのは、パスカルのせいでも彼のせいでもなくて、僕のせいだからだ。
「僕は、パスカルに死んでほしくないんだ」
 ただそれだけだった。パスカルがもっと強くなったら、きっとパスカルは死なない。
 パスカルを庇いながら、パスカルに庇われながら、この先ずっと歩いていくのか? そんなの無理だ。パスカルがどんなに賢くて強くても、パスカルはただの犬だ。いつかきっと、死んでしまう。そのとき、僕はどうなる? 僕は、それこそ僕は、正気でいられるのか?
「それがたとえ、パスカルを、殺すことになっても……ですか?」
……そうだよ。そうだ。
 僕がパスカルを殺すなら、パスカルは悪魔に食べられたりしない」
 彼は押し黙った。
 彼だってわかっているはずだ。パスカルをこのまま連れていたって、遅かれ早かれでしかない。
「いいから、さっさとやっちまえ。パスカルの飼い主はおまえだろ」
 苛々した低い声が響いた。一部始終を見ていたがもう限界、というのが顔の全面に出ている。ちっ、と短く舌打ちをして、彼は続けた。
「おまえがそうするってんなら、おれたちが言うことはない。そもそもパスカルとおれたちは関係ないんだからな。
 なあ、おれが言っていること、おかしいか」
 僕を挟むようにして、二人の視線がじっと交わされる。やがて、僕の肩を揺さぶっていた手が、ゆっくりと離れた。
……いえ。そのとおりです。
 よく考えて……それでも、きみがそうしたいなら、そうしてください」
 重いため息があった。誰のかはわからない。全員のものかもしれない。
 僕はパスカルの頭を撫でた。背中を撫でた。腹を撫でて、顔を撫でた。パスカルの首元に顔をうずめた。パスカルの濡れた鼻が、僕の首筋に触れた。
 こんなにおかしな空間でも、パスカルはおとなしく僕のそばにいる。逃げ出したっていいのに。どう考えたって怖いだろうに。でもパスカルは賢いから、そうしなかった。
 ぐい、とパスカルの顔が僕に擦り付けられる。まるで僕がパスカルに宥められているみたいだった。
 パスカルの温度を感じながら、僕はコンピューターを起動した。
 
 *
 
 ……おい。
「おい、起きろ」
 体を揺さぶられて目覚めると、邪教の館のように暗い空間にいた。
「もう大丈夫ですよ。準備できたら、行きましょう」
 目覚めたばかりの重い肉体を起こす。血はすっかり乾いて、体の表面に張り付いている。でももう出血はないし、傷も塞がっている。
 僕は頭を左右に振った。状況を思い出してきた。
 パスカルがいなくなって興奮していたから、魔法で動けなくされた。そしてそのまま眠ってしまったのか。僕が寝こけている間に、二人は回復や薬の整理とかをしてくれたのだろう。
……ありがとう」
「落ち着きましたか」
「少しは」
「さっきはあのまま暴れ出しそうだったからな」
 差し出された手を取りながら、ごめん、と謝る。
 意識を失う前と同じく、暗い部屋には怪しい機械がひっそりと輝いていて、それ以外の気配はない。腕のコンピューターを触ってみても、やはり悪魔一匹分が空白になっている。
 夢は現実だ。
 パスカルはこの機械の向こうへと消えていった。パスカルと一緒にここで戦った。パスカルは悪魔になっていた。僕がパスカルを悪魔にさせた。僕がここに連れてきて、パスカルは消えた。
 ぜんぶ僕のせいだ。
 でも、こうしなきゃよかった、とは思わない。思っちゃいけない。僕が選んだことだから、僕が責任をとらないといけない。
 僕は、外してくれていた剣を背負った。少し乱れた服を整えて、軽く体を動かした。
 手を閉じて、開く。それを三回繰り返して、頷いた。
「行こう」
 二人も頷く。

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