モブは主役になれますか? 全年齢版

イケメン主任×モブな部下
「俺が森部を主役にしてやる」
モブ顔モブ思考な椎に、上司の潤理が恋愛指導をしてくれることになって――。

改稿版の投稿にあわせてこちらに移しました。




 もう土曜日だ。どういうことだ。まだ日にちがあると余裕でいたら当日だ。
 今日になるまでも潤理は頻繁に食事に誘ってくれて、ふたりの時間を持った。だが完全にふたりきりになることはなかった。ふたりきりは、最初のデートで車に乗ったとき以来だ。失敗しないよう気をつけなければ。
 とりあえず掃除はしたし、おかしいところはたぶんない。あとは潤理の到着を待つだけだ。
 本当は、車で郊外型のショッピングモールに行こうかと提案してくれたのだけれど、そこまでしてもらうのは申し訳ないので、「近所のスーパーでいい」と答えた。デートっぽくないだろうかと不安になったが、潤理は特になにも言っていなかったので大丈夫そうだ。買い物の後がおうちデートらしい。なにをするのか本当にわからない。念のためインターネットで検索したら「初エッチ」とあり、ラスボス級の妄想力によりやましい想像で頭の中がいっぱいになってしまった。危険だ、ともう検索するのはやめた。
 スマートフォンが短く鳴って、『もうすぐつく』のメッセージが届いた。一気に緊張して固まる身体をほぐすようにその場で二回跳んで口角をあげてみた。可愛く笑えると満点とのことだから、頑張らなくては。椎は主役になるのだ。
 インターホンの音ではっとして玄関に向かう。

「お待たせ」
「いえ。わざわざすみません」
「行こう」

 潤理は電車で来てくれたのでふたりで部屋を出る。

「なに買うんだ?」
「食品です」
「椎はまとめ買いするタイプか?」
「はい。冷凍しておきます」

 さすがモブは会話を盛りあげることができない。必要なことを伝えるのでもいっぱいいっぱいで、そんな自分によくぞここまで、と逆に感心する。対する潤理は余裕で、きちんと話を広げようとしてくれる。それを潰す椎。どうにもならない。

「椎の手料理、食べてみたい」
「えっ」
「え?」

 突然飛び出した言葉に心臓が跳ねる。

「それは……あの」
「なに?」
「な、なんだか恋人のようで……

 口にして自分で恥ずかしい。自意識過剰だ。潤理は険しい顔をして睨むように目を細める。

「おい。恋人だろうが」
「恋愛指導のための恋人であって、本物ではないでしょう?」
「うわ」

 信じられないものを見るような目つきをした潤理の表情が歪む。真実を言っただけだが、なにか気分を害しただろうか。

「すごい減点発言。なにそれ。ありえない」

 そこまで言われるとは思わず、少し落ち込む。俯いてとぼとぼ歩くと、頭をこつんと叩かれた。顔をあげるとむすっとした、拗ねているようにも照れているとも見える、複雑な表情をした潤理が、椎の頭をもう一度軽く叩いた。

「椎はもっと自信持て」
「なにをしてもだめな自信はあります」

 本当になにからなにまで失敗続き。もしかしたらモブ以下かもしれない。

「椎は主役だ。なにをしても成功なんだよ」
「どういうことですか?」
「椎が自らすることには価値があるってことだ」

 なんだか難しい話になった。

「自ら……

 椎が自分からなにかをするなんておこがましい。周りに指示されて動くので精いっぱいだ。だが潤理はそんなことを許してくれないだろう。

「そう、自らだ。今なにしたい?」
……

 やはり許してくれなかった。
 なにをしたいか。スーパーに向かって歩いているから、特別できることはない。遊びに行ったら買い物ができない。頭を使う質問だ。

「椎が主役なんだ。恋人とこういうことがしてみたいとかあるだろ?」
「ありますけど」
「なんだ?」

 優しく促され、口を開く。潤理は自然に話しやすくしてくれる。きっと恋愛経験があることからの余裕なのだろうが、悔しさとなんとも言えない複雑な感情が入り混じる。それはかすかに心をざわつかせた。

「手を繋いでのんびり歩きたいです。散歩をしたり、寄り道したり」

 頬が熱くなった。そんな願望はモブらしくない。まるで主役のようではないか、と考え、潤理の言葉が耳に蘇る。

 ――椎が主役なんだ。

 椎が主役――それは本当だろうか。隣を見ると潤理が手を差し出してきた。

「よし。ほら」
「えっ」
「手繋ぎたいんだろ?」
「でも……

 周囲を見まわすが誰もいない。もともと人通りが少ない道だ。

「ほら」

 もう一度促され、おずおずと手を握る。いつかのように温かい。ぽうっと頬が熱くなり、胸が甘く高鳴った。

「寄り道したいところは?」

 優しい声。椎の願望を叶えてくれようとする人。どきどきと心臓の音が耳に響いてうるさい。こんなに鼓動が速まるのはおかしい。

「商店街にお肉屋さんがあって」
「うん」
「そこの揚げたてのメンチカツがすごくおいしいので」
「うまそうだな」

 頷いて少し言いよどむと、潤理が「それで?」と続きを急かした。

「い、一緒に食べたいです……

 恥ずかしい。こんな子どもみたいな願いを口にしたら呆れられるかもしれない。もっと大人っぽい願いを言うべきだったかも、と潤理の様子を窺うと、優しい笑みを浮かべて椎を見ている。

「スーパーの帰りに寄るか。それでメンチカツ食べながら帰ろう」
「はい……!」

 どうしよう。どきどきが止まらない。胸もとをそっと押さえた。本当に恋人のようだ。
 スーパーで食料品を買うとき、潤理がカゴを持ってくれて照れる気持ちを抑えられなかった。自然なことのように隣に潤理がいて笑っている。椎は彼のどこが苦手だったのだろう。
 帰り道に、約束どおりに商店街に向かった。肉屋で牛肉を買い、揚げたてメンチカツとコロッケを買った。

「熱いな」
「はい。揚げたてですから」

 メンチカツを食べる潤理の隣で椎もコロッケを食べる。コロッケもほくほくで絶品なのだ。

「こんなふうに食べるのは初めてだ」

 潤理が楽しそうに微笑んでいて、心に優しい風が通りすぎる。さわさわとくすぐるような風は、小さな疼きをもたらした。

「コロッケも食べたい」
「もうひとつ買えばよかったですね」

 考えが足りなかった、と反省したら呆れられた。だがいつもより表情が険しくない。

「そうじゃないだろ」
「え……

 潤理の顔が近づいてきて、椎の持つコロッケにかぶりついた。

「うまいな。揚げたてってどうしてこんなにうまいんだろう」
「あ、揚げたてはおいしいです」
「ほら」
「え」

 潤理が手に持ったメンチカツを椎の口もとに差し出す。

「椎も」
……

 これは、食べろということか。心臓が激しく暴れはじめる。「あーん」と同列にモブにはありえない。

「ほら。食えよ」
「い、いただきます」

 ここで逃げ出すわけにはいかないし、逃がしてくれないだろう。男は度胸だ、とかぶりつくと、いつもよりおいしく感じた。

「おいしい」
「ひと口でかいな」

 潤理がふっと噴き出すので恥ずかしくなる。大口で食べてしまった。いくらなんでも遠慮がなさすぎたかもしれない。

「すみ――
「可愛い」

 唇の端を指で拭われた。見あげる先には整った顔が優しく椎を見つめている。

「衣がついてた」
……
「椎?」

 ぷしゅうっと故障音が出そうだ。オーバーヒートしている。

「モブは臨界点突破しました。これ以上は無理です」

 顔から炎があがりそうなほど熱くてどうしようもない。逃げるように歩き出す。コロッケを食べて気持ちを落ち着けようとするが、まったくできない。しかもこのコロッケには潤理もかぶりついたのだと思うと、思考回路が爆発しそうだった。

「椎」
「モブCです」

 背後から呼びかけられても、振り返ることなどできない。そんな余裕はない。

「違うだろ」

 潤理が隣に並んで椎の顔を覗き込む。

「モブCでいいんです」

 逃げ出そうとしたら手首を掴まれた。触れられた場所がひどく熱い。

「椎、今すごい主役」
「え?」
「全然モブじゃない。ものすごく可愛いよ」
……

 優しい微笑みを浮かべる潤理の瞳が、椎だけを映している。心臓が跳ねあがって異常な動きをする。潤理は苦手だったはず――なのに、苦手の理由がわからない。こんなどきどきはおかしい。

 おうちデートは映画を観ることになった。評価が高い恋愛映画を観ようと言われ、頷いて観はじめてから後悔した。キスシーンがあり、椎は固まった。隣の潤理は、なんでもない顔でタブレットの画面を見ている。意識しているのは椎だけのようだ。

 ――ものすごく可愛いよ。

 潤理の言葉を思い出してしまい頬が熱くなる。これは恋愛の練習なのに、こんなに意識するのはおかしい。気持ちを引き締めないといけない。
 気合いを入れていたら肩を抱かれて飛びあがりそうになる。これはどうするべきか。潤理は映画を観ているが、椎はそれどころではない。

「喉渇きませんか?」

 つい声をかけた。

「大丈夫」

 潤理が大丈夫でも、椎がこの体勢に困っている。ほんのり感じる体温や優しいにおいに心臓が震えて、意識しないでいられない。激しく脈打つ鼓動にくらりとする。

「お、俺は喉が渇いたので……!」

 逃げるように立ちあがり、キッチンに行く。怒っただろうか、と様子を窺うと、声を押し殺して笑っている。肩を揺らしている姿に余裕を感じて悔しい。
 コーヒーを淹れているとエンドロールが流れはじめた。結局ほとんど集中できなかったし、今は逃げている。主役なんて遠い。ため息をつくと「椎」と呼ばれた。

「モブCをお呼びですか」
「椎ってけっこう捻くれてるんだな」
……

 自分はモブだと言い聞かせていないとおかしくなりそうなのだ。捻くれている自覚もある。

「おいで」

 警戒しながら恐る恐る近づくと、頭を撫でられた。

「椎らしい主役になればいい」

 とくんと心臓が甘く揺れる。これはいけない疼きだ。

「大丈夫。椎は主役だ」

 優しい声にせつなくなる。
 これが練習でなければよかった。本当の恋人なら、素直に潤理の胸に飛び込んで甘えられるのに。そんなふうに考える自分が憐れに感じて、同時に怖かった。