モブは主役になれますか? 全年齢版

イケメン主任×モブな部下
「俺が森部を主役にしてやる」
モブ顔モブ思考な椎に、上司の潤理が恋愛指導をしてくれることになって――。

改稿版の投稿にあわせてこちらに移しました。




 潤理の部屋に到着して大変なことに気がついた。いろいろなことを教えられたらどうしよう。

「なに赤くなってるんだ?」
「モブには刺激が……
「は?」
「そんな……いけません」

 頭を小突かれ、膨らんだ妄想が弾けた。

「なに期待してるんだ。今日は話がしたいだけだよ」
「そ、そうですか」

 呆れられた。少し残念に思った自分を叱り、椎はモブだ、と言い聞かせた。そうしたら冷静でいられる。

「ビールでいいか? 梅酒のソーダ割りも作れるぞ」
「じゃあ梅酒をお願いします」
「オーケー。好きなところに座ってて」

 好きなところもなにもわからず、座らずにキッチンに立つ潤理に視線を向ける。なぜか男らしさが増していて見ていられない。なんとなく室内に視線を滑らせる。読書が趣味なのだろうか。小説が本棚に並んでいる。そういえば椎は潤理のことをあまりよく知らない。

「本を読むのが好きなんですか?」
「好きだな。学生の頃なんて時間を忘れて夢中になって読んだ」
「へえ」

 落ち着いた印象の部屋は、潤理らしい。
 グラスをふたつ持った潤理がソファをすすめてくれて静かに座る。グラスに口をつけるとしゅわっとしておいしい。煮詰まった脳みそも一緒に弾けそうだ。

「あの、主任が俺を好きとか……勘違いじゃないですか?」

 ようやく行きついた答えは「勘違い」だ。そうとしか思えない。だが潤理は心外だ、というような顔をする。

「傷つくこと言うんだな」
「す、すみません」

 椎と同じ梅酒のソーダ割りが入っていると思われるグラスに口をつけた潤理は、ひと口飲んで濡れた唇を指で拭った。

「勘違いだったら楽だろうな。でも椎のことしか考えられないんだよ」

 せつない笑顔に胸がきゅんとなる。信じられないが、潤理のこの表情は椎への思いからくるものだ。

「なぜモブがそんなことに」

 椎のことなど考えたって楽しくないだろうに。

「好きだからだって。椎ならモブでも主役でもいい。隣にいるのは椎じゃないと嫌だ」

 椎だって潤理が隣にいてくれたら嬉しい。
 水滴の浮かぶグラスをローテーブルに置き、言葉に迷うままグラスの縁をなぞると、その手を握られた。

「俺……いろいろ悩んで」
「そうか。ありがとう」
「なぜ?」

 どうしてこの状況で「ありがとう」なのかがわからず隣を見ると、これ以上ないくらい優しい微笑みが向けられた。拍動が激しくなり、耳に心音が響く。熱くなった頬を隠すこともできず、ただ潤理を見つめた。

「それだけ俺のことを考えてくれたのが嬉しいから、『ありがとう』」

 さすが主役は恰好いいことを言う。だが潤理にとっては椎が主役だから、自分も主役らしく恰好いいことを言うべきか。無理だ。

「椎が好きなんだ。ずっと俺を見てくれるのを待ってた」
「モブモブ呼びながらそんなふうに思ってたんですか?」

 つい苦笑すると、髪を撫でられた。ゆるやかな動きに心臓が跳ねて仕方がない。

「俺は好きな子ほどいじめたい」
「ひどいですね」

 この人はこんなに可愛い人なのか。潤理の肩に寄りかかると、背中をとんとんとゆっくり撫でられた。

「捕まえていてください。モブはすぐ大多数に埋もれてしまいます」
「俺には椎しか見えないけどな」

 梅酒のせいではなくふわふわする。気持ちが弾んで、心が温かい。愛されるとこんなに幸せな気分にもなれるのかと初めて知った。せつなくて苦しいだけではない。

「主任が好きです。ずっと主任のそばに戻りたかった」
「早く言えよ」

 肩を抱き寄せられ、さらに密着する。優しいにおいが椎を包む。

「言えないですよ。でも、誰かに主任を奪われそうになったら奪い返します」
「言ったな?」
「失敗しました」

 つい気持ちのままに言ってしまった。潤理を見あげると、ひとつ頷いてくれた。

「失敗じゃない。大正解だ」

 力強い声に、自分の存在を認められたように感じた。モブでいいと思っていたが、もっと違う立場にしてくれる人がいた。

「つまり主任は――
「主任はやめろ」
……
「どう呼ぶんだっけ?」

 意地悪な瞳が椎を映す。この人は本当に椎をいじめるのが好きなようだ。頬が熱くなり、声が震えそうになるのを抑えて、唇が懐かしがっている呼び方を口にする。

「潤理さん」
「そう」

 満足そうに微笑み、椎の髪を撫でる人は小さく欠伸をした。そういえば目の下に隈ができていた。

「潤理さんは最初からそのつもりで俺の恋愛指導をすると言ったんですね? 自分に惚れさせるために」
「そうだ。椎が主役になれる恋ができただろ?」
「不本意ですが」

 くしゃくしゃと髪をかき混ぜられ、「なんでだよ」と笑われる。椎の口もとも自然と緩んだ。好きな人の笑顔は優しさの栄養になる。

「モブにこんな本気の恋は、重すぎてつらすぎてせつなくて幸せすぎます」
「そんなに本気なんだ?」

 目を覗き込まれ、ふいっと視線を逸らす。

「失言です」
「だからなんでだよ」

 ぎゅっと抱きしめられ、その背にようやく腕をまわす。こんなふうにきちんと温もりを感じられる日が来るなんて思わなかった。堪えても涙が滲んで、堪え切れず零れた。

「ほんと、椎は可愛い」

 どこかとろんとした声に潤理の顔を見ると、瞼がおりかかっている。今にも眠ってしまいそうなので慌てて肩を揺らす。

「潤理さん、ここで寝ないでください。寝室はどこですか?」
「あっち……。悪い、ずっと椎のことばっか考えてて全然眠れてないんだ。安心と嬉しさで眠気が……

 そんなに嬉しいことを言われたら、口もとが緩んだまま戻らなくなる。本気の恋が実ると幸せすぎて困る。
 潤理の肩を支えて寝室に連れて行く。ベッドに寝かせようとしたら躓いてしまい、ふたりでベッドに倒れ込んだ。

「椎……

 きつく抱きしめられ、これはまずいと身体を離そうとするがびくともしない。頬が熱くなって湯気が出てもおかしくないくらいになっている。

「潤理さん、だめです。まだ早いです」
「ん……
「潤理さん?」

 顔を見ると、潤理はすでに寝ていた。どきどきしながら、仕方ないな、とその腕に頬を寄せる。潤理の口もとが綻んだように見えた。

「潤理さん、ありがとうございます」

 聞こえていないだろうから、潤理が起きたらまた言おう。大多数の中からモブを見つけ出してくれた人に、なんと言ったらこの感謝や幸せがきちんと伝わるだろう。
 モブが主役になれる恋があると、身をもって知った。こんな形もあるらしい。



(終)