モブは主役になれますか? 全年齢版

イケメン主任×モブな部下
「俺が森部を主役にしてやる」
モブ顔モブ思考な椎に、上司の潤理が恋愛指導をしてくれることになって――。

改稿版の投稿にあわせてこちらに移しました。




 終業後、当然のようにまっすぐ帰ろうと会社の入っているビルを出たら、なぜか潤理がいた。

「行くぞ」
「え?」
「待ってたんだ。食事に行こう」
「えっ」

 椎を急かすように背後に立って「さあ歩け」と威圧してくる。逆らえるはずもなく、そのとおりに歩き出すと潤理が隣に並んだ。

「少しでも早く、椎に自覚を持ってもらわないといけないからな」

 とん、と背中を叩かれ、気持ちが引き締まる、が。

「なんの自覚ですか?」

 それがわからない。社会人としての自覚はこれでも一応持っているつもりだ。

「俺の恋人だって自覚」

 潤理の口から出たのは椎が想像してみることもできないような、とんでもない自覚だった。それはたしかに持てていないが、練習なのにそこまで張り切っていいものか。そう思うのに頬が熱くなる。潤理の目が見られない。椎がこんなに素敵な男性の恋人。

「うまい店があるから行こう」

 手を引かれそうになって慌てて逃げる。こんなところで手を繋ぐなんて、心臓が止まる。椎の反応を見て苦笑した潤理はすぐに諦めた様子で隣を歩いてくれた。
 火照る頬を涼しい風が冷やしてくれる。だが潤理の出方次第で椎など簡単に燃え尽きるまで火をあげそうになる。恋愛初心者を相手にしているという自覚を、ぜひ潤理には持ってもらいたい。
 椎の歩幅に合わせてくれているので、ゆっくり歩いてもきちんと潤理と並んでいる。なんだか申し訳なくなって早足にすると肩を掴まれた。

「ゆっくり歩こう」
「でも主任は脚が長いから歩きづらいでしょう?」

 ここは合わせないと、と思うのに潤理は首を横に振る。

「主任じゃないだろ。こういう時間を楽しむことも大事なんだよ」
「そういうものなんですか」

 新たな知識を得てひとつ利口になった。言われたとおりにゆっくり歩く。根っこから主役に向いていない自分を自覚するたびに落ち込む。

「そういう顔するな。抱きしめるぞ」
「どうして!?」
「恋人が悲しそうにしてたら慰めるだろ」
「そ、そういうものですか」

 本当に主役に向いていない。抱きしめるなんて、そんなことをされたら椎は卒倒する自信がある。

「ここですか?」
「そう。うまいよ」

 こぢんまりとしたパスタ屋について、潤理を見あげる。相変わらず背が高い。突然縮むことはないけれど、見あげるたびに、おお、という気持ちになる。椎にも身長を分けてほしい。
 にんにくを炒める香ばしいにおいがして腹が鳴った。

「本当にいいタイミングで鳴るな」
「そんなことに感心しないでください」

 恥ずかしすぎる。
 店内は可愛らしい雰囲気で、グリーンのチェック柄のカフェカーテンが窓にかかっている。木のテーブルと椅子が温かみを感じさせて、居心地がいい。

「なににする?」
「ペスカトーレがおいしそうですが、あさりの大葉バターも気になります」

 メニューで悩むことはよくある。特に今は腹が減っていてあれもこれもおいしそうに見えるので、余計に決まらない。

「じゃあそのふたつ頼んでシェアしよう。あとサラダな」
「えっ、シェアなんて、モブにはハードル高いです」

 潤理の眼光が鋭くなった。まずい。

「モブって言ったな?」
……言いました」
「罰ゲーム。あーんしろ」
「えっ」

 それはハードルどころか天にも続く壁だ。レベルが違う。それに潤理の相手が椎だなんて、おこがましすぎる。

「で、できま――
「おい。主役」

 魔法のように唱えられ、姿勢を正す。

「椎はモブじゃないんだ。やれ」
「は、はい」

 すごまれて身体が竦む。つい縮こまってしまうのも主役らしくないけれど仕方がない。椎は本質からモブなのだ。

「ど、どれを……その、したらいいんですか?」
「あーん?」
「そういう恥ずかしい発言をさらっとしないでください……!」

 鼓膜に響くだけでくらくらするほど恥ずかしい。そんな椎を見て潤理は呆れたような顔をする。呆れられてもどうしようもない。これが椎だ。

「初心者だからな。これ」

 サラダのプチトマトを指さすので震える手でフォークを握ったが、落としそうになった。笑われるかと思ったら優しく見つめられていて、逆にいたたまれない。恐る恐るプチトマトをフォークで刺す。

「あ、あの、口を……
「『あーん』って言ってみろ」
「ひっ」

 怯えた椎に潤理の眉が寄る。それも怖い。だが他にどういう反応をしろというのか。主役は普段こういうときどうするのか。モブにはわからないどころではない。わかるわけがない。性質が違うのだ。

「『ひっ』てなんだよ」
「だって俺は……
「主役だよな?」

 言い聞かせるような声に、「はい」とびくびくしながら頷く。首も耳も額も熱い。指先は緊張しすぎて震えている。店内を見まわしてみる。皆他人のことなど気にしていないから、それを理由に逃げることはできなかった。

「あ、あーん」

 消えてしまいたいくらい恥ずかしい。蒸発して水蒸気になりそうだ。椎の反応を楽しむように、潤理はゆっくりとプチトマトを口に含んだ。早まわししたい。

「ん。うまい」
「そ、それはなによりです」

 終わった、と力が抜ける。もう食事どころではない。水を飲んで気持ちを落ち着ける椎の口もとに、フォークに綺麗に巻かれたパスタが差し出された。

「俺も。あーん」
……っ!?」

 お返しは考えていなかった。口を開けと言うのか。本気か、正気か。

「早く」
「くっ……

 仕方がない、と勇気を出して口を開くと、パスタが優しく口内に運ばれた。味なんてわかるはずがない。

「椎はおもしろいな」
「へ?」
「赤くなって青くなって赤くなった」
「そういうところは見ないでください……

 心底疲れ切った。潤理がとり皿に分けてくれたパスタを食べると、ようやく味がした。おいしい。

「なあ椎」
「はい?」
「やっぱり俺は苦手か?」
「そうですね」

 心配そうに椎を見ていた表情がぴくりと歪んだ。

「『そうですね』じゃない。フォローしろ」

 また呆れられたが、どうフォローしろというのか。潤理が苦手なことは真実だ。

「俺が相手じゃなかったら、ふられてたかもしれないぞ」
「潤理さんはふらないんですか?」

 潤理こそふりそうだが。
 そんな椎の考えを読んだように潤理の表情が険しくなった。一応「すみません」と言っておく。

「ふるわけないだろ。椎がまだちゃんと主役になってないからな」
……

 つまり、椎がきちんと主役になったら離れて行くということか。少し胸が苦しいのが不思議だ。潤理は苦手だから、早く離れたいはずなのに。きっとこういう時間が、なんだかんだで楽しいからそう思うのだろう。

 店を出るといっそう風がひんやりしていた。寒いほどではないが、夜風らしい涼しさだ。

「おいしかったです」
「俺が出すって言ったのに」
「何度もおごってもらうわけにはいきません」

 ここは割り勘で済ませてもらった。このほうがすっきりした気持ちになれる。潤理は仕方ないという顔をしている。

「さて。どうする?」
「帰るんじゃないんですか?」
「まだ時間あるだろ。どこ行きたい?」
「えっ」

 どこ、とはどういうことだ。こんな時間からどこに行けるというのか。帰って即寝する気満々だった。

「どこと言われても」
「軽く飲むか」
「ええっ」

 またなにか仕かけられるだろうか、と考えると早く帰りたい。だが帰してくれるはずなどなく、居酒屋などが連なる通りにあるバーに連れて行かれた。

「バーですか」

 敷居が高い。潤理が気遣うような視線を向けるので、正直に答える。

「作法がわかりません」
「作法なんてない。気軽に飲めばいい。なに飲む?」

 潤理は慣れている様子だ。すすめられたカウンター席の脚が長い椅子に並んで腰かける。普通の椅子より足もとがすかすかする。控えめな照明で、以前連れて行ってくれた居酒屋同様、ここも大人の店という雰囲気だ。

「強くないものなら」
「じゃあビールにするか」
「はい。それで」

 潤理がビールをふたつ注文して五百円玉を二枚バーテンダーに渡す。ほどなくビールが潤理と椎の前に置かれた。

「あの五百円はなんですか?」
「ここはワンコインバーなんだ。なにを飲んでも食べても五百円」
「へえ」

 そんなところがあるのか。一般的なバーほど肩肘を張らなくていいような雰囲気にほっとした。気持ちよく飲んでいたらとんでもない金額になっていた、ということがないのは安心できる。

「椎はなんでも珍しそうにするな」
「だって珍しいです」

 会社の近くにこんなにいろいろな店があることも知らなかった。ビールをひと口飲むと、潤理が意味深な表情をする。

「そんな反応ばかりするから、ついいろいろ教えたくなる」
「え……

 耳もとで囁かれ、心臓が跳ねあがった。なにを教えられるのかと想像したら顔から火が出そうだった。

「だ、だめです。不純です」
「なにを想像してるんだ?」

 からかうような瞳に、また頬が熱くなった。あんなことやこんなことを想像したなんて言えない。椎はモブでも想像力はラスボス級だ。熱い頬を隠すように俯く。主役は大変だ、と火照る頬を手で押さえた。本質がモブな椎には刺激が強すぎるし、簡単にもてあそばれる。

「潤理さんは慣れてますね」
「そりゃ、それなりに恋愛経験あるからな」
「あるんですか」

 あるに決まっているが、浮いた噂も聞いたことがなかったので意外だった。噂がないのは潤理もゲイだからだろうが、それでもなんとなくそういったこととは近い位置にいないように感じていた。

「嫉妬した?」

 試すような瞳に首を横に振る。

「しません」

 嫉妬なんて身に余ることをするはずがない。そんな椎を潤理は呆れたような目で見ている。

「なんだか、椎は俺を誰かに奪われても奪い返さなそうだな」
「誰かって?」
「わからないけど。そういうときには奪い返せよ?」
「自信がないです」

 潤理を奪われるというより、それが正しい形なのではないかと思うと奪い返すなんて絶対できない。そうでなくても、これまでが過分だったのだと諦めるだろう。
 グラスの縁を指でなぞる。潤理はそうなったら、きっとその人のところに行く。それが正しいし、引き留めるなんて椎にはできない。
 それなのに納得することを拒む自分がいる。喉に引っ掛かった複雑な気持ちをビールで押し流した。いきなり距離が近くなって戸惑っているだけだ。たぶん、そうだ。