ななき
2024-04-14 01:18:50
10701文字
Public 吸死
 

紫煙で測る距離

(ドラロナ)煙草と距離がテーマの短編、連作。


三.ソファの端と端(家にいるのが当然になった)


 帰ってきた退治人は、着替えもせずソファの端に乱暴に座った。その反対側の端に座ってゲームをしていた私の鼻にすら、煙草の匂いが届く。……何かあったな。
 かっこつけのためかと思っていた煙草だが、それだけではなさそうだと最近察した。原稿中の眠気覚まし、それから、落ち込んだ時、失敗したとき、つまりは自分を責める時にも吸う。私とジョンの努力のおかげで本数が減ってきた今、その方が多いかもしれない。

「風呂いってこい」
……うるせぇよ」
 地の底を這うような声。これはまた、随分とご機嫌斜めだ。ひとり煙を浴びてきたくせに、構ってくれと言わんばかりに振る舞って、八つ当たり。自分の機嫌を自分でとれないほど、この人間はまだ若い。
 でもまあ、甘えることを覚え始めたと思えば悪い気がしない。甘えるのも甘やかすのも、私はプロであるし。

 すこしばかり考えて、また、手負いの獣のような気配に声を掛ける。
「突然だがな、プリンが作りたい」
「あ?」
「だから先にゴリラを風呂に入れて時間を稼ごうという天才的段取り」
 無言。
 ダメか。今日は特に機嫌悪いし、答えは蹴りか拳か。
……クリームものせろ」
 おや、まあ。
 思わずソファの反対側をみてしまう。ムスッと口元を尖らせた、しかしさっきの刺々しさとは全く異なる、いとけない横顔。……たった、あれだけのことで。
「ゴリラの行水では時間が足りん」
 赤い上着の肩が、目に見えてしょんぼりした。そんな風にされると、そわっとというかキュンとというか、してしまうんだが。
……ゆっくり百まで数えてあったまってこい。そしたらクリームのせてやる」
「やった」
 私に向けられた、その笑顔にうっかり見とれる。キラキラのアクアマリンには自責の霧はもうない。煙草のけむりも。
 満月の光が差すような、いや、人間の例えの方がふさわしい。曇りのない青空のような笑顔だ。

 この光に焼かれて死ぬことを選ぶ日がくる、と確信に近い予感がした。