黒竹
2022-05-30 21:36:40
24581文字
Public VOCALOID
 

@rem "I Love you"

【GUMI】【ボカロ家族】
言えない言葉の話。


 打ち上げの起動シミュレーションを計算していると、玄関から来客を告げるベルが聞こえた。困ったことにマスタもがくぽも外出中である。仕方なく、シミュレーションを止めて玄関用モニタを覗いた。相手によっては態度が変わる。セールスだったら居留守を使う、怪しい人でも居留守だ。宅配便なら受け取らないとマスタが困るので出なければならないが、その場合こんなローテンションではいけない。ミクほどではないにせよ、ボーカロイドの一員としてそれなりに名は通ってきているのだから、評判を落とすような行動は慎まねばならない。マスタのスポンサーはお客様第一な通信サービスの大手企業である。
 色々と身構えていたのに、モニタに映っているのは見慣れた顔だった。けれど不思議なことに一人である。訪ねてくる時はいつも二人一緒だったのに珍しいこともあるものだ。
「今開けるから、入って」
 インタフォンの前で反応を待っているレンへ、マイク越しに話しかけた。
 玄関をくぐったレンはなんとも言えない表情をしていた。ボール遊びをしていて窓ガラスを割ってしまった子どものような、ジョークが盛大に滑ったあとのような、耳を伏せ、尻尾を丸めている犬を想起させる表情だった。
「レンだけって珍しいね。リンは?」
「あ、今日はレコーディングで夜まで潰れるから……。でも、リンはいいんだ。俺がグミに用あって来ただけだから」
「ボクに? レンが?」
 一体なんの用事だろう。まったく心当たりがない。先日のラジコンがまた不調にでもなったのだろうか。しかし、それにしては彼の両手は空いている。
 ひょっとして愛の告白でもするのか。ないな。コンマ二秒で自分の推測を否定する。わりあい仲は良い方だけれど、自分たちの距離感やそれぞれが抱くものは、どちらかといえば同性間の友情に近い。そもそも彼については、いつまで経ってもリンが世界で一番お姫様だ。
 まあ立ち話もなんだから、とレンを手招いてリビングへ誘った。クッションが置かれた起毛のカーペットへレンが腰を下ろし、足をのばす。この家にソファというものはない。あれは人を堕落させる魔性の道具だ、とマスタの弁である。要するに過去、自室へ戻るのを面倒臭がってソファで寝てしまい、何度となく風邪を引いたり腰を痛めたりした挙句、原因の根本的排除がされたのである。
 ローテーブルを挟んでレンと向かい合うと、グミは彼が話し始めるのを待った。
 しばし、無言。
 用があると言っていたのにどうして黙りこくるのだろう。そんなに言いにくい要件なのか。
「どうしたの? 用事ってなに?」
「ああ、……うん」
 訊いているのに頷かれても困る。
 レンはしばらくの間、両手を忙しなく組み替えたり部屋の調度を見回したりしていたが、やがて意を決して顔を上げた。
「あの……ごめん!」
 いきなり頭を下げられて呆気に取られる。「は?」やっとのことでそれだけ返して、また待ちの態勢に。
 レンは眉尻が大きく下がった情けない顔のまま、しかし顔をグミからそむけることなく話しだした。
「プロジェクトSETIのこと、俺、あんまりよく知らなくて。それでなんか簡単に、リンと協力するなんて言っちゃって……
さっき、どうなってるのかミク姉に聞いたんだ」
 ふと、彼の顔つきが変化した。眉は下がったまま、眼差しと口元と頬のラインがわずかに痛みを帯びる。
 その時グミは、やっぱり人間のきょうだいのように似たりはしないんだな、と思った。
 ミクが向ける表情とはまったく違うその表情は、ミクのものより哀れみが濃かった。
 声帯パーツの調子を疑うくらいかすれた声で彼は言う。
「失敗してたんだな」
 グミがまばたきより長く目を閉じた。
……うん。打ち上げの時、ロケットに入ってた小さな傷がもとで空中分解したよ。セチは宇宙に行けなかった。高度一万メートルなんて、飛行機と同じくらいの高さまでしか行けなかった。
もともと反対する人も多かったプロジェクトだし、予算の都合もつかなくなって、結局チームは解散して、資料も技術的なもの以外は破棄されたはず」
 そうだ。そんなことは初めから知っていた。
 どれだけ遠くまで飛べる船を作ったところで、セチには二度と会えないのだと。
「じゃあ、なんで……なんで、お前、あんな頑張って宇宙船作ろうとしてたの……?」
 無駄なのに。無意味なのに。
 どうしてソラに行きたがるんだと、後ろ手に拳を作って、半ば責めるような口調でレンは問いかけた。
 彼の怒りは正当と言えた。それほどまでに望むなら、この家は、自分たちは、歌を聴いてくれている人たちは、お前にとって無価値なのかと、悔しさに似た憤りを問いに潜めていた。
 グミはゴーグルに触れる。
 本当は。
 
 本当は、宇宙に行きたくなんてなかった。

「──セチを、忘れたくなかったんだ」
 常に身につけているゴーグル。仮想世界でセチにもらったものを模したそれは、鏡を見るたびに、触れるたびに、セチを思い出させた。
「セチの言いつけなんて守りたくなかった。『忘れていい』なんて、そんなひどいことを言うセチの言いなりになんてなりたくなかったんだ。
けど、セチが宇宙よりもっともっと遠いところに行っちゃって、……歌うことが、あんまりにも楽しくて」
 生まれ落ちた世界はあまりにも広くて、マスタもがくぽも、ミクたちも優しくて、外の空気がおいしくて、動物が可愛くて、カフェのコンポートが甘くて、走るのが面白くて、公園で遊ぶ子どもを見るとわけもなくうれしくなって、歌が、溢れてて。
「こんなことでもしてないと、どんどん、セチを思い出さなくなりそうで、だから、ボクは」
 部屋中に散らばった模型と計算式がかろうじて思い出をつなぎとめていた。
 セチのことを四六時中考えているのだとポーズを取ることで、なんとか彼に抵抗できていた。
 歌うために在れと言っていた彼の望みを叶えたくなどなかったのだ。
 握り固められていたレンの拳がほどけて、カーペットの上に落ちる。
「馬鹿じゃねえの、お前……
「うん」
「ばかやろう」
 それは叱咤でも慰めでもなく、温度のない感想で、グミには心地よかった。
「やめる気はないんだな」
「うん」
……ばかやろう」
「レンも止める気、ないんでしょ?」
……うん」
「ボク、レンのそういうところ好きだよ」
 小さく笑いながら言ったら、レンはわずかに眉をひそめた。
「俺はグミのそういうところが嫌いだ」