サブさぶれ
2026-05-09 16:31:23
16963文字
Public 原作軸
 

原作軸①

原作軸のSS・短編置き場です


まぶたの裏にきみを映して


 会うなり顰めっ面になった人が腹の内に抱えた言葉なんて分かりきってる。スグリは現実から目を逸らすべく、瞼を閉じた。

「全然寝てないでしょ」

 非難めいた声色でアオイが言った。ご明察。上体をがくりと下げて全面降伏の意を示す。どうして分かったんだ、と聞きたくなったが、どう考えても今朝鏡の前で見た目の下のクマのせいだろう。仲良しの友人でなくともスグリの寝不足を悟ったに違いない。アオイの顰めっ面はすぐさま憂慮の影に覆われた。

「何かあって寝られない、とか?」

 彼女の頭の中を邪推してみる。不眠に陥るほどの悪夢。無理な育成。害意を持った架空の人物からの嫌がらせ、とかとか。小さくかぶりを振る。スグリの寝不足は特別な事情などまるでなく、恥ずかしいくらいに学生らしい理由だった。

「休学してた分の授業追いつかなきゃって思って……

 遅れた分の勉強をひたすら詰め込んでいただけ。姉と頼れる先輩たちのノートと教科書、参考書たちと夜を明かしていただけ。
 アオイの顔が再び渋くなる。先ほどよりももっと深い皺が眉間に刻まれた。

「はっきり聞いちゃうけど、睡眠不足のままでちゃんと勉強できてる? 頭に入ってる?」
「い、ちおう……?」
「授業は? 三限の『環境差による生態や発達部位、得意技の違い』で紹介された二匹のポケモン、何だったか覚えてる? 全然違うポケモンだけど姿は似てるよねって話から始まった」
「えっと……。リージョンフォーム……? じゃ、ないよね……
「ホルビーとミミロル」
「あー……うん。……うん、そうだった」

 姿かたちが似ていても、環境によって求められる能力が異なるとか云々、その結果が進化先に表れてるとかかんぬん、たしか、そんな授業だったはずだ。しどろもどろに不正解を引いたスグリに、アオイは大きなため息をついた。失望されてしまったと思い、肩をキュウと縮める。垂れた前髪を盾に彼女の様子を窺い見る。呆れた色を浮かべていると思った人の顔は、今にも泣きだしそうに歪んでいた。

「せっかく復学してきたのに、これじゃまた身体壊しちゃうよ」
「ご、ごめん……

 謝る場面だったのか分からないが、悲しそうな顔をさせてしまったのは事実だ。スグリはさらに身体を狭めた。あともう一回小さくなったらこの世から消えてしまいそうだ。アオイも同じことを思ったのかは分からないが、発破をかける要領でぽふんと肩を叩いた。

「スグリ、一旦リセットしよう。生活習慣の見直ししよう」
「見直しって、例えば?」
「一日のスケジュール組んで、その通りに動いてみるとか。私がそうしてるってだけなんだけど」

 つらりと述べられた彼女の毎日は実に規則正しかった。朝五時半に起きて洗濯とその日の授業の予習。きっかり一時間頑張ったらテラリウムドームに降りて朝ご飯も兼ねてピクニックとポケモンのお世話、道すがらにちょっとしたトレーニングもする。戻って身支度を整え直したら教室に向かう。真面目に授業を受けて、鐘に従って昼食をとる。午後の授業が終われば夕食まで放課後を満喫。やる内容は日替わりだが、BP稼ぎを主にしていた。この学園の生徒はみな、日々BP稼ぎに追われているのだ。部屋に戻ったらバスタイム。髪を乾かしたら今日の復習をして、二十三時には就寝。これらを辛抱強く繰り返す、とのこと。

「もちろん、毎日この通りじゃないけどね。寝坊する日も夜更かしする日もあるよ。サボっちゃう日も」

 あっけらかんと笑った人の気遣いに胸が締め付けられる。スグリが更なるネガティブの波に攫われぬよう、自分は全然完璧なんかじゃないと卑下を混ぜてくれたのだろう。かけられた優しさに気付けぬほど鈍感ではなかった。優しさダイマックスの彼女が続ける。

「手伝えるところは私も手伝うよ。勉強もブルレクも、協力したほうが効率いいもんね」
「そんな! 遅れてる奴に合わせたってアオイのためになんねぇべ!」
「なるよ! 復習にもなるし、座学の首席取ってる先輩たちのノートも見れるし。BPはソロミッションこなすより誰かとやった方がたくさんポイントになるもんね。何より」

 学校指定の赤グローブをはめた小さな手がスグリの手を掬い取る。ミルクチョコレート色の瞳にきらりと大きな星が瞬いた。

「同じ学校にいられる間に、スグリとたくさん一緒に勉強したりバトルしたり、遊んだりしたい。ほらね? 私のため、でしょ?」
「その言い方、ずるっこ……

 スグリと一緒にいたいから、と言われたらもう、白旗を上げるしかない。
 こうして、スグリとアオイは授業だけでなく放課後の勉強とブルレクまで一緒の時間を過ごすようになったのだった。

*

 アオイの話を聞いた後からずっと、時計をちらちら気にしている。成績優秀バトル最強のアオイの強さの秘訣は、綿密なスケジュールを立てて規則正しい生活を送っていることにあるのだろうか。考えてみれば確かに、各学年の首席であり品行方正のお手本・タロとネリネもスケジュールを決めて動いていそうな印象だ。借り物のノートからも彼女らのきっちりした性格がにじみ出ていた。
 俺もスケジュール立ててみる? でも、どうやったらいいんだろう。時間とやらなきゃいけないこと、とりあえず書き出して——
 ノートの端に数字とやることを何となく並べてみる。が、自分がうまく実行できる自信など、バチュルの爪よりなかった。
 どうしよう。どうしたらいいんだべ。スケジュールって、みんなどうやって決めてんの? 何かお手本でもあれば——
 ふと、時計を見る。

「あ……。もうこんな時間だったんだ……

 短針はいつの間にか11の文字を指していた。スグリにとっては「まだまだこれからが本番!」のはずだった時刻。今日、アオイのスケジュールを聞くまでは通り過ぎるだけの時間でしかなかった。なのに。

「アオイ、もう寝てんのかな」

 彼女の予定が頭にちらついて仕方がない。ライバル兼想い人の就寝時刻と意識した途端に脳みそがぐらりと揺れた。この一秒で重量が変わるはずないのに、まっすぐ座っていられないくらいに頭が重たくなった。
 女子寮の部屋など、入学当初に姉の部屋にチラリと入ったきりだったが、自分が住んでいる男子寮の部屋とまるっきり同じ配置をしていたのは覚えていた。各自で用意するカバーと、それぞれのお気に入りの家具やインテリア程度しか相違ない。動かしていなければ、生徒全員同じ位置に置かれているベッドで寝ている、はず。
 教科書とノートを閉じて、自由なところに散らばっていた筆記用具を集合させ、それぞれの位置に戻していく。おやすみなさいと言うように。机を片付けたら、部屋に入るなりベッドに放り投げたままだった鞄を降ろし、大雑把にベッドメイキングをした。お気に入りだった古代文字柄のカバーに包まれた毛布をまっすぐに整える。直後、ずぼっと入ってまた乱した。
 アオイも今この時間、ベッドに潜っているのだろうか。今日起きた出来事を思い出したり、新しい構成を考えたり、誰も知らない古傷をひっそり撫でたりしているんだろうか。

「同じ時間に寝るのって、なんか……

 瞼を落とす。アオイの顔を思い浮かべる。笑顔。バトルしてる時の顔。焦った時の顔。泣いた顔。怒った顔。笑顔。笑顔。

——おやすみ」

 届くはずのない言葉を夢の世界に投げてみる。瞼の奥にいる彼女に手を振る。重怠い身体はあっという間に深い眠りに沈み込んでいった。

*

 ここ数日、体調がすこぶるいい。遅々として進まなかった勉強も、徹夜していた頃より進みがいい。ようやくまともに授業に追いつけるようになってきた。存外、スケジュールを決めて動くのが性に合っていたようだ。——単に性に合ってただけじゃねぇべ、と片隅で誰かが言ったが無視をした。どんな理由だって、続けられてるなら何よりじゃないか。自分勝手な言い訳で反論する。正論をかざす自分を追い出すためにかぶりを振っていると、向かいの席に座っていたアオイが顔を覗き込んできた。

「スグリ、前より顔色いいね! 背もちょっと伸びた気がする」
「うん。最近は早寝早起きしてんだ。アオイが前に教えてくれたスケジュール、まねっこさして……
「え? じゃあスグリも五時半に起きて、夜の十一時に寝てるの?」
「う、うん……

 ついうっかり。ぽろりと口から出てしまった。言ってから「きみと同じスケジュールで動いています」と宣言するのがどれほど気色悪いかに思い至った。理由のほとんどは自分ひとりじゃスケジュールすら満足に立てられなかったから、だがひと欠片分の妄想を含めているのも事実だ。

「ごめん! 気持ち悪」
「すごい!」
「え?」

 予想外の反応に虚を突かれて彼女を見る。アオイはまるで未発見のポケモンを見つけたようなキラキラピカピカの瞳で、スグリをまっすぐ映していた。

「なんかさ! 同じ寮にいて、同じスケジュールで動くのって楽しいね! すっごくいいアイデア! 同じ家に住んでるみたいじゃない? 一緒に住もうって約束がかなったみたいで嬉しい!」
「わやっ!?」

 アオイと同じ時間に寝てみたあの日に思ったのと、そっくりそのままを言い当てられて戸惑う。同じ時間に起きて、一緒に過ごして、同じ時間に寝れば、よりアオイを近くに感じると思ったのだ。一緒に暮らしている錯覚に酔っていれば、懸想して止まないきみに近付ける気がして。辛くてしんどい勉強も頑張れる気がして。
 それにしても、まさか両手をとって大きく上下に振り回すほどに喜ばれるとは思わなかった。無理やり動かされている肩がコキコキ変な音を立て始めている。そろそろ止めて、と言おうとしたスグリに向かって、アオイがニヤリと笑った。

「スケジュール、教えてよかった」
「え? そ、それ、どういう……
「そろそろブルレク行こ! 今日はメタモンブロック探し、しちゃうぞー!」
「ちょっ! ちょっと待って、アオイ! ねぇってば!!」

 アオイはスグリの手を放して図書館から飛び出していった。勉強道具も鞄もモンスターボールも、何もかも置きっぱなしにして、逃げるみたいに次の予定に向かっていった。
 「教えてよかった」と悪戯っぽく笑った人の真意はわからない。わからないが、いずれにしても自分の中ですくすく育つ感情は揺らがない。一緒に住んでるって感じで楽しい、と言われて嬉しかったのも、その理由も、人には言えないほの暗い気持ちも。切なさに震える心臓の痛みも。期待したいって叫んで弾む恋心も。毎日毎夜、おおきくなっていくだけ。
 アオイを追いかける。見る。燦然と輝く星を網膜に焼き付ける。二十三時に「おやすみ」と言うために。


 寝ても覚めても、瞼の奥にきみを見ている。今日のきみは、いつもよりほっぺが赤いきみ。