deutzialaughing
2026-05-09 21:00:00
27634文字
Public 大穢
 

甌穴の海

大崎さんが人魚の青海さんと暮らす対話体SS集



36 |再訪

「大崎君」

……また勝手に上がったんですか」
「声は掛けたよ。返事を待たなかっただけで」
「それを勝手に上がったと言います」
「厳しいなぁ。仮にもここ、俺の家なんだけど」
「今は自分が借りています」
「はいはい、そうだったそうだった」

「今日は何の用ですか」
「君の顔を見に来た」
「用がないなら帰ってください」
「あるよ。君の顔を見て、帰った方がいいかどうか決める用が」
……
「青海さん、だっけ? そっちにいるんだろ。元気?」
「お答えする義理はありません」
「いや、大家にはあるだろ」
「ありません」
「じゃあ折角だし雑談くらいさせてってよ。興味がある。多分、俺たち仲良くできると思うんだ」
「駄目です」
「扉越しでも駄目?」
「駄目です」
「すごいな。大崎君をここまで頑なにするなんて」
「お帰りください」

「まあ、そう急かすなよ。今日は差し入れじゃなくて、忠告」
「必要ありません」
「必要かどうかは君が決めることじゃない」
……
「君が何を守りたいのかは、俺にも何となく分かるよ」
「分かったようなことを言わないでください」
「分かるとは言ってない。何となく、だ」
……

「でもさ、大崎君」
「何ですか」
「守ってるつもりで、閉じ込めてることもある」

……

「そろそろ話してあげたらどうだ?」
……今は無理です」
「だよな。俺が大崎君でも無理」
「帰ってください」
「はいはい。じゃあ今日は帰るよ」

……
「でも、次に来た時も同じ話をすることになりそうだ」


37 |守ること

「大崎さん」
「はい」
「昨日いらした方は」
……静馬さんです。……すみません、聞こえていましたか」
「少しだけ」
……
「守る、という言葉が」
「そうですか」
「それから。閉じ込めるという言葉も」

……青海さん」
「はい」
「自分は。あなたの行く先を狭めているでしょうか」
……
「すみません。答えにくいことを聞いてしまって」
「いいえ」
……

「選択肢は確かに減っていると思います。ですが。それをすべて大崎さんのせいだとは思いません」
「そうでしょうか」
「はい。今の私には。選べないことが多いので」

……守ることと、閉じ込めることは。似ているんでしょうか」
「似ている時もあると思います」
「違いは」
「分かりません」
……
「ですが。扉があることを無かったことにしないなら。少しは違うのかもしれません」

「扉……ですか?」
「はい。今は開けられなくても。そこにあると覚えていることです」


38 |足元

「大崎さん」
「はい」
「身体の据わりが良くありません。少しだけ」

……どうしました」
「足元が。うまく定まらないんです」
「痛みますか」
「痛むわけではありません。ただ。どこへ置いても少しずれるようで」

……分かりました。少しだけ、体を持ち上げます」
「はい」
「背中と、……人間で言う、膝の下にあたる辺りに触れます。苦しければ仰ってください」
「はい」

……この角度ではどうでしょう」
「先ほどよりは」
……少し、足を曲げます」
……いえ。戻してください」
「苦しいですか、」
「苦しいというより。収まりが悪いんです」
……すぐに戻します」
「はい」

「これで、どうですか」
……はい。少し落ち着きました」
……良かったです」
「ですが。不思議ですね」
「何がですか、」
「自分の身体にも関わらず。誰かの手を借りた方が据わりが良くなることがある」
……そういった日も、あるんだと思います」
「そうでしょうか」
……恐らく、ですが」
「では。今日はそういう日なのでしょうね」


39 |支え

「大崎さん」
「はい」
「近くにいていただけますか」
……近くに?」
「はい。昨日のように動かしていただきたいわけではなく。……近くにいていただけると。少し落ち着く気がするんです」
……分かりました」
「すみません。……お願いします」

……これくらいで」
……
「まだ、落ち着きませんか」
……もう少しだけ。よろしいですか」
……青海さん」
「はい」
「肩に触れても」
……どうぞ」

……
……大崎さん。これで十分です。……すみません。付き合わせてしまい」
「いえ。……少し驚きはしましたが」
……昨日のような、身体の置き場というよりは」
「はい」
「自分がどこにいるのか。分かるような気がします」
……
「あなたが近くにいると。まるで身体の輪郭が戻ってくるようです」
……それなら、良かったです」


40 |教えること

「今日は晴れているのに、少し湿っぽいですね」
「ええ。夜には崩れるかもしれません」
「分かるんですか」
「恐らくですが。入ってくる風が少し重いんです」
「風が重い?」
「はい。湿り気を含んでいる時の風は。肌に触れた後の抜け方が少し鈍くなります」
……なるほど」
「それに匂いも違います」
「匂い、ですか」
「土と水が近づく時の匂いです。風だけなら思い違いかもしれませんが。匂いまで変わるのであれば可能性は高いかと」

「青海さんは、随分と人に教えるのが上手ですね」
「そうでしょうか」
「理路整然としています」
「それはあなたもでしょう。大崎さん」
「自分には、探偵という職があります。ですが青海さんはそうではないでしょう」
……

……『そう』なんですか?」
「いえ。朧げではありますが。誰か教え子がいたような気がします」
……人魚の世界にも、学校があるんですね」
「どうでしょう。学校かどうかまでは」
「少なくとも、教えることには慣れているように見えます」
「そう見えますか」
「ええ。青海さんの言葉には、人を急かさない安心感があります」
……
「相手が分かるまで待つ話し方をするでしょう」
「そうかもしれません」
「昔からそうだったんでしょうか」
……どうでしょう。むしろ。私は待たれなかった側だったのかもしれません」
「待たれなかった」
「はい。出来ることを増やせば見てもらえる。上手く出来れば心に留めてもらえる——そういう考え方はあった気がします。少なからず」
……
「ですから。分からないまま置いていかれることが。少し怖いのかもしれません」


41 |戻る

「青海さんは、また教えたいと思いますか」

「昨日の話の続きですか」
「ええ。もし以前そういう立場にあったのなら、もう一度教えたいと思いますか」
「戻れたなら。そういう意味でしょうか」
「そちらの方が考えやすければ、それでも構いません」
「便利な言葉ですね。戻るというのは」
「便利、と言いますと」
「一言で済ませられてしまいますから。前のようにと」
……前のようには、なりませんか」
「なりません」
「言い切るんですね」
「一度失くしたものは。同じ形では返ってきません」

「記憶も」
「はい」
「立場も」
「恐らくは」

……では、戻るというより」
「やり直す。そう言った方が近いのかもしれません」
「教えることも」
「仮にまたそういう機会があるとしても。前と同じにはならないでしょう」
「それでも、教えること自体はどうでしょうか」

……嫌ではないと思います」