deutzialaughing
2026-05-09 21:00:00
27634文字
Public 大穢
 

甌穴の海

大崎さんが人魚の青海さんと暮らす対話体SS集



16 |来訪

「やぁ大崎くん。調子はどう?」
「勝手に上がろうとしないでください」
「つれないなぁ、せっかく様子を見に来たのに。というかここ俺の家なんだから、上がったって文句言えないだろ」
「少なくとも、今ここを使っているのは自分です」
「それもそうだ。で、ウチの湯加減はどう?」
「問題ありません」
「それは君の判断? それとも中のひとの?」
「どちらでも同じです」
……へー。そういう言い方するんだ」
「用が無いなら帰ってください」
「そう言うなよ、差し入れ持ってきてあげたからさ」
……何ですか」
「安心しな。ちゃんと風呂場で使えるから」
「その言い方は信用できません」


17 |土産

「どうされたんですか。それは」
「静馬さんが置いていったものです」
「大家さんですか」
「そんなところです。中身は、自分もまだ」

……文鎮ですね」
……そうですね、」
「風呂場には。少し似つかわしくない気はしますが」
「自分もそう思いました」
「ですが役には立ちそうです」
「文鎮がですか?」
「はい。片手が空きますから。大崎さんに読んでいただく時に」

……そこまで見越していたんでしょうか」
「どうでしょう。ですが。そうであれば親切な方だと思います」
「もし本人に会ったとしても、絶対に言わないでください」
「何故です」
「調子に乗ります」

……ふっ」
……なぜ笑うんですか、」
「いえ。気安い関係なのだと思いまして」


18 |定位置

「文鎮、この辺りに置いてもいいですか」
「はい。そこなら動かさずに済みます」
「使うものなのに、動かさない方がいいんですか」
「押さえるためのものですから。紙の方を合わせればよいかと」
……なるほど。では、紙はこの位置で」
「ええ。そのくらいであれば読みやすいです」
「置き場所はこれでよさそうですね」

「昨日までは。紙の位置を決めるというより。濡れそうな場所を避けていました」
「文鎮があると、基準ができますね」
「はい。ここに置くものだと決められます」
「決められると、楽ですか」
「ええ。少なくとも迷わずに済みます」

「こうして見ると、随分きっちりしていますね」
「整っている方が落ち着くんです。大崎さんもそういうところはお有りかと」
……否定はしません」

「どこに何があるか分かっていれば。探さずに済みますから」
「探すほどの広さではないような気もしますが」
「広さの問題ではありません。戻る場所があることが大事なんです」
……戻る場所」
「はい。紙にも。文鎮にも」


19 |献立

「今日は何を食べますか?」
「海に近いものがよいかもしれません。たまには」
「海に近いもの?」
「ええ。魚でも。海藻でも」

「人魚だから、ですか」
「はい。あまりに陸の食卓に馴染みすぎるのもどうかと思いまして」
「食べられるのであれば良いと思いますが」
「私が人魚であるためには必要なことです。前提というものは細部で崩れますから」
……青海さんらしいですね」

「一つ条件を加えるのであれば。喉に悪くないものを」
「喉、ですか」
「私が歌う生き物である以上。喉を労わることは大切ですから」
……以前、自由な歌はないと仰っていましたね」
「はい。歌ひとつで誰かを遠くへ連れていくことがあります。私はそういう生き物です」
……物騒な言い方ですね」
「事実です」

「では、魚で、薄味で、刺激が少ないものを準備します」
「そのあたりが無難かと」


20 |夜支度

「もう少し明かりを落とします」
「はい」
「ラジオは」
「そのままで。少しだけ小さくしていただければ」
「分かりました」

「手拭いは、いつもの場所に置いておきます」
「ええ。ありがとうございます」
……
「何か」
「いえ。随分、迷わなくなったと思いまして」

「大崎さんがですか」
「自分もですが。青海さんも」
「そうでしょうか」
「ええ。明かりも、音も、手拭いの場所も。だいたい決まってきました」
「では。夜の形ができたんですね」

「夜の形」
「はい。こうすれば眠る方へ向かえるという形です」
……そう言われると、少し分かる気がします」
「大崎さんにもありますか」
「ええ。決まった手順があると、余計なことを考えずに済みます」

「余計なこと」
……はい」

「では、今日はこのあたりで」
「はい」
「何かあれば呼んでください」
「分かりました」

……おやすみなさい、青海さん」
……
「青海さん?」
「いえ。そう言われるのは少し不思議で」
「不快でしたか」
「いいえ」

「おやすみなさい。大崎さん」