pinopipi
2025-11-07 17:28:47
16596文字
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水龍の愛は深海より深く

神様時代に結婚してたヌヴィフリが予言後に別れた話


フリーナが舞台監督としてとある劇団に助力していると聞いたのは、それらの根回しが完了した直後だった。歌劇場の使用許可を得るために代理で旅人が私の執務室を訪れたことでそれを知った。旅人から「観に行かないの?」と聞かれたが、私は公務を理由に今回はスケジュールの調整が難しいと伝えた。旅人は「そっか、でももし時間に余裕ができたら少しだけでも観に行ってあげて」と残念そうに言った。


公演当日、急遽朝から1件の裁判が入り、舞台の開演は午後からとなった。予定よりも3時間遅れたものの、フリーナが監督を務めると聞いたファンが押し寄せ、当日券は即完売、座席は満員で開演した。公演中、私は歌劇場内の別室に留まり、裁判の後処理をしていた。すると、微かだが美しい歌声が聴こえてきた。
ーーーーーフリーナだ。彼女の歌声を聴き間違えるはずがない。
今回は監督のはずでは?と疑問に思ったが、どうやら急遽代役を担ったらしい。
久方ぶりに彼女の歌声を聴いたが、その歌唱力は相変わらずで全く衰えを知らず、観客席で聴いている者たちはさぞ聴き惚れていることだろう。
まるで、決して色褪せることのない永遠の青春を思わせるような美声。私にとって、彼女は青春そのものだった。
そういえば、最後に彼女の歌声を聴いたのはいつだったか。確か、とある裁判で気が滅入っていた日の夜、なかなか眠りにつくことができなかった私を心配してくれたフリーナが慰めるように優しく私を抱き締めながら古い子守唄を歌ってくれたのが最後だ。
それは予言の数ヶ月前の出来事だが、今ではもう遠い昔のことのように懐かしい。
今後もし彼女が役者として復帰を果たしても、彼女が関わる舞台は全て観劇を控えるつもりだったため、もう二度と彼女の歌声を聴くことは叶わないと思っていた。
だが、今回は幸運だった。
おそらく、こんなことは二度とない。これが最後だろう。
私はこのような幸運が巡ってくるとは夢にも思わなかったため、今回は敢えて花束さえ用意しなかったことを今更ながら非常に悔やんだ。今からでもどうにか手配して、何らかの形で彼女へ称賛を示すものを贈りたいと強く思った。
しかし、ただ思うだけに留めた。私からの贈り物など、彼女は喜ばない。きっと迷惑だろう。未練がましく、しつこい男は嫌われる。もう既に嫌われているかもしれないが、それでもこれ以上嫌われるのは嫌だった。
そっと目を閉じ、耳を澄ませて彼女の声だけを拾う。
何百年、何千年先も決して忘れない。世界で一番愛する彼女の歌声を心の中へ大切に仕舞い込み、記憶の水底へと沈めた。


後日、旅人からフリーナの歌唱後に突然彼女の目の前に水元素の神の目が現れたのだと報告を受けた。
皆が持つものとは異なる牙のような装飾が施された特別な神の目。プネウムシアエネルギーを両方扱うことができる、珍しいものだと聞いた。
そうか、と短く返事をすると、旅人は何かを言いた気にこちらをじっと見ていた。
あのさ、もしかしてフリーナに神の目をあげたのって、ヌヴィレット?」
何やら生温かい視線を感じる。
何故私が?いくら大権を取り戻したとはいえ、古龍にそのような力があるなど聞いたことがない。
身に覚えはないな。残念ながら、私にそのような力はない。」
すると旅人は「そうなんだ」と言って心底残念そうな顔をしていた。
「今フリーナは神の目の使い方を猛練習しているんだけど、なかなかうまくいかないみたい。私は水元素に詳しいわけじゃないから、ヌヴィレットに教えてもらったらどう?って聞いてみたんだけど、『でも彼は忙しいから』って遠慮してたよ。もし時間に都合がついたら教えてあげてほしいな。」
旅人は知らないのだ。私とフリーナがかつて婚姻関係にあり、先日離縁したことを。ゆえに私たちが急に疎遠になったことを気にかけてくれているのだろう。気持ちはありがたいが、どうかこれ以上詮索せずに暫くそっとしておいてほしい。
だが、会わない理由を話す訳にもいかないため、私は「……考えておこう。」と無難な言葉で返し、その話題を終了させた。


それから暫くして、フリーナが役者に復帰し、主演として舞台に立つことが発表された、とパレ・メルモニアの職員たちの会話を聞いて知った。
とても喜ばしいことだ。彼女の役者としての才能はフォンテーヌ1……いや、テイワット1と言っても過言ではないだろう。これからまた彼女の才能が存分に発揮され、表舞台で歴史に名を刻んでいくことが、まるで自分のことであるかのように嬉しかった。
だが、私はもうフリーナの前に姿を現さないと決めたため、観劇はしない。非常に残念ではあるが、彼女のためだ。誰よりも舞台慣れしている彼女は毎回、観客の顔をよく見ているため、私が居ればすぐに気が付くだろう。
だから公演期間中は公務の予定を詰め込んだ。本当は全てを投げ出してでも観に行きたかった、という強い願望を己が思い出す暇もなくなるように。余計なことを考えたくなかったため、暫く休暇も取らないつもりだ。気を抜けばきっと、私は駄目になってしまう。
しかし、そんな私を見かねたセドナが、気を遣って「フリーナ様の舞台のチケットを手配しましょうか?」と声を掛けてくれた。私はセドナを心配させないよう、公務を優先すべきだと話し、やんわりと断った。
するとセドナは「それでしたらせめて、花束を贈られてはいかがでしょう?フリーナ様は、きっと喜ばれると思います!」と珍しく食い下がった。少し迷ったが、私はセドナに背中を押されるまま、フリーナへ舞台復帰を祝う花束を匿名で贈ることにした。何故なら元水神であり大スターたるフリーナが復帰する記念すべき公演に私が花束さえ贈らないとなれば皆に不審がられてしまうから。
ゆえに表向きには花を贈ると明言しつつ、フリーナには贈り主が私だと気付かれないよう、いつもとは違う花屋へ花束を依頼し、いつもよりも小さめのものを用意した。
彼女が好きな湖光の鈴蘭の花束。小さいながらも品質は最高のものを選んだ。メッセージカードは付けず、ラッピングのリボンもいつもとは全く違う色にした。
これは完全にただの自己満足だが、少しでも喜んでもらえたらと願う。人気者の彼女のことだ、大勢のファンから花束を受け取るはずだ。だから今回私が贈るものは、それらの中に埋もれてしまうだろう。だが、それでいい。どうか、私が贈ったものだと気付かないで欲しい。一目でも彼女の視線を得て、綺麗だと思ってもらえたらそれで充分だ。
かつて彼女へ花束を贈った時に見た、美しく、それでいて愛らしい笑顔を思い浮かべる。
まるで昨日のことのように未だ鮮明に思い出せるそれに、じんわりと胸が温かくなった。やはり私は、どうしようもなくフリーナのことが好きなのだ。
そして舞台の初日、私はいつものように執務室で仕事をしながら彼女の舞台の成功を祈った。