kumazaregoto
2025-05-30 10:41:24
17517文字
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智慧灯明因習村だよ 1日目

橿本借りました
のさくさんの因習村はこちら→ 明日に選ばれし者たち https://privatter.me/page/6961a7feb5965




それからすぐに東雲は二人を家へと招き入れた。土間には大きさの異なる草鞋が二つ。傍には招き入れたばかりの東雲が控えていた。
簡素な、華美なところは一つもない家だが、村長の家というだけあり外観から見た通りの面積はある。
床座には一人の老人が腰掛け、彩貴たちの姿を見るや深々と頭を下げた。その奥には妙齢の娘ー小夜と呼ばれていた娘ーが床に臥している。頬を赤く染め目には涙を浮かべ、時折喉から込み上げる掠れた息が、彼女の苦しみを物語っていた。
「村長、この人がお医者さんです」
東雲が橿本を示すと、訝しげに風体を見るもそれも一瞬のことで、こちらですと医者を招き入れた。
「お連れ様もこちらへ」
「私はただの付き添いだ、上がるのはその者だけで問題ない」
「という訳だ。そのままにさせて構わないぞ」
橿本がそう断りながら草鞋を脱ぎ、慣れた手つきで診察を始める。
汗ばんだ女の着物を少しはだけさせると、着物越しでしか見られなかった膨らみも、形が一目でわかるほどには晒される。想い人の肌が露になり、東雲は顔を真っ赤にして目を逸らして土間で小さく縮こまる。
対して、存外村長は理解があるらしい。嫁入り前の娘が、仕方ないとはいえ見ず知らずの男に肌を出されていることに怒るかと思えば、すぐに目を逸らして、土間側に下がって腰掛けた。
「うっ……ぁっ……
「案ずるな。悪い様にはしない」
うわ言を話す女性に、橿本はいつもの調子で話しかける。その声音が患者を安心させるに至ったのか。それきり女は、時折溢れる苦しげな咳を除いて大人しく診られていた。
……何か?」
何かに気付いた彩貴がどこに顔を向けるでなく尋ねた。すると心当たりのあった者がびくりと震える。腰掛けたばかりの村長だ。
立ち尽くす様に見える彩貴の存在がどうにも居心地が悪いのか、老いた村長は何度も彩貴の様子をちらちらと伺っていたのである。
「あ、ああ、いえ。旅の方は一体、どういう方なのかと思いまして」
皺まみれの顔を愛想よく繕うが、疑念を消しきれない空気が痛いほど伝わる。
「あちらは見ての通り医者、私はその護衛の傭兵だ」
「護衛ですか……随分お若い身で、ご立派ですなぁ」
「金を払えばその分働くだけの傭兵だ。立派でも何でもない」
「元々はどこかに士官されていたので?」
「いや」
「そうですか、そうですか」
世間話のつもりなのだろうか。一方的な質問ばかりを受け続ける彩貴は目を細めて、村長を見据える。
「いやぁ実はですな」
村長が薄い愛想笑いを崩さぬまま、言葉を続けようとする。何の提案だ、と彩貴が身構える。あからさまに自身のことを話さず、そして彩貴を探る老人に、腰にかけた刀に手をかけるまではいかないものの視線だけで警戒する。
すぐに人を疑うのは貴方の悪い癖だ、と同行者に言われたのを思い出すも、商売柄仕方ないだろう、と返したのは記憶に新しい。
村長が何か言いたげに徐に口を開く。しかし彼の口から言葉が生じることはなかった。終わったぞ、とそれまで沈黙を貫いていた者が口を開いたからだ。橿本の声だ。
「お医者様、それで、娘は、」
終わった、という声に急いで橿本に詰め寄る姿は、先ほどの好々爺の面などとっくに消え、娘を心配し焦る姿に様変わりする。
調子が良い、と言うべきか。それとも感情が変わりやすいのか。彩貴はそれ以上は深くは考えず、橿本と村長と、橿本の背で隠れてほとんど姿の見えない女性とを視界に入れて眺めた。
「流行り病の類だが、この病なら薬を処方すればすぐ治る。これを飲んで一晩寝れば症状も回復するだろう」
橿本の言葉に村長は安堵の表情を浮かべる。
「おお……旅の方。これはこれは……ありがとぉございます。ありがとぉございます……
「何、思っていたよりもつま……軽い症状だったからな。そう気にされるな御老体」
(つまらないと言いかけたなあの男)
はあ、とため息を吐く彩貴の横目で、同じく長く息を吐く東雲が映る。尤も、彼の場合は橿本の言動に対してではないだろうが。
僅かに家に入り込んでいた橙色の日差しも、いつの間にか朧げな月光の白へと変わっている。診察の補助として灯されていた行灯は、すっかりこの家中を照らす灯へと役目を果たしている。
村長もそれを気付いたのか。橿本と彩貴とにそれぞれ一礼をする。
「すっかり日が落ちてしまいましたな。ここから町へ戻るにはちと遅いですから、どうかここで休まれてはいかがでしょうか」
「それは助かる。なにぶんこうも丸腰の身ゆえ、護衛はいても野盗やら獣やらに襲われるかもしれんと思うと不安で震えが止まらんからな」
嘘を言うな、と喉まで上がった言葉をなんとか飲み込んでそうだなとだけ答えた。彩貴の小さな葛藤も知らずに村長は、大きく頷いてからわざとらしさも感じる困り顔を見せる。
「しかし、なにぶんこんなに小さな村ですから宿などないもので……
老人の薄く開いた視線の先にいたのは、東雲だった。
「そ、それなら、僕の家、なら……
「おお東雲、それは助かる」
破顔すらもわざとらしく、大袈裟に微笑む村長に彩貴の眉間に皺が寄る。どこかこの老人は、全ての行動が半端に仰々しい。彩貴は芝居などには縁は無かったが、下手な演技を見せられている気分とはこの事かと、薄ら笑いすら浮かべそうになる。
しかし意外にかそれとも予想通りだったのか疑問や不満も言わずに、東雲は相変わらず吃りながらも了承の即答をした。
あいわかった、と橿本はもう患者には見向きもせず、土間に立ち上がる。床に臥せる娘は先程の苦しげな息が嘘みたいに静かになり、安静に眠っている様だ。
「お二人とも、ついてきてください。こ、こっちです……
山道を歩いていたあの健脚とは思えぬほど、ゆったりとした歩みだ。声こそ旅人二人に向けられているものの、その目には静かに寝息をたてる女性が映っている。
憧憬、恋慕、諦め。
彩貴がその目に感じ取れたのはその類の感情であったが、名残惜しげに歩を進めた足が村長の家から完全に出ると、その後を橿本が続いて更に追う。夜の帷が降り始め、リリリ、と寂しげに鳴くヒグラシの声は、すでにもう遠い。
……ああ、よかった。これで祭にも」
ぽつり、としわがれた声が一言呟く。溢した、と言った方が適切か。彩貴が振り返った先には、眠る娘を見つめているだろう老人の小さな背中が映るだけだ。
(祭?)
村に入ってからの情景を思い出す。祝い事の準備や、浮ついた様子は村人からは一切感じ取れなかったが故に、彩貴の中で疑問が生まれる。どのようなものであっても、祭の前は大抵どの国でも町でも、忙しない様子が付き物だが、白月村に来てからそれらしい様子は一つもなかった。
(小さな祭なのだろうか)
後で東雲に聞いてみようか、と彩貴も家を後にした。