kumazaregoto
2025-05-30 10:41:24
17517文字
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智慧灯明因習村だよ 1日目

橿本借りました
のさくさんの因習村はこちら→ 明日に選ばれし者たち https://privatter.me/page/6961a7feb5965





武士の恩賞として主人から下賜されるものの一つに茶碗がある。茶とは嗜みであり、乱世の最中にあっても心の安寧や所作、様式の美しさを求めた武士も多くいたという。
そして茶とは、庶民にとっても憩いの存在であった。宿場町や寺社門前には茶屋が設けられ、旅人や町人たちが安価な茶を飲み一服する姿は、この町にも見受けられた。彩貴は茶室で出される茶よりも、むしろこの安価な茶の方が好みであった。
「ふむ、この辺りの茶は美味いな」
ズズ、と空気を含んでから一口含んだ橿本が、満足げに笑う。一緒に頼んでいた団子を口にし咀嚼し、また茶を啜る。同じものを頼んでいた彩貴も橿本に遅れて口にし、そうかと軽く応答した。
美味い、とは口にするものの、彩貴が知っている内で橿本が不味いと口にした茶はないことを知っていた。こだわりが無いのか、味音痴か、はたまた世辞か。そのどれでも、それ以上の興味が湧かなかったのは彩貴も特にこだわりが無い故だろう。
武士が嗜む茶の所作を、彩貴は理解している。茶席に呼ばれても、田舎侍だと揶揄される様なぎこちない素振り無く一席をこなすことは難しくなかった。
傭兵という立場上、時折依頼主の命により茶席に付き合うこともあったが、彩貴個人としてはこうした庶民の茶の方を好んだ。
茶の良し悪しや上下故ではない。茶を楽しみながら土産話に花を咲かせる旅人、女将に愚痴を溢す住人、賑わう茶屋を行き交う人々の光景は、政の駆け引きを孕んだ上品な茶室よりも余程、彼女にとっては好ましく思えたからだ。
それらを目を細めて眺めていれば、良い客と思われたのか、恰幅の良い茶屋の女将がお代わりはどうだいと愛想良く笑った。
「お客さん、ここじゃあ見かけない姿だね。どっから来たんだい?」
彩貴の湯呑みに茶が注がれている間、あらぬ方向を見ていた橿本がひょこりと顔を出した。
「西あるいは東、いや北か南か?諸国を旅する身の上どこから、とはまた難しいがこの国の者ではないぞ」
「あはは、面白いお客さんだ!じゃあ長旅だったろう、うちでゆっくりしていきな」
「それでは遠慮なくそうさせてもらおう。時に女将。この辺りは自分達も初めて来たのだが何か面白……ではなく、困り事などは無いか?」
彩貴が横目で睨むのを気にせず、橿本が茶屋の女将に尋ねると、愛想の良い笑顔が少しだけ困った様な顔でそうだねえ、と思考を巡らせる。
「この町から少し外れたところに、白月村っていう村がある。まあ村人もたまにこの町に来るんだが、最近頻繁に来る様になってねえ」
前はそうでもなかったんだけど、と女将は心を配るように憂いを持った目を少しだけ伏せる。
「何かあったのか?」
「ああ、いや。何かあった、っていうんじゃあ無いんだけど、人を探しているみたいでね。ここ毎日ずっと、町の開門に合わせて来るもんだから手伝おうかと聞いたんだけど気にしないでくれ、の一点張りでねえ。今日もそろそろ来るんじゃ……と、噂したら来たね」
女将の視線の行く先に彩貴と橿本も目を向ける。通りには幾人もの旅人や町人が通りがかっていたが、その中でふらふらと歩く青年の姿が見えた。やや猫背気味の、着古した小袖の上からでもわかる細身の体型の青年であったが、見るからに気の弱そうという印象が立つ。通りがかる町人を避ける様もおどおどしてぎこちない。
そんな調子の青年が茶屋の前までようやくたどり着くと、女将が呆れたようにため息を吐いた。
「東雲、今日も探し人かい?」
「あっ、女将さん、こんにちは……
見た目の印象通り、気の弱そうな声で東雲と呼ばれた男は気まずそうに小さく会釈した。
「あんた、いい加減探し人くらい教えてくれたっていいだろう?」
「あ、いや、女将さんの迷惑になっちゃうんで、その……
「なら自分達であれば迷惑にならんだろう。話を聞くことぐらいは出来るだろう」
橿本が口を開くと、そこでようやく橿本と彩貴の存在に気付いたのか、びくっと怯えるように少しだけ後退りする。
「えっと……こんにちは。その……旅の人、ですよね」
「ああ。先ほどこの町に来たばかりの旅人だ」
社交性が無いのではなく、人馴れをしていないのか。相手を探るというより、旅人に慣れていない様子で橿本に青年は尋ねた。時折他国に送り込まれた忍が茶屋に紛れ込むこともあったが、その素振りや体の動き、口調や目線を見にその類ではないだろう。
「旅人と言っても自分は諸国を旅する医者だ。そしてこちらはその護衛、といったところか」
「医者……お医者さんですか!」
医者、という言葉には、と短い息を男が吐く。それから目線の合わない青年の目がぱっと、これでもかと思うほど見開き縋るように橿本へと頭を下げた。往来にはまだ人は多く、叩頭する青年の姿を好奇や喫驚、あるいは侮蔑か。行き交う人々は田舎者の姿を少なくとも一眼は向けて通りすがる。
「ちょ、東雲、何やってんだい!」
「お願いします、お願いします……、どうか村に来てもらえませんか!診てもらいたい人がいるんです……!」
東雲という青年の声は切実だった。気弱な印象は変わらないが、彼に出せる精一杯の声量であることは、それまでずっと沈黙を貫いていた彩貴にも伝わった。
横目で橿本を見遣る。口元に浮かんだ微かな笑みを、彩貴は見落としはしなかった。
「勿論だ。患者は拒まぬよ、それで良いな灯明の」
……ああ」
「で、では案内しますっ、白月村はここから近いのですが、道に迷うと思うんで……その、しっかりついてきてください」
青年の指差す方向は、見るからに自然豊かな森と山。彩貴たちが山越をした森とはまた別の、夜の空にも似た黒々とした森だった。
また山越だな、と楽しげに話す橿本に、そうだなと適当に彩貴は返す。赤い目ははずっと森を睨んで離さなかった。