スサ
2025-04-15 18:17:47
16303文字
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【鬼水】百夜通いする話

たぶんスパコミの新刊になります。百人一首×百夜通い、ただ百全部は書くのも見るのも大変なので十数首をピックアップします。
※適宜追加(4/27追加)





 鬼太郎が来る時間はまちまちだ。だが、来ることは確実だ。水木はここしばらくカレンダーと睨みあいながら、考えていたことがあった。2月の最終日に赤く丸をつけて。
 鬼太郎というか、幽霊族がそうなのだろうが、この寒い中に毎夜通ってくることが気にならないわけがない。だが、今夜こそ、明日こそ、と思いながら、まだ水木は踏ん切りをつけられないでいる。
 こんなことをして、ごまかしているようだと思われないか、と。お湯を沸かしながら水木は考える。腕をすり合わせ、寒さをしのぎながら。
 保温機能付きの水筒にまず沸かした湯を入れる。温まったところで一度湯を捨て、今度はそこにあたたかいほうじ茶を入れた。温かいままでとはいかないけれど、握り飯をふたつ、迷ってみっつ。具は、梅干し、おかか、鮭。ある程度さましたら海苔を巻いて、ひとつずつアルミホイルで包む。
 アルミホイルに包んだ握り飯をさらに最後はハンカチに包んで、水筒と一緒に縁側へ。まだ鬼太郎の姿はないことにほっとしつつ─先回りできたことに─、いそいそと水木は握り飯の下に今日鬼太郎が持ってくるはずの絵札と同じ歌が描かれている絵札を置く。順番通りに来ているから、何の歌が来るかはわかるのだ。
 ふふ、て悪戯を仕掛けてやりきった顔で笑う。満足げな水木の表情はキラキラと幸せそうだった。

…………
 水木が雨戸の内側に引っ込んでから、しばし。近くの木の上から一部始終を息と気配を潜めて見守っていた鬼太郎は、頭を抱えた。
 ハンカチの包みと水筒の置き方にこだわりでもあったのか、水木は真剣な顔で何度か位置を直していた。よし、と頷き、最後は綿入れの内側から取り出した札を敷いて。くふふ、と思わず溢れたような声は綿飴のようで、よく飛び出していって抱きしめなかった、と鬼太郎は自分を褒めた。
 すっかり水木の気配が家の真ん中から動かなくなったのを見計らい、鬼太郎は音もなく濡れ縁に乗り上がる。ぴたりと閉まる雨戸の向こう、水木は起きてはいそうだが、気配は遠い
 わざと音を立て、水筒を持ち上げる。蓋を開ければ、金属の水筒からはほうじ茶の香ばしい香り。外すとコップになるタイプの細長い水筒には、水木の家での見覚えがなかった。もしかしたら新しく買ったのかもしれない。
 温かいほうじ茶がするすると喉を落ちていく。基本的に寒さや暑さといった外的な要因に鬼太郎が負けることはないが、感じないわけでもない。だからその温かさにはほっとするものがあった。
 しばしじんわりと胃の腑をあたためて、おもむろにハンカチ包みを持ち上げる。水筒と違い、ハンカチには見覚えがあった。水木がワイシャツにアイロンを当てる時、当て布にしているのを何度か見たな、と。
……!」
 札のような何かを置いているのはわかったが、さすがに何を下に挟んだのかまではわからなかった。だから、出に取って驚いてしまった。

人はいさ心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける

 今日鬼太郎が持ってきたのと同じ絵札。確かに、順番通りなのだから何が来るかは水木にもわかっている。だから用意できるのもわかる。
 ただ
………あなたときたら」
 絵札の上に堂々と書き込まれた、いや、大胆に「人はいさ心も知らず」が棒線で消されている。大胆すぎて、鬼太郎は一瞬、瞬きしかできなかった。
 棒線は「ふさとは」の「は」の上にも引かれていて、その横には「も」と書き添えられている。
 鬼太郎はあ然としていたが、水木の意図を理解してじわじわと赤くなる。
 人の、あなたの気持ちに変わりがないかはさておき、花は昔と変わらずに香り立っている、そんな和歌の、人の気持ちが変わっていないかどうかはわからない、という部分を思い切りよく消し、ふるさとだけではない、と主張している、のだろう、恐らく。
 鬼太郎は抑えたうめき声を上げた。少し会わなかったり、離れた時間があったくらいで自分は変わらない、義息を突き放したりしない……、家の中には入れてくれないくせに。
 鬼太郎は両手で顔を覆った。それでも嬉しい。信じられないくらい。
鬼太郎?」
 珍しく油断した。もしかしたら水木も待っていて、鬼太郎の来訪を気にかけていたからかもしれないが。雨戸の内側から声をかけられ、鬼太郎は「はい」と答えた。赤くなった顔を見られていないことは幸いだった。
「あー、その」
「はい?」
「誕生日、おめでとう」
……!」
 鬼太郎は息を飲んだ。顔が見えなくても水木が照れくさそうにしていることは伝わってきた。
………本当はもっと、なんというか、でも、こんな時に大々的にやるのも、俺はまだ答えていないし
 弱りきった声は、しかし、彼がとても真剣に考えてくれていることを伝えてくれた。
……はい」
 考えてくれるだけで嬉しいですよ、と言うか言わまいか迷い、鬼太郎は結局それは口にしなかった。
 ひたりと雨戸に指からゆっくり手をつけていく。この戸の向こうに水木がいる。力づくで開けるのは造作もない。だが、それでは意味がない。
………えーと、その。水筒、それな、いいだろ?温かいのが続くんだぜ」
「はい」
 子どもっぽい言い方があまりにおかしくて、鬼太郎は軽く口元を押さえた。笑っては悪い。
「それ、良かったら持ってって使ってくれ」
「え?」
「まだ寒いし、あ、いや。そうだ、そこにお湯を入れて持ち運べば、いつでもおやじさんを湯に入れてやれるぞ」
 声を聞く限り水木は真面目に提案しているようだったが、鬼太郎は思わず笑ってしまった。大きな声ではなかったので、水木は「鬼太郎?」と呼んだだけ。恐らく気づいていない。
……そうですね」
 鬼太郎は懐から今日の絵札と、贈り物をそっと取り出す。
「嬉しいです。ありがとうございます」
 ハンカチをほどき、握り飯をひとつ手にとり口に運ぶ。力強く握りそうなのに、水木の握り飯は適度にふんわりとしていて美味い。噛み締めて、残りは持って帰ろうと考える。
おにぎり、とても美味しいです」
「そっか、良かった
 雨戸越し、ふたりはしばし穏やかな時を過ごした。
 そして水木は、鬼太郎が帰った後に今日の絵札と贈り物を確かめる。綺麗に畳まれた風呂敷がそこにあり、広げると梅の香りが広がった。風呂敷はクリーム色の地に金色の雲や紅白の梅の花が散らされた柄で、なんとなし華やぎがあった。
 頻繁に使うとまでは言わないが、贈答の際やなにかで使う機会自体はないこともない。
 上品な梅の香りを感じながら、水木は目を閉じた。美味しい、と言う鬼太郎の声が昔聞いたそれと似ていて、幸せなような、泣きたいような気持ちになった。