akinoshiroihana
2025-04-14 21:27:48
16099文字
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名刺置き場5




おい、ヨダレ出てるぜ、との声にぎょっとして覚醒すれば、
隣にもう一つ並んだ学習机の椅子で高々と足を組んだ隼人がのぞきこんでいる。
慌てて口元を抑えれば冗談だよ、危なかったかい、との声が今の彼は機嫌がよさそうだと教えてくれた。
「耳元でハーモニカでも吹いて起こしてくれて良かったのに」
言えば、よせやい、どこの野蛮人の真似事だいそりゃあといかにも心外そうに。
そういえば寮の部屋や他人が居合わせる場でまでそれを吹くのは、「誰とも話したくありません(音盛大)」もしくはそっとしておいてほしい時(心なしか控えめ)の意思表示らしいことはそろそろみな気付いている。あれは基本"touch me not"とでも名付けるべき曲だ、次のテストに出て来そうな英単語で表現するならば。花の名みたいでもあるけど。
「そういうのだったらもっと、そうだなあ」
いつもの寂しげな一節ではなく流れたのはもっと穏やかな、朗々として歌唱曲のような音色で、ああ、聞いたことがあるな何だろうと言えば
『埴生の宿』
一音階しかないオモチャのハーモニカでも吹けるから重宝するぜって言ったんだが、元気ちゃんはもっと勇ましいのがお好みなんだと
噂の腕白坊主は今日もランドセルを置きに走って帰ってきて、友達のところに飛び出していったきりだろうか

「いや、Home, Sweet Home」
「ん原題はな」
お里が恋しくなっちまったかい、と詫びるでもないがそんな気配が言外にあった
「いいや、ここもいまや大事なホームさ」
俺たちが帰る家だよ、と言えば隼人は不思議そうな顔になった後、少し笑った、ようだった。長く白い首でうつむいたそのしぐさが夕暮れの光の中、微笑み頷いたように見えた

我が家、我が家、愛しい我が家、
我が家にまさる場所はない

この世の誰より平和を祈れる心に俺をきっと返してくれる、なにもないようなまで高い無垢な空、声、音色。

Home, home, sweet, sweet home



「いやあ逃げ足の速い焼き芋屋で捕まえ追いつくのが大変でさ」
ずっと追っかけてくれたみたいだからっておまけもらった
そうにこにこと報告する竜馬に
「作画のいい時のお前さんに自転車で町外れまで追っかけられたら結構怖かったんじゃないか」
ほぼ小松原監督の不動明くんのバイクシーンと、つまりデビルマンが悪魔追っかけてる図と同じになりやしないかいとベッド二段目から隼人は言い、えっなんのことだと朗らかに流された
「仕込みなおす前だから細いのしか残ってなくてごめんよって、別にそんなことないんだがもう一本くれたから武蔵にやってさ、せっかくだからお前も半分食べないか」
思いがけない良いことがあった余韻のまま顔を出した竜馬は、いまさっき展開が極めて悲劇的な予兆を見せた本の世界から帰って来いと隼人を呼ぶ
「ん……お前の小遣いだろ、それに手に何か着きゃしないかい」
深刻な修羅場のページに「この時おやつ食べてました」のノイズがのこるのはよろしくない、美しい絵本に子供の無邪気な落書きが残っているのよりもと彼が思えば
「ほら」
本を置けとか言うでもなく、目の前で二つに割られた芋の白金色のいびつな断面がずいと突き付けられる
「あーんしろ、冷めちまう」
ほくりと立った湯気の向こう、もう半分にかじりつく竜馬がいた
「待てって」
読んでいたページに指を挟み、シーツの上にそっと下ろそうとするのを待たないというように口許にぐいぐい来る熱くて甘いもの
「だから待っ……
どうしてそう楽しそうなんだいと、隼人はワルプルギスの夜の場面を後にした

アツアツのうちにバター乗っけるのも旨いんだよなあ
それは流石に持って来ないでくれよ
「お客が少なめになったんで仕込みなおして夕方駅前に止めてるって、だから」
「そりゃこんな寒けりゃ、外に出るにも一段階の覚悟ってもんがさ」

夕刻の散歩の誘いは、成功するや否や


「傷隠しでは?」と言ってたのは某さん

お願いだ、カムイ
お前以外にこの事件の生き証人はもはや残っていないんだ
「敷島博士は」
「改造箇所が多すぎて、あー、半生証人?2.5次元証人?」
「言い方。
しかし奇妙だ思い出せない一体何時何がきっかけで、あのひとはあんな風にまで面変わりを何故だ何故俺は覚えていないウッ頭が」
研究所所長にして司令、神隼人のヒゲは何時頃、如何なる契機を経てあのようになったのか
その謎を解明するため、我々アークチーム調査隊はアマゾンの奥地へと向かった――
次回「山岸死す」
「そこはカムイじゃねえのかよ!」

敵との交戦の際などに司令の顔に動じているとの証拠の古傷が浮いてないか気にするのがわずらわしくてな、むしろいくらなんでもこの局面でなら浮くだろう、と絶体絶命の時でもチラッチラ携帯を構える奴らが出るに至ってはな、と、白衣の司令は髭の下に隠れた、嘗て如何なる状況で刻まれたとも知れない三条の奇妙な刃物傷か爪の跡を指の腹でなぞる。そうすればえもいえぬ挑発的なような妖しげな色を帯びた仕草にもなった。
「真ん中から真っ二つにしておきますねその敵と我が方」
コックピットからそんな声が応じた


あだしのに 鬼女の出るという
背に胸に 鉄紺の衣の深う裂けて
喉より赤う 血のしたたると見せるは
紅緋の襤褸(ぼろ)を首に絡げているばかり
それが何とはたれもわからぬ

破れの青衣の女と見しかば
丈高きことすさまじゅうて
みるものみなおどろきあやしむ
その胸と背 鶸色にて布にあらず肌にあらず
野に打ち捨てられし脹相壊相のかばねの皮貼りたるか
問えばその者いといとわらう

しかれども長き豊かな髪のかなしうつくしとみれば
被着(かずき)せぬ戯(たは)れありける女にもあらず
人の言問いて寄りたるを 目耳鼻ととりて捨つる
それいずこかのわかき下人なり狂人なり


「神くん、平安時代の目撃情報が残っちゃってるわね」
言われた青年はモニター画面から振り向くことなく「だから?」とだけ言って寄越した


血色の襤褸切れを首にぶら下げ、胸も背もあらわに鉄紺の衣をまとい
よく見ればそこも野ざらしのしびとの皮でもはぎ取ったようなヒワ色のきぬ。
頭を覆う衣も頭巾もないはしたない姿は長い黒髪ばかり美しく
墓地の鬼女かと思えば丈高く若い狂人だった



●ボイン話の余韻

「今日学校で、〇〇くん達が廊下に立たされて泣いててさあ」
戦前から小等部からの一貫教育クラスも存在していた浅間学園にしては珍しいのか、それとも懐かしいのか。
「へえ、両手にバケツ持たされたり、正座させられたりのあれかい、懐かし―――
「何をやらかしたってんだい、その上級生たちは」
水曜日、一番時間割が短い日、早くに帰って来た元気少年はリビングで、パイロットスーツのまま待機している竜馬たちに報告する。
「うーんなんかね、初めてブラジャーつけた女子をからかったんだって」
「えっ」
「あ~~~」
「ぶっ」
グローブのまま掴んだティーカップががちゃがちゃと鳴り三者三様の声が漏れ、武蔵がみるみる赤くなる前で、子供はビスケットを頬張る。チョコレートの下にアプリコットジャムが敷いてあるお客様用の一枚を。

「しょ、小学校からぶ、ブラジャァ……?」
やだなあ、マセてやがる、と、気恥ずかしさをそのつもりのない他罰表現でごまかしてしまおうとする武蔵を、ばか、と小さな声で嗜めたのは隼人で、「えっおねえちゃんは4年生からしてたけど」の子供の後追いがあった
なななんでそんなこと知っ、との問いに、姉さんってものはそういう話に結構参加してくるもんなんだよ、マセてるとかスケベないやらしい子だからと言われちゃ、気の強い子は黙ってらんねえだろと隼人がテーブルの下、長い脚をぶつけに行く。どうやら彼にも似たような何かしらの思い出があるらしい。
極めて古風な父を持ち、男尊女卑の強めな九州そだちの竜馬は、「女は汚いのだから先に風呂に入れ」など言われていたのをおくびにも出さず、しかしそういえば話のどこかで口から噴き出していた紅茶を拭い、咳払いする。やはり初めの頃思った通り、この手の話を隼人が好むかといえば、むしろひいやりとしたきれいな薄い笑みが返ってきて芯から冷やされそうだと。

「ま、まあ着替えの覗きとか本当に酷いバカをやってしまう前に教えてもらえてよかったんだろう!たぶん!」
良い話だったように総括しようと力強く笑う竜馬がいて
「だよねえ、お姉ちゃんも哨戒から帰ってくると言うよ、『ひょっとしたら無事生きて戻れたより、一人に返って耐衝撃ブラを外せる瞬間が一番ほっとするのよ、女の子ってそういうものよって』って。邪魔しちゃだめだよね、たぶん」
おそらくも何も穢れを知らぬ乙女に違いない少女の口から出たというそんな台詞は思いがけない剛速球で
一人でブラを外すのが一番気持ちいいのよ、貴方たちは永遠にわかんないでしょうけど
とかなんとか変質して高校生男子たちの脳裏を駆け抜けて

今度こそ紅茶を噴き出す隼人がいた
(やはり似たことを聞いた過去があるのだろう、たぶん。)