──。
翌朝。
(
……もう、諦めたか)
そう思いながら、ラートは裏庭へと向かう。
しかし
……
「! おはようございます
……!」
岩の後ろから、ひょっこりとあの少年が顔を出した。
「
……。」
「昨日は結局会えなかったので
……また来ちゃいました」
そう言って笑う少年の顔には、もはや警戒の色はなかった。
ラートはあきれたように大きくため息をつき、空を見上げる。
今日も朝日が美しい。
まるで現実逃避をするように、まぶしい空をただ見つめた。
「? 何を見てるんですか?」
またも声をかけられ、ラートは眉間にしわを寄せながら岩に腰を下ろした。
「
……太陽だ。」
朝日を浴びながら手入れを始める。
「なんで太陽を?」
「神は太陽であり、その光は神からの恩恵だからだ。」
「
……神
……?」
少年は不思議そうに首を傾げる。
「
……神とは、この世のすべてを創り、すべてを司る存在。
この世界にあるものすべては、神のおかげだ。」
ラートの言葉を受け、少年は空を仰ぎ、静かに朝日を見つめた。
数秒の沈黙のあと──
「
……なら
……」
「?」
「
……全部、神の考えたことなら
……僕のお母さんが死んだのも、神のせいなんですか
……?」
その声は、酷く小さく、酷く哀しかった。
ラートは、なんとなく彼の気持ちが理解できた。
大切な存在が、理不尽に奪われること。
怒りをぶつける先もわからず、悲しみに声を失い、立ち尽くすしかないこと。
──だからこそ、“礼を言う”という小さな目的に縋っているのだろう。
「
……言い方は悪いが、そうだ。」
ラートは、きっぱりとそう答えた。
少年が何かを言いかけるのを遮り、ラートは言葉を継ぐ。
「
……しかし、ただ“死んだ”のではない。神のもとに帰っただけだ。」
「
……え?」
少年が戸惑った声を漏らす。
「この世のすべては、神によって生まれ、やがて神のもとへと還る。良き者は天国へ。悪しき者は地獄に落とされる。
ある者は転生し、再びこの世界へ戻ってくることもある」
そう、ラートは淡々と語った。
それが、彼自身の心の穴を埋めるための言葉だったのか。
それとも、いつもの口癖の延長だったのか──本人にもわからなかった。
だが、その言葉は確かに少年の中にぽっかり空いた隙間を、そっと埋めていった。
天国と地獄。
それは、死に向き合う人間にとって、いつの時代も心の支えとなる幻想だ。
そして、「またこの世に戻ってくるかもしれない」
その希望は、親離れのまだできない幼い心にとって、何よりの救いとなった。
少年はもう一度、空を仰いだ。
さっきまではただ眩しいだけだった陽の光が、今はどこかあたたかい。
「
……」
ラートは無言のまま、車輪を磨き続けていた。
その横顔に、少年はもう怯えてはいなかった。
やがて、彼がこの館に足を運ぶ理由は、カラベラフィルムに礼を言うため、という当初の目的から、ラートの話を聞くためへと、自然とすり替わっていった。
それからというもの、少年は毎朝、館の裏庭に現れるようになった。
ラートの語る太陽と神の話に耳を傾け、車輪の手入れが終われば「また明日」と街へと戻っていく。
ラートはただの気まぐれで会話に応じていたつもりだった。
だが、かつての賑やかな朝がふと戻ってきたようで、悪い気はしなかった。
少年もまた、孤独から少しずつ解放されていった。
そんな穏やかな日々が、幾日か続いたある朝──
車輪の手入れを終え、立ち上がるラート。
それにつられて、少年
…バートリーも同じように立ち上がる。
その頃には、互いに名前を知る仲になっていた。
「それじゃ、僕、帰りますね」
そう言って微笑むバートリーの表情には、どこか寂しさが滲んでいた。
「
……」
ラートは少しだけ思案したのち、口を開く。
「なら、途中までついて行こう。そろそろ街の人間たちの様子も確認しておくべきだろう。」
それはほんの気まぐれな優しさだった。
しかし
……
「! いいんですか
……!ありがとうございます!」
バートリーの笑顔は、あまりに純粋だった。
その人懐こい笑みに、ラートはふと、かつての白浪の姿を重ねてしまう。
「
……ただの暇潰しだ。」
そう吐き捨て、森の中へと足を踏み出す。
バートリーは嬉しそうに、その後ろをついていった。
「ラートさんって───」
少年の言葉にラートの足が一瞬だけ止まる。
「
……」
「
……? ラートさん?」
その時だった。
森の奥から、微かに足音が聞こえてきた。
(
……この距離、この音
……人間か? いや、械の可能性もある)
「バートリー、今すぐ隠れろ」
「えっ、か、隠れるって
……どこに?」
焦って辺りを見回す少年。
その様子をよそに、ラートはふと背後に目を向ける。
木々の隙間から、見覚えのある“人影”を捉えた。
「
…ルフレか
…」
その名前を呟いた途端、バートリーの顔から血の気が引いた。
そして、あまりにも困惑したのか、彼は突然ラートの服の中に潜り込んでしまった。
「!?」
「
…ラートさん
…?」
バートリーの行動に動揺する暇もなく、すぐにルフレの声がかかる。不自然に膨らんだ服を隠しながらラートは首だけを振り返った。
「どうした?」
「ラートさんこそこんなところでどうしたんです?それに誰かと話していたような
……?」
「ただの日光浴だ。誰がいる、というのは気のせいだろう。」
ぶっきらぼうな口調で、しかし自然に返す。
「
…そうですか
…?」
「あぁ。他に用事もないのなら、日光浴を再開していいか?」
ラートの言葉に、ルフレは苦笑を浮かべると、くるりと踵を返し、館の方へと歩き出した。
……
その背が完全に見えなくなったのを確かめて、ラートは小さく息を吐く。
「
……もういいぞ」
彼の声に応じるようにして、バートリーがおずおずとラートの服から顔を出す。周囲を警戒するように見回し、ルフレの姿がないことを確認するとようやく肩の力を抜いた。
「ルフレなら、もう館に戻った」
そう伝えるとバートリーの顔に安堵の色が広がる。だが瞳の奥にはなお、怯えの影が揺れていた。
あの日、あの惨劇を目の当たりにしていれば、それも無理はない。
ラートはそれ以上は何も言わず、視線を前に向け足早に歩き出す。
街へと続く道のり。そのちょうど中間地
……
「
……ここまで来れば、あとは一人で帰れるだろう」
後ろを歩くバートリーに振り返り、ラートが声をかける。
それに応じて、バートリーはこくこくと頷いた。
「ありがとうございます! それじゃ、また明日!」
明るい声を残し、ぱっと手を振ると、彼は一目散に街の方へと走り出した。
その小さな背が遠ざかっていくのを、ラートはしばし見送る。
そして静かに踵を返し、館へと歩き始めた。
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