6話✧自械




──。

翌朝。

……もう、諦めたか)

そう思いながら、ラートは裏庭へと向かう。
しかし……

「! おはようございます……!」

岩の後ろから、ひょっこりとあの少年が顔を出した。

……。」

「昨日は結局会えなかったので……また来ちゃいました」

そう言って笑う少年の顔には、もはや警戒の色はなかった。
ラートはあきれたように大きくため息をつき、空を見上げる。
今日も朝日が美しい。
まるで現実逃避をするように、まぶしい空をただ見つめた。

「? 何を見てるんですか?」

またも声をかけられ、ラートは眉間にしわを寄せながら岩に腰を下ろした。

……太陽だ。」

朝日を浴びながら手入れを始める。

「なんで太陽を?」

「神は太陽であり、その光は神からの恩恵だからだ。」

…………?」

少年は不思議そうに首を傾げる。

……神とは、この世のすべてを創り、すべてを司る存在。
この世界にあるものすべては、神のおかげだ。」

ラートの言葉を受け、少年は空を仰ぎ、静かに朝日を見つめた。
数秒の沈黙のあと──

……なら……

「?」

……全部、神の考えたことなら……僕のお母さんが死んだのも、神のせいなんですか……?」

その声は、酷く小さく、酷く哀しかった。
ラートは、なんとなく彼の気持ちが理解できた。

大切な存在が、理不尽に奪われること。
怒りをぶつける先もわからず、悲しみに声を失い、立ち尽くすしかないこと。
──だからこそ、“礼を言う”という小さな目的に縋っているのだろう。

……言い方は悪いが、そうだ。」

ラートは、きっぱりとそう答えた。

少年が何かを言いかけるのを遮り、ラートは言葉を継ぐ。

……しかし、ただ“死んだ”のではない。神のもとに帰っただけだ。」

……え?」

少年が戸惑った声を漏らす。

「この世のすべては、神によって生まれ、やがて神のもとへと還る。良き者は天国へ。悪しき者は地獄に落とされる。
ある者は転生し、再びこの世界へ戻ってくることもある」

そう、ラートは淡々と語った。

それが、彼自身の心の穴を埋めるための言葉だったのか。
それとも、いつもの口癖の延長だったのか──本人にもわからなかった。

だが、その言葉は確かに少年の中にぽっかり空いた隙間を、そっと埋めていった。

天国と地獄。
それは、死に向き合う人間にとって、いつの時代も心の支えとなる幻想だ。
そして、「またこの世に戻ってくるかもしれない」
その希望は、親離れのまだできない幼い心にとって、何よりの救いとなった。

少年はもう一度、空を仰いだ。

さっきまではただ眩しいだけだった陽の光が、今はどこかあたたかい。

……

ラートは無言のまま、車輪を磨き続けていた。
その横顔に、少年はもう怯えてはいなかった。

やがて、彼がこの館に足を運ぶ理由は、カラベラフィルムに礼を言うため、という当初の目的から、ラートの話を聞くためへと、自然とすり替わっていった。

それからというもの、少年は毎朝、館の裏庭に現れるようになった。
ラートの語る太陽と神の話に耳を傾け、車輪の手入れが終われば「また明日」と街へと戻っていく。

ラートはただの気まぐれで会話に応じていたつもりだった。
だが、かつての賑やかな朝がふと戻ってきたようで、悪い気はしなかった。
少年もまた、孤独から少しずつ解放されていった。

そんな穏やかな日々が、幾日か続いたある朝──

車輪の手入れを終え、立ち上がるラート。
それにつられて、少年バートリーも同じように立ち上がる。
その頃には、互いに名前を知る仲になっていた。

「それじゃ、僕、帰りますね」

そう言って微笑むバートリーの表情には、どこか寂しさが滲んでいた。

……

ラートは少しだけ思案したのち、口を開く。

「なら、途中までついて行こう。そろそろ街の人間たちの様子も確認しておくべきだろう。」

それはほんの気まぐれな優しさだった。

しかし……

「! いいんですか……!ありがとうございます!」

バートリーの笑顔は、あまりに純粋だった。
その人懐こい笑みに、ラートはふと、かつての白浪の姿を重ねてしまう。

……ただの暇潰しだ。」

そう吐き捨て、森の中へと足を踏み出す。
バートリーは嬉しそうに、その後ろをついていった。

「ラートさんって───」

少年の言葉にラートの足が一瞬だけ止まる。

……

……? ラートさん?」

その時だった。
森の奥から、微かに足音が聞こえてきた。

……この距離、この音……人間か? いや、械の可能性もある)

「バートリー、今すぐ隠れろ」

「えっ、か、隠れるって……どこに?」

焦って辺りを見回す少年。
その様子をよそに、ラートはふと背後に目を向ける。

木々の隙間から、見覚えのある“人影”を捉えた。

ルフレか

その名前を呟いた途端、バートリーの顔から血の気が引いた。

そして、あまりにも困惑したのか、彼は突然ラートの服の中に潜り込んでしまった。

「!?」



ラートさん?」

バートリーの行動に動揺する暇もなく、すぐにルフレの声がかかる。不自然に膨らんだ服を隠しながらラートは首だけを振り返った。

「どうした?」
「ラートさんこそこんなところでどうしたんです?それに誰かと話していたような……?」
「ただの日光浴だ。誰がいる、というのは気のせいだろう。」

ぶっきらぼうな口調で、しかし自然に返す。

そうですか?」
「あぁ。他に用事もないのなら、日光浴を再開していいか?」

ラートの言葉に、ルフレは苦笑を浮かべると、くるりと踵を返し、館の方へと歩き出した。

……

その背が完全に見えなくなったのを確かめて、ラートは小さく息を吐く。

……もういいぞ」

彼の声に応じるようにして、バートリーがおずおずとラートの服から顔を出す。周囲を警戒するように見回し、ルフレの姿がないことを確認するとようやく肩の力を抜いた。

「ルフレなら、もう館に戻った」

そう伝えるとバートリーの顔に安堵の色が広がる。だが瞳の奥にはなお、怯えの影が揺れていた。

あの日、あの惨劇を目の当たりにしていれば、それも無理はない。

ラートはそれ以上は何も言わず、視線を前に向け足早に歩き出す。

街へと続く道のり。そのちょうど中間地……

……ここまで来れば、あとは一人で帰れるだろう」

後ろを歩くバートリーに振り返り、ラートが声をかける。
それに応じて、バートリーはこくこくと頷いた。

「ありがとうございます! それじゃ、また明日!」

明るい声を残し、ぱっと手を振ると、彼は一目散に街の方へと走り出した。

その小さな背が遠ざかっていくのを、ラートはしばし見送る。

そして静かに踵を返し、館へと歩き始めた。