6話✧自械




だが、それらが刺したのは虚無だった。

彼女の針が械を貫くよりも先に、彼女の腕が跳ぶ。

瞬きをする暇もなく、ルフレが彼女の懐へと飛び込んでいた。

「っ!」

ナーデルは即座に何も無い空間から針を生み出す。

彼女の能力は回復でも、抱きしめた相手に穴をあげるでもない。
好きな場所に好きな数だけ針を生み出す能力。

思い込ませて油断させる、ナーデルが最も使っていた心理的な技だ。
しかし、それすらも避けられてしまう。

ナーデルは自身の隙を狙おうとしているルフレを目で追う。
その背後。ラートから車輪を振り上げた。

咄嗟に彼の足元の隙を狙おうとするも、ラートは透明な壁に守られ針は粉々に砕け散る。

立場が逆転し、ナーデルが無防備に晒された。

ナーデルは瞬時にいくつもの針を生み出し、自分を囲って鉄の鉄壁を生み出す。

ガンッ!っとラートが車輪を打ち付ける音が鉄壁の中に響いた。
けれど何も変わらない。この中なら大丈夫、そう油断した。

次の瞬間、針の隙間から青い液体が染み込んでくる。ジワジワと恐怖が心を蝕むように、それは鉄壁を侵食していく。

具現化された恐怖が、鉄の壁を内側から引き裂いた。重く鈍い音を立てて、鉄の扉が開く。

「これで終わりだ。」

その刹那、鋭い刃が彼女の首筋に突きつけられた。

躊躇いも、慈悲もない。
刃は迷いなく振るわれ、彼女の首は宙を舞う。

ごんっ、と重たい音を響かせて、頭部が地に転がった。

首を失ったナーデルの身体が、崩れるように倒れ込む。

すべてが終わった。
すべての元凶を殺した。

3人はいつの間にか呼吸すら忘れていたことに気づき、思わずむせ返る。

安堵に胸を撫で下ろしたのも束の間。
ルフレがふと倒れたナーデルの身体に違和感を覚え、慌てて転がった首を拾い上げる。

その口元が、かすかに動いた。

ふふ。してやられてしまいましたね。」

何事もなかったかのように、彼女は静かに話し始めた。

「ナーデルさん……あなたは、一体何を知っているんですか。」

ルフレの声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。

その傍らで、ラートとカラベラフィルムも黙って彼女を見据えている。

自分たちが道具のように扱われたこと。
数多の死が、あらかじめ仕組まれていたという事実。
すべてが許せなかった。

「何を、ですか? 私は何も知りません。ただ、自分の使命を果たしていただけです」

「その使命を、訊いている。答えろ」

「真の平和を作ること。ただ、それだけですよ」

なら、あなたの正体は何ですか。あれは明らかに僕らとは違う」

ルフレが指差す先、倒れた身体の断面からは、導線や基盤が覗いていた。

明らかに人間でも、械でもない。

私は、一度も自分が“械”だなんて言っていませんでしたよね? 私は“からくり”アンドロイドです。」

その言葉に、3人は驚きで目を見開いた。

「アンドロイド、だと? 一体、誰が貴殿を作ったんだ?」

カラベラフィルムが鋭く問う。
3人の視線が、ナーデルの首へと注がれる。

そのときだった。

「ラートさん!!」



まだ幼さの残る声が響いた。
振り返れば、1人の少年がこちらに駆けてきていた。

見覚えがある。
あの日、ナーデルに理不尽な暴力を受け、母親までも奪われた少年。
そんな彼がどうしてここに?

その問いを口に出すよりも先にラートが叫ぶ。そして咄嗟に彼のもとへと駆け出した。

「っ! 来るな!!」

3人の注意が、完全に少年へと向いたその瞬間。

その隙を、ナーデルは逃さなかった。

倒れていたはずの彼女の身体がぎぎっと動き、
地面から針が伸び、少年の足元を狙って放たれる。

「!」

その危機を察知しラートが飛び込んで彼を抱き上げた。

だが、ほぼ同時に、鋭い針が彼の身体を貫く。

「えっ……

少年の震える声が漏れる。

少年とナーデルの視線が交わった。
ナーデルはまるで懐かしむような表情を浮かべ、呟く。

またね、──

しかし、ナーデルの最後の言葉を聞く間もなく、ルフレの刃が彼女の頭部を斬り裂いた。
無残に、容赦なく。跡形も残らぬように。

カラベラフィルムも即座に動き、水の質量を操ってその身体を粉砕する。

もう、ナーデルは二度と動かない。
核となりうる何もかもが、完全に消し飛ばされた。

ルフレとカラベラフィルムはただの鉄屑となった残骸に背を向け、ラートへと駆け寄る。

少年はすでに地面に降ろされ、ラートはその傍らに膝をついていた。
その体からは、止めどなく鮮血があふれ出している。
核心がどうなっているかは誰にもわからない。
だが、ナーデルが消えた今となっては、回復の見込みは限りなく低い。

「ラートさん! どうして……どうして人間なんかを……!」

ルフレが叫ぶ。
少年もまた、声にならない声で嗚咽を漏らしていた。

「ラ、ラートさん……あの悪い人を、やっと倒したのに……どうして……

少年とルフレは、沈黙するラートの顔をのぞき込む。

その蒼き瞳は、もう濁っていた。
もはや彼らの姿を映すことはなく、ただ遥か遠くを見つめているようだった。

けれど、その表情は、どこか穏やかで、満ち足りているようにも見えた。

……なるほど……

「えっ……?」

……あいつは、最後まで……俺のことを、自分よりも下だと思っていたらしい……全く、最後の最後まで癪に障るやつだ……

彼が吐き出したその「あいつ」が誰を指しているか……カラベラフィルムとルフレには言わずともわかった。

……バートリー」

ふいに呼ばれた名に、少年ははっとしてラートと目を合わせた。

「俺は、神を崇め、許しを乞い、感謝を示す者が好きだ」

「貴殿は、この世界で初めて……太陽を崇めた人間だった」

……

「だから……貴殿に、俺の記憶を託す」

「っ!」

息を呑む音が、三人から同時に漏れた。
人間に、“伝承”を? 

「ラートさん! まだ……まだ、助かる手段が無いわけじゃ……!」

ルフレが食い下がるように声を上げる。
だが、ラートは静かに首を横に振った。

「動かぬ身体で貴殿らの足枷になる方が俺の性には合わん。……俺を弱者扱いするのは、あいつ一人で充分だ」

一呼吸置いて、彼は言葉を継ぐ。

「それに……

「庇うというのはただ弱い者を守るだけではない紡ぎたい物を守るためでもあると……ようやく気付くことが出来た。」

その声音は、どこか吹っ切れたような、澄み切った響きを帯びていた。

ラートは驚きで動けずにいるバートリーに額を近づける。
そっと、優しく、その額に触れた。



その瞬間。

祈りと共に、“神の教え”とラートの記憶すべてが、バートリーの中へと流れ込んでいく。

世界の記憶が、バートリーの意識に雪崩のように押し寄せた。

人々の中心に神の存在があったこと。
数えきれない争いと、目を背けたくなるほどの残酷な過去。

それでも、人々が信仰を抱いて祈りを捧げていた時代。

もう二度と見られない、美しい自然の風景。
神の存在に救われた人々の物語。

そして、最後に映るのは、ラートと械たちが共に過ごした、陽だまりのように穏やかな日々。

バートリーは、はくはくと口を動かす。
その圧倒的な情報量に身体が追いつかない。

全ての記憶が彼の中に伝わりきったとき、ラートはそっと額を離した。

その直後。

パキッ……パキパキッ……と、乾いた音が鳴る。

ラートの身体に、蜘蛛の巣のような細かいヒビが走っていた。
それはまるで、朽ちていく木々のように広がっていく。

……ラート殿……

耳鳴りの奥に、誰かが名を呼ぶ声が微かに響いた。

それに応えるように、ラートはふっと笑う。

「そんなに悲しまなくてもいい……俺はただ、神の元に帰るだけだ」

そこには悲しみも悔いもなかった。
穏やかで、どこか懐かしい微笑みだった。

ラートはふと、空を仰いだ。

──空を見上げるその仕草は彼の中に深く染みついた、呼吸をするように当たり前のような動作。

空には、太陽が爛々と輝いていた。

もう目には何も映っていないはずなのに、それでもその光だけはかろうじて感じ取ることができた。

閉じた瞼の裏まで、オレンジ色が染み込んでくる。
その温もりだけが、最期の世界を照らしていた。

──あぁ、今日もいい日だ。

その静かな呟きを最後に、ラートの身体は音もなく崩れはじめた。

小さな粒子がふわりと舞い上がる。

手が、腕が、風に溶けるように崩れ落ち、輪郭はあっという間にぼやけていった。

砕けた破片は太陽の光を受け、虹色の反射を生む。

ラートの名残は最後にはただ光の粒だけとなり、風に散った。

残された械は、カラベラフィルムとルフレの二人だけ。

その場から動くことも言葉を発することもできず、彼らは立ち尽くしていた。

ラートがいた場所に残されたのは木の破片と、見覚えのある石の破片……

それ以外に残されたものは何も無かった。

……僕らは、仕組まれた歴史の歯車に過ぎないのか)

その想いが、自然と胸の奥に沈んでいく。
哀愁を帯びた風が、そっと二人の頬をなでていった。

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