6話✧自械




葉っぱのすれる音と、自分の呼吸だけが耳に残る。
森の中の道は細く、ところどころに浮き上がった木の根が彼の足を止めようとした。それでも止まるわけにはいかない。前を見つめたまま、必死に足を動かす。

「おい、フィリップ!」

後ろから自分を止めようとするラートの声が聞こえた。
その後ろをルフレとカラベラフィルムが追いかけてきている。

すぐに追いつけるだろうそう思っていた3人の予想に反して、距離はいっこうに縮まらなかった。それほどまでに、フィリップは無我夢中で走っていた。

やがて木々の数が減り、空が見える場所が次第に増え、月明かりが地面に柔らかく落ちていた。どこか少しだけ冷たい風が吹いている。

そしてようやく、ひとつの小さな小屋を見つけた。小屋の隣には一頭の馬が繋がれており、小さな光が漏れ出ている。

フィリップは何も考えず、その扉を蹴り開けた。

そこには、1人の男が椅子に腰かけていた。その体はやつれており、活力を感じない。

また落ち窪んだ目元からはぎょろぎょろとした目玉が飛び出しており、瞳孔だけがギラギラと輝いていた。

彼は突然小屋に入ってきた械達に驚いたのか、充血した目を見開いたまま硬直している。よく見れば、周りには紙が散乱し、あちこちに血痕が着いた拷問器具まで転がっていた。

一目で、彼が常人では無いというのは見てわかる。

「っはぁ……はぁ……あなたが、クラーマーですね。」

フィリップは息を切らしながら彼に近づいていく。

『Was seid ihr, Leute? ? Warum, warum bist du hierher gekommen!』

フィリップは半ば狂乱した状態で彼の肩を掴む。



「魔女狩りは間違えてない!そうでしょう?それをあなたも証明するためにこんな場所に来てるんでしょう?早く、早く魔女狩りの本質を……理由を教えてください。」

クラーマーは彼の言葉を理解できず、ただただ怯えた顔をしていた。

「フィリップ殿、一度落ち着くべきだ。我々の言語で話しても中世の人間には伝わらない。

カラベラフィルムがフィリップの腕を掴む。

……何だ、この内容……

低く押し殺した声が、小屋の中に響いた。
彼は険しいで机の上にまとめられて置かれていた紙を、ペラペラとめくっている。

「内容……?何が書かれてるんです?」

ルフレも興味をそそられ、隣から覗き込んだが、そこに並んでいるのはすべてドイツ語。読み解けるはずもなく、首を傾げるしかなかった。

……こんなもの、神への冒涜だ。」



吐き捨てるように言うや否や、ラートはその紙を破り捨てた。
クラーマーとフィリップの顔が一瞬で青ざめる。

「ラートさん、一体何を……!」
「ここに書いてあることは全て神の教えに反している。赦しの精神も、全ての人類は平等だと言う教えも歪めすぎだ。これこそ異端の書物だろう。」

クラーマーの顔が引きつり、フィリップは動揺を隠せなかった。

「なっ……この本に書いてあることは、教皇がちゃんと認めていて……!」

フィリップのその言葉も、神の教えを冒涜していると憤るラートには届いていないようだった。
ラートは無言のままフィリップの肩を掴むと、クラーマーの傍から強引に引き離す。
そして、一歩前に出てクラーマーと正面から向き合い、圧をかけるように低い声で問いかけた。

『Hey, erzählst du dem Papst alles, was in diesem Buch steht? Alles, von der Ausführungsmethode bis zu den Beurteilungskriterien.』

全て教皇に伝えているのか……

そうラートが問いかけると男は口を閉ざし、目を逸らした。

……は?どうして、これは……

『Nur ein Teil .. Ich habe nur gefragt, ob Hexen bestraft werden sollten ...

1部だけ。
男は、小さく呟いた。
その言葉を聞いた瞬間、フィリップの顔色がさらに悪くなる。
ラートはそれを見て、呆れたように深くため息をついた。

「クラーマーと聞いて嫌な予感がしたんだ。こいつの噂は俺も少しは覚えている。」

容赦のない拷問、弁護の禁止、尋問記録の改竄といった、当時の基準に照らしても非法な異端審問。

彼の悪い噂は多くの聖職者や貴族に広まっていた。

度重なる悪行の果てに、彼はその異端審問を訴えられ敗北する。

「負けた腹いせかなにかは知らないが、自分自身を正当化するために執筆したのがこの本、『魔女に与える鉄槌』だと言う噂もあったな。」

ラートの発する声は酷く冷ややかだ。

無理もない。目の前の男が行っていることは、神への冒涜に当たる。

「け、けど!確かにこの本は正しいと広まって、実際に僕は……!」
「それは主に庶民の間や地方での話だろう。聖職者の間でも賛否が分かれ、教皇は黙認していた。」

……この悪意溢れる本が広まったのは、きっと地方の貴族や領主が恐怖で市民達を上手いように利用するためだろう。神学の知識のあるものほど、批判していたはずだ。」

ラートは、さまざまな神への考えを知っていた。
他の宗教や無神論者の意見はもちろん、神を利用しようとする愚かな者たちの存在も……
だからこそ、目の前の男の行動に、酷く腹が立った。

「っ……なら、僕は、ただ利用されていたんですか……?神を、都合よく使うような奴らに……?」

フィリップの震える声に、ラートは何も言わない。

……それはラートなりの配慮だった。
フィリップが悪意を持って行動していたわけではないことを、ラートはよく知っていた。
意識もなく、ただ処刑の手段として機械のように使われていた頃の彼に、選択の余地などなかったのだ。

だが、だからといって、彼を慰めるためだけに嘘を吐くのは、ラートにとってより残酷なこと。

沈黙。それは優しさからの黙秘であり、同時に、否定しないという肯定の意思でもあった。
……その曖昧な応答は、かえってフィリップの胸を鋭く抉る。

フィリップはゆっくりとカラベラフィルムの方へと目を向けた。

彼もまた、魔女審判に使われた械だ。

……フィリップ殿、私もまた同じだ。人々の恐怖心を掻き立て、魔女の存在を広める助長になった。」

カラベラフィルムも、できることなら信じたくはなかった。
しかし、彼とは別の……残酷な程に現実思考の誰かさんが、ラートの言うとおりだ、と言っている。
その声を、カラベラフィルムは無視することができなかった。

はく、と口が動く。声が出なかった。

自分が、本当に魔女の存在を広める助長になっていた……

「っ……そんな……

フィリップは信じられないというように呟き、足元がふらついた。視界が歪み、思考がうまくまとまらない。

その時─

「フィリップ様」

小屋の扉がきぃ……と軋んで開き、不快なほどよく通る声が響いた。

「どうして、ナーデルさんが

彼女の顔には、心底愉快そうな笑みが浮かんでいた。
まるで、自分自身の存在価値に苦悩するフィリップを、舞台の上から眺める観客のように――
もがき苦しむ彼の姿を、あえて“楽しんでいる”かのような、そんな目だった。

「惨めですね、本当に。」

ラートやカラベラフィルム、ルフレには目もくれず、彼女の視線はただフィリップだけに向けられている。
そして、1歩、2歩、と彼に近付きながら口を開いた。

「─自分が黒魔術で生まれたとも知らないで……

ナーデルはそう吐き捨てた。
あまりにも唐突で、残酷な言葉。

……は?黒魔術……?僕が……?」

フィリップの顔から血の気が引き、身体中の筋肉がこわばる。戸惑い、否定しようとする思いが喉元までせり上がるも、言葉にはならなかった。

そんなわけが無い、と流せば良かった。

しかし、彼には心当たりがあったのだ。

闇に包まれた、あの冷たいコンクリートの部屋。
湿った空気には鉄錆びと、乾きかけた血の匂いが染みついていた。

けれど、それ以上に──
あの部屋には、言葉にできない“何か”があった。
理屈を超えて、本能が警鐘を鳴らすような、強烈な嫌悪感。
その理由が、今ならわかってしまう。

自分を含めた械たちは、あの部屋で“生み出された”。

ずっと、ただの勘違いだと──
気のせいだと、自分に言い聞かせていたのに。
なのに、今その疑念が確信に変わろうとしていた。

……そんなわけ……

震える声で絞り出した言葉に、自分の心すら答えなかった。
ただの想いが、形となり、力を持つ。
神に選ばれたからではない。

──それは、異能というにはあまりに歪で、あまりに不自然だった。

「黒魔術……それを使ったのなら、説明がついてしまう……

ぽつりと漏れたその一言は、フィリップ自身を刺す刃だった。

ぐらりと視界が揺れる。
足元が崩れ落ちるような錯覚に、膝から崩れ落ちる。

…………違う……僕は……魔女を……黒魔術を断滅するために生まれたんだ……そんな僕が……

両手で頭を抱えながら、声にならない叫びを吐き出す。
耐えられない。認められない。
それを認めてしまえば──自分という存在そのものが、すでに否定されてしまう。

「僕が……そんなの……そんなの、あるわけがない……!」

崩れていく思考の中で、それでも否定の言葉だけが、何度も、何度も繰り返された。

……