───。
樊凌が消えてから、数日が過ぎた。
ラートはいつものように、朝日を浴びるため裏庭へと足を向ける。
五人だけになった館は、静まり返っていて、どこか虚しさが漂っていた。
フィリップは部屋に閉じこもったまま。
ルフレは顔を見せる日がめっきり減り、カラベラフィルムに至っては池のほとりでぼんやりしているか寝室に籠ったままだ。
裏庭に足を運ぶのも、もう自分だけになってしまった。
いつものように車輪の手入れをしようと裏庭に出た。
その時。何かの気配を感じ取ったのだ。
「
……誰かいるのか?」
静かに声を発したが、返事はない。
だが、確かにそこに“誰か”がいた。
──パキッ。
乾いた枝を踏み折る音が聞こえる。
ラートは素早く音のした茂みに駆け寄り、その影を覗き込む。
そこにいたのは白銀に近いホワイトブロンドの髪、赤い目をした少年だった。
四つん這いになり、逃げ出そうとして枝を踏んでしまったのだろう。
その表情は恐怖に満ち、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「
……ここで何をしている」
低く問いかけるラートの声に、少年は怯えたように口を開いた。
「あ、あの
……お礼が、言いたくて
……」
言葉はしどろもどろで、震えが混じっていた。
その思いがけない言葉に、ラートは目を丸くする。
恨みを買うような行いは数えきれないほどしてきたが、感謝されるような覚えなど一つもない。
(
……まさか、罠か?)
奇襲の囮かとも思ったが、少年に敵意は感じられず、手に武器らしきものもない。
周囲に他の気配もなかった。
「
……礼?」
半ば訝しげに聞き返すと、少年は警戒を少しだけ緩めた様子で、ぽつりと続けた。
「その
……この前、役所で
……お母さんを助けてもらって
……。
その
……カラベラフィルムさん、って人
……ここにいますよね?」
その名を出され、ラートはさらに困惑する。
「
……カラベラフィルム?
…確かにここにいるが
……」
いつ彼が人助けなどしたのか。
そもそも、なぜこの少年がその名前を知っているのか。
疑問は尽きなかったが、それ以上に
…
(
……死ぬかもしれないのに、感謝を伝えるためだけにわざわざ来たのか?)
なんとも理解出来なかった。
しかし、ラートはそれ以上詮索しなかった。
信仰と同じように、感謝の念もまた人を狂わせることがある。
そういうものだと、どこかで理解していた。
敵意がないのであればこのか弱い人間を放置していたとしても害はないだろう。
彼は身をかがめていた姿勢を戻し、ふっと視線を外す。
「それほど伝えたいのなら、呼んできてやるが」
「っ!ま、待ってください! まだ
……その、心の準備が
……!」
慌てて立ち上がった少年が必死に制止した。
目的が果たせないことより、ひとりになることのほうが恐ろしかったのだろう。
ラートは面倒そうに眉をひそめた。
「何がしたいんだ、貴殿は
……」
と言いたげな顔で、深いため息をついた。
「
……なら、勝手にしろ。」
ぶっきらぼうにそう告げると、ラートはいつもの岩に腰を下ろした。
車輪の手入れをする、彼の定位置。
少年は困惑したように周囲を見回し、しばし悩んだ末に、その岩の裏へとちょこんと腰を下ろした。
「
……」
ラートはちらりと視線を向け、思わず眉をひそめる。
「何をしてるんだ」と問いたげに、少年を見下ろした。
「
……ここで待っていたら、いつか館から出てくるかなって
……」
眉をハの字にしながら、少年はどこか照れたように笑った。
「
……はぁ
…」
「
……邪魔はするなよ。」
それだけ告げると、ラートは静かに車輪の手入れを始めた。
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