6話✧自械




……カラベラフィルムが去り、ルフレは1人になった。手には、洗いかけのマントが握られている。水に揺られ靡いたそれは、水面に緩やかな波を作り出し、布に染みた血を煙のように流していた。

揺れる波の中には、自分の顔が映っている。

その表情はあまりにも、怒りに満ちていた。



自分は現実から目を背けることなんてできず、こんなにも苦しんでいるのに。

夢を見たままのカラベラフィルムが羨ましくて、妬ましかった。

けれどそうでもしなければ、彼が耐えられないというのはわかっている。

だからこそルフレは必死に、溢れだしそうになる想いを堪えていた。

(……いけない、いけない……)

そう自分に言い聞かせると、大きく深呼吸をした。

水面は、未だ波打っている。



マントを洗い終えた頃には、ルフレは冷静さを取り戻していた。

とはいえ、釈然としない気持ちが消えた訳では無い。

(はぁ……こんな気持ちになってる場合じゃないだろう……カラベラフィルムさんからはやくシアノの記憶について訊かないと……

なにせ、シアノが消えてからすでに1ヶ月以上が経過している。はじめはカラベラフィルムが自分から話し始めるのを待っていたが、話始める気配がない。

(だから、僕から……

わかっているが、どうにも訊けなかった。カラベラフィルムへの気遣いと、シアノの核心を知る恐怖。それらがルフレを躊躇わせていた。

彼が何を思っていたのか、何を願っていたのか。そして、何を考えながら消えたのか。

ルフレが知っていることは、人間の心中の手伝いをしたことと、カラベラフィルムに伝承をしたことくらいだ。

もし、彼も人間を愛していたら?

自分と彼の共通点である「人道的な処刑法」に、彼が存在意義を持っていたら?

『見損なった。』

そう軽蔑されてしまうだろうか。

……

もう彼はいないのだから問題ない、そう振り切れるほど自分は強くないのだと痛感した。

「だからといって、このままじゃだめだな……

そう自分に喝を入れようとした時、森の奥から誰かの話し声が聞こえた。

カラベラフィルムかと思ったが、彼の低い声では無い。

誰だろう……と、足音を消しながら歩いていると、人影が見えた。何やら声も聞こえる。

……ラートさん?」

そう声をかけると、彼はこちらを振り向いた。

「どうした?」
「ラートさんこそ、こんなところでどうしたんです?それに誰かと話していたような……?」
「ただの日光浴だ。他に誰かがいる、というのは気のせいだろう。」

そう言うラートの顔は至って平常だが、どこか違和感を覚える。

……そうですか……?」
「あぁ。他に用事もないのなら、日光浴を再開していいか?」

ラートはため息混じりに答える。ルフレは苦笑いをしながら、その場を去ることにした。

(……気のせいだったかな……)

そんなことを考えながら、ルフレは濡れたマントを手に館へと向かった。



自室へと戻り、窓枠にマントを干す。もうこの作業も2度目、いや3度目だろうか。そんなことを考えながら、いつも通り鏡の前に座る。

(……あぁ……整えないと)

最近、やけに髪が乱れる。

ルフレは引き出しから、ハサミを取り出した。

チョキッ、チョキッ。

はみ出た髪を、1本1本丁寧に切っていく。

時間をかけて、はみ出たものがないように。

全てを切り終えたルフレはハサミを櫛に持ち替え、髪を梳いた。

……あれ」

なぜかまだ、揃っていない。

確かに全て切りそろえたのに……

切っても切っても、一向に整えられない。

……なぜか、そう感じてしまった。

もう一度ハサミに手を伸ばした時、歯の根元がいつの間にか錆びているのに気がついた。

(なるほど……だから使いづらかったのか……)

ルフレははぁ、と大きなため息をつく。

もう1度鏡を見れば、そこには完璧に整えられた自分の髪があった。

先程まではまだ乱れているように見えたのに。

深呼吸をして落ち着いたのだろうか?

(。)

不思議に思いながらもルフレは立ち上がり、部屋を後にした。

(フィリップさんに話をしに行かないと)

1つ部屋を挟んだ隣。フィリップの部屋。

コンコン、とノックをすればフィリップが出てくる。

「フィリップさん、そろそろ街に行きませんか?良い感じになってますよ。」

ルフレのこの言葉に、フィリップはなんのことかと首を傾げる。

そんな様子にルフレはあちゃ、と困ったような顔をした。そして辺りを見渡し、彼の耳に口を近づける。

「ほら、例の件。” 人間を減らす ” って話……僕が確認してみて、大丈夫そうならフィリップさんも協力してくれるって話したじゃないですか。」

耳打ちをすれば流石に思い出したようで、フィリップはあぁ、と声を漏らした。

……けど減らすって言ったって、僕の能力じゃ人間は減らせないです。」
「あぁ、フィリップさんの武器はグラディエーターさんの部屋の物を少し借りようと思ってるので大丈夫ですよ。」

ルフレはそうにこやかに答える。

フィリップはまだ乗り気ではないようだが、協力すると言った以上頷くことしかできなかった。

「朝はラートさんと鉢合わせる可能性があるので……明日の夜、11時にグラディエーターさんの部屋の前に集まりましょう。なので、今晩はよく眠ってくださいね。」

夜、と聞いて尚更面倒くさそうな顔をするフィリップ。ルフレはあえて見て見ぬ振りして「また明日」と手を振りその場を後にしようとした時。

「ルフレ様、フィリップ様、何をお話されているのですか?」

突然最後から声をかけられた。そこに立っていたのはナーデルだった。

彼女は2人の思考を見越しているように、いたずら好きの子供を見守る母のような笑顔を浮かべた。

……しかしその目は、身体の芯から凍てつきそうなほど、酷く冷たい目だった。

今、一番気づかれたくない人に勘付かれてしまったと、ルフレの頬に冷や汗が伝う。



「別に、何も話してませんよ?」
「言い訳をなさらなくても良いです。全てわかっていますので。」

その言葉にビクリと、ルフレの肩が震える。

「お2人が何をしようと、現状は変わらなかったのですから。」

その言葉に、ルフレとフィリップは疑問を抱く。現状……とはなんの事だろうか。

「ただし、これ以上勝手な行動はおやめください。」

ナーデルは彼らの反応など意に介さず、ただそれだけ注意をする。そしてそのまま立ち去ろうとする彼女を、慌ててルフレが引き止めた。

「ちょっと!現状って……何の話ですか?」
「ルフレ様なら、わかっているでしょう?」

自分なら……

……さっきから2人だけで話進めないでくれませんか?何一つわかっていないんですけど」

フィリップが2人の会話に口を挟む。

ナーデルは彼の言葉にあぁ……と声を漏らした。

「なら、明日の12時に大広間に……いえ、もう玄関に集合でも構いませんね。明日の12時に、玄関にお集まりください。そこで全てを見に行きましょう。」

そうとだけ言って、彼女はその場から去ってしまった。

ルフレは彼女がいなくなった後も、ドッドッと心臓が大きな音を出して脈打っているのがわかった。

(……どうしてわかったんだ?いや、それよりも……どこまで知ってる?)

全て見透かしているような……否、全ての歴史を既に知ってるような……

……ルフレさん、ナーデルさんは何の事を言ってたんですか?」

フィリップの問いかけに、ルフレはハッとする。

……いや、僕にも分からないんです。あの人が……何を考えてるのか……

ただ1つ。ルフレの心の中に生まれたのは、圧倒的な彼女への警戒。

そして

(……”もしも”の時は殺してかまわない)

その決意だった。