三人は外から、轟々と音を立てて燃え上がる小屋を、声もなく見つめていた。
その時、不意に三人の視野が暗転し、ぐらりと世界が歪む。
「っ、なんだ
……視界が揺らぐ
……」
ラートは、だんだんと視界が暗くなる感覚に陥った。
「っ、!?」
「ど、うして
……」
カラベラフィルムとルフレは、その異変がただの疲労や眩暈ではないと悟った。
その感覚は、視界が白く輝く伝承とは真逆だった。
これは──記憶の消失。
本能的に、自分たちが今何か大切なものを確実に失いつつあることに気がついた。
大切なことを──忘れていく。
「
……落ち、ついた
……?」
「
……終わった、のか
……?」
数分後。
あの揺れるような感覚は徐々に薄れ、濁っていた視界が少しずつクリアに戻っていった。
だが、胸に残るこの違和感だけは、どうしても晴れない。
「
……?」
そしていつの間にか、カラベラフィルムの特徴的な帽子は無くなっていた。
彼は頭に何か物足りなくて、「アレ」を形作ろうとする。
しかし、どうにも形にならない。
ただ「確かに何かがあった」という曖昧な記憶だけが、意地悪く頭に残っている。
その時、ラートが呟いた。
「
……俺達はなぜ、燃えている小屋を見ているんだ?」
「なぜって
……あ、れ
……」
ルフレの口からも、言葉にならない声が漏れた。
誰も思い出せなかった。
自分達がなぜこの時代に来たのか。
なぜここにいるのか。
何をしていたのか。
なぜこんなにも、罪悪感と喪失感が心を満たしているのかも。
……何も分からなかった。
ラート、カラベラフィルム、ルフレ、ナーデルの4人はただ歩いていた。どこかを目指していた訳では無い。ただ、歩くだけ。
いつの間にか大きな川にたどり着いた。
その大きな川にルフレは見覚えがあった。
「
……ライン川
……」
フランスとドイツを分断するこの川。自分たちが随分と歩いてきたことがわかった。
「
……」
朝日が登り始め、川の流れがその光を反射している。
少しずつ日は昇る。
ふと後ろを振り向けば、真っ黒に見えた黒い森も薄橙色に照らされていた。
川が燃えているかのように、輝く。
綺麗な朝日のはずなのに、釈然としない気持ちに襲われ続けていた。
(
……何か、忘れている
……こうなるのが嫌だったのに
……)
ルフレは今にも泣き崩れそうになった。
ガシャっ
……
突然なにかが壊れる音が聞こえた。
なにかと思い、音の聞こえた方向を見る。
そこには時辰儀を握りしめ、破壊するナーデルの姿があった。
「っ!?」
咄嗟の事に彼女に声をかける間もなく、ふわりと体が軽くなる。
消え行く視野の隅に、不敵な笑みを浮かべるナーデルが見えた。
そして、突如として
それは嵐のように、容赦なく襲いかかってきた。
地を這うような圧力が三人の身体を押し潰し、思考すらもぎ取っていく。空気が重い。喉の奥が詰まり、呼吸すらままならない。
「ぐっ
……!」
呻き声を漏らしなが彼らは必死に立ち上がろうとする。しかし、手も足もまるで地面に縫い付けられたように動かない。全身が鉛に変わったかのような感覚。まるで大地そのものに呑み込まれていくようだった。
早く起き上がらなければ、その焦燥感が械の思考を支配する。
その時
…
かつ、かつ、と、乾いた足音が静けさを裂いた。
軽やかに、そして優雅に。誰かの歩みが近づいてくる。
(
……まさか
……)
(どうして
……どうして、ナーデルが、歩けているんだ
……?)
思わず械は目を見開いた。
焦りが一気に胸を駆け上がる。
転移直後は身体が動かないのが前提だったはずだ。
ならば、ナーデルがあのとき動けなかったのは─
(演技だったのか)
冷たい汗が背を伝う。
まさか、すべて仕組まれていた?
どこまでが?
自分たちは今、完全に無防備だ。全員が無力な状態で晒されている。
「焦らなくても、どうせ起き上がれないことに変わりはありませんよ」
淡々とした声が響いた。
ナーデルは、まるで舞台に立つ女優のように静かに現れた。微笑すら浮かべながら、変わらぬ口調で言葉を紡ぐ。
「忌まわしき魔女狩り
…あれが消えた今、この世界で女性が意図的に虐げられることはきっと減っていくでしょう」
(
……魔女、狩り
……?)
その言葉に械の思考が一瞬止まる。
聞き馴染みがあるはずなのにそれがなんなのか分からない。
記憶が抜けている。
そんな械の困惑に構わず、ナーデルは続けた。
「魔女という概念を消す、フィリップ様の仕事は終わりました」
「樊凌様とルフレ様の人間に対する憎悪を増やすという、白浪様とグラディエーター様、シアノ様の仕事も」
一つ一つの名前が挙げられるたび、胸が締め付けられる。
そして
…
「フィリップ様を駆り立てる、あなたたちの仕事も
……もう、おしまいです」
時間が止まったような感覚だった。空間が、静寂に閉ざされる。
ナーデルの目がまっすぐに彼らを見つめていた。
「今まで本当にお疲れ様でした。皆様のおかげで、この世界の平和は壊されました。あとは放っておくだけで私の望む世界になります」
淡い笑みを浮かべながら、彼女はまるで祝福を告げるように言った。
明るい未来に胸を高鳴らせる少女のような無垢な笑み。
「だから、無駄なことをしようとするあなたたちは
…
邪魔なんです」
瞬間、声の温度が変わった。
「最後に、抱きしめてあげますね」
彼女が手を開く。
まるで、アイアン・メイデンの扉が開かれるように。
パキッッ
空気がひび割れるような音が響き、地面がうごめき出す。
次の瞬間、何の前触れもなく地面から幾本もの槍のような針が突き上がった。
鋭く、速く、冷たく、無慈悲に
…命を貫くための刃が空を裂く。
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