6話✧自械




翌日、12時。

ルフレとフィリップはナーデルの言う通り、玄関に集まった。

そこには既にラートとカラベラフィルムが待っている。

「あっ、2人とも早いですね。」
「あぁ。」
「12時集合、だと言っていたからな。」

沈黙が流れる。

昨日のことで気まずい上に、盛り上げ役がいない。

ルフレがため息をついた時、カツ、カツっと、聞きなれた足音が聞こえた。

「早速行きましょうか。」

前回と違い、彼女の服装はいつも通りだった。

となれば前回のように、残虐行為をする訳では無いのだろう。

彼女の後ろを歩き、街へと向かう。

……

その間も何一つ会話はない。

「ナーデルさんになんと言われたのか。」と訊いても、「街の現状を見に行く。それだけだ。」と返されるだけ。

それ以上、話が広がらない。

またルフレがため息を吐こうと息を吸った時、なにか嫌な臭いが風に乗ってきた。

「っ……
「なんだ、この臭い……

他の械達も気付いたようで、険しい表情を浮かべる。

(……もうそんな所まで進んだのか……)

この匂いの正体を知っているルフレは、ハンカチで口元を抑える。

そのまま歩いていると、だんだんと臭いは強くなる。

これは……そう、腐肉の焼ける臭い。あるいは、皮脂の酸化によって生じた古い油のような臭い。

胃の中から内容物がせりあがってきそうな程の悪臭が、隙間なく辺りに満ち満ちている。

なんとか足早に森を抜けると、械の目の前に広がったのは地獄絵図だった。

地面には、乾ききった血痕があちこちに広がっている。

至るところに死体が転がっているかと思えば、そのうちの何個かはわずかに蠢いていて。「み”………………ず」なんて声を漏らしては、ぴくり、と跳ねていた。

まるで蛆虫のように。

……すぐそこでは、母親らしき女がすすり泣いていた。手には、小さな肉塊を抱いている。おそらく子供だろう。

全身が真っ赤に染まった「ソレ」は、人の形を留めているのが奇跡といっていいほどの姿をしていた。

皮膚はすべて溶けており、筋肉がむき出しの状態になっていて。

頭には髮らしき髮がなく、代わりに縮れた糸のようなものが飛び出しているし、顔と思しき場所からは、赤黒い目玉が垂れていた。

母親は構わず、体いっぱいに「ソレ」を抱き締めるが、時間が経つ毎に「子供だったもの」が地面に落ちていく。焼けて溶けた体は脆く、ちょっとした衝撃で形が崩れるのだ。

それとともに、溶けた肉の混じった血液がどろりと地を這っていく。

水分量の極端に少ないその液体は母親の周りを囲むばかりで、それ以上は広がらない。

……械達はその様子を、ただ見ていた。

遠くの方からは大人の叫び声や、悲鳴にも似た泣き声が聞こえる。

殺し合いが起きたのだろう。

しかし……それにしてもこの短期間で、ここまでの惨状になるのだろうか?

械達は自分達の知らない何かが人間達を駆り立てているのだと、無意識に察した。

ラートはあまりの悪臭に、袖で鼻と口を覆う。

さすがのフィリップもここまで強い臭いには慣れていないようで、顔を顰めつつ辺りを見渡していた。

……人が焼ける臭いだけじゃないですよ……
「腐敗臭。そして、それを焼いた臭いでしょうね。」

いつもは冷静な彼女も流石に堪えきれないのか、ハンカチで口元を覆いながら話した。

腐敗臭と焼けた臭いが入り混じる中、死体があちこちに転がっている。無理もないことだ。

その中でも、遺族に見つけてもらえた死体だけは、火葬されて供養されているのだろう。あるいは、どうしようもないものだけが、ただ処理のために焼かれているのかもしれない。

その時、近くから甲高い叫び声が聞こえてきた。

もしかすると、この1週間で何が起きたのか知ることが出来るかもしれない。

械達は目を見合わせ、声の方へと走った。

声の方向に少し走れば走るほど臭いは強くなる。それと同時に人々のざわつきも大きくなった。

「あそこだ。」

先頭を走っていたカラベラフィルムの目線の先には広場がある。以前は色とりどりの遊具が置かれ、ファンシーな雰囲気だったその公園も、今では異様な空気に満ちている。

「人だかり…………それと、あれは…………

人だかりの中心。そこには見覚えのあるものが立っていた。

棒に縛り付けられた人間。

それはかつての公開処刑を彷彿とさせた。

そして人々は口々に「殺せ!」と声を荒らげている。

……その中に、ひとつの単語が混ざっていた。

「魔女は殺せ!!」

その言葉に、械は目を丸くする

なぜ彼らが魔女のことを知っているんだ?いやそれより、なぜ魔女を敵として見ている?

魔女、というワードを前に、自然と械達の目線がフィリップに向けられた。

……どうしていきなり……?」

フィリップ自身もどうしてかわかっていないようで、目の前の光景に目を丸くしている。

「フィリップ、この時代の魔女はどんな存在なんだ?」
……魔女は良い存在、として認知されていたはずです。絵本でもそう描かれていました……それに街の人々が今まで魔女に興味を示していたことなんて一度も……

その時、ふと自分の発言を思い出した。

あの日、1人の男に言った言葉。

『この世の全ての悪事は魔女の仕業です。』

フィリップはバッ!っと、ナーデルに視線を向けた。

(人間達からすれば、僕達はナーデルさんに従っていたように見えるはず。ならば……)

ナーデル、という魔女に従う使い魔。

そう見えてもおかしくないはずだ。

……魔女狩りですね。」

ルフレがつぶやく。

そういえば先程からルフレだけは、まるですべてを見通しているかのように冷静だった。

カラベラフィルムは、(やはり……)と、心の中でつぶやく。

彼はひとりで街に現れ、人間を間引いていたのだろう。きっとあのマントの血は

そんな思いをひとまず飲み込み、カラベラフィルムは今の状況を把握すべきだと考え、問いかける。

「魔女狩り……?何故いきなり……
僕達のような想像を超える存在と恐怖、それらを全て魔女のせいにしてるんですよ。」

ルフレはまるで当たり前のことを口にするように、あっさりと言った。

彼の言うとおり、今この世界では中世と同じことが起きていた。

疫病への恐怖が、不作が、全てが魔女のせいだとされ、多くの人々がスケープゴートにされたあの時代。

今この世界では、疫病が械と飢饉に変わっただけだ。

……魔女、とされた人間を殺すことで必要な食料も減らせる。処刑を通じて仲間意識も生まれることで、個々から集団になり安心感も生まれる……

カラベラフィルムがつぶやく。

特定の”敵”ができるというのは、人々を1番団結させるのだ。
そう械達が話している間に、処刑が始まった。

「ひ”ッ、ぃ”、いやだ!!ねぇ!!やめッてよぉッ!!ッ、ッたしッ、わたしは魔女じゃ……!ぁ”、あ”ッ、い”、あ”ぁ”ッ!!い”やだ”ッ、ぃ”やだぁ”ッ!!!!ぁ”あ”ーーッ!!い”だ”、い”、いたい!!」

……人間が知っている処刑方法は、もっとも残酷とされる凌遅刑だけ。

執行人は太ももの付け根から膝にかけての肉を1枚、さらに1枚と削いでいく。

その叫び声は町中に響き渡り、さらなる恐怖と狂気を助長させる。

フィリップは1連の話を聞いて、口を塞いだ。

(……魔女が炙り出されただけ、なのか……?)



初めて、魔女かどうかの判断に疑問を抱いた。

自分の判断に疑問を抱いたことはもちろんない。

だが彼らのような、神の教えも知らない人間に、魔女かどうかの正しい判断はできるのだろうか。

死後の世界を重視するキリスト教にとって、どれだけ苦しめて死に至らせるかは重要視されず、逆に野蛮とされる。だからこそ、跡形も残らず燃やされる火刑が魔女狩りに使われていたのだ。

そんなことさえ知らない彼らの行いはただの殺害だ。

正しく魔女を捌く審問官……その資格を持つ自分が確認すべきだろう。

フィリップはズカズカと人混みの中へと進んだ。

それを見て、械達は目を丸くする。

そして、凌遅刑を行う人間の腕をフィリップが掴んだ。

「告発理由は?」
……こいつが食べ物を盗んだんだ。」

その男の言葉に、磔にされた魔女は首を振る。目からは大量の涙を流し、必死の様相で「ぉ”ねがい”ィ”!!しんじ”で”ェ!!しんじてよォ”ッ!!」と、大声をあげている。

しかしフィリップは、彼女の事を信じる気は全くなかった。

「なるほど。それなら魔女と言われても仕方ないですね。」

そう言うとフィリップは男の手を離し、嫌疑を引き下げた。
しかし、男はそうではなかった。

……お前、魔女の手先だろう?」
「は?」

フィリップは突然の言葉に驚いた。まさか自分が魔女の仲間である疑いをかけられるなんて、微塵も思っていなかったのだ。

「おい、あいつ……さっき魔女に同情したぞ。」 
「目つきも怪しい……見たことない服だ。」 
「魔女の手下じゃないのか?」

人々の視線が変わるのが、フィリップにははっきりと感じられた。好奇から敵意へ。あまりにも迅速かつ速やかに、はっきりとその色を帯びていく。

「誰を魔女の手先だと……?」

フィリップの顔に、明らかな怒りが現れる。

ギラリ、と群衆を睨みつけると、その視線が尚更彼らを焚き付けたらしい。

「やっぱり魔女の仲間だ!処刑しろ!」

それを境に殺気が集まり、より一層の怒号、罵声が飛び交う。

それに焚き付けられるかの如く、執行役が剣を振りかぶった。

「僕を魔女に仕立てるなんて。お前こそ魔女だろう。」

怒りが滲んだ声で吐き捨て、ガベルを鳴らす。その瞬間、執行役の足元がボっ!っと燃え上がった。

突然の現象に、人々はさらにざわつく。

目の前の光景を受け、人々はさらに「やっぱり魔女じゃないか!!」と声を荒らげた。

……敵意は殺意に。殺意はやがて暴力へ。剣を持つものは、次々とそれを構える。

……不幸にも、どうやら彼らは目の前の男が人間でも、ましてや魔女でもなく”械”だということを知らないようだ。

あっという間に、彼らは皆消し炭にされてしまう。

先ほどまで満ちていた怒号はすべて、苦しげな悲鳴へと取って変わった。

……女、子供、男、関係なく。

自分を疑ったもの、ここにいたものは全て魔女だったのだ。

もちろん既に磔にされていた者も例外では無い。

敵の敵は味方ではなく、敵の敵もまた敵なのだ。

消し炭を踏みつけ、フィリップは他の械の元へと戻った。

「全く……これだから魔女は……

低く吐き捨てるその声には明らかに苛立ちが滲んでいた。
カラベラフィルムはふいに、「貴殿も……」と口を開いたものの、慌てて自分の唇を手で塞いだ。

騒ぎを聞きつけたのか、周囲の建物の影から、住人と思しき人々がひっそりと顔を覗かせていた。
その視線には恐怖もあれば、好奇の光もあった。けれど、誰も一歩を踏み出そうとはしない。

械もまた、視線に気づきつつもあえて無視していた。ここで彼らと接触したところで意味は無い。
今、自分たちがすべきことはこの出来事の意味を見極めた上で、これからどう動くかを話し合うことだ。
冷静であろうと努めながら、カラベラフィルムが口を開こうとした。

これからどう……

その言葉を遮るように、ナーデルが一歩、静かに前に出る。

「フィリップ様、それは自分自身への言葉ですか?」

低く、しかしはっきりと放たれたその声は、空気の温度を一瞬で変えた。
空気が凍りつき、誰もが思わず息を止める。

その言葉は、容赦なくフィリップの核心を抉った。

……は?」

フィリップがゆっくりと振り返る。その額には怒気に満ちた青筋が浮かび、今にも怒鳴り声が上がりそうな緊張が走った。

「何言ってるんですか、ナーデルさん。」

このままではフィリップが暴れかねない、そう咄嗟に感じたルフレが慌ててナーデルを止めようとする。しかし彼女は彼の事など見えてないかのように、フィリップに近付いた。
静まり返った空気に、彼女のヒールの音が響く。

「根拠も無く魔女だと決めつけ、判決を下す。あの人間とフィリップ様、何が違うんですか?」
「僕の場合はちゃんとした根拠が……

反論しようとしたフィリップの声に、ナーデルはさらに切り込む。

「疑わしいから、ですよね?言動が、服装が……自分と違えば全て疑わしい。他のものの存在を全て排除しているだけ。」

その言葉は、まるで鋭利な針のようにフィリップの心に突き刺さった。
彼の眉がぴくりと動き、表情が一層強張る。
ナーデルの口調には挑発の色が見え隠れしていた。
それは的確に、フィリップの地雷を踏み抜いている。

「ナーデル殿、なぜそんな事を言う必要がある?」
「だって、真実でしょう?私の言っていることが間違っていないから、他の方も私の発言を流し聞くことが出来ない。フィリップ様も痛いところを突かれているから、そんな顔になっているのでしょう?」

械たちは押し黙った。
ナーデルの言い方には棘があったが、誰もそれを否定できなかった。なぜなら、彼女の言葉は紛れもない事実だったからだ。

沈黙の中、ナーデルは一歩踏み出し、さらに言葉を重ねる。

「あなたが魔女の事を話さなければ、この世界に魔女が広まることは無かった。」

「あなたのせいで魔女が生まれたんです。」

その鋭い一言が、フィリップの心に響く。

「過剰な魔女狩りの歴史と同じように。あなたの存在が魔女を助長している。」

畳みかけるような言葉の応酬は、まるで法廷における反論のようでもあった。

その瞬間、フィリップの表情が一変する。堪えていた怒りが溢れ出すように、フィリップはガベルを構えた。

「うるさい!!」

怒号と共にカンッッ!っと、ガベルが鳴る音が響いた。
まるでその一打で、すべてを黙らせるかのように。

その瞬間、ナーデルの足元が轟々と燃え始めた。

「フィリップ殿!一体何を……!!」

カラベラフィルムは急いで彼女の火を消そうとした。

しかし、それをルフレが止める。

……カラベラフィルムさん、消さなくても良いみたいです。」
「なっ……

目の前の光景に械は目を丸くした。

……な、んで、燃えない……?」

ナーデルの肉体はもちろん、軽やかで簡単に燃えてしまいそうな衣服でさえ燃えていない。ただ熱された鉄のように、真っ赤になっているだけだ。

フィリップは唖然とした。

ナーデルは彼らの様子を嘲笑うかのような笑みを浮かべる。

そのまま彼女は舞うように、ひらりと一回りした。すると簡単に、身体を纏う火が消える。……まるではじめから、火なんて存在しなかったかのように。

……カラベラフィルムのように、人間とは別のもので体ができているのか。あるいは、炎に耐性があるのか。械達は各々、彼女について思考を巡らせる。

しかしどれもパッとしない。

「フィリップ様、わかっているのでしょう?現に、他の械が魔女について知ったのもあなたの影響です。」

ナーデルはさらに一歩踏み込み、遠慮なく核心を突く。

フィリップは、まるで何かを確かめるように、カラベラフィルムとルフレに視線を向けた。
しかし、2人とも何も返さない。

フィリップはゆっくりとラートに視線を変える。
もしかしたら、とわずかな期待を込めて。

だがラートもまた、言葉を探すように口を開きかけて……結局、静かに目を逸らした。

「っ……

胸の奥がひやりと冷える。
ナーデルの言葉は、否応なく的を射ていた。
誰一人として否定できず、何も言えなかったのだ。

フィリップは顔を抑え、息を荒らげる。
感情が、どうしようもなく溢れてきた。怒りなのか、悔しさなのか

その異様な様子に、ルフレが駆け寄る。

「フィリップさん……!」

背中に手を添えようとした瞬間、フィリップはその手を跳ね除けた。

……目に強く、敵意が滲んでいる。

信頼や絆が一瞬で断ち切られたような、深く鋭い視線だった。

ルフレが凍りついたように動けずにいると、ナーデルが静かに歩み寄りフィリップの前に何かを差し出した。

……時、辰儀……?」

フィリップが戸惑いの声を漏らす。

「自分のせいじゃない。そう思いたいのなら、その目で見に行ってみれば良いでしょう?」

ナーデルの声は、それまでの鋭さをすっかり潜め、驚くほどに優しく響いた。
不自然なほどに甘やかな声音。

それはもはや提案ではなく、誘導だった。
現実から目を逸らしたい者にとって、あまりにも都合の良い誘惑。

ナーデルがわざわざ時辰儀を渡すなんて、何か裏があるに決まっている。

「フィリップ殿!それは

カラベラフィルムは咄嗟にフィリップを止めようとした。
だが、その声は届かない。
彼は唯一の可能性に縋るように、時辰儀に手を伸ばした。
ナーデルの誘導に乗ることが危ういと分かっていながらも、自分の存在意義を確かめるために。
あの日、自分が下した数々の“判決”は本当に正しかったのかその答えが、どうしても欲しかった。

そして、指先が金属の器具に触れると、フィリップはそのまま言葉を紡いだ。

「1486年、ドイツに……!!」

わずかに震える声で叫ぶ。

その瞬間、地面に広がっていた血痕が禍々しく、赤く光り始めた。繋がっていた血痕全てが光り、建物の影に隠れていた人間達の足元までもが怪しく光っている。

彼らはすぐさま逃げようとしたが、それは叶わず、械達と共に過去へと転送されてしまったようだ。

……体がふわりとが軽くなる。一瞬だが、身を委ねたくなる心地になった。

しかしそれはすぐさま、地面に叩きつけられるような圧力に取って代わる。

「う”ッ……!」

体内のあらゆる内臓がすべて潰されるような錯覚を覚えるほどにすさまじい圧力。抗う術もなく、械達はまるで地面に縛り付けられているようだった。

……十数分後、少しづつ体が軽くなり、ゆっくりと体を起こす。視野はまだぼやけており、頭もクラクラする。

……ふと、手に生ぬるい粘性のある液体が触れていることに気がついた。

カラベラフィルムはその感触に咄嗟に手を離し、立ち上がった。

揺らぐ視界に頭を抑える。

ゆっくりと目を開けば、肉塊が浮かぶ血溜まりに座り込む械の姿が見えた。

カラベラフィルムに続き、ルフレやラートも立ち上がる。

「なんですかこれ……
「人間、か?」

ルフレとラートが驚きの声を出す。

ラートの言うとおり、ソレは人間だったものだ。

よくみれば、潰れきらなかった肉の欠片や、白くてぶよぶよとした固体などが浮かんでいる。

人類が過去には戻れない理由……それは一説には強力なエネルギーに、体が耐えきれないからだと言われています。実際に、私達が無事なのも人間では無いからです。」

ふと、ナーデルの声が聞こえた。彼女の声は至って普通だったが、やはり彼女にも負担が大きかったようで、未だに血溜まりの中央に座ったままだ。

械達は一様に、辺りを見渡した。周囲はひたすらに暗く、そこかしこに木々が立ち並んでいる。

……満月……それにしては暗いな」



ラートは空を見上げる。どうやら、今は夜らしい。ただでさえ鬱蒼とした森だというのに夜ともなれば、当然それなりには暗いものだが……にしても、かなり暗い部類に違いはなかった。

「フィリップさんは……?」

ルフレが辺りを見渡すと、少し離れた場所でキョロキョロと辺りを見渡すフィリップが見えた。

3人は座ったままのナーデルを横目に、彼の元へと駆け寄る。

「針葉樹……ここは……シュバルツバルト……?」

フィリップがつぶやく。

ラートとルフレはその言葉を聞くなり、近くの木々を見上げた。

「通りで暗いはずですね。」
……しゅばるつ、ばると?」

聞き馴染みのない言葉に、カラベラフィルムは首を傾げる。

「シュバルツバルトはドイツの地名だ。」

この森について知らない彼の問にラートが答える。

フィリップはよりにもよってここに……と、頭を抱えた。

というのも、ここは魔女が集まる、言わばサバトが開かれる場所だという言い伝えがある。実際、鬱蒼とした木々に囲まれ満月でなお薄暗いこの森の雰囲気は、そうした伝承を信じさせるだけの不気味さを持っていた。械達もまた、言い伝えがただの迷信とは思えない空気を肌で感じていた。

…………ひとまず、この森を抜けないと……

大きなため息をつくフィリップの後ろをラート、カラベラフィルム、ルフレがついて行く。

……

「フィリップ。森から出るならこっちだ。」

沈黙が続く中、突然ラートがフィリップが進む方向とは違う方向を指さした。その行動に、3人は首を傾げる。

「ラートさん、この森の道を知っているんですか?」

フィリップが疑いの目でラートを見つめた。

「正確な道は分からないが、何となくこっちな気がする。」
「ラートさんもドイツ出身ですし……なにかこの森と関わりがあるのかもしれませんね。」

今にもガベルを構えそうなフィリップを宥めるように、すかさずルフレがフォローを入れる。

そのまま、3人はラートが指し示した方向へと進んだ。森の中は相変わらず薄暗く、足音と木々のざわめきだけが周囲を満たしている。

……しばらく進んでいると、突然オレンジ色の光がぼんやりと浮かんでいるのが見えた。火焚き火、いや松明だろうか。暗闇の中に、淡く揺れる炎が揺らめいている。

械達は目で合図を交わすと、息を殺して足音を消し、光の方へと静かに近づいていった。慎重に歩を進め、やがて木々の影からそっと覗き込む。
そこには、ぼんやりと橙色の焚き火の灯りに照らされた人影があった。10人ほどの人物が黒いローブを深くかぶり、輪になって何やら小声で語り合っている。火の粉がはらはらと舞い、時折、その顔をかすかに照らすが、誰もがフードの奥に顔を隠し、表情は読み取れない。

その光景を見た瞬間、フィリップの瞳孔が広がる。

(この森での密会……間違いない、あれは……

─確実に魔女だ。

脊髄反射でガベルを構えた。

その瞬間─

「やめろ!!」

鋭い声が森に響いた。
突然、ラートがフィリップの前に飛び出し、そのガベルの前に立ちはだかる。

その声に、人影の集まりも反応した。焚き火を囲んでいたローブ姿の人々が一斉にこちらに視線を向ける。暗がりの中で何人かがわずかに動き、緊張が走る。

フィリップもまた驚きに目を見開き、ラートを見つめていた。

今まで、ラートがフィリップの魔女判決に異を唱えたことは一度もなかった。寡黙ながらも彼はいつも横に立ち、同じ『神に仇なす者』に対して共に戦ってきた。言葉こそ少なくとも、信じ合っていると生き残った械の中で唯一信頼出来ると、そう思っていた。

それなのに……

「どうして、です……?深夜、森での密談なんて、魔女の集まりに決まって……

言葉を詰まらせながら、それでもフィリップは問いかける。その手には未だ、構えられたままのガベルがある。

ラートは、まっすぐにフィリップの瞳を見据え、静かに言った。

「あの人間達は俺の仲間だ。」

……えっ?」
「ラート殿の……?」

ラートの言葉に、械達はさらに目を丸くした。

驚きで固まるフィリップを横目に、ラートはその人間達に近付く。焚き火の明かりが彼の姿を照らし、周囲の空気がさらに張り詰めていった。

その場にいた一人のローブの人物に近づくと、ラートは迷いなく手を伸ばし、その首元にある何かを掴む。そして、相手の抵抗を無視するように、半ば強引にそれを引き剥がした。

「これは自然崇拝者の印だ。」

手にしたのは、金属製の小さなペンダントのようなもの。ラートはそれを掲げ、フィリップ達に見せつけるように振り返った。

火に照らされたそれは、光を反射しキラキラと輝いている。

フィリップは目を見開き、言葉を失った。

自然崇拝者。つまりは絶対なる主に背く物。

魔女だ。

それと、ラートが仲間だと言うのだ。

史実、ドイツでは、キリスト教が広まるまでは自然崇拝が主流だった。その中で生まれたのが車輪刑……ラートだ。

それと同時に……

魔女集会を行っていると罰された者達には、自然崇拝者が多く含まれていた。

キリスト教徒は自然崇拝者達さえも信徒にするため、太陽は神の象徴だと教え、彼らさえも信徒に取り込んだと言われている。
自然崇拝者達を違和感なくキリスト教に呼び込む過程で、車輪刑もキリスト教で使われたのかもしれないが……その真偽は不明だ。

しかし、キリスト教の教義において太陽そのものを神聖視する信仰は、本来認められていない。
そう思えば、ラートの信仰には異教的な要素が混ざっていることは明白だった。

主の名のもとに──
主の教えに従い、異端とされる魔女を裁く。
主以外の神を一切認めない教義のもとに生まれ、長い時を経て発展してきた魔女狩り。
そんなフィリップとラートは根本的な信仰が決定的に違っていた。

「自然、崇拝者……って、それは……

フィリップが呟くように問いかけたその瞬間、口の中で言葉がもつれる。

「あ、れ……?」

混乱が一気に押し寄せる。

それならラートは魔女になるのではないか?

ただ、神に背かない、その言葉だけを鵜呑みにしていたが、彼の“神”は“主だけ”ではなかった。

そうなると──
自分がこれまで“魔女ではない”と信じてきた、他の械達は本当にそうだったのか?
果たして、自分の目と信念は正しかったのか?

熱意に身を投じ、殺し合いにも一切の躊躇いを見せなかったグラディエーター。
八百万の神や仏といった、主とは異なる信仰を当たり前に持つ日本で生まれた白浪。
他人の自死に手を貸し、怠惰に日々を過ごしていたシアノ。

人間を狩りたいと公言したことで魔女と断じた樊凌──
けれど、そう口にしていないだけで、他の者も皆、人間を殺してきたではないか。

魔女のような帽子をかぶるカラベラフィルム。
服装が判断基準になるのなら、シアノのあの不気味なマスクもまた、十分怪しかった。

首が取れるルフレ。
いや、そもそも“異能”と呼ばれる力は誰もが持っている。
自分も、魔女狩りの仲間も、人間には持ち得ない力を使っているというのに。

──ならば、一体「魔女」とは何だ?

自分の中の当たり前に、ヒビが入る音がした。

フィリップはこめかみを押さえ、目を閉じた。
このままでは、何かが壊れてしまいそうだった。

ラートは静かにペンダントを信徒に返すと、フィリップに向き直る。

「フィリップ、貴殿にとって神とはなんだ?」
……何が言いたいんですか……?」
……盲信は信仰の本質を欠かしている。貴殿は一度、これを機に神について考え直すべきだ。」
「っ盲信だなんて……

反論しようとしたが、言葉が出なかった。

けれど、自分の考えが盲信だというのなら。

もしも、間違っていたとしたら──
自分という存在は、何のためにあったのか?

……違う。間違えていない。

それを確信するために、この時代に来たのだから。

フィリップは突然走り出した。
まるで逃げるように、まるで何かに追われるように、暗い森を駆け抜けていく。

魔女狩りは正義だ。

その言葉を聞きたかった。

今のフィリップを形作ったと言っても良い、一人の人間に会いに。
魔女に与える鉄槌──

血塗られた魔女狩りの歴史の火蓋を切った、あの本の作者、ハインリヒ・クラーマーに。