4話✧恢械




翌日の夕方。
樊凌はフライドチキンではなく油淋鶏を片手にシアノの部屋の扉をノックする。程なくして、部屋着姿で眠そうな顔をしたシアノが扉を開けた。

いったいなんの用ですか
「早上好!ちょっと頼み事があるんよ。ひとまずはい、これ」

樊凌は頼み事を聞いてもらう代わりに、と言うように油淋鶏が乗った皿を差し出す。シアノは見慣れないその料理を怪しみながらも皿を受け取り、そのまま部屋の扉を閉めてしまった。
しかし、扉を閉ざされたにもかかわらず、樊凌は笑顔でその場に座り込んだのだ。

他の械にもこうやって頼みに行くつもりですか?」

しばらく待っていると扉越しにシアノの声が聞こえてきた。シアノとの扉越しのやり取りが当たり前になっていた樊凌はそれを気にすることもなく、「ん〜、一応?」と返す。耳を澄ませばカチャカチャと皿とフォークが当たる音が微かに聞こえた。

別に、そんな事しなくても思ってること正直に言えばついてきてくれるでしょ
「あれ?なんや、ボクの言うことわかったん?まだなんも言うとらんのに」
まぁ自分も同じことしましたし

樊凌は目を丸くして驚いた後、喜びの笑みを浮かべる。扉に背をつけて座ったまま、ゆらゆらと体を揺らした。そのまま数分間沈黙が流れる。すると扉が開き、空になった皿を持ったシアノが顔を出した。

ありがとうございました。おかわりは大丈夫です」
「不客气♪」

笑顔でその皿を受け取った樊凌はスキップをしながら、目の前の扉から廊下の外へと行ってしまう。

シアノは彼の背中と自室のベッドを交互に見てしばし悩んだ後、仕方ないとため息を付きいつもの服を着ることにした。白い続服を着て、ベルトをつける。そうしていつもの服装に着替えたシアノは2階に上がった。厨房からは樊凌の鼻歌が聞こえる。
早すぎたな、と呟いた彼はまだ誰もいない談話スペースのソファーに寝転んだ。

しばらくして、いくつもの声にシアノは目を覚ます。いつの間にか談話スペースにはラート、フィリップ、カラベラフィルム、ルフレが集まっていた。背伸びをしながら知らぬ間にかけられていたブランケットをカラベラフィルムに返す。

「あ、起きた。シアノもファンリンさんから話を聞いてここに?」
「直接聞いた訳では無いですけど何となく察して

ルフレからの問いかけをシアノは気だるげに答える。彼が全てを知っている訳では無いことがわかったカラベラフィルムは今の状況をざっと説明した。
というのも樊凌は自身が行われていた時代に戻って確かめたいことがあり、皆を呼んだあとナーデルも呼びに行っていたのだ。
そして今は樊凌とナーデルを待っている状態。

リンリンさんの故郷みんな魔女なんじゃ

フィリップの小さなつぶやきに、(気をつけなければ過去の人間を皆燃やしかねない)と今までとは違う緊張感が走る。

「フィリップ殿、無作為に燃やすのは
「魔女の味方をするつもりですか?」
「!?いや、そういう訳では

カラベラフィルムがフィリップに念の為注意をしようしたが、疑いの目を向けられ思わずたじろいだ。
そんなやり取りをしていたらタタッと階段を駆け上る音が聞こえた。

「抱歉让您久等了〜!デルちゃんやっと説得できたわ!」

軽い足取りで階段を駆け上って談話スペースへとやってきた樊凌。彼の後ろにはやれやれといった顔をしたナーデルがいた。既に他のメンバーが集められているのを見て、尚更困った表情を浮かべる。
2人の様子を見るにかなり強引に説得をしたのだろう。

はぁ本当に頑固な方ばかりで困ってしまいます

そう言いながらナーデルは時辰儀を樊凌に手渡した。彼女は既に止めるのを諦めきっているようだ。
樊凌は時辰儀を受け取りながら談話スペースを見渡す。

「グラちゃんの治療はまだ終わらんの?」
「もうしばらくかかりそうです。」
「ふーん、そうなんかぁ……

今から行こうとする時代は火薬が普及する以前だ。銃さえ無ければ械が致命傷を負うことはまず無いだろう。
とはいえ時代を遡る以上、危険が全く無いとは言いきれない。
そのため樊凌はグラディエーターを待つか否やを決めかねていた。

(信頼してない訳ちゃうけどもしもの事があったら)

樊凌がいつものコンクリートの部屋へと目を向けた時、突然ダダダッ!っとけたたましい足音が聞こえた。

「俺様を忘れているぞ!!!」

そう言ってヒーローさながらの登場をするまさかの出来事にその場にいた全員が驚きの表情を浮かべる。

「私の能力で治療中は起きられないはずですが一体どうやって?」
「ん?こう、意地で起き上がれたぞ!なんだか置いていかれそうな気配がしたからな!」

笑顔で言い切ったグラディエーターにナーデルは頭を抱えた。その隣で樊凌は腹を抱えて笑い出す。

っはは!流石やなぁグラちゃん」

グラディエーターは彼の反応に首を傾げながらもニコニコと笑みを浮かべていた。
ひとしきり笑った樊凌は時辰儀を見つめ、真剣な面持ちになる。

ホンマにみんなついてきてくれるん?」

その表情はどこか不安げで何かを恐れているようだった。2度の時間跳躍で既に危険性はわかっている。しかし、その危険をわかった上で械達は了承していたのだ。

「各々に目標があるのなら、互いに協力し合って全員が目標を叶えるべきだ。」
自分に拒否権ないですし

カラベラフィルムとシアノが立ち上がり、ルフレ、ラート、フィリップがそれに続く。樊凌はふっと微笑みいつもの部屋の前へと立った。

「準備おーけーやで、デルちゃん!」
はぁかしこまりました。」

扉が開けられた暗闇に樊凌は足を踏み込む。そして他の械も次々に闇へと足を踏み入れた。

ギィ、っと扉が軋む音と共に扉が閉められる。完全に扉が閉められたことを音で確認した樊凌は一度深呼吸をした。そして、手の中の時辰儀に念じ始めた。

直後、徐々に械達の体が軽くなり始める。しかし、自重が完全に消えたその瞬間、強烈な反動が全身を襲った。
地面へ叩きつけられたような衝撃が骨まで響く。足元が崩れ、息を呑む間もなく体が無理やり押し付けられた。
明らかに一度目の跳躍とは比にならないほどの強烈な反動に、過去に戻れば戻るほど、反動が大きくなっていることを痛感する。次回以降の時間跳躍は、体が耐えきれ無いかもしれないと械達は強い危機感を抱き始めた。

1分ほど経つと、体に残っていた重圧は徐々に消え、彼らはゆっくりと立ち上がり始めた。筋肉がまだ震え、立ち上がる動作もぎこちない。深呼吸を繰り返しながら、ようやく足元が安定してきた。

「っ、はぁぁびっっくりしたすごい圧力ですね

ルフレは息を切らしながら背伸びをした。
腰を逸らしながら辺りを見渡していたシアノは不思議そうに首を傾げた。

「チャイナタウンにしてはやけに暗いですね

アメリカの照明やネオンであちこちが照らされ煌びやかなチャイナタウンしか知らないシアノは本場の中国の街並みに違和感を抱いていた。
この時代は、彼がいた時代よりも300年以上昔だ。照明はあるものの、夜になればほぼ暗闇に包まれる。人々の話し声があちこちから聞こえてくるにぎやかなこの街でさえ、遠くにぼんやりといくつかの光が浮かぶ程度だ。

「とりあえず裏道に隠れんと。見回りに見つかったら厄介やし

樊凌は周囲を見渡し、適当な裏道を見つけると、ほかの械に手招きした。

裏道に身を潜めた彼らを前に、樊凌は落ちていた木の枝で地面に簡単な当時の中国の地図を描く。他の械たちは、彼の話に耳を傾けながら、月明かりに照らされた地面をじっと見つめた。

「まずは自分たちがどこにいるかを把握せんとな市場にいるのは確かやけど、具体的な地名が分からんと宮殿に行きようがないし
「また班分けして情報収集するんですか?」
「いや、街の位置と方角が分かれば十分。むしろ今回は、みんな一緒の方が迷子にならんで済むわ。」

こうして探索は全員で行うことになった。ただし、目立たないようにするため、カラベラフィルムは小さくなり、シアノのポケットに隠れる。

「今ならちょうど誰もいないぞ。」

外を確認していたグラディエーターが合図を送ると、人間に見つかっても誤魔化せる樊凌が先に裏道を抜けた。
見回りや通行人がいないことを確認した樊凌が手招きすると、残りの6人も静かに裏道を出る。

樊凌を先頭に、械たちは街の探索を始めた。

市場は静まり返っているが、料理店からは灯りが漏れ、笑い声とともに酒の香りが漂っている。妓楼では赤い灯籠が揺れ、艶やかな女たちの甘い声が響く。賭博場からは男たちの怒声が飛び交い、夜の街はまだ活気を失っていなかった。一方、道端では酔いつぶれて倒れる者や、寒さに震える物乞いがうずくまっている。

そんな光景を横目にしながら、械たちは手がかりを探していた。

「リンリン、あれは掲示板か?」

グラディエーターが暗がりの先を指さした。他の械には見えず、目を凝らす。

進んでいくと、開けた道の先に木製の掲示板が見えた。

「本当にあった。グラさん、よく見えてましたね
「はは!このくらい朝飯前だ!」

掲示板には中国語がびっしりと書かれている。読めるのは樊凌だけのため、他の械たちは彼が翻訳してくれるのを待つ。

「我懂了菜市口やったんか
「リンリン、読み終わったか?」
「是的。ここは菜市口っちゅう場所で、一時間もあれば宮殿にたどり着けるわ。あとまぁ関係ないやろうけど、明日公開処刑があるらしい。」

菜市口は宮殿の近くに位置し、多くの人で賑わう市場だ。同時に、処刑場としても知られる場所。

そして明日処刑されるのは、樊凌の記憶にも深く刻まれた人物だった。
それは愛する者を裏切り、不義を働いた男。樊凌が最も嫌う人間。

皇太子の寵愛を受けながらも、彼は名家の娘と関係を持った。それも、皇太子の信頼により去勢を免れていたというのに。
結局、不義は密告され、極刑である凌遅刑が言い渡された。

樊凌はその男のことを思い出し、しばし黙り込んだ。

裏切り者に会う気は欠片もない。彼の目的は、皇太子に会うことだった。

樊凌は顔を上げ、宮殿や城壁の位置を探す。しかし今は真夜中。日が出ていれば10km先からでも見える巨大で豪華絢爛な宮殿も、闇の中では見つけられない。頼れるのは、月明かりだけだ。

「うーんグラちゃん、遠くに大きい建物見えん?」
「大きな建物か

グラディエーターはゆっくりと遠くを見渡す。

月明かりに照らされた夜空をじっと見つめると、うっすらと浮かぶ巨大なシルエットが見えた。
それは白く輝く北極星と、赤く瞬く火星の間に位置している。

目を凝らせば、それが巨大な門と宮殿であることが分かった。

「北東の方角に、大きな建物が見える。この方向だ。」

グラディエーターが指さす方角に、械たちは目を向けた。しかし、どれだけ目を凝らしても彼らには何も見えない。それでも、きっとその先に目的地があるのだろう。

「なら、あっちに行けばええな!」

樊凌はそう言うが早いか、宮殿に向かおうとする。しかし、その肩をラートが軽く叩いた。

「怪しい人間がいる。」

異国の人間は、彼らにとって皆“怪しい存在”ではある。しかし、わざわざ樊凌に伝えたということは、何か重要なことに違いない。

樊凌は戸惑いながらも、直感的にただ事ではないと感じ、ラートの後をついて歩き始めた。

二人が進むと、建物の壁に背を預け、細い裏道をじっと見つめるシアノの姿があった。彼は気づかれぬよう、目を細めて相手の動向をうかがっている。

警戒した様子の彼を見て、樊凌も足音を忍ばせて近づいた。そして、シアノと同じように裏道を覗く。

そこには、二人の女性の姿があった。

ひとりは、地味な羽織を纏いながらも、豪華な髪飾りや羽織の間から覗く美しい漢服が、高貴な身分であることを物語っている。もうひとりも整った顔立ちと上質な衣服を身に着けてはいたが、そこまで格式の高いものではない。裕福な商家の娘、といったところだろうか。

そのとき、高貴な女が娘に袋を手渡した。

娘は袋を開き、中に手を入れる。そして、月明かりに反射する金貨や、金細工の施された首飾りを取り出した。

「賄賂か

いつの間にか近くに来ていたグラディエーターがつぶやく。他の械たちも、樊凌の周囲に集まっていた。

「確実に魔女ですよ。今すぐ有罪判決を

今にも声を上げようとするフィリップを、シアノが慌てて制する。ルフレは人差し指を口に当て、「しーっ」と静かにするよう合図した。

どうにかフィリップをなだめたところで、女たちの話し声が聞こえてきた。

樊凌は息を殺し、耳を澄ませる。

『やっと明日、あいつが処刑されるわ。これで一族は安泰約束通り、あなたを息子の后にしてあげる。』
『恐悦至極に存じます。太皇太后様のお役に立つことが叶いましたならば、これほどの光栄はございません。』
『ほんと、次期皇帝というものが正室も側室も立てず、男色ばかりなんて男に跡継ぎは産めないというのに。』

_その言葉を聞いた瞬間、樊凌の血の気が引いた。

何千年もの間、裏切り者だと思っていた者が、実は真の被害者だったのか。

『太子殿下!奴才は奴才は私通などしておりません!!どうか、信じてください!』

どれだけ肉を削がれようとも、彼は無実を訴え続けていた。その叫びが皇太子に届くことなどないと知りながら、それでも彼は声を枯らして訴え続けた。

やがて、その声は次第に小さくなっていき_

最後に、震える声で呟いた。

『ずっと、お慕い申しております』

それが、彼の最期の言葉だった。

本当の言葉やったんか

樊凌は、その場に崩れ落ちた。

真実の愛であったという安堵。
それなのに引き裂かれてしまったという虚無感。
無実の者を処刑してしまったという罪悪感。

そして

彼らを陥れたあの女たちへの、そして、愛する者の言葉を信じなかった皇太子への、強烈な憎悪と怒り。

このままでは、冷静でいられない。

このままでは、あの女たちを、殺してしまう。



樊凌は一度深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

しかし、もう隠れることすら忘れていた。

彼は、真っ直ぐに女たちのもとへ歩み寄る。
樊凌?」

械たちは、樊凌の突然の行動に驚き、彼を見守っている。
樊凌に気づいた2人の女性は叫び声を上げて逃げようとしたが、瞬時に足の腱を断ち切られ、そのまま倒れ込んだ。
痛みと困惑の中、必死に許しを乞いながら、声を上げて泣き叫ぶ。
逃げられないことを確信した樊凌は、静かに振り返り、械たちの方へと視線を向けた。

「カラちゃん、ちょっと手伝ってや。」

突然名前を呼ばれ、驚きながらもカラベラフィルムはシアノのポケットから地面に飛び降り、周囲の水瓶から水分を吸い取って、その体を元の姿に戻した。
すぐに2人を殺さず、そして拷問の械であるカラベラフィルムを呼んだことから、ルフレとシアノはこれからの展開を何となく察し、静かにその場を離れた。
グラディエーターとラートは、部外者が立ち入らぬよう見守りを始め、フィリップはカラベラフィルムの後をついて行く。

「リンリン、彼女たちに何の疑いが?」
「自分たちの地位を守るために、愛し合う2人を陥れた。さっき言ってた明日処刑される男が被害者。」
「その2人を欺いたのか?」
「是的。せやから、方法と意図を聞き出す手伝いをしてくれへん?拷問はカラちゃんの専門分野やろ?」
「なるほど、了解した。」

カラベラフィルムは静かに頷き、一歩また一歩と目の前の2人に近づく。
樊凌は近くに落ちていた縄で2人を拘束し、その体を固定した。
カラベラフィルムの手には変幻自在に形を変える水の塊が浮かび、その異能力は人間とは思えなかった。
その光景に怯えきった2人の女性は、口をひたすら動かしながら、恐怖と絶望の表情を浮かべる。
彼女たちが感じるその冷徹な視線は、まるで汚物を見下ろすかのように冷たい。

「欺瞞はいけない。善良な者を陥れるなど、尚更だ。」

カラベラフィルムが冷徹な言葉を発する。
その言葉と共に、1滴の水滴が彼女らの顔に落とされた。