ある程度身体を休めた一行は、グラディエーターが戻ってくるであろう本殿前へ向かうことにした。
しかしその足取りは酷く重い。
体が重いのはもちろんだが、沈黙が空気を押し潰すような
…
明らかに、違和感があった。
「
……」
カラベラフィルムとルフレの表情に力がない。いつもなら冷静かつ的確に敵を仕留めていた二人だったが、先ほどの戦いはどこか違った。怒りにも似た感情が彼らの剣を鈍らせていたように感じる。
まるで、感情を発散させるかのように雑だった。
(
…もしかして
…)
樊凌は嫌な想像をしてしまう。
彼らはいずれその事実を言葉にしなければならない。
ならば、今聞いたとしても問題はないはずだ。
しかしカラベラフィルムとルフレの表情を見ていると、どうしても言い出せなかった。
沈黙が続く。
まるで、誰もがその問いを避けようとしているように。
その重い空気をまとったまま、本殿前にたどり着いた。
そこには、見覚えのある剣が突き立っていた。
「
…グラさん、まだ終わらないんですかね。」
フィリップがぽつりと呟く。
「そろそろ終わっていい頃合いだと思うが
……」
ラートは、地面に深く突き刺さったグラディウスをじっと見つめる。その剣がそこにあるということは、グラディエーターの戦いがまだ終わっていないことを意味していた。
「グラちゃん、またあっちの世界に行っとるんかぁ
……」
樊凌が剣の近くに歩み寄り、その柄に手をかける。
「
……抜けるんかな、これ。」
軽く力を入れて引いてみるが、まったく動かない。微動だにしないその剣を見て、フィリップが目を細める。
「変な剣ですね
……」
ただの剣ならば、多少なりとも動くはずだ。しかし、それはまるで地面と一体化しているかのようだった。
すると、暇を持て余していた一行は、試しに剣を抜いてみることにした。
何かしてないと沈黙に押し殺されそうだったのだ。
「ラーちゃん、力任せに引っ張ってみ?」
「
…ふん
……」
ラートが全力で剣を引くが、まるで石に固定されているかのように微動だにしない。
「えぇ、ラーちゃんでも全然抜けんやん!」
「
…グラグラ揺らせばいけませんかね?」
ルフレが剣を揺さぶろうとするが、それでも動かない。
「燃やしてみるのは
……」
「いやいや、さすがのグラディエーターさんでもそれは怒っちゃいますよ」
「
……なら、水で地面を柔らかくしてみたらどうだ?」
カラベラフィルムが静かに提案する。
「!!それや!!」
盛り上がる面々を横目に、フィリップはぼそりと心の中でつぶやいた。
(
……燃やされるよりも泥まみれにされる方が嫌な気が
……)
それでも、カラベラフィルムは剣の柄をしっかりと握る。
「その前に、一度試してみよう。」
そう言って、彼は全力で剣を引っ張った。
スッ
……!!
信じられないほど軽い手応えとともに、剣はするりと地面から抜けた。
「えっ?」
一瞬、誰もが呆気に取られる。
なんと、その剣はいとも簡単に抜けてしまったのだ。
想像以上の軽さに、思いっきり力を込めていたカラベラフィルムは、勢い余ってグラディウスを握ったまま尻もちをついてしまった。
「お前たち、俺のグラディウスで何をしているんだ?」
不意に聞こえた声に、一同が振り返る。
ひょこっと現れたグラディエーターが、地面に座り込んだカラベラフィルムを見下ろしていた。
カラベラフィルムは何が起きたのか分からず、真上のグラディエーターを見つめたまま目を丸くする。
「グラちゃん!!」
「グラディエーターさん!」
彼の帰還に、仲間たちの表情は一瞬で明るくなった。その歓声を受け、グラディエーターもどこか誇らしげな表情を浮かべる。
「その傷、どうしたんだ?」
ラートが彼の胸元を指さした。そこには深い刺し傷が残っている。
「あぁ、これか。能力発動前に一突きされてしまってな! とはいえ、核心の真下でかなりヒヤッとしたぞ!」
まるで些細な出来事のように、グラディエーターは豪快に笑い飛ばした。
心臓を貫かれたというのに、まったく意に介していない様子に、仲間たちは驚きを隠せない。
先ほど、兵士たちが歓声を上げたのは、彼が倒れたと勘違いしたからだったのだと察する。
そのとき、グラディエーターの表情がわずかに曇った。
何かが足りない。いや、誰かがいない。胸の奥に生まれた違和感が、じわじわと広がっていく。
「
……? シアノはどこに行った?」
問いかけた瞬間、空気が凍りついた。
ピクリと仲間たちの肩が揺れる。
視線は互いに交錯し、誰もが言葉を失っていた。
やがて、ゆっくりと、まるで引き寄せられるようにカラベラフィルムへと視線が集まる。
その異様な沈黙に、グラディエーターの胸がざわめいた。
(しまったか?)
かすかな後悔を滲ませながら、彼はそれ以上の言葉を飲み込んだ。
数分の沈黙が流れた。
やがて、意を決したように、カラベラフィルムが口を開く。
「
……シアノ殿は、私に伝承をして、消えてしまった。」
その言葉は重く、静かに響いた。
仲間たちの顔が歪む。
何となく、心の奥で分かってはいた。
だが、こうして明言されると、現実として突きつけられる。
もう彼は、どこにもいないのだと。
彼の最後。
彼が遺したもの。
自分に託してくれたもの。
語らなければならないことは、まだ山ほどある。
(
……私が、伝えなくては)
頭では分かっているのに、上手く声が出ない。
そんなカラベラフィルムを見かねたように、グラディエーターがそっと肩を叩いた。
「無理しなくていい。お前が話したくなったときに話してくれ。」
その優しい言葉に、カラベラフィルムは小さく頷く。
再び、沈黙が深く広がった。
その重い空気の中で、ラートがゆっくりと顔を上げた。
夜空が、驚くほど澄んでいた。
その目に映る星空は、闇に覆われた戦場を少しだけ忘れさせるほどの美しさを持っていた。
ラートにつられるように、他の仲間たちもその視線を空へと向ける。
カラベラフィルムとルフレは、真っ先に目に飛び込んできた白く輝く北極星を見つけ、思わず目を奪われた。
その星はまるで指し示すように輝き、彼らの心の中に、少しだけ希望を灯したかのようだった。
しかし、グラディエーターだけは、そんな清らかな光を見つめることなく、ふっと空から視線を落とした。
彼の瞳に、何か異常なものが映ったのだ。
彼の目に、キラキラと赤い光が映る。
そして
その光は、破裂音と共に、眩い光を放った。
「
…え?」
「っは?」
その光が爆発的に広がり、近くにいたラートとフィリップは、すぐに体が硬直し、息を呑んだ。
咄嗟に2人は目を瞑る。
次の瞬間、突然何かに包まれた。
目を開けば、グラディエーターがラートとフィリップを力いっぱい抱きしめていた。
彼のその温もりと別に、腹部に嫌な温もりを感じる。
ポタっ
…ポタっ
……
血が滴り落ちる音が響き、地面に小さな水たまりを作る。
一滴、また一滴と血が落ちていくその音が、まるで時間が止まったかのように、響き渡った。
「っ、グラ
…?」
パキッ
次の瞬間、嫌な音が聞こえた。
ラートの胸に冷たいものが走る。
「
…核心の真下に、心臓が
…」
その言葉が頭に浮かんだとき、心臓がギュッと締め付けられるような痛みが走った。
恐る恐る、ラートはグラディエーターの背中に手を伸ばす。
彼の背中は、異常な程に熱く硬く感じられた。
初めに触れたのはまるで剣で貫かれたかのように深く、広い傷。
その傷をたどるように、手を動かす。
「
…まさか
…」
ぐちゅ、と生暖かく柔らかいものが、ラートの手に触れた。
その指先に感じたものは、他の部分に比べて明らかに凹んでいる傷。まるで身体が穴のように空いているかのような感覚が伝わってきた。
嫌な温度をした粘性の高い液体がラートの指を伝う。
「グ、グラちゃん
…!?グラちゃん!!しっかりしぃや!!」
その叫びを耳にした樊凌は、愕然とした顔でグラディエーターに駆け寄った。
ラートとフィリップは、目の前の光景に呆然と立ち尽くし、ただその姿を見つめることしかできない。
樊凌がグラディエーターの重さを支えるように腕を回した。
グラディエーターはしっかりと立っているように見えるが、足元は崩れそうで樊凌の支えを求めているように感じられた。
その握った手を必死に樊凌を引き寄せる。
「っ
…はは
…どうやら終わりみたいだ。」
グラディエーターは、いつものように笑顔を浮かべた。
その笑顔が、どこか無理をしているようで、樊凌の胸が締めつけられる。
「っ何言いよるん!!終わりな訳ないやろ!!まだ、手合わせも、し足りんし
…まだ、小白の技、覚えてへんよ
……」
樊凌は涙を流しながら、必死にグラディエーターを見つめた。
その涙は止まらず、顔を伝って落ちていく。
グラディエーターの笑顔が痛いほどに切なく、樊凌はどうしても言葉を返すことができなかった。
「
…はは!そうだったな
…!」
グラディエーターは、笑いながらも両手で樊凌の頭を掴んだ。
その力強さに、樊凌は驚き、痛みを感じたが、同時にどこか温かさを感じた。
頭をぐっと押しつけられたその瞬間、グラディエーターは静かに深呼吸をし、言葉を続けた。
「俺の記憶は、樊凌!お前に託す!」
その瞬間、樊凌の目が光り輝いた。
グラディエーターの言葉が心に深く響き、彼の胸が熱くなる。
伝承をしてしまえばグラディエーターは消えてしまう。樊凌は必死に抵抗しようとした。
「グ、グラちゃん
…!」
「樊凌!!」
グラディエーターの声が、力強く響く。
その声に樊凌は息を呑んだ。
「樊凌。泣くな。お前の強さは肉体だけか?」
その言葉が、樊凌の胸を打つ。
「っえ
…」
その問いに、樊凌は思わず言葉を詰まらせた。
「この俺が見込んだ男は、そんな弱くないはずだぞ。それとも、俺の思い過ごしだったのか?」
その言葉が、樊凌の心にどこまでも深く染み込んだ。
その時、ふっと自分の頭を押さえていた手が離されたことに樊凌は気付いた。今なら、額を離せる。
「
…」
しかし、樊凌は涙を必死に堪え、脳に流れ込んでくる彼の記憶を受け入れた。 そして、最後の記憶。彼の核心が樊凌の記憶に刻まれる。
その時、グラディエーターは微笑みながら、樊凌と額を離し、ふっとその顔に満面の笑みを浮かべた。
「グラちゃん、今まで、ありがとう。」
樊凌の顔には、涙をこらえたままの笑顔が浮かんでいた。
その笑顔が、まるでグラディエーターに返す最後の言葉のようだった。
「っはは!それでこそ俺のライバルだ!!」
グラディエーターは、満面の笑みを浮かべながら拳を突き出した。
ラート、フィリップ、ルフレ、カラベラフィルム、全員がグラディエーターの方を見つめていた。
グラディエーターは、ひとりひとりの顔をしっかりと見据え、最後の瞬間をしっかりと感じ取るように。
最後の別れの挨拶を、静かに心の中で交わしていた。
そして最後に、樊凌は笑顔を浮かべながら、グラディエーターの拳と拳を合わせた。
その瞬間、グラディエーターの身体に何かを断ち切るような音が響き渡る。
ピシッ、と、彼の体全体にヒビが入る音が周囲に響き、瞬時にその姿が崩れ始めた。
グラディエーターの身体が、粉々に砕け散る。
その破片が風に吹かれ、砂のように舞い上がり夜空へと消えていく。
その光景を見守る一同の目に、夜空が静かに映った。
遠くで、火星が燃えるように赤く輝いている。
その赤い光が、グラディエーターの生き様、彼のすべてを象徴しているかのように感じられた。
ラートは、ふと地面に落ちていた石片に手を伸ばした。
その小さな破片を拾い上げ、じっと見つめる。
瞬間、ふっと体が軽くなる感覚がした。
やっと館に帰られるのだ。
その喜びと共に、あと数分早ければ、という虚無感が械達を襲った。
ラートは、手にした石をじっと見つめ、その柔らかな色合いに触れる。
その感触がなぜかグラディエーターの存在をより一層強く感じさせた。
そしてふと気づいた。
先ほどまで赤く染まっていたその右手が、今はきれいになっていることに。
「
…っは
…血すら残らないのか。」
ラートの失笑混じりの声が、無情に静寂の中に響く。
その声が闇に消えていくのと同時に、械達もその世界から姿を消した。
希望と共に2人の仲間を残して
……。
*4話 「恢々」✧ 終*
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