「
…あ、パンがもう無いんだった
……」
フィリップはいつものように厨房で朝食の準備をしようとしていた。昨日、最後のひとつを食べてしまったがそのまま放置していたことを思い出す。
普段ならナーデルが用意してくれるのだが、連日の械の治療で忙しいせいか、食材が徐々に減ってきていた。食事を必要とする械は半数以下とはいえ、ひとり大食漢がいる。それに加えて必要以上に料理を作る者もいるせいで消費が早いのだ。
その本人達に任せようかとも考えたが、今は鍛錬中で話しかけても聞こえないだろう。それに、彼らなら買い物に行くどころかその辺の獣を捕ってきそうな気もする。
仕方なくフィリップは街へ買い物に行くことにした。厨房を出て自室へ戻り、手持ちの金額を確認する。家具を揃えた際にナーデルからもらったお釣り千円ちょっとが残っているだけだった。
「
…まぁ、自分の分だけなら足りるか。」
数枚の硬貨を手に部屋を出ると、ちょうど身支度を終えたルフレと鉢合わせた。
「フィリップさん、おはようございます。その手に持っているのは?」
「コインです。食材が何もないから買い物に行こうと思って。」
フィリップが手のひらの中の硬貨を見せると、ルフレは苦笑いを浮かべた。それで満足のいく買い物ができるとは到底思えない。彼もポケットの中を探り、持ち合わせの現金を確認した。
「それなら、僕もついて行きますよ。ちょっと気晴らしに散歩したい気分でしたし。」
「それなら
…」
「”ルフレさんに任せる”、なんて言わないでくださいよ?」
言おうとした言葉を先に封じられ、フィリップはムッと口をつぐんだ。ルフレはその表情を見て、やっぱり
…と心の中で呟く。
「
…それじゃ、荷物は任せます。」
ぶっきらぼうに言い放つと、フィリップはスタスタと先へ歩いていく。
(
…当たり前のように僕に荷物を持たせたな
……)
そんなことを思いながら、ルフレは彼の後を追った。
「はぁ
…全く、なんでこんなに長いんですか
…」
「まぁ仕方ないですよ。人間に簡単に見つかっちゃいけませんから。」
「
…馬か航空機かあればいいのに
…」
「はは、航空機なら操縦士を連れてこないといけませんね。」
そんな他愛ない会話を交わしながら、2人は森の中を進んでいた。
館を出て30分ほど歩いた頃、前方に森の終わりが見えた。その瞬間、ルフレはふと足を止める。
「あれ、街への道のりって、こんなに短かったですかね
…?」
「言われてみれば
…いつもはもう少し長いような
…」
「僕たちが館に籠っている間に、木々を切ったんでしょうか。」
違和感を覚えつつも、深く考えることなく歩みを再開する。やがて森を抜け、街へと足を踏み入れた。
そこは、いつものように人々の笑顔や楽しそうな話し声があふれる、明るく平和な街_
のはずだった。
「
…フィリップさん
…なんか、雰囲気違くないですか
…?」
ルフレの言葉に、フィリップは静かに街を見渡す。
「前より懐かしい雰囲気ですね。僕はこっちの方が好きです。」
懐かしい。フィリップのその一言が、違和感をより際立たせた。
確かに、目の前に広がる街並みは、以前とはどこか違う。超高層の建築物が見当たらず、並ぶ建物はどれも古めかしい。人々の表情もどこか影を帯び、活気に満ちていたはずの街路が、わずかに沈んで見える。
(変わってる
…? でも、どうして
…?)
ルフレが思考を巡らせていると、フィリップがふと呟いた。
「あ、あの板が無くなってる
… それじゃ、あの中の魔女も消えたんですね。良かった。」
「
…板?」
ルフレはフィリップの視線を追う。かつて大型ビジョンが設置されていた場所には、ただのコンクリート製の建物が残るのみだった。
もう一度辺りを見渡す。やはり以前とは明らかに違う。街全体の時間が巻き戻ったかのような、異質な変化。
「
……。」
ルフレは言葉を失ったまま立ち尽くす。しかし、その傍らで、フィリップはいつも通りの様子で歩き始めた。
「さっさと買い物を終わらせましょう。無駄足になるなんて嫌ですよ。」
何も変わっていないかのように振り返るフィリップ。その表情に、ルフレは思わず目を丸くした。
「無駄足って
… いや、この変化を見つけられた時点で十分収穫じゃ
……。
…まぁ、どうせならもう少し情報を集めてからにしますか
…」
戸惑いを隠せないまま、ルフレはフィリップの隣に並ぶ。
(建物も、人々の様子も、明らかに違う
…。先日の作戦で、大きく歴史が変わったのか
……ナーデルさんが補充をしていないということは、まだこの変化を知らない可能性も
…?)
ルフレは思考を巡らせながら、無意識に周囲の風景を確認する。何か、確実な証拠が欲しい。
「
…あ、けど売ってるものが変わってるのは嫌だな
…」
フィリップがぽつりとこぼす。
「はは、確かに。この時代の料理、美味しいですしね」
ルフレは軽い調子で笑うが、その視線は街のあちこちを無意識に探っていた。
街の空気はどこかよどんでいる。以前のような活気は薄れ、人々の足取りは重く、話し声も抑え気味だ。道端の店の軒先には、どこか古めかしい看板がかかっており、並んでいる品物も以前とは違うものが多い。
(やっぱり
…変わってるな)
ルフレは内心で確信を深める。建物だけではない。ここにいる人々の暮らしそのものが、何か別の時代へと移り変わってしまったような感覚
――。
だが、フィリップはいつも通りの調子だ。
「まずは買い物を済ませましょう。」
フィリップはそう言いながら歩き出す。その言葉は冗談のようでいて、どこか現実的だった。
(
…まぁ、確かに。)
ルフレは少し口元を緩め、隣に並ぶ。
「怪しまれないようにしないとですね。」
ルフレが小声でそう言うと、フィリップは軽く頷く。
そうして2人はいつもの店へと向かった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
買い物を終えた2人は館へと帰っていた。ちょうどその頃、館では4人が扉の修理を終え、ナーデルの能力を隠蔽することに成功していた。
「よし、これでフィリップにバレる心配もないな。」
「プーちゃんだけにはバレたらあかんわ。」
ラートと樊凌の言葉に、カラベラフィルムとシアノも安堵の表情を浮かべる。
ガチャりと玄関が空いた音がした。
「今帰りました〜。あ、シアノ、治療終わったんですね。」
「
…全員で何をしてるんですか?」
ちょうどその時、フィリップとルフレが館に帰ってきた。フィリップは既に4人を怪しんでいる。
「
…フィリップ殿に見つかるとまずいぞ
…」
「是的。ボクに任せといて。」
樊凌がニッと笑うと、素早く2人の方へ駆け寄った。
「買い物行ってくれたん〜? 謝謝〜! ほら! ルーちゃん、荷物代わりに持つで! プーちゃんはボクと一緒に買ったものの仕分けしよ! な!」
そう言うや否や、ルフレの荷物をひょいと取り上げ、フィリップの背中を押して強引に階段を登らせる。カラベラフィルムは彼らを心配そうに見守っていたが、案の定「ちゃうから!!」とフィリップの誤解を解こうとする樊凌の声が響いた。
「
……? ファンリンさん、いきなりどうしたんですか?」
ルフレは不可解そうに首を傾げる。そんな彼に近づいたカラベラフィルムが、小声で切り出した。
「
…色々あってな
… ところでルフレ殿、例の件について話があるのだが。」
「あの部屋のことですか?
…あれ、なんかボロボロですね
…?」
ルフレが指差したのは、木の板で簡易的に補修された不格好な扉だった。以前見た時とは明らかに違うその姿に、ルフレは眉をひそめる。
カラベラフィルムは少し目を逸らしながら、ゆっくりと口を開いた。
「
…あの扉の件も
… 説明しよう
…」
「なるほど。それじゃあ、ナーデルさんに悪意があったわけじゃなかったんですね。」
「あぁ。私達のことを思って黙っていたそうだ。」
「まぁ、大したことなくて一安心ですね
… 扉を除いて、ですけど
……」
事の経緯を聞いたルフレは苦笑を浮かべる。しかし、ふと自分も話さなければならないことがあったことを思い出した。
「そうだ、僕も皆さんに伝えなきゃいけないことがあるんです。ナーデルさんを呼んできますので、カラベラフィルムさんはラートさんとシアノと先に2階に行っててください。」
カラベラフィルムは一瞬疑問に思ったが、ルフレの真剣な表情を見て頷く。そして、言われた通りラートとシアノと共に階段を登った。
5人が談話スペースに座って数分後。
ルフレと共にナーデルが階段を登ってきた。ナーデルもイスに腰掛け、ルフレは静かに口を開く。
「単刀直入に言うと
……なんというか、街の様子がおかしいんです。以前より殺風景で、人間たちの表情もどこか暗いんですよ。」
ルフレの話に、談話スペースがざわつく。
「街の雰囲気がそんなすぐに変わるなんてこと、あるのか?」
「もしかして、こないだの作戦が影響したのか
…?」
憶測が飛び交い、みな落ち着かない様子を見せる。しかし、そんな中でナーデルだけは何かを思い出したように、ハッとした表情を浮かべた。
そして突然立ち上がると、そのまま自室へ向かう。
「
……え? 何?」
「まさか、本当に悪い変化があるん
……?」
不安げに身構える仲間たち。しかし、まもなくしてナーデルは本を一冊手にし、落ち着いた表情で戻ってきた。
イスに座ると、手際よくページをめくる。静まり返る談話スペースの中、彼女は目的のページに辿り着くと、そこに記された文章をざっと目を通した。
「なるほど
……ここまで
…」
ナーデルの小さなつぶやきに、みなが不安そうに顔を見合わせる。しかし、次の瞬間、ナーデルはふっと微笑んだ。
「前回の作戦の影響で、第三次世界大戦は開戦早々に終わったようです。敗因の原因は、鉱物を中心とした資源不足。」
「
…ってことは
……作戦成功、ってこと?」
樊凌が目を輝かせる。ナーデルは微笑みながら頷いた。
「樊凌様の言う通り。狙い通り、被害の縮小に成功しました。」
その言葉に、張り詰めていた空気がふっと和らいだ。
みなの表情が明るくなる。やっと、やっと、作戦が成功したのだ。
ナーデルは続けて、この世界で何が起こり、なぜ変化したのかを語り始めた。
「確かに、第三次世界大戦は早期に終結しました。しかし、資源不足はさらに深刻化し、土地を巡る小規模な争いが各地で勃発。兵器を製造する資源すら足りず、代わりに人的資源、つまり国民を駒として扱う戦争が増え始めたのです。
そして、そのような争いを何世紀も繰り返した結果、人類は衰退してしまったのです。」
ナーデルの説明を聞いたものの、他の械たちは今ひとつ状況を飲み込めていない様子だった。その反応を見たナーデルは、もう少し分かりやすく説明すべきかと考える。そして、少し言葉を選びながら改めて口を開いた。
「
…端的に言うと、この世界はまだ完全な平和には至っていません。今なら、平和を壊す隙がある。」
その言葉を聞いた瞬間、ようやく事態を理解した仲間たちは再度、歓喜の声を上げた。
「やった
…!」
「つまり、まだ希望はあるってことやんな!」
ナーデルも微笑みながら、本をパラパラとめくる。
「具体的な今後の動きについては、グラディエーター様の治療が終わった2日後に話し合いましょう。その間、私もこの変化の詳細を調査します。皆さんは、一週間ほどしっかり休息をとってください。」
そう言い残すと、ナーデルは足早に階段を降りていった。
「っはぁ
…やっとですね〜」
ルフレは安堵の笑みを浮かべながら、背もたれにもたれかかる。樊凌は嬉しそうに体を揺らし、カラベラフィルムもどこか満足げな表情を浮かべていた。
しかし、そんな空気を破るように、ラートがふと口を開いた。
「
…だが、今の人間たちが敵意を思い出したとして、それは本当に広がるのか?」
突然の疑問に、場の視線がラートへと集まる。
「ラーちゃん、どういうこと?」
樊凌が首をかしげる。ラートは少し考えながら、慎重に言葉を紡いだ。
「俺たちが思い出させようとしているのは、負の感情や敵意だろう? だが、それらは基本的に何かを奪い合うことで生まれるものだ。しかし、ナーデルの話を聞く限り、今の人間たちは奪い合うほどの資源を持っていない。」
「
……取り合うものがなければ、争いも起きないってことですか
……?」
ルフレがつぶやく。
もしも人間たちの本質が昔と変わらないのならば、物欲や闘争本能もまだ残っている可能性が高い。
しかし、金や地位をちらつかせたところで、この世界の人々なそもそもその価値を知らないのだ。
ならば果たして悪意を煽ることは可能なのか?
ナーデルの言う通り、この世界の現状をもっと詳しく調べる必要がある_械たちはそう痛感した。
だが、今は休息が優先だ。
「
…一度この話は忘れましょう! せっかくの休みなんですから!」
ルフレがパチンと手を叩き、場の雰囲気を切り替えるように明るく言った。そして、誰よりも早く椅子から立ち上がる。
「俺も外に出るか。」
「
…自分も部屋に戻ります
…眠い
…」
ラートとシアノも続き、それぞれが思い思いの場所へと向かっていく。
ラートとカラベラフィルムは外へ。フィリップ、ルフレ、シアノの3人は自室へと戻っていった。
やっと訪れた休息の時間。それぞれが束の間の自由を楽しむように、館の中は静かになっていった。
そして1人。
樊凌は自室ではなく隣部屋にいた。
…白浪の部屋だ。
何をする訳でもなく、彼の面影を偲ぶようにただ部屋を見渡す。
彼の心地の良い体温も、ハツラツとした声も、陽の光のように明るい笑顔ももう存在しない。
彼のベッドに座れば、またいつものように彼が膝の上に座ってきてくれるような気がした。
しかし、軽いままの脚は冷えきっている。
きっと今なら白浪の低い体温でもとても暖かく感じるのだろう、そんなことを考えながら樊凌は背を丸めた。
『ずっと一緒にいる魔法の言葉』
2人を繋ぐはずのおまじないは、今ではただの戯言になってしまった。
「
…白白
…ボクら、やっと進めたで
…」
白浪に教えるように樊凌は潤んだ声でそう呟く。
(
…せやけど、小白がおらんのやったら
…)
先日グラディエーターに喝を入れられてからもずっと樊凌は白浪のことを考えていた。たとえ彼が自分のことを恨んでいないとしてもこの罪悪感が消えることは無い。
自分達の目標が叶いつつある現状を喜ぶ一方で、彼の死にどれだけの意味があったのか、あの時自分が別の行動をしていれば全員でこの喜びを分かち合えたのではないかと後悔していた。
きっと白浪も暗い自分など見たくない、こんな姿兄として格好悪い。そう思って皆の前ではいつも通りに振舞っているがやはり1人になればそのスイッチも消えてしまう。
グラディエーターと手合わせをしている最中だけは気を紛らわせることが出来たがその彼も今は治療中だ。
どうすればこの心の穴が埋められるのか、そもそもこの感情の正体は何なのか。
孤独感、罪悪感、怒り、悲しみ
…全て当てはまっているようで全てズレているような気もする。
「
…ボクにはなんもわからんわ
…」
樊凌はそのままベッドの上でうずくまった。
『___』
目をつぶった彼の脳裏に1つの声が浮かぶ。
その声に耳を傾ければ、奥底に眠っていた記憶が次々に思い出された。
どうして”彼ら”のことを今になって思い出したかは分からない。樊凌の理性はよりにもよってあいつらに関係なんかないと言っているのに、本能は彼らに会えばこの感情の正体を突き止めることが出来ると言っていた。
「
…行ってみる価値はあるかもしれん
…」
樊凌は顔を上げ、立ち上がる。「再见」と呟いて彼は白浪の部屋の扉を開き、自室へと戻った。
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