さもゆ
2024-12-10 03:42:48
82844文字
Public 吸死
 

【ヒヨロナ】ロナルドと永遠のきょうだい

弟を亡くした吸血鬼に弟認定されてしまった退治人と、その周囲の話。
※自我と名前のある吸血鬼兄弟と女性がガッツリ出る。話のメインまである
※捏造過多
※ロくんの本名有

2024.9.18 たべものpixiv投稿作品


「じゃ、質問じゃ。あなたが捜しているのは、あなたの父親?」
「いいえ」
「祖父?」
「はい」
「弟?」
「正解です」
「兄?」
「違います」
「いま、瞳孔が少し開いたな。兄か?」
「祖母です」
「兄じゃな。何じゃ、簡単じゃ。神経の細かな動きまでは制御されとらんらしい。もっと早くにこうしときゃ良かった」
 ヒヨシは脱力して椅子に深くもたれた。

 山田家のリビングで、ヒヨシは山田親子と対面していた。
 テーブルの上には紙が散らばり、紙には『親』『息子』『叔父』『母』『妹』など身内を表す単語が書き殴られている。これはヒヨシが質問し、山田次郎に紙面上で答えさせようとした成果だった。筆記でも真実を話せないらしいことを確かめ、携帯や、辞書の単語を使ってもみたが、どれも失敗。仕草でも正解を導くものは制御され、最終的に、辛抱強く、一番無いだろうと思った方法を試したら、ようやくそれが当たりだった。
「次郎さんが探しとるのは、アンタの兄じゃ」
「いいえ」
 口の動きは操られているように動いたが、瞳の収縮は誤魔化せていなかった。ヒヨシは簡単だと言ったが、常人なら気づけない幽かな変化だ。
「また拡がった。まあそれも嘘なんかもしれんが、一旦、兄ということにしとこう」
「ほ、本当に?」次郎の隣に座っていた花子が、次郎の腕を掴んで声を上げた。「本当に、お兄さんなの? 父さんには、お兄さんがいたの?」
「ううん」
 花子はじっと養父の目を見つめたが、「あたしじゃ分からない……」と目を眇めた。「お兄さん、お兄さん、そっか、お兄さんだったの。ということは、……あたしの伯父さんってこと?」
「違うよ」
 花子が、あっと声を上げる。ヒヨシにも見えた。次郎の薄い色の瞳孔に、赤が広がっていく。じわじわと薄く、濃く、呪いじみた能力の制御を押しのけ、脳神経から感情を滲ませている。
 やがて左目は完全に赤色となり、右目は薄紫に留まった。ぱち、次郎が瞬きする。花子が次郎に抱きつき、「お兄さんなんだ!」と涙混じりに叫んだ。「やった、ようやくよ! ようやく、父さんの大切なひとが誰か分かった……!」 
「は、花子。人前でよしなさい」
「あたしが日本人じゃなかったらハグどころかキスしてるわよ! ご近所中に言いふらしてる!」
「やめなさい」
 口では咎めつつも、はしゃぐ娘を引き剥がしたりはせず、やんわり背中を撫でる次郎は、しかし、娘に反して浮かない顔をしていた。兄ではないのだろうか。ヒヨシはすっかり、山田親子と会ったこの二週間近くで、次郎を注意深く観察する癖がついてしまっていた。
 そう、二週間。
 いつの間にか八月も終わろうとしている。ヒヨシには通常業務もあるし、それはロナルドやドラルクも同じだ、情報収集の進捗は思わしくなく、二週間かけても、誰を探しているのかをようやく掴めた程度なのだ。この調子じゃ、探して見つけ出すまでに二年はかかるかもしれない。二年で済めばいいが。二十年か?
「ヒヨシさん、本当にありがとう」
 ぐすり、花子が次郎の腕に縋りつつも、涙に濡れた顔をヒヨシに向けた。
「あたし、このひとに大切なひとがいるって知ったときから、ずっとずっと誰なのか気になっていたの。だってそうでしょう、ずっとよ、ずっと、父さんは夜が来るたびに誰かを探してた」
「さ、探してないっ」
「行動ではね。でも、いつも誰かを懐かしんでた。諦めて、見つかりっこないって言って、いつまでも自分ひとりだけ、思い出を抱えて。そんなの、有り得ないでしょう。今は令和よ、平和で、戦争もない。文化も発展してる。父さんは決して、そのひとに対して死んだとは言わなかった。だから絶対、絶対にあたしが見つけてやるって啖呵切って……
「それで行方不明届を?」
「ええ、そうです。父さんの真似をして、でたらめをたくさん言ったわ。どれかひとつでも真実が混ざってると信じてた。お兄さんだったなんて……見た目も、日本の吸血鬼の特徴を載せただけなんです。性別だってアミダクジよ。実際はどんな姿なのか……
「名前を三回唱える、と言うのは?」
「それはね、きっと本当なんです。ね、父さん」
 次郎は娘にそっと促され、静かに言った。「……三回続けて名前を呼ぶと、助けてくれるんです」
 
 ヒヨシはそれを聞き、約一週間前、弟の事務所で聞いたドラルクの言葉を思い出す。
 
……災いを呼ぶのではなくて?」
 次郎の目が見開かれた。
 薄紫だった右目が真っ赤に染まる。ガタンッ、椅子を鳴らして立ち上がり、「あいつはそんなことしな……ッ」と言いかけ、ひゅ、と喉から不安な音を鳴らした。間髪容れず激しく咳き込み、口を押えた手から血が溢れテーブルに落ちていく。
「父さん!」
 花子はすぐさま次郎の体を支え、背中をさすると、「ヒヨシさん。ご、ごめんなさい。こうなると長いの。今日は、もう……」と慣れた手際でふらつく次郎を楽な体勢へと誘導させた。「今日は本当にありがとう。また会ってくださる?」
「もちろんです。ようやく少し、分かっただけですから。今日は、これで」
「玄関までお見送りできなくてごめんなさい」
「とんでもない。お大事になさってください。それから、戸締りも忘れずに。では」
 ヒヨシはリビングを抜け、廊下に出た。そして、次郎を観察した結果得られた予想に、また会えるかは分からんな、と思った。

 おそらく次郎は、行方不明者の真相に辿り着かれることを、良しとしていない。
 
 

 五



 時は少し遡る。
 ヒヨシが山田家のリビングで輪郭を得たパズルを組み立て始めるより、何日か前だ。

 ロナルドが町に湧いた下等吸血鬼を叩いている最中、「よっ」と、下等吸血鬼を踏み潰して降り立つ影があった。
 地面を草履で踏み擦り、乱れた和装を直している少年の姿をした吸血鬼。
「タロウ!」
 ロナルドは襲い掛かってきた下等吸血鬼をぶん殴りながら、その吸血鬼の名前を呼んだ。「何でここに! またスプレー壊れたのか?」
「いやさすがに。僕が厳重に管理してるからもうあんなヘマはしねえよ」
 タロウは理性のない下等吸血鬼の群れを避けながら、「この間の続き。また案内してもらおうと思って」と飄々と言った。
「今!?」ドカッ、横から飛んできた群れを叩きのめしながら叫ぶ。
「むしろ、今だろ。カッコいいロナルド様を見れる機会だ。いい時間に来れて良かったよ」
「ぐう……! おだてても、何も、出ねえから、な!」
 言いながら敵を殴り、蹴り、ぶん投げ、撃つ。タロウは加勢も邪魔もせず、時々自分の方に飛んできた輩を躱しては、ロナルドとつかず離れずの位置で一帯の下等吸血鬼がすべて塵と化す様を黙って眺めていた。
 今回はVRCからの回収要請が無かったので、力加減をしなくていい分、比較的楽な退治だったと言える。数は多かったが、ギルドに連絡が行く前に終わらすことができた。最後の一匹を倒したロナルドは、銃をしまい、帽子を被り直して、改めてタロウと向き直った。
「怪我してねえか?」
……そいつぁ僕に訊いてんのか?」
「念のためだよ。お前は強いんだろうけど、巻き添えを食う場合だってある。そうなりゃ責任問題だ。怪我は?」
……ねえよ。お前は?」
「血のにおい、するか?」
「念のためだろ」タロウはニヤッと笑って言った。「初めて会ったときも思ったが、お前相当戦えるだろ。だから退治人やってんのか?」
「俺なんてまだまだだ」ロナルドは答え、今夜のパトロールを続けるために歩き始めた。「それに、逆だよ。強くなりたいから、退治人やってる」
「ふうん」そのロナルドの斜め後ろを着いて歩きながら、タロウがまた疑問を投げかける。「でもお前、頑丈じゃないか。それだけで充分だと思うけどな。何で強くなりたいんだ?」
「そりゃまあ、頑丈だけど。病気も滅多にしないし、怪我も平気だ。けどそれだけじゃ、……いざって時に、守れない。憧れのひともいるし。だからもっともっと強くなりたい」
「憧れのひと?」
「吸血鬼退治人レッド・バレット」
 ロナルドの口許が自然、綻ぶ。夜空を見上げた瞳に星の輝きが宿る。その名前を口にするだけで、血液の熱さを感じ、全身に力が漲る感覚すらあった。ロナルドの一番尊敬しているひと、ずっとずっと目指している道しるべ。いつまでも、どこまでも遠くにあるのに、ロナルドの行く道を太陽のように眩しく照らし出してくれる、永遠の憧れ。
「俺はいつか、レッド・バレットみたいに誰かを助けたいんだ。悪い吸血鬼を倒して、困っているひとたちを助けたい。それでいつか、本当にそんな存在になれたときには、」
「なれたときには?」
……兄貴に、少しでも、頼りにされたい」きらきらと輝く夜空から、地面へと視線を落とした。「まあ、こんな欲持ってちゃ、ちっとも憧れには近づけねえんだろうけど……
 兄に認めてもらいたい。
 それはロナルドの中で最も醜い承認欲求だとロナルドは思っている。
 おこがましく、身の程知らずで、断罪にも値する。
 兄のヒヨシは、ロナルドにとってこの世で一番、強く、優しく、清らかで、そして誰より頼もしい。
 弱くて不器用でおまけに軟派な顔に見られる自分とは、何もかもが違う。そして自分は、頼りにならない。頼りになれない。これは今に始まったことじゃない。昔っから、そうだった。
 ロナルドがその昔──たとえば、周りの大人から言われていた“一番上のお兄ちゃんみたいに、しっかり妹のことを見てあげるのよ”だとか“そんな怪我ぐらいで泣かないの。あなたは大丈夫でしょ。もっとしっかりしなさい”だとか“もっと大きくなって、お兄さんを助けてあげてね”だとか。そういう、親切じみた(実際にロナルドは親切心だと思っている)言葉たち──をいくつか思い出しかけ、鼻の奥がツンと痛んだが、ぐっと堪えようと眉根を寄せる。泣き虫なところも、本当に格好悪い。こういう甘ったれなところも、兄とは程遠いだろう。
 兄のようになりたいが、なれるとは、思っていないのだ。
 ずっとずっと憧れ。せめて憧れて、近づこうと足掻くことだけは赦されたい。その一心で、ロナルドはこうして赤い衣装を身に纏っている。
「兄のことが大好きなんだな」
 と斜め後ろから飛んできた声に、揶揄いは感じられなかった。意地を張りたいような第三者もいない。ロナルドは眉間の皺を解いて言った。
「ああ。大好きだぜ。俺のたった一人のお兄ちゃんだもん」
「いいな」
 後ろの吸血鬼が、その言葉を一体どんな表情で言ったのか気になって、ロナルドは立ち止まって振り返った。
 タロウはただ、真っ直ぐロナルドを見つめていた。
 街灯の途切れた場所で、夜目の利かない人間の目じゃ、赤く揺らめく瞳の形しか分からない。
「俺には、弟がいたよ。五百年は、前だがね」
 笑んではいなかった。
……亡くなったって言ってた?」
「そう。とびきり優しいやつだった。体が弱くて、目もあんまり良くなかった。雪みたいな色をしてるくせ、夜がよく似合ってた……
……うん」
「弱いくせに、俺を頼ろうとはしないやつでね。頑固で、意志だけは強かった。死んだ時も、俺に助けを求めれば、俺の名を呼べば、どこにいたって絶対に駆けつけてやったのに。あいつはそれをしなかった」
「うん」
「なあ、坊主。俺の名前を知ってるか?」
「タロウだろ」
「そうじゃねえ」赤が隠れる。下りた瞼は中々上がらない。「……やっぱり、駄目なのかな。俺はもう、あいつに会えねえのかな」
「生まれ変わりを、探してるって?」
「ああ。でも、どうだろうな。吸血鬼には輪廻の輪なんて無いんだ。ただあいつは、半分人間で ・・・・・、心の綺麗なやつだったから」
……俺じゃないよ」ロナルドはそっと、囁くように言った。そうしなければ、夜の切れ目から雫が溢れてしまうんじゃないかと思った。「生まれ変わりがあるとしても、きっと俺は、あんたの弟じゃない」
「そうかな。そうだな……」でも、とタロウは言う。「あいつも、最初はそうだったんだ。俺の弟なんかじゃなかった。何の繋がりもない、ただのひとりの人間だったんだ。だから、なあ。ロナルド」
「なに」
 瞼が開く。血の色の瞳が露わになる。どうやらそれが吸血鬼の涙の色だった。ゆらゆら揺らめき、けれどもやはり零れはしない。タロウが泣きそうな顔で笑って言った。
「俺のこと、兄貴って呼んでみねえか? ……なんてな。冗談だぜ」
 ロナルドは口を開き、閉じて、ぴったりくっついて離れてしまわないうちに、「あにき」と呟いていた。完全に意識の外の動きだった。
 舌が罪悪感と違和感で戸惑い、それ以上何も告げなくなる。あにき。兄貴って。なんて酷いことを言ってしまったんだろう。
 タロウはロナルドの兄ではなく、ロナルドはタロウの弟ではない。なのに、兄と呼んでしまった。そんなの、タロウの弟に申し訳ない。だってタロウは、ロナルドが想像できない五百年という長い年月もの間、ずっと死んでしまった弟のことを想って生きてきたのだろう。本当にあるのか分からない生まれ変わりを望むほどに。そこまで想われている弟は、絶対に自分ではないのに、彼の弟を差し置いて彼を兄と呼んでしまっただなんて。
「ご、……めん」
 ロナルドはつっかえながら何とか謝罪を口にした。本当に自分の意思でタロウを兄貴と呼んだのか分からなくなり、ふと体が強張って、半歩後ろに下がった。「おまえの、弟さんに、悪いことした。ごめん。そんな呼ぶつもりじゃなくって、」
「本当に優しいやつだな、お前」
 タロウが半歩分の距離を一歩、二歩と詰める。「自分の兄貴には、悪いとは思わねえのか」ようやく街灯に照らされた姿は、相変わらず子どもの姿だったが、ロナルドには途方もなく大きな存在のように思えた。
「え?」
「お前の兄貴は生きてんだろ。ほかのやつを兄呼ばわりなんかして、嫌がるんじゃねえのかい」
「それは、……ないと、思う。だって、」
「だって?」
「だって兄貴の一番は俺じゃねえもん」
 一番の憧れ。一番の夢。一番の兄。
 ロナルドにとってヒヨシは一番だったが、ヒヨシにとってロナルドがそうであるかと言うと、そんなことはないのだった。ロナルドは、自分はちゃんと分かっている、と思っている。分かっている。ヒヨシにとって、一番守りたい存在は妹のヒマリであるし、それはロナルドだって同じだ。兄弟はしっかりと、妹を守らなければならない。小さいころから、周りによく言われてきた。“妹さんは女の子なんだから一番大事にしてあげないと”
「一番可愛いのは妹だし、一番か弱いのも妹だ、一番賢いのも。俺は放っといたって自分で何とかできるし、……だからって一番強いわけじゃないから、兄ちゃんにとっての俺はそんなに……いちばん大切な弟ってわけじゃ、ないと思う」
「出来の悪い弟だって?」
「うん」
「そっか。勿体ねえ」赤い瞳が真っ直ぐ見上げてくる。「ならやっぱり、ちょっとぐらい分けてもらっても、いいだろ。俺のことをさ、戯れでもいいんだ、兄と呼んでくれたら……。寂しいんだ、俺。もうずっと。ずっと、名を呼ばれるのを待ってんだ」
……タロウ」
「さっきみたいに呼んでくれよ。いいだろ。年寄りの耄碌に付き合うと思ってさ」
「あにき」ロナルドは今度は、はっきりと自分の意思でそう呼んだ。「……兄ちゃん。兄さん。タロウ兄、お兄様、兄上……」 
「選ばせてくれんのか? ……兄さんがいいな」
……兄さん」
 唇に馴染まない呼び方は、されど、目の前の膨大な夜の寂しさを集めた吸血鬼の表情を和らげるに値するものだったらしい。タロウは微笑み「頑丈な弟ってのも、いいもんだな」とロナルドの胸に握った拳を当て、そこに額を押しつけた。小さな背中で、細い肩で、そしてどうしようもなく、体温が低くて、もしかしたらずっとずっと、この姿で、彼の弟と出会ったころの姿で、自分の弟を探していたのかもしれない、と思うと、ロナルドは堪らず泣きそうになり、ぐすっと啜って、「俺で良ければ」と弱々しく言っていた。「兄さんって呼ぶぐらい、お安い御用だ。減るもんじゃねえし」そう、減るもんじゃない。
 だってヒヨシは、ロナルドのことなんか、きっとあんまり、どうだっていいんだから。
 ロナルドが誰を兄と呼ぼうが、きっと。
 まだ一番の弟になんか、到底なれっこないのだから、ひょっとすると兄貴と呼ばれるのも、本当は嫌なのかもしれない。
……兄さん。もう行くぞ。パトロールの続きしなきゃ」
 ロナルドの肩よりも低い位置にある背中を一度だけ、抱きしめるように叩いてから、踵を返す。鼻の奥で、ふわりとお香のにおいが広がる。後ろのタロウは「正義感のある弟だな、ほんと」と言って笑って着いてきた。
 こうしてパトロールの間中、ロナルドはタロウのことを兄さんと呼び、彼がそろそろ寺に帰ると言えば、またな兄さん、と手を振って見送った。事務所に帰ってきて、ああ、普通にパトロールをしてしまった、と気づいて落ち込む。ヒヨシの助けになれなかった。今日は町のおポンチ共を片っ端から捕まえて、引き続き“誰も名前を言えない吸血鬼”の情報を集めようと思っていたのに。
 ヒヨシの訪問があってから数日、これと言ってめぼしい情報は入っていない。最低だ。こんなだから、いつもいつも迷惑ばかりかけて、肝心な時にひとつも頼りになれないお荷物になってしまうのだ。ドラルクの方はどうだろう? 仕事の忙しい彼の母に連絡を取ったとは言っていたが、返事はまだのようだった。彼と、彼の母なら、きっとヒヨシの役に立つだろう。ドラルクはあんなでもれっきとした高等吸血鬼だ、そして彼の母は、吸血鬼の弁護士。息子のために人間と吸血鬼の橋渡し役を務めている立派な吸血鬼だ。ヒヨシの知りたいことに、少しでも近づけるに決まっている。

……ただいま」

 ロナルドは事務所に入って、帽子をメビヤツに預けながら声を落とした。ソファからお帰り、とドラルクの声が飛んでくる。あまりそちらの方へ、視線を向けられそうになかった。
「どうだった、パトロール。ポンチ共は何か知っていたかね」
「いや、……訊けなかった。途中、兄さんに会って」
「お兄さん? 何か進捗が?」
「あっいや、」しまった、ロナルドは明確にそう思って(だけれどそれが何だと言うのだろう、ドラルクにとってもロナルドが誰を兄と呼ぼうがどうでもいいはずだ)ドラルクの座るソファの横を足早に通り抜けようとした。「何でもねぇ。ちょっと話しただけで、特に何にも」
「待て」
 ドラルクが硬い声で言い、身を乗り出してロナルドの腕を掴んだ。「……くさいな」
「ああ?」ロナルドはドラルクの手を振り払って殺した。「仕方ねーだろまだ暑いんだよ夜でも。シャワー浴びてくりゃいいんだろ。ついでに手も洗う。歯磨きもする。髪も乾かす」
「先んじて善行を報告する理由って、2パターンあるよね。素直に褒められたい場合か、何かを誤魔化したい場合か。どっちだ?」
「何も誤魔化してねえわボケ」
「そっちだな。こっち来いロナルドくん」
「嫌だわ。俺はあっちでシャワー浴びんの。ウワッおい!」
「線香みたいな香りがする」
 ロナルドに纏わりついたドラルクの塵が、さらさらと服の上を滑り、胸のあたりで再生していく。輪郭だけ取り戻した鷲鼻気味の尖った鼻が、すん、とロナルドのにおいを嗅いだ。「最近、嗅いだにおいだ。何だっけこれ。くさい」
……んなことねーだろ。いいにおいじゃん」
「はあ? こんな古臭い畳みたいなにおいが、いいにおい? 良くはないだろ。不法侵入された気分になる」
「なんで? お前も似たようなにおいしてんじゃん」
「馬鹿言えロナ造、最先端のキュート路線を走る私からこんなお寺の坊さんみたいなにおいするわけが、」ドラルクは完全に形を取り戻し、背を伸ばして、ロナルドを見やった。「……これは寺のにおいだ。また会ったのか? あの吸血鬼と」
「いや、」
「誤魔化すな。悪手にしかならんぞ。待て」ドラルクの表情がくるくる変わる。概ね悪い表情だ。顔の筋肉が戸惑っているのか、目許が少し崩れた。「……待て。きみ、今、何て言った?」
「いや」
「兄さん? 兄さんと会ったと? そう言ったのか。言ったな。確かに言った」
 ドラルクと目が合う。
 そのままいつものように怒涛の煽りが流れてくると思ったのに、何もなく、それが余計にロナルドをたじろがせた。咎められた気分になりながら「だ、だって、」と言い訳を口にする。「だって、寂しいって。そりゃあいつの弟さんに、その、めちゃくちゃ悪いことしたと思うけど、」
「寂しい? 憐憫を誘う常套句でお前みたいなお人好しを誑かしやがるあいつが全面的に悪い。あいつの弟にそう思うのも無駄な罪悪感だろう。悪いと思うべきはお前の兄に対してだけだ」
「あ、あにきは、べつに」ロナルドはまたこれを言わなければならないのか、と思った。言えば言うほど、鼻の奥がツンと痛んでくる。「俺のことなんか、どうでもいいだろうし……
 ドラルクは瞠目して後退るようにロナルドから離れた。一歩踏み込まないと拳が届かない距離で、おもむろに携帯を取り出し、人差し指でそれを指し示した。
「私が今ここできみのお兄さんに電話をかけることは簡単だよ」
「は? なんで電話なんか」
「そしてとびっきりの兄弟喧嘩を勃発させたっていい。私は享楽主義者だ、きみたちの喧嘩を肴にブラッドワインだって飲める。どうせその喧嘩が丸く収まろうが収まらまいがきみを慰めるのは私だし。だから本当に、知ったこっちゃないんだ。きみがとんでもねえ勘違いをしていようが、それを正すのは私の役目じゃないんだから」
「な、なんの話」
「けれどもさ、それはきみ、あんまりお兄さんが可哀想じゃないかね。別に肩を持つわけじゃない。ただひとつだけ、これだけはちゃんと確認してからさっきの言葉をもう一度言いたまえよ。お兄さんは、どうでもいい弟を身を挺して庇ったりするのかい」
……兄貴は高潔な吸血鬼退治人だった。たとえ馬鹿でどうでもいい弟でも、吸血鬼に襲われてりゃ助けてくれる。レッド・バレットは助ける人間を選んだりしない」
「はあ」ドラルクは何度も頷き、分かった、分かった、きみってそういうやつだよな、と仕方なさそうに肩を竦めて携帯を仕舞った。「馬鹿造が。拗れに拗れて、あとで泣きじゃくってしまえ。涙を一滴一滴搾るよりは、盛大に出させた方が面白いだろ。私は知らん」
……おれ兄貴と喧嘩すんの?」
「さあね。でも、いいよ別に。何かが間違って、あのお兄さんがきみの心を傷つけちゃっても、そのときは、私が心臓でも何でもなってやるから。存分に擦れ違ってろ。それにこのロナルドくんに自力で気づけないのなら、それはお兄さんの責任だし。私はもっと面白くなるまで関与しないって決めた」
……結局なんの話だったの」
「きみがほかの吸血鬼のにおいを付けてんのが面白くないって話だ」
「そんな話してた?」
「してた」ドラルクは投げやりに答え、で? 切り替えるようにマントを翻し、ロナルドに詰め寄った。「あの寺の吸血鬼、きみに兄と呼ばせたって? 寂しいからって言ってきたのか? それできみは了承したと。吸血目的か宗教勧誘かと思ったが、時期に噛まれて本当の弟にされる可能性が出てきたな」
「本当の弟? っつかお前、まだあいつのこと疑ってんのかよ」
「疑わん方がどうかしている。向こうから来る以上、もう会うなとは言わんが。向こうは明らかにきみに執着している」
……だとしても。俺は強いし、大丈夫だって」
「強さの問題じゃないわ阿保が。危機感が圧倒的に無いのが問題だっつってんだろ」ドラルクは聞き分けのない子どもに焦れたように自分の頭髪をぐしゃりと掻き混ぜた。自分からそうしたくせに髪が乱れるのに耐えられなかったのか頭からどんどん崩れていく。「大体、何度も言うが、こっちは向こうの名前すら知らないんだぞ。あんなはぐらかすような返答ばかりでしかも前科持ちのやつが、真面な吸血鬼とは到底……」首から上が崩落していく。頓着なく、肩に散った自分の塵を手で払い、無い頭が言った。「思えない」
「名前は、タロウだろ」ジョンがいないので仕方ない、ロナルドが落ちた塵を拾い集めてやりながら答える。「本名じゃないっぽいけど、でも町のポンチ共だって通り名の奴ばっかじゃねえか。素性が知れないのも、寺にいることだけは分かってんだから、そんな気にすることでもねえだろ」
「気にするわ。うちの五歳児にしつこく声を掛けてくる不審者じじいだぞ。あー、そうかこれって警察に言ったほうがいいのかな。やっぱりきみのお兄さんに電話しようか?」
「だからやめろって。兄貴いま忙しいんだから」ロナルドは話の修正を図ろうとドラルクの首に砂を乗せた。「俺のことより、兄貴に頼まれてたやつどうなった。おふくろさんからの返事は?」
「まだだ」首に乗った塵が徐々に形を作っていく。「あのひと、普段から滅多に私用の携帯触らないからな……」現れた表情はしかめ面だった。「お父さまからも連絡するよう呼びかけたが、二週間前の連絡にもまだ既読がついていないって泣きつかれたよ。全く、あのひとたちときたら、飛べばすぐ会えるくせにいつまでも遠距離恋愛しおって」
「微笑ましいじゃねえか」
「何百年も続きゃ呆れ返るわ。ちなみに父にも訊いてみたが、私以上の情報は持っていないようだった。頼みは母だけだ」
「そうか。じゃあ、待つしかねえな……
「きみのお兄さんは何に首を突っ込んでるんだ? おとぎ話にもなるような、随分と昔の事件を引っ張り起こして」
「兄貴のことだ、ひとのためになることだけは確定してるぜ。……なあ、あのおとぎ話、本当にあったことなのか?」
「そうらしいよ。結構な数のおとぎ話裁判というものがあって、これも母が……
 ドラルクはふと黙り込んだ。
 ロナルドが訝んで、何だよ、と促すと、ドラルクは「いや、」と言葉を濁す。「いま、ひとつの仮説ができたところだが、まだ確証がない。……ロナルドくん」
「何だよ」
「あの寺の吸血鬼は、弟を、何年前に亡くしたとか言ってたりした?」
「え? ええと、五百年前……
「寺の住職は、タロウに対して何かほかに、言っていなかったかね。朝に話くらいしたんだろ」
……名前が、違ってた。ご住職が子どものころと、親の代で、呼ばせる名前が違ってたって。ずっと探してるものがあって、……たぶんそれは、その、弟の生まれ変わりのことだと俺は思うんだけど。その弟にしか、きっと本名も教えちゃくれないって」
「つまり誰も本当の名前を知らない。一族もいないだろう」
「たくさんいるって言ってなかったっけ」
「言ってない。勝手に都合よく脳内変換するのは相手の思う壺だ。そのうちその壺に閉じ込められて持ち帰られるぞ安直ルドが」
「何か分からんが殺した」
「何も分からんのに殺すな! いいかロナルドくん、お兄さんは誰も名前を知らない吸血鬼を探している」
「うん」
「あの寺の吸血鬼の名前は?」
「本名は、知らない。……いや。まさかそれだけで」
「あのおとぎ話に出てくる吸血鬼は大切な人間を亡くしている。寺の吸血鬼は、弟が人間だと言っていなかったか?」
「い、言ってた、けど」
「そしておそらく、どちらも私の母の世話になっている。母は仕事一筋で、ただの ・・・おとぎ話を話して聞かせるほど、娯楽に精通していない。きっと仕事に関わったからこそ話せることのできた寝物語だ」
「タロウと、兄貴の探してる吸血鬼が同一吸血鬼だって言いてえのか。そんな上手い話があるわけ」
「ある。私はまだ二百年しか生きていないが、それでも、たまに運に極振りした展開が繰り広げられたこともあった。信じられないのなら、確かめてみるくらい、いいはずだ。お兄さんに電話をするかね?」
 ロナルドはドラルクの視線を真正面から受け止め、本当なら今度こそ、する、と即答したかったはずなのに、喉が詰まってしまって自分に狼狽えた。
 ドラルクの推理じみた話を真実かどうか確かめるためにも、兄に真っ先に連絡をしなければならないはずなのに、何を躊躇っているのだろう。簡単だ。スマホを取って、兄貴の探してる吸血鬼かどうか分かんないけど、もしかしたら似たような境遇か、能力を持ったやつがいるかもしんなくて──けれどもそう言ったら、どうなるのだろう?
 そもそも兄は一体どんな経緯で吸血鬼を探しているのか? 決まっている。兄の今の職業は吸血鬼対策課、警察機関だ。何かの事件に関わっている者か、これから関わる者か、とにかく見過ごしてはいけない理由で、部下ではないロナルドとドラルクに協力すら頼んできたのだ。確証などなくとも、疑わしい情報は何でも提供するべきだ。
 でももし、あいつが本当の本当に、悪い吸血鬼だったら。
 捕まるんじゃないのか?
……そう、だな。連絡してみる。けど、ドラ公のおふくろさんからの返事が来てからでも、いいだろ。正確で纏まった情報を渡したいし……
「きみがそれでいいなら、いいけど」
 ドラルクは言ったが、やはり納得していない顔でロナルドを見つめていた。
 ロナルドは後ろめたい気持ちになって、じゃあ俺、シャワー浴びてくるから、と目も合わせずにやっとドラルクの横を通り過ぎた。
 鼻の奥で、ドラルクのものとは違う、古びたお香のにおいがほのかに漂う。すん、と鼻を啜り、ロナルドはそれを飲み込んだ。やっぱり、やっぱり。
 あんな弟思いの吸血鬼が、何か悪いことをして自分の兄に捕まるなんて、思いたくない。