さもゆ
2024-12-10 03:42:48
82844文字
Public 吸死
 

【ヒヨロナ】ロナルドと永遠のきょうだい

弟を亡くした吸血鬼に弟認定されてしまった退治人と、その周囲の話。
※自我と名前のある吸血鬼兄弟と女性がガッツリ出る。話のメインまである
※捏造過多
※ロくんの本名有

2024.9.18 たべものpixiv投稿作品


 一



 ロナルド吸血鬼退治事務所にメールで送られた今回の依頼は、神奈川県の田舎にある山の麓の寺からだった。
 古くからあるお寺で、吸血野菜が暴れているから退治してほしいという依頼だ。
 電車を乗り継ぎ、バスにも乗って、ロナルドとドラルクは依頼先でもあるお寺へとやって来たわけだが、生憎とご住職は法事のため丁寧な挨拶と境内の説明をしたあと、スクーターに乗ってすぐ下にある町へと降りていってしまった。
 本堂に残されたロナルドは、ひとまず、隣で正座に耐えられず片足を砂にしている同居吸血鬼、兼一応相棒であるドラルクへと声をかけた。
「お前らって十字架以外は平気な感じ? 寺や神社はどうってことねーのか」
「純然たる吸血鬼ならな」その純然たる吸血鬼が立ち上がろうとして、もう片方の足も砂にしながら答えた。「ただこの国は独自の生態が多いし、神が多いから、相性の悪い吸血鬼もいるだろうよ。まあ、日本って吸血鬼の数よりも幽霊や怪異、妖怪なんかの方が圧倒的に多いから、そういう輩から遠ざけるための神域と相性が悪い時点で、吸血鬼の程度は知れるが」
「寺で暴れ回る吸血野菜は?」
「それはただの無邪気な雑魚だろ」
「お前が言う?」
 あとこんな場所で怖い話すんな殺すぞ、ロナルドがドラルクの頭を引っ叩き完全に塵山にする。怖い話なんてしとらんかっただろ、暴力ゴリラが一番怖いわ、塵山が文句を言ってくるが、ロナルドはそれを無視し、堂内をぐるりと見渡した。
 先刻までここで簡単な説明をしてくれた住職の言では、ここ本堂に、夜な夜な吸血野菜が集まってどんちゃんしているらしい。時刻は二十時とちょっと。八月中旬の山の麓は、都会よりは風の通りが良く、空気も幾分か冷たいものが混じっていた。開け放っている戸からは、風と、虫や蛙の鳴き声が響き渡ってくる。ここに来るまでにもその大合唱に何度か砂になっていたドラルクは、「どうにも」と復活した体でロナルドと同じように堂内に視線を巡らした。「静か ・・だね。お堂の中ってのは」
「ああ。吸血野菜がわんさかいるわりには、何の音もしねえな」
「気配は?」
「そういうの、テメーの方が分かるんじゃねえのかよ」
「ダンピールじゃないんだ。それにそういう経験値で言ったらきみの方が高いだろ。あと、何か、」ドラルクは堂内の奥、本尊である阿弥陀如来像が安置されている内陣を眺め、それから、ここに来るまでに通ってきた墓地の方角へと目をやった。「……もっと別の何かならいそうだなとは思うけど」
……怖い話?」
「怖い話」
 間髪容れず、ロナルドはドラルクを殴って殺した。

 姿が見えないならあぶり出してしまえばいい。
 作業を決めたロナルドは堂内の全ての戸を閉め、四隅に吸血鬼忌避剤を設置すると、煙が出始めたのを確認してから既に外にいるドラルクの元へと足を向けた。煙が充満するまでには、少し時間がかかるだろう。この煙状の薬剤には吸血鬼を麻痺・鎮静させる効果があるため、混乱してお堂から出てくることもあるまい。引き戸を閉め、数歩の階段を降り、ロナルドは少し離れたところで様子を見ているドラルクに歩み寄った。
「そこ、段差がある。転ぶなよ」
「おー」境内は暗く、明かりもない。満月に近かったが、空には薄い雲がかかっている。ロナルドの目にはほとんど暗闇同然で、ドラルクの青白い顔だけがぼうっと浮かび上がって見えていた。「こういうとき、夜目が利くってのはいいよな」
「まあね。きみが幽霊に怯える様もバッチリ、おい待て殺すな砂利と混ざる」 
 バッチリ殺し、蠢く砂が玉砂利の間を縫って再生に手間取っているのを横目に、ロナルドは「つーか」と眉をひそめた。「今更だがテメー何でついて来たんだよ。見ての通り、お前にとっちゃ面白みもない仕事だぞ、今回のは。ジョンと一緒に町内カラオケ大会行けば良かっただろ」
 吸血野菜との大乱闘なら、既に我が家で繰り広げられている。新鮮味も無いと分かっていたはずなのに、この享楽主義の同居高等吸血鬼は、陽の射す夕方、わざわざ砂袋に詰められてロナルドと一緒に電車に乗ったのである。そうまでしてついて来たいなんて、ひょっとすると、田舎が恋しくなったのだろうか? 野生の騒音に死んではいたけれど、ドラルクは元々埼玉にある田舎のお城に住んでいたし、山や田んぼや畑が懐かしくなったのも頷ける。
「いやあ、それが。曖昧なんだが」
 しかしようやく形作った手指を広げ、ドラルクは山門を指差した。「寺の名前を、どっかで聞いた……見た? ような気がしてね。たぶん。まだテレビもなかった時代だ。ラジオはあった。随分昔だ。私がまだ、日本語の手紙を読むのも苦労していたころ……
「ドラルク?」
 記憶を遡っているのか、そのまま黙り込んだドラルクは、そこで不意に、「ロナルドくん」と硬い声を出した。「戸をしっかり閉めなかったのかね? 開いているぞ」
 ロナルドは振り向いた。確かにぴったり閉じたはずの本堂の引き戸に、隙間ができていた。そこから煙が噴き出している。
「しまっ、」
「──若造! 上だ!」
 理解するよりも速くにロナルドの体は動いていた。
 念のため持ってきていた銃を抜き、引き金に指を置いて頭上を撃つ。常人の目ではロナルドが銃を抜いたところも撃ったところも捉えられなかっただろうが、相手は、夜目が利いていた ・・・・・・・・。撃った先には何もなく、視界の端で闇が躍り出た。
 そして腹に衝撃がくる。次いで、背中を強かに打ち息が詰まった。地面に引き倒されたのだと気づいたときには遅く、ロナルドの胸には、ぐり、とロナルドを踏み潰している足があった。
 足は草履を履いていた。素足だ。それから、めくれた裾は着物か浴衣か、とにかく和装のものだ。
 視線を上へとあげていく。暗い。暗くて、分からないが。
「子ども……?」
 ロナルドを踏みつけているその背格好は、大人というには小柄で、細身だった。

「おいおい」

 と小柄な影が言った。一瞬、声変わりをした男の声が目の前の影のものだと認識できなかった。油断しかけていた本能が、警戒レベルを引き上げる。雷が轟くような低い声が、ロナルドに降ってきた。

「生まれてそこそこの人間が、ナマ言うんじゃないぜ。ぼかァこの姿で七百年生きてんだ。子どもだと? 即身仏扱いの方がまだマシだぜ」

 小柄な影が膝を折り、ロナルドの上でしゃがみ込む。
 そこでようやく、ロナルドは赤を見た。
 青い顔にかかる黒髪、そこから突き出る尖った耳、暗闇でも尚光る赤い両目。
 見た目は十四、五六の少年の姿をした吸血鬼が、牙を覗かせ笑っている。
「へェ。今はこんなのが流行ってんのか」
 ロナルドの眼前に掲げられた手には、いつの間にか、ロナルドの銃があった。堪らず叫ぶ。
「テメッ、あぶねーだろ! どけ!」
「銀弾も入っていないのに? ありゃ麻酔弾だろ。僕を退治しに来たわりには、軽装だよな。小坊主に言われたのか? 髪を白く、瞳を青くしときゃ、僕を誑かして殺せるって?」
「なに言って、」
「僕も銃は持ってるぜ」
 とす、ロナルドの耳の横に何かが刺さった。
 視線をずらして視認する。抜き身の刀身だ。されどそれは剣のようでも、銃のようでもある。むかし小学校の図書室で読んだ戦争漫画に載っているような銃剣を、吸血鬼は持っていた。
「この間の大戦でくすねといたんだ。弾は出ねェが、まだ錆びついてない。ここを出て行け、退治人。さもなくば刺す。刺して殺す」
 紛れもなく敵意に満ちた瞳だった。
 何か誤解が生じているのは分かったが、ロナルドは、とりあえず、この吸血鬼を殴り飛ばそうと思った。自分が下敷きになっているこの体勢、そして只者ならぬ身のこなしから、無傷とはいかないだろうが、たとえば腹を刺されても殴ってしまわなければどうにもならなそうだった。お話合いが通じない相手には、暴力に限る。
 ロナルドは拳を握る。そのとき、緊迫した間に割って入る声があった。
「なるほど、やけに妙な気配がするとは思ったが、どうやら貴様のもののようだな」
 ドラルクだった。
 てっきり砂になって事の成り行きを見守ってくれているとばかりに思っていた貧弱吸血鬼の居丈高な物言いに、ロナルドは呆けて首を動かした。じゃり、髪が玉砂利を擦る。数メートル離れた先に、ドラルクはあのいつもよく見る、唇の端をつり上げて笑う表情をして立っていた。その手には携帯が握られている。
「姿を見せずとも立ち込める気配。そこのゴリラをいとも簡単に組み敷く技。よほど強力な吸血鬼とお見受けする。しかし些か戦い方が古すぎる」
……誰? 同胞が退治人と組んでなんの真似だ?」
「私は真祖にして無敵の高等吸血鬼ドラルク。七百年も生きた貴方なら、ご存知なのでは?」
「どらるく?」
 どらるく、聞いた名前を口の中で何度か転がしたあと、少年の姿をした吸血鬼は、ぎくり、身を強張らせた。「ドラルクって、まさかあの、」
「そう! 私こそは竜の一族、白銀の狼の一人息子にして御真祖直系の孫!」声を張り上げ、携帯を耳に当て、人差し指を同胞に突きつける。「分かったらとっととその若造の上から退けこの無法じじいが、今は令和だ! 画面タップひとつで貴様なぞ御真祖さまのおもちゃ箱行きだぞ、精々今のうちに日本の空気を吸い込んでおくんだなーッ!」完全に声音と顔と内容が悪役のそれだった。
 本物の悪役であるはずの少年が、呆然と呟いた。
……あのヤクザ弁護士の息子じゃねーか」
「は?」
 ドラルクが面食らって立ち尽くす。
 ロナルドも多少ぽかんとした。今までにも、こういうことは、何回かあった。ドラルクが悪気のあったり無かったりする同胞相手に、自分の血の強さを誇示し、上手くいけば畏怖られるか、下手をすれば馬鹿にされるか疑われるか、言語を介さない相手には普通に襲われるか、などといったことは。けれども今のは、そのどれもと違っていた。
「っぶねェ。俺今度暴れたら流刑にされんだ」
 吸血鬼が言い、ロナルドの上から退く素振りを見せた。
 敵意が消え失せている。次第に、蛙の大合唱。木々のざわめき。昆虫の鳴き声。気を張り詰めていたせいで聞こえていなかった音が聴覚を刺激し始めた。その中に混じり、エンジン音が轟いている。
 見ると、ちょうど山門を駆けてくるヘッドライトがこちらを照らした。
 袈裟をなびかせたスクーターがドリフトしながら停車する。驚いて砂になったドラルクの横を、そうやって戻ってきたこの寺の住職が、ほとんど乗り捨てるようにしてロナルドたちの元へと駆けてくる。「ハッ」少年姿の吸血鬼が、五十代は越えているだろう住職を馬鹿にしたように笑った。
「小坊主。どうした。また数珠でも忘れたか?」やれやれと肩すら竦めている。「僕を退治したいと考えるのは自由だけどな、何もこんな見た目の人間に頼まなくったって──」
 住職が無言で何かを振りかぶる。

 ロナルドは生まれて初めて、卒塔婆で吸血鬼をぶん殴る僧侶を目にした。
 


 本当にすみません、と住職が言った。
 この小坊主は、生まれたときからうっかりなんだ、と少年吸血鬼が言った。法事の日を間違えるわ、招いた退治人に居候吸血鬼のことを伝え忘れるわ、居候吸血鬼に退治人のことを話しておかないわ、なーんて。可愛いもんだぜ。最大のうっかりを話してやろうか? こいつったらもっと子どものころ、ついうっかり仏さんの──ってェ! だからいい加減卒塔婆で殴んなよ。痛いだけで効果ないぜ。お前やっぱり改宗して十字架でも背負った方がいいんじゃねーの。念仏もアーメンも大して変わんねッダダダダッテェな止めろ卒塔婆で刺そうとすんなこの暴力坊主が。ったくほんとに高祖父に似てるよな、いや、うっかりモンなとこは曾祖父かな。まあいいや。何にせよさ。
「悪かったな、いきなり襲い掛かって。僕を退治しに来たのかと思ったんだ」
 通された庫裏の一室で、この寺に住んでいるらしい吸血鬼が素直に言った。
……ご住職が依頼して?」
 ロナルドが正面で正座をしている僧侶と、その隣に座る吸血鬼を交互に見つめて訊ねると、やはり明かりの下で見たって子どもの姿をした吸血鬼が、ああ、と頷いた。
「長いことここを寝床にしているが、人間ならやりかねない。坊さんっていうのは、人の味方だしな」
……私も、この吸血鬼ならロナルドさんを襲いかねないと思いまして。法事も別の日でしたし、急いで戻って来てみれば、この有様。本当に申し訳ない。すべては私の不徳の致すところです」住職が言い、頭を下げた。
 つるりとした禿頭を向けられたロナルドは慌てて「やっそんな」と頭を上げるように言った。確かに、誤解の原因を聞くと、住職のうっかりが招いた結果ではあるが、被害はない。「気にしないでください。むしろあの、怪我とかさせなくて良かったです」退治対象じゃない吸血鬼に傷をつけたとあらば、うっかりじゃ済まない。ロナルド吸血鬼退治事務所の不祥事になる。最悪な事態を今更ながらに想像し冷や汗を流しているロナルドへ、隣に座るドラルクが呆れた眼差しを寄越した。“さすがゴリラ。自分が怪我する場合は考えないのか”視線の意味を正しく察せるほど、ロナルドにアイコンタクトの読解力はない。
「うちの吸血鬼にまでお気遣い感謝します」
 頭を上げた住職が白髪交じりの眉を下げる。
「この吸血鬼がいるからか、うちの寺は吸血野菜やツクモ吸血鬼が多く……。毎年、うちで何とかしていたのですが、今年は特に野菜が傷む気温が続き……
「それで吸血鬼退治人に?」
「はい。色々調べたところ、ロナルドさんの事務所が良心的で」
「そうでしょうな。うちはクリーンな事務所で通ってますので」
「オイ、ブラックな事務所があるみたいに言うな」無きにしも非ずではある。「……吸血野菜の件なんですが、さっき確認したところかなりの数が床に落ちていました。全てこちらで回収し、VRCに回しますが、それで宜しいですか?」
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします。お仕事ご苦労様でございました。メールでもご連絡しましたが、バスがもう終わっておりまして。今宵はうちに泊まっていってください。何もないところですが……
「墓地と鐘があればテーマパークですよ」
 ドラルクが言い、言ったそばからロナルドに肘打ちをされ、死んだ。

  

 風呂もいただき、通された十二畳ほどの和室で荷物を整理していると、「開けるぜ」と襖が引かれた。ひょこりとこの寺の居候吸血鬼が顔を出す。
「飯用意したんだけど、何か食えないもんとかある? 同胞は?」
「若造はセロ」
「こいつは牛乳しか飲めねえです」
「リが無理です。すみません。禁句なんです。繋げて言うと、この人間の精神が千切れる」
 お互いを指差して言ったロナルドとドラルクを見つめたあと、「分かった」と吸血鬼が笑って言った。「セロ、牛乳しか飲めなくて、リだけは駄目ね。夕餉は退治人の分だけでいいな? 牛乳も持ってくるから、待ってな」
 礼を言う暇もなく襖が閉じられる。ぺたぺたと遠ざかっていく足音を聞きながら、ロナルドは「なんか」とおもむろに口を開いた。「変な感じすんな。寺に吸血鬼って」
「何だったら良かったんだい」
「お、鬼とか?」
「似たようなもんだろ」
「あの吸血鬼、お前の知り合い?」
「知らんな。まだ名前も訊いとらんのに。ただ、」
 思い起こしたのは二人とも同じだった。──あのヤクザ弁護士の息子かよ。吸血鬼は確かにドラルクにそう言い、敵意を喪失させた。
……母さまに昔、世話になったんじゃないかな。この寺の名前も、そうだ、お母さまの仕事の書類で見たことがあったんだ」
「お前のおふくろさん、吸血鬼相手の弁護士だったよな」
「ああ」
「ヤクザなの?」
「あー。いや。まあ。分かるだろ。自分が寂しくなったからって、息子を幼児化させるようなひとだ」
「クリーンなヤクザか」
 ロナルドが揶揄いをこめて言うと、ドラルクは面白くなさそうに鼻を鳴らした。「阿保。ヤクザは皆ブラックだ」
「だからって汚ぇわけじゃないだろ」
……きみな。はあ。まあ。私は母を誇りに思っているし? そういうことにしといてやるが。本物のヤクザが捨て猫とか拾うシーン見ても善人判定するなよ、お人好しルドくん」
「なんで? 猫拾って、ちゃんと育ててんなら良い人じゃん」
「きみって誘拐とかされたことない?」
「ない」
「なんで?」
「暴力で解決してきたから。何心配してんのか知んねえけど、ヤクザが猫拾って、その猫いじめてるってんなら、俺がボコボコにするから大丈夫だぜ。俺たぶんヤクザよりは強い」
「言ってること小学生だけど真実なんだよなあ……きみはヤクザが束になろうとどうせ勝てちまうだろうよ。っていうか何の話だこれ」言ってから、はた、とドラルクは気づいた。「ちょっと待て。暴力で解決してきたって? つまりそれ未遂にはなってるってこ」ドラルクが言い切る前に、また一声かけられてから、襖が開く。

 吸血鬼がお待たせ、と言って運んできてくれた膳には、山盛りの白米と、味噌汁、夏野菜の炒め物、それから分厚いハンバーグが乗っていた。
「ハンバーグだ!」目の前に置かれた食膳に、ロナルドが頬を緩ませ声を上げる。「お、お寺で、いいのかな? あんまり仏教ルール分かってないんだけど」
「民衆が分かっときゃいいのは南無阿弥陀仏だけだ。それさえ唱えられれば、救われるのが仏教だぜ」嘘か本当か、寺の吸血鬼が牙を見せて笑う。「うちの宗派は肉も食うし酒も飲む。じゃなけりゃ、吸血鬼なんざ住まわせねーよ。はいこれ牛乳」毎日近くの農場から貰ってんだ、美味いぜ、と言ってドラルクの前には牛乳の入った瓶とグラスを置き、そのまま二人のそばに尻をつけた。「どうぞ食べてくれ。僕はちょっと、話が聞きたい。いいか?」
 既に胡坐までかいているのだから、いいも何も、悪いとは言えない。ロナルドとドラルクはそれぞれ了承し、いただきますと手を合わせてから、食事に手をつけ始めた。ハンバーグと牛乳を美味しいと口にする二人を少しの間眺めていた吸血鬼は、「あのさ、」と口火を切る。「小坊主から聞いた。アンタら、有名な退治人コンビらしいな。弁護士先生の息子の方は知ってる。アンタの母上にはむかし世話になったことがある」
「母の仕事はどうでしたか?」
「そりゃあもう! 絶対に晴れないだろうという俺の濡れ衣を見事晴らし、分厚い雲を取り除いてくれたんだ。どんな夜よりも美しく、素晴らしい仕事ぶりだった。あんな恐ろしいひと、中々いないぜ」
「そうでしょうな」
 ドラルクにしてはシンプルな反応だった。褒められ慣れているが故の返答だと思ったが、ロナルドは同居吸血鬼の耳が少し崩れていくのを見逃さなかった。照れて死にそうになるほど嬉しいらしい。こういう家族思いなところは、可愛げがあるかもなとロナルドは思う。ロナルドとて自分の兄や妹を褒められたら崩れることはなくとも崩れ落ちそうなほど自慢しまくるだろうし。澄ました顔で牛乳を飲んでいるドラルクにニヤケ面をおくると、じとりと横目で睨まれたが、怖くも何ともない。
「退治人の方は、」
 吸血鬼は今度はロナルドに水を向けたので、咀嚼していたハンバーグを飲み込んで相手を見やった。不精紐の伸びる天井の灯りに照らされた吸血鬼の瞳は、赤々と光って見えた。
「ロナルドって言ったよな。本名か?」
「や、仕事名義」
「日本人?」
「生まれてこの方日本から一度も出たことないぜ。幻覚ではあるけど」
「眼と髪の色は生まれつきか?」
「おう」
「誕生日いつ?」
「八月」
「へえ! もう終わった?」
「おう。一週間前に」
「祝い損ねたな。なあ坊主。……兄弟いる?」
「兄貴と妹がいるぜ」
「そうか。つまりお前は、弟なわけだ」
 赤い瞳が柳のように弧を描く。「お前の本名、聞いていいか? 英語は舌が攣っちまう」
 ロナルドはくちを開こうとした。
 しかし視界を遮った細腕が、くちの動きを止めた。は、と戸惑いが漏れる。今自分は、何を話していた? たわいもない話だ。他愛もなさ過ぎたから、意識もせずに喋っていたのだろうか? いつの間にか沈んでいた水中から引き揚げられたみたいな感覚がする。困惑してドラルクを見ると、伸ばした腕でロナルドの視界を遮っているドラルクは、目の前の吸血鬼を今度は強く睨みつけ、まるで夜の海より警戒して言った。
「すみませんね。退治人ロナルドのプロフィールを開示したいのならまずオータム書店を通して頂きませんと。プライバシー侵害で訴えますぞ。ああ、英語は聞き取れませんかな?」
「オイっドラ公」
 何を失礼なことを言っているんだ、突っ込みたかったが、「子どもは黙っていろ」と体ごとマントで隠され何も言えなくなる。「我々はまだ貴方の名も知らぬのに、そちらばかり聞きたがりでは秤が合わない。均等にしても?」ロナルドをマントで隠したドラルクが言った。
「いいぜ」吸血鬼は胡坐をかいたうえに頬杖をつき、仕方なさそうに笑って言う。「何でも答えるさ」
「では。名前は?」
「タロウって呼んでくれ」
「日本の吸血鬼?」
「大陸ではないよ、犬を食べたこともないし」
「転化者ではないな」
「眼をくり抜いて見せてもいいぜ」
「いつ生まれた?」
「言っただろ。七百年は生きてる」
「貴方の一族は?」
「幸せに暮らしてるんじゃないかな」
「いないのか? ひとりも?」
「一族ってのは多いもんだろ」
「なるほど、兄弟がいる?」
「おいおい。それ以上の質問は均等じゃねえな」首を振って制し、右手は人差し指を立て、左は掌を広げて見せた。「僕がした質問は六つ。アンタも六つ。これで閉廷だ」
 ドラルクがあからさまに眉を顰め、ロナルドを囲っていたマントをほどいた。「……判決は延期だ。しかし貴方には、どうやら前科がある。迂闊な言動は控えた方がいい」
「それはそう」吸血鬼は素直に頷いて見せる。「弁護士先生の息子に迷惑かけたとあっちゃ、流刑どころじゃ済まされねえだろうしな。……藪をつっつかねえうちに、僕は退散するよ。空ンなった膳は廊下に出しといてくれ。布団は押し入れにあるから好きに寝な。この部屋、陽ィ射さないけど棺桶用意しようか?」
「結構」
 またドラルクにしては友好の欠片もない対応だったが、ロナルドがやっと口を挟めたのは、少年の体躯をした吸血鬼が腰を上げ「じゃ、僕はそのへんにいるから。用がある時は名前を呼びな。一回でいいぜ」と引き戸に手をかけてからだった。ロナルドは慌てて「お、俺も一個だけ質問したい」と箸を持つ手を挙げた。ドラルクが胡乱な眼差しを投げ、タロウと名乗った吸血鬼は「なに?」と弓なりの瞳を向ける。ロナルドは訊いた。
「お、お寺の吸血鬼も棺桶で寝てるってこと? 寺の中にあんの? わ、和室に、棺桶で寝てんの?」
 それってマジでホラー映画じゃん、ロナルドは心の中だけで呟いた。職業柄、あと単純に好奇心からの質問だったのだが、なぜかドラルクが横で爆散した。ヌー、ここにはいない愛しきマジロの幻聴が聞こえる。



「もう少しゆっくりなさっても」
「いえいえ、一晩貸していただいただけで充分です」
 翌早朝、バスが動き出す時間に合わせてお暇することにしたロナルドは、完全遮光の砂袋を抱え、山門にて住職に挨拶していた。
 ロナルドよりも早くに起き出している住職は、眠たげな様子もなく、渡した吸血鬼忌避剤と下等吸血鬼用の退治スプレーの説明をしっかりと聞き入れ、手に持った。「此度はありがとうございます。こちら使ってみますね」
「無くなったら退治人組合の公式サイトからも購入できるので、そっちもぜひ活用してください」
「はい」
「それから、お宅の吸血鬼にはおそらく効かないでしょうが、使う際には気をつけてください」
「心配ご無用です、あれは刺しても死にません」
「やっぱりかなり強い吸血鬼ですか」
 ロナルドが昨晩の出来事を踏まえて訊くと、住職は「いえ、確かに昔は、強大な吸血鬼だったかもしれませんが」と言葉を濁した。「私が生まれたときから、あれは寺にいました。父の代も、祖父の代も。もっと前からです。寺の記録にも載っていますが、あれはただ……すみません。私の口からは上手く説明できなくて」
「や、こちらこそすみません、詮索するような真似を」
「とんでもない。五十六年、共にいますが、ほとんど何も知らないようなものなんです。名前も、能力も、血族も、何もかも」
 住職が困ったふうに眉を下げたので、ロナルドは訝んで眉根を寄せた。「名前はタロウでは?」
 昨晩確かに、ドラルクがそれを聞き出したはずだった。あの時、些か不穏な気配が漂っていた気もするし、ドラルクとタロウの会話もどことなく裏がありそうだったが、ロナルドにとったらそれは確信にはならない。お寺の吸血鬼が嘘を吐くわけがない、という甘ちゃんな先入観が生じているせいでもある。寺や神社、教会や葬儀社にいる者のことは大抵、嘘とは無縁、真摯で真面目だと思っているわけだ。
 しかし住職はロナルドを眩しいものでも見るように目を細め、首を横に振って言ったのだった。
「あれが、そう名乗ったのですね。私の子どものころは、カズマと名乗っていました。父にはハジメと。イチロウと呼ばせるときもあった。ロナルドさん、あの吸血鬼 ひとはね、ずっと探しているものがあるんですよ。そのものにしか、きっと、本名も教えちゃくれないんです」
……寂しいですか」
 ロナルドはつい問うてしまった。
 思わず問わせるほど、目の前のうんと年上の住職が子どものように見えたからだった。されど住職はからりと笑って言う。
「いいえ。だってどうしたって、私は彼を置いてけぼりにしますのでね。何とも寂しくありませんとも」