さもゆ
2024-12-10 03:42:48
82844文字
Public 吸死
 

【ヒヨロナ】ロナルドと永遠のきょうだい

弟を亡くした吸血鬼に弟認定されてしまった退治人と、その周囲の話。
※自我と名前のある吸血鬼兄弟と女性がガッツリ出る。話のメインまである
※捏造過多
※ロくんの本名有

2024.9.18 たべものpixiv投稿作品


 三



 寺の騒動から三日が経った晩、ロナルド吸血鬼退治事務所に意外な来客があった。

 ロナルドがドアをノックする音に答えたのち、「どうも」と入ってきたのはあのお寺にいた吸血鬼である。
 青い肌に、尖った耳、黒い髪と赤い目をした十四、五六の少年の姿をした和装の吸血鬼タロウは、入り口横のメビヤツに目をとめ「何だこれ。自立型の古墳か?」とそれ以上歩を進めることなく首を傾げた。
 メビヤツがタロウを見上げ、大きな一つ目を半眼にしている。ロナルドは挨拶よりも先に「うちの優秀な門番、メビヤツだよ。ちょっとでも不穏な動きをしたら即ビームだからな」と言って自席からタロウの元へと向かった。「何だよお前。何しに来た? ……ですか?」
「銃突きつけ合った仲だ、堅苦しい言葉遣いは止せよ。むしろ僕が丁寧に言うべきかもな」半眼のまま睨むように見上げているメビヤツに手を振って離れ、タロウは「助けて欲しいんです、退治人さん」と低い声のくせに子どものようにロナルドに言った。
 言われたロナルドは顔をしかめた。
「やめろよ。今更テメーに敬語使われても、胡散くさいし、ナリが子どもだから惑わされそうになる」
「ヘッ。お前あれだろ。川で溺れたガキ助けようとしたら、そのガキに騙されて川底に引っ張り込まれるたちだろ」
「んな怖ぇガキがいて堪るか」
「今の世じゃ有罪を言い渡されちまうから少ないだけで、昔はザラにいたもんだぜ」
「マジ? そんな妖怪みたいな子どもばっかだったの?」
「みたいなっていうか、妖怪だろ。お化け。幽霊。狐狸鼬。今の子は見たことねーのかな」
……。そういうのって、殴れる?」
「まあ大体は」
「じゃあ大丈夫だ。どうにかする。で、何を助けて欲しいって? 川で溺れた子どもを助けて、殴ればいい?」
「そこだけ訊くとお前が有罪になっちまうぜ。そうじゃなくて」タロウはニヤッと笑って「面白いなお前」と付け足してから「小坊主の使いで来たんだ。うちのガキったら、川で溺れたりはしねえが、陸を走りゃつんのめってばかりでね」と住職を思い浮かべたのだろう、まるで世話焼きな困り顔すら浮かべている。
「お坊さん怪我したのか?」
「いんや」
 心配するロナルドの前で、タロウは首を横に振り、懐に手を突っ込んで何かを取り出す。「これ。ひと月は持つんだって? 悪いな、二日しか持たなかった」
 少年らしい細さと大きさの手に握られたそれは、ロナルドが住職に渡していた、吸血鬼忌避剤のスプレータイプだった。毎晩、お堂の四隅に噴射すれば吸血野菜が居着かなくなるはずのそれが、なぜか缶の中心からひしゃげ、穴が開いている。当然中身もなくなっているだろう。「何がどうしてこうなった……?」
「言っただろ。うちの小坊主はうっかり者なんだ」
 やれやれ、少年の姿をした吸血鬼が老人のように肩を竦めて溜め息を吐いた。



 通販するより僕が出向いた方が速いし、久々に都会に出ようかと思って、と直接ロナルドを訊ねた理由を述べたタロウは、促されたソファに座り、テーブルに封筒を置いた。「勘定は前より多めに用意してある。足りるか?」
「いや、前より少なくていいよ。買うのこれだけだろ?」
「ほかにも依頼があるんだ。吸血鬼退治人の、ロナルドさん」
「何だ?」
 新しいスプレーを渡し、居住まいを正したロナルドに、タロウはニヤッと笑って言う。「この新横浜を案内してほしい。都会に出るのは五十年ぶりぐらいでね。空から見たが、前よりかなり変わってた。今夜、ほかに依頼があるのなら断ってくれて構わねえが。街を一緒に回ってほしい」
……吸血鬼向けの案内所があるけど」
「そりゃ親切だ。けど、いいのか? 僕は手癖が悪い。まあ退治人が大丈夫ってんなら、大丈夫なんだろうな」
 随分と脅すようなことを言う。ロナルドが睨んでも、タロウは生意気な笑みでどこ吹く風だ。
 ロナルドは睨んだまま逡巡し、銃剣の切っ先を思い出し、そうだ、今は普通に喋っているが、目の前の少年は躊躇なく武器を人間に向けれる吸血鬼なのだと再度実感して、ぐう、喉の奥で唸った。またこれかよ、と思った。吸血鬼を監視するという名目で家に転がり込まれ挙句相棒とまでなってしまったドラルクが脳内で煽ってくる。“やーい付け込まれルド、元退治対象の吸血鬼にご飯まで作ってもらう私生活ダメくそ五歳児~”脳内のドラルクを殴って殺す。うるせえ。お前だからだろ。お前がそーやってすぐ死ぬ貧弱クソ砂吸血鬼だから、付け込ませてやってんだろが。別に誰でもってわけじゃない。警戒するべきやつは、ちゃんと警戒してる。
 タロウへの警戒心はちょうど半分。
 残りの半分は住職への信頼にかけている。
「分かったよ」
 ロナルドは渋々頷き、案内を引き受けた。まあどうせ、依頼がなくてパトロールに向かおうか考えていたところだったのだ。退治ではないが、仕事ができたのは素直に有難い。「すぐに出る? ちょっと待ってろ、支度するから」ソファから離れ、自席に戻る。引き出しを開け退治グッズを見繕いながら言うと、ソファに座ったままのタロウは嬉し気に体を揺らして見せた。「いいのか? ありがとう」そうすると本当に子どものように見えてくる。体を揺らしながら、「なあ坊主」と続けた。「あの弁護士先生の息子は? いないのか?」
 ロナルドは一瞬、誰を指しているのか戸惑ったが、すぐに同居吸血鬼のことだと理解を繋げた。
「あー、ドラルクなら、ジョンと一緒に散歩に出てるよ」
「ジョン?」
「あいつの……使い魔なんだ」一番の友だちなんだ、と言ってやるには、関係性ができていない。無難な言葉を選んだつもりだったが、タロウからの返事がなかったので、ロナルドは顔を上げた。「ええと、あんなか弱い吸血鬼にもちゃんと立派で強くて可愛い最強のアルマジロの使い魔がいて……
「へえ」タロウは相変わらず人を食ったような笑みを浮かべていたが、ロナルドを真っ直ぐ見つめる目だけは赤々と何かほかの感情を宿しているように見えた。「いいな。永遠に一緒にいられるやつがいるのは、羨ましいよ」
……一族がたくさんいるって、言ってなかったっけ」
「誰が? 俺? ──ああ、言ったかもな。でもそんなの、そばにいてくれなきゃ一人とおんなじだ」
……お前も寂しいの?」
「お前もって?」
「ご住職。俺にはちょっと、そんなふうに見えた。ってだけ。あんまり、ひとン家の事情に突っ込んだりしないけどさ。でもずっと一緒に暮らしてるってんなら、もうちょっと、こう、……や、ほんと。俺が言うことじゃねーな。何でもない」
「心配されなくとも、小坊主のことは死ぬまでそばで見守る。あいつの先祖には世話になったんだ」ひょっとすると何百年も人間のそばで生き続け、死を見送ってきた吸血鬼が言った。「……それだけさ。ただ、それだけ。あいつが寂しがってるって? 孫もいんだぜ、んなわけあるかよ。やっぱり人間は人間の味方だな。僕ら吸血鬼のこと何も分かっちゃいねえ」
……テメーが一番寂しがりってこと?」
「ヘッ馬鹿言え」
 タロウは鼻で笑うと立ち上がり、「一番どころじゃねえさ。寂しさなんて数えてたら、気が狂っちまう……」とほとんど聞き取れない低音で呟いた。ロナルドがそれに対して何かを返す前に、「支度できたか? 行こうぜ」とたちまち少年の面を向けてきたので、ロナルドは「あ、お、おう」とどもりつつ頷くしかなかった。ああ、どうしよう。ロナルドは思う。警戒心が。……だってしょうがないじゃん。この吸血鬼、子どものナリをしているし、なんだかかなり、放っとけない。見ていて危うい。はあ。溜め息は自分に対してだ。ロナルドのなけなしの掻き集めた警戒心が、段々と、半分以下になりつつある。



 事務所を出て三歩で二ホンオッサンアシダチョウの群れに襲われた。
 脊髄反射で走って逃げながら、どこに行きたい、と訊くと飛べるらしいのに並走してくるタロウはどこでも、と答える。「観光客相手にしなくていい。巡回の仕事に僕がくっついてるとでも思ってくれ」ロナルドはそれなら、と怪鳥を振り切ると新横浜のあったりなかったりする観光スポットを考えるのを止め、巡回ルートに切り替えた。本人がいいと言うのなら、いいんだろう。それに仕事に吸血鬼がついてくるのは日頃から慣れている。すぐ死なない分、テンポは違うだろうが、何か怪しい動きを見せたら即座にぶん殴ればいい。たとえば女性相手に篭絡の素振りを見せたときとか。

「ロナルド。今日は見慣れない吸血鬼を連れているんだな」
 酔っ払いの多い通りに入ると、同じく巡回中なのか、吸血鬼対策課のヒナイチと出くわした。夏の間は特に繁忙期なのか、ここ最近は事務所の床下から顔を見せることも少なくなっていた。それでも先週のロナルドの誕生日には吸対面子で祝いに来てくれたのだ、関係性にも実力にもお互いに信頼は置いている。
 だから万が一隣の吸血鬼がこの少女の手をすくいあげキスをしても、彼女なら対処可能だろうと思ってはいる。しかしそれはそれ、前例があるためロナルドはさりげなくタロウの一歩前に出て「ヒナイチ、お疲れ」とタロウをいつでも殴れるよう拳を緩く握りながら言った。「タロウって言うんだ。俺とシンヨコを見て回ってるとこ」
「タロウか。私はヒナイチだ、よろしくな」
「どうも、娘さん」
 ヒナイチと対面したタロウは、にっこり笑ってそう言った。それだけだった。手を握ることも、歯の浮くような台詞もなかった。ただ、ヒナイチが「娘さんって。きみ何歳だ? 私より年下に見えるが……」と訝んで訊くと、「おいおい、僕ァきみのじーさんより長生きしてるぜ。ガキ扱いするなら血ィ恵んでくんな」とニヤッと笑って言うのでロナルドは「こら」と軽く窘めるに至った。「滅多なこと言うんじゃねえ。この子はなあ、これでも吸対の実力あるエリートなんだぞ。美少女だからって侮ると脛バチボコに蹴られた挙句背骨曲げられるからな。気をつけろよ」ドスッ、ロナルドが脛を蹴られた。普通に痛くて呻く。ロナルドだから呻くだけで済んでいるが、一般人なら骨が折れているしドラルクなら死んでいる。蹴ったヒナイチは「語弊のある言い方をするな。私はお前より暴力的じゃない」「はー? 嘘こけ、この間お前、吸血鬼同士の痴話げんかを平手一発で止めてただろが」「あ、あれは話が通じなかったからだ! お前だって話が通じなければ拳で分からせるだろ!」「ならやっぱりおめーが俺よりお淑やかなんてことはないよ」「ぐぬぬ……!」
……娘さんと坊主は兄妹か何かか? 微笑ましいな」
「誰がこいつと!」
 二人の声が見事に重なる。「俺の妹は口下手だがもっと冷静だね」「私の兄は嘘つきだがもっと理性的だ」「ああ?」「お?」やるのか? どちらのきょうだいがより自慢できるか、また勝負するか? その場合俺には兄貴もいるから俺に分があるぜ、お前の兄は話には聞くが見たことないから勝負には除外だ公平を期すぞ、いいぜやってやらあ、ロナルドとヒナイチがバチバチと視線を弾けさせていると、やはりタロウが楽しそうに笑って言う。「いいね。二人とも自分のきょうだいが大好きなんだな」
 うぐっ、また二人同時に喉を詰まらせた。表立って大好きと言うには、二人とも、年相応の抵抗があったので。
 
 ヒナイチと別れ、巡回に戻る。
 夜遊びをしている小学生たちをお家に帰したり、リードが離れて爆走している犬を捕まえたり、下等吸血鬼をハエ叩きで叩いたり、ポイ捨てされているゴミを拾って近くのゴミ箱に捨てたり、概ね平穏なパトロールだ。今日は変態が少ない。少なくて良かった。田舎から久々に出てきたこの吸血鬼に、都会の愉快だが汚れ切った面を見てこれが都会かとあまり思われたくはない。いやそれが都会、というより魔都シンヨコハマなのだが。河川敷を歩きながら、川でヘマをしている輩はいないかと目を光らせる。
「なあ、坊主」
 と、斜め後ろを着いてきているタロウが不意に呼んだ。ロナルドはちらりと振り返って訂正した。
「ロナルド。言えねーわけじゃねえんだろ。事務所で呼んでたし」
「ロナルド」
「何だよ」
「兄貴は遠くに住んでるのか?」
 逡巡し、先刻のヒナイチとの会話を言っているのかと思って「あー」とどっちつかずの返事を零す。「仕事が忙しいんだ。まあ、三兄妹揃うことは、もうあんまし、ないかな」
「ふうん。でも仲が悪いわけじゃあねえんだろ。寂しくないのか?」
「うーん……べつに。妹はまだ学生だから心配だけど、俺も兄貴も大人だし。べつに泣いて暴れるほど寂しくはない」
「泣いて暴れない程度の寂しさはあるってことか」
「吸血鬼ってなんでそう揚げ足取りたがんの?」
「気に入った人間を引きずり込むため」
……あんまり危ぶまれること言うなよ。今日はそれらしいとこ見せれてねえけど、俺は退治人だぞ」
「分かってるさ。僕は七百年生きてんだ。人間の躊躇のなさは、よく知ってる。アンタは本当の幸いのためなら、躊躇いもなく引き金を引けるたちなんだろう。そう、ロナルド様なら ・・・・・・・
 含みのある言い方にロナルドはぴたりと立ち止まり、振り返って声を上げた。
「テメッ、まさかロナルドウォー戦記を読んで……!?」
 太郎はニヤリと笑う。
「通販で買って、一日で読破した。面白かったぜ。仕事するロナルド様の後ろを着いて歩けるなんて、僕はファンってやつらに恨まれるんじゃねえかな。主人公と一緒に聖地巡礼できて嬉しいよ」
「ウワーッご愛読どうもありがとう!!」
 ロナルドが羞恥で身を捩りながら一応叫んで礼を言うと、タロウは「なあ、ロナルドさん。少しお願いがあるんだが」と笑みを控え、至極言いづらそうに切り出した。じゃり、草履の裏を地面に擦る。「握手してくれねえか。一度武器を向けた手前、頼みづらくってさ」
「な、お、おまえ、何だよ。握手ぐらい言ってくれればいつでもするよ」
 なんだ。
 ロナルドは思った。完全に。半分を切っていた警戒心が底を尽きかけ、あとはロナルドの本来のひとの好さが滲み出るだけだった。なんだ、思ったより全然、いいやつじゃん……そりゃそうか。何といってもお寺の吸血鬼だし……
 太郎に歩み寄り、差し出された左手を握るためロナルドも左手を伸ばす。指先が自分より小さな掌に触れる。
 びりっ。
 痺れが走るほど冷たい肌だった。そのまま冷たい痺れがロナルドの手を掴み、ぐいっと引っ張った。たたらを踏むほど強い力だった。抗いきれず、膝が曲がり、鼻先同士がぶつかりそうになる。もう片方の手がロナルドの額の髪を掻き上げ、帽子を押し上げた。
「ああ、やっぱり。いい色だな」
 ロナルドの顔を間近で見つめ、タロウが囁くように言った。
「なに、」
「顔は似てない。色がちょっと似てるだけだ。そんな輩を散々見つけては、振り返って、追いかけたりもした。そっくりそのままの姿なわけがないと、気づいたのも遅かった。でも、良かった。ようやくかもな」
「何の話だ」
「俺の弟の話だ」
「お前の弟?」
「そう。五百年前に死んだ……
 赤い瞳がゆらゆらと揺らめく。「それからずっと、探してる。生まれ変わりってやつを。アンタはちょっと、俺の弟に似ているよ、ロナルド。……なあ、お前さ。俺の、」
 
「ロナルドくん?」

 声はロナルドの後ろから聞こえた。
 紛れもなく聞き慣れたドラルクの声だ。手に何か持っているのか、ビニールの擦れる音もする。「どうした、そんなとこで中腰なんかして。吸血鬼曲がった膝に余白の美を感じるとかの能力か? 美は感じんが悪戯心は湧くから膝カックンしていい?」相変わらず腹の立つほど楽しそうな声だ。後ろ姿じゃ、ロナルドの前にいるタロウの姿が見えないのだろう。そばまで近づいて、ようやく、おポンチ吸血鬼の能力ではないことに気づいたらしい、「おい」と打って変わって全く楽しくなさそうな低い声を出した。「寺の吸血鬼ではないか。我が城の下男に何を?」
「俺の事務所だ!」
 ロナルドは振り向きざまドラルクを殴って殺した。砂になる。砂の上にドラルクが持っていたビニール袋が落ちる。テンポがいい。やっぱりこうでないと。あっさりタロウの手から離れたロナルドを、タロウはまたあの人を食ったような笑みで見つめ、後ろに下がった。「……悪いね。アンタのものとは知らず。勝手を許してほしい」
「違うよ!? 事務所も俺の労働力も俺のもんだからね!?」
「黙れロナ造。自己管理もできない下僕は黙って城主にお世話されてろ」
「下剋上パンチ」
「反旗を翻」スナァ、再生の途中で再び塵になる。その塵がロナルドを取り巻き、次に形を作ったときには、なぜかまたマントの内側に隠されていた。「うちの退治人ロナルドに何か御用で? 畏怖い戦いをご所望ならほかを当たってください。このゴリラが本気で暴れたら、街を破壊しかねないのでね」
「オイ」
「僕はただ、お使いのついでにちょっと案内してもらってただけさ。そう警戒するな。もう帰るよ、今夜のうちにこれも使わなきゃなんねえしな」ロナルドから買った吸血鬼忌避スプレーを取り出し振って見せてから、「じゃあな。今夜はありがとう」と言って体の輪郭を宵闇に溶かして渦巻くと、タロウは小さな竜巻のように空へと伸びあがって消えた。
 
 ろくな挨拶もできずにそれを呆然と見送ったロナルドは、ややもすると隣でタロウが掻き消えていった夜空を睨んでいるドラルクへと視線を移し、「お前さ」とちょっと窘める声を出した。「あんな小さい子に大人げない反応するなよ。何不機嫌になってんのか知らねーけど……
「はあ?」
 ドラルクは素っ頓狂な声を出した。
「誰のこと言ってんだ。あのキツネ、私より遥かに年上だぞ。私がおっさんならあれはじじいだ。もう見た目に絆されてんのか? ってか何であいつがここにいるんだ、何もされとらんだろうな」
「何かってなんだよ」
「まさかもうお忘れか? 銃突きつけられたのを」
「わ、」忘れてない。ちゃんと警戒してた。……最初の方は。ロナルドは喉の奥で唸り、でも、と言った。「で、でも。そんなに、悪いやつじゃない。変態でもないし。性癖もひけらかさない」
「悪い奴が全員変態だと思ったら大間違いだぞ」ドラルクの声が1トーン跳ね上がり、それが長い説教の始まりだと悟ったロナルドは、地面に落ちたままのビニール袋を拾い、ドラルクを置いてすたすたと歩き始めた。後ろから小馬鹿にした声が追いかけてくる。「変態じゃなくても悪い奴はいる。待って。そんなところから話し合わなきゃ駄目なのか? 本気で教育が必要? 分かった、今度きみのお兄さんでも呼んで夏の防犯授業を開いてもらおう」
「話し合いなんていらねえ。兄貴巻き込むな。テメー俺に何を説教したいってんだよ」
「あの吸血鬼、どう見たってお前に興味があるだろ。しかもすぐに手を出さない分、粘着質だ。きみをただのおもしれー男だと思っているわりには、……分かるか? 私の言っている意味が」
「分かんねえ」
「分かった。じゃ言い方を変える。あのショタじじいに、これ以上、関わるな」
「何で俺の行動をお前に制限されなきゃなんねえんだ。俺はお前と違って身の危険には自分で対処できる」
「身が危険になるまで阿保ほど警戒心無いからこんな父親みたいなこと言ってんだろが。きみは銃を持ったやつを警戒はしても、銃弾が自分を貫くことには頓着がない。撃たれても刺されても噛まれても、そのこと自体には警戒するだけ無駄だと思ってるパワータイプの圧倒的脳筋バカンスト野郎だ」
「殺した」
「復活した。いいか若造。そんなだから絆されて、騙されるんだ。隙があり過ぎるとも言う。じゃなけりゃ私は今ここにいないだろうさ。感謝したまえ、私が正しく人に味方する心優しい吸血鬼であることをな。いいから黙って年長者の言うことを聞き入れろ若造。あの寺の吸血鬼とはもう付き合うな」
……兄貴にもひととの付き合い制限されたことねーのに」
「きみ、妹さんが怪しい吸血鬼と知り合ってたらめちゃくちゃ口挟むだろうが。それと一緒だ」
「そりゃ妹だからだろ。賢いし、しっかりしてるけど、でもまだ子どもだ。女の子だし。そりゃ口出すわ」
「きみは強いし、自立してるけど、私より遥かに子どもだ。男だが、子どもなら関係ない。守るだろ」
 ロナルドはぴたりと立ち止まった。
 同じく隣でぴたりと立ち止まったドラルクを見やり、今更ながら、そういえばジョンがいないなと思う。一緒に散歩していたはずなのに。まあジョンはジョンの知り合いが多いから、途中で別れたのかもしれない。そんな一旦意識の外のことを考え、内側に戻さないと、何だか本当にあまり、理解ができなかった。「……お前おれを守りたいの? 誰から?」
「話聞いてなかったのか?」ドラルクのこめかみには既に青筋が立っていたが、そこがぴくりと痙攣し、砂を零していく。「あの寺の吸血鬼だ。ショタじじいだ。火事場泥棒だ。また最初からをご所望かね? 受けて立つぞ、こちとら伊達にバグだらけのクソゲー攻略してない。何度でもチュートリアルから始めてやるわ」
「そんな言い方、泥棒て」
「前の大戦でくすねたと言っていただろう。何だマジで、本当に惑わされとるんじゃなかろうな」
「だって。だってあいつ、弟が死んだって」

 ドラルクが溜め息を吐いた。
 長く深く重い、そして溜め息を吐き尽くして死んだ。

「ああ、ああ、そう。やけに煮え切らんし、肩を持つと思ったら、そういうことか……
 それから大声で叫んだ。
「しっっかり絆されとるんじゃねえこのバカ造がーッ! この短時間で何お涙頂戴にやられてんだ! あーそっかきみって絵本で泣くレベルの感受性と涙腺だもんねえ! ちょっと悲しい過去を知ったからって悪役のことを良い奴だと思うチョロガキ! 過去が何であろうと犯罪は犯罪だ易々とその健康な心を砕くなこのボケェー!!」 
「な、な……!」
 自分自身の大声で崩れ続けている砂山を、ロナルドは地団駄のように足で蹴飛ばし、散らしながら、反射のように叫んだ。「何だってんだよテメーはよー! 最初っからそんな穿った見方すんなよ俺はまだ何もされてねえだろうが!!」
「銃剣を向けられたことを何かされたカウントしてないのがマズイって言ってんのが分からんのか! それにさっきのは何だ! あんな手ぇ握られて何もされてねえはねえだろ!!」
「ありゃ握手だ!! ロナ戦読んでくれてた!!」
「絆されてる!!! お前もう完全に駄目だ!! そのうち血を吸われるか大仏を買わされるか改宗させられたりするぞ!! しばらく家から出んな誰か訊ねてきても保護者が今いないんですって言って追い返すんだぞ五歳児ィ!!」
「ウルセェー!!!」
 蹴って殴って散らして殺す。言い合い。テンポが良い。テンポが良いが、会話は堂々巡り、何かされた何もされてない、あいつにもっと警戒しろ警戒してる警戒してない、あいつはそんな悪い奴には見えない見えるだろ見えなくても悪い奴は悪い奴だわじゃああいつが悪い奴とも限んねえだろいや悪いわ、侃々諤々。結局、言い合いは纏まらず、またロナルドもドラルクも意見を曲げなかったので、主張は事務所に着くまで轟々と続いた。

 帰りつき、延々と続いたドラルクの口煩さにロナルドが物凄い形相と腕力で事務所のドアを開けると(ドアに八つ当たりするなクソガキ、と隣で正論で煽ってきたドラルクは無言で裏拳をかまし殺した)、しかし「おかえり」と言う声が返ってきたことによってロナルドの顔から一瞬で険が剥がれ落ちた。
「あ、あに、……ちょさん!」
 事務所のソファには、ロナルドの兄、ヒヨシが座っていたのである。
「よ。元気にしとったか? 誕生日以来じゃな」と上げた手の袖は、白くない。どうやら隊服は着ていないようだ。髪も下ろしているし、ヒゲもない。そしてその膝には、愛しのアルマジロジョンが居心地良さそうに座っている。「ドラルクとジョンくんと外で会ってな、ちょうど事務所に用があったから、この子と一緒に待たせてもらっとったんじゃ。仕事は終わりか? お疲れ」
「た、ちょ、あ、兄貴、お疲れさま、です。えっじゃあ、ドラ公だけが外にいたのって」
「私としたことがお茶を切らしていてな。ジョンたちには先に帰ってもらって、私はスーパーに寄っていたというわけだ」
 ドラルクがロナルドの持つビニール袋を指差し、受け取る。ロナルドは「あ、兄貴がうちにいるとか、そーいうことは、はよ言えばか」と小声で文句を言うと、メビヤツをしっかり撫でて帽子を預けてから、ヒヨシのもとへと駆け寄った。「ごめん兄貴、待ったよね。用って何? 今日はお仕事休みなの?」
「待っとらんよ。話し相手もおったし」指先が優しくジョンの頭を撫で、ジョンがヌーと嬉し気に鳴いている。ロナルドは素直にいいな、と思った。どっちに対してそう思ったのかは情けないので考えない。「用って言うのは、まあちょっと、協力してほしいことがあってな」
「お話はお茶ができてからでもいいでしょう。もう少々お待ちいただけますかな」ドラルクがリビングに向かいがてら言う。「ロナルドくん、その間にシャワー浴びてきたら。散々暴れ倒したんだし、汗と同胞くさいし」
「な、く、くさくねえ!」
「何じゃロナルド、また暴れたんか」
「あ、暴れてない! 暴れてないもん! ちゃんとパトロールしてた! クソッドラ公誤解を招くような言い方すんな! シャワーは浴びるけど!」
 待っててね兄貴、俺すぐフレッシュクリーンになって戻ってくるからね、叫んだロナルドがバタバタとドラルクを追ってリビングに飛び込む。その背中を、ヒヨシがジョンの頭を撫でながら「どれだけ大きくなっても変わっとらんなー」とひどく和やかに見送った。



 四



 せっかくなんだからお兄さんの隣に座ればいいのに、ドラルクは思った。
 ロナルドは兄のヒヨシをこの上なく慕っているくせに、自分から必要以上に近づかないという訳の分からない性質を持っている。ずっと仲良く一緒に暮らしてきたわけじゃないようだし、全ての兄弟姉妹が絵に描いたような幸せな絆を持っているとも思わないが、それでも、気に入ったものや好きなものを遠ざけたりしないドラルクには難解な間柄だと思っている。
 ドラルクとて、昔に一度、その一度きり、大切な大切なアルマジロを、大切に思うが故に手放し、別々の道を歩もうと自ら引いたことがあったが、あれはドラルクの吸血鬼生で最大の過ちであった。罪である。だからもう絶対にジョンを手放したりはしないし、永遠に一緒、本当の死を受け入れるときも一緒だ。
 そのジョンをヒヨシの手から受け取り、ソファに座ったドラルクは、随分と気持ち良さそうに撫でられていたじゃないか、とちょっと意地悪したくなってジョンの頬をうりうりとつついた。主人の意地悪を察したジョンは、違うよ、と言いたげにすりすり擦り寄ってくる。まったく。かわいいやつめ。
 そして、兄の前でだらしない姿を見せられないと思ったのか、いつもより長めにシャワーを浴び、髪もちゃんと乾かして戻ってきたロナルドは、「お待たせ」とドラルクの隣に座ったのだった。ドラルクは眉を上げたが、べつに何も言いはしなかった。まあそういうもんかもな、とも思った。ハグの習慣がなければ、そんなもんだろう。
 ドラルクが用意した冷たい緑茶を飲み、「そ、それで兄貴、用っていうのは」とロナルドがそわそわと切り出した。顔には兄に頼ってもらえるかもしれないと期待が満ち満ちている。ロナルドは兄を前にしたとき、大体にしていつも夢見る少年の煌めきを宿す。
 その煌めきを真っ向から注がれているヒヨシは、「あー、その」と歯切れ悪く言った。「や、お前にも聞いておいて欲しいんじゃが。今回はな、ドラルクにちょっと頼みたいことがあって……

 ドラルクが死ぬまでに二秒かかった。
 殺されたわけじゃない。
 ドラルクが自ら、もっと言うと先んじて死んでおいたのだ。
 きっと隣の処理落ちルドから遅れて拳が飛んでくるだろうと構えていたのに、三秒経っても、何のアクションも振ってこなかった。五秒経ってようやく、ドラルクはジョンに塵を集めてもらって恐る恐る再生し、隣で微動だにしないロナルドの様子を窺った。

「そ、そっか」
 ロナルドは気恥ずかしそうにそう言った。
 照れているようにも見える。ドラルクは思い切り顔をしかめた。予期しない反応だった。エラーを食らった気分だった。どうせ泣くか怒るか喚くかするかと思っていたのに、ロナルドは極めて落ち着いて「ドラ公にってことは、吸血鬼の知識を借りたいってことだよな。こいつが知ってることなら何でも吐かせるぜ」とドラルクを指差して言った。「吐かせるな」ドラルクも冷静に短く突っ込んだが、内心、気が気でなかった。確かにロナルドは仕事に関しては真面目で優秀、冷静沈着で状況把握に長けている。しかし尊敬してやまない兄に、自分ではなく、相棒のドラルクを頼って来られて、少しも取り乱さないほど大人ではなかったはずだ。これは今はそう装っているだけで、後でしこたま殺されるのかもしれない。
「あ、ああ。そうじゃ」ヒヨシも弟の態度を意外に思ったのか、拍子抜けしたように瞬き吐息を零した。「……資料で調べても良かったんじゃが、生で訊けるに越したことはなくてな」
「うん。こいつこんなでも高等吸血鬼だし、実家もおノーブルだし、きっと兄貴の知りたいことにも近づけると思う」
 何だ? 遠回しに兄の手助けにならなければ殺すと訴えているのか? だとすれば、もう少し殺意が漲っていてもおかしくない。ロナルドは変わらず落ち着いている。ドラルクは落ち着かなくなってジョンをしきりに撫でた。膝のジョンがヌーと鳴いて事の成り行きを見守る。
……じゃといいんじゃが。ドラルク」ヒヨシがドラルクへと向き直る。「吸血鬼の能力ってのは大体、何でもありじゃよな」
「え、あ、はあ。まあ」後で殺されるにしろ、今ここで真面目に取り合わないと殺された後に流されるくらいはするかもしれない。ドラルクはひとまず真摯に対応した。「ご存知の通りですが。能力の発現は時代や環境に左右されることもありますが、大体は、何でもありです」
「たとえば、自分の存在を消すこともか?」
「透明になる、ということですか? 物理的に?」
「いや、そうじゃにゃあ。認識や情報を曖昧にして、ひとの口にのぼらんようにするような能力じゃ。誰も知らんし、誰も探せん、名前すら言えんような」
「なるほど。……人間はできないんですか? 自分の存在を書き換え、別人に成りすますようなことは」
……できる人間もおる」
「じゃ、できますよ。それ以上のことが」ドラルクはあっさり言った。「ただ存在を曖昧にするだけの能力、がドンピシャであるかは分かりませんが、似たような話なら聞いたことがある。喋ったそばからその存在が何だったか分からなくなる吸血鬼だとか、ただこのひとは昔の戦争の折、都市伝説的なスパイとして名を馳せていますが。あとは、ドッペルゲンガー的な能力を使った大悪党だったり、名前を言えないという点なら、本名を知られたら弱体化する吸血鬼だとか、三度その名を唱えたら災いを起こせる吸血鬼だとか……どれも伝説やおとぎ話みたいに古い時代のことなので、私にも真相は分かりませんがね」
「最後の」
 黙って聞いていたヒヨシだったが、身を乗り出し、「最後の、三回名前を唱えたら、のやつ。本当か? どこの国のおとぎ話じゃ」と食い気味に訪ねたので、ドラルクはちらりとロナルドを見やってから答えた。「日本の話ですよ。間違いない。母から聞いたので……
「詳細は?」
……“むかしむかし、あるところに赤い目の鬼がいました。鬼には名前がありましたが、その名を三度呼ばれたら、災いを招くということに気づいてからは、誰にも名前を言っていませんでした。”……それから、ええと、ひとりの人間と出会って、仲良くなり」ドラルクはまたちらりとロナルドの様子を気遣ってから続ける。「……村人に、その人間が襲われたから、人間に自分の名前を教えて、……全員死んだって話です」
「容赦のないおとぎ話じゃな」
「今はだいぶと改稿を重ねられているかもしれませんが。私が母から聞いたのは、こんな感じの話です。ろ、ロナルドくん」
 ドラルクはとうとう堪らず隣の男を呼んだ。「大丈夫か?」
「なにが」ロナルドはツンと澄まして応えた。
「や、泣きそうなんじゃないかと思って」
「は? 何で俺が」
「だってきみ、象の絵本でも涙ちょちょぎれとっただろ」
「な、」かあッと頬を赤くしたが、兄の手前だからだろう、立ち上がりかけたのをぐっと堪えて座り直す。「……べつに。悲しい話だなって思うけど、こんぐらいで泣かねーよ。舐めんな」
「舐めとらんが事実だろ……
「うるせー。続けろ。兄貴は忙しいんだよ、一々俺に構うな」
 拗ねているのか? それが一番正解に近いかもしれない。ドラルクは未だに腑に落ちないながらも、どんな状況でもアニマルセラピーを発するジョンをロナルドに押しつけてから、話を戻した。「私が知っているのは、これだけです。力になれましたか?」
「ああ」
 ヒヨシは頷いたが、ドラルクの話を自分の中で落としこんでいるのか、無い付け髭を撫でて俯き、黙考する仕草を見せた。ロナルドがぴくりと肩を揺らし、静かにジョンを撫でて兄を見守っている。ドラルクは何だか、本当に隣の男が泣いてしまうんじゃないかしらと普段散々泣かせているくせにこればっかりは気が気でなくなって、しきりに兄と弟を見比べ待った。
 兄が「ドラルク」と口を開いたときには、ドラルクは念のためもう一度死んでおこうかと耳を崩れさせた。
「その話に出てくる吸血鬼について、どんなことでもいい、もっと情報が知りたい。頼めるか。もちろん無償でとは言わん。報酬はきっちり払う」
「あ、え、ええーっと」
 ドラルクが言い淀むと、ロナルドに肘で小突かれた。本当に珍しいことに大層力加減されていて、死ぬような衝撃ではなかったが、ドラルクは体の右半分を自主的に塵にしながら「も、もちろんです」と了承した。
「それからロナルド」
「え、はいっ」
 呼ばれたロナルドがぱっと顔を輝かせる。ヒヨシが言った。
「すまんな。まだ確証がないから詳細は言えんのじゃが、ドラルクと協力して、“誰も名前を言えない”吸血鬼の情報を集めてほしい。仕事の合間でいいんじゃ。本来は吸対の……ほぼ俺が独断で突っ込んどる案件じゃし」
「ううん、分かった! 任せてくれ、兄貴」
「助かる。ちぃとばかし光明が見えてきた。お前たちがおってくれて良かったわ。夜遅くにすまんかったな」ヒヨシはお茶をぐい、と一気に飲むと、立ち上がる。
「あ、兄貴、もう帰るの? 泊まってったら?」
「いや。おかげで仕事が捗りそうじゃからな。すまんが、世話んなった。今度は手土産持ってくる」
「い、いいよ、そんな」
「ほいじゃ、ドラルク。ロナルド。頼んだぞ!」
 ドラルクの話はよっぽどヒヨシの足を急かせるものとなったらしい。ヒヨシは見送りもさせずに事務所から出て行った。ソファから立ち上がり、見送りもさせてもらえなかったロナルドは、ストン、とソファに座り直した。ドラルクは半ば、というより完全にロナルドを心配して腕を掴んだ。「ロナルドくん、ロナルドくん。大丈夫か? 殺す?」
「殺さねえ……
 ロナルドは弱々しくドラルクの手を振り払った。「兄貴に頼りにされたんだ、テメー死ぬ気でさっきの吸血鬼の話調べろよ……」声は地を這う低さだったが、僅かに震えていた。
「な、なに我慢してるんだ」ドラルクは俯いたロナルドの顔を上げさせたくなってタンバリンを取り出した。「ヘイ、殺せよ若造! いつもなら瞬殺五十連だろ! ヘイヘイ、何だ拗ねてんのか? 悔しいだろうな、きみの憧れがほぼ私を頼りに来たんだもんな! そりゃ殺したくもなるよなァ!」
「殺さねえっつってんだろ……
「なんでだ!」
「だって、俺はまだ兄貴に頼りにされる存在じゃない。決まりきった事実に憤ったって、しゃーねえだろ」
「はあ!?」
「もっと努力しなくちゃ」ようやく上げた顔は、恐ろしいほど整っていた。つまり、真顔だ。「ドラ公、ちょっと走り込んでくる。ついでに、聞き込みも」
「はああ!? 待て待て待て、座れ!!」
 拗ねてる拗ねてないの次元じゃなかった。そういえばそうだった。当たり前のことだった。普段一緒に暮らしている上で充分に分かってきたことのはずだった。ロナルドは自己肯定感が異様に低い。だから、褒められても褒められなくても、自分に至らないところしかないと思い込み、既に立派に努力をしているくせにその上を目指そうとする。わけが分からない。褒められたら素直に受け取り調子に乗ればいいし、兄に存分に頼られなかったら悔しいと泣いて喚いて駄々を捏ねてから前を向けばいいのに! いじけてしまったって構わない、いじけたらいじけたで、ドラルクが構ってやるのに、ロナルドはそれをしない、できないのだった。

 しかも努力をしたら努力をしたで、それをひけらかそうともしないのだ。
 驕らず、妥協せず、そのくせ自信がない中、自分一人だけで全て完結させてしまっている。

 子どものときからそうだったのか? それとも、子どものころにそういう環境で育ってしまったのか? いいやあのヒヨシがロナルドを大事に育てなかったわけがない。普段、ロナルドばかりが兄を慕っているように見えるが、とんでもない、ドラルクの目から見ればあの男も相当なブラコンだ。
 だって金も地位も女も手にしていた吸血鬼退治人レッド・バレッドをあっさり引退できるほどの精神力、かつ頓着ない性質なのに、弟の憧れだけは守り通すような阿保だぞ。ドラルクは実際に口にしていたら兄弟からもジョンからも殴られていただろうことを思いながら、再度ロナルドの腕を、今度は両手で掴んだ。
「あのなァ、ロナルドくん! きみも言った通り、お兄さんは吸血鬼のことが知りたかったから渋々私に頼る形になったんだ!」
「な、なんだよ、わかってる」
「分かってない! だからって、それできみが頼りにならない存在とはならんだろ! 飛躍すんな! 戻ってこい!」
「だ、だだって、でも、俺が頼りないのは事実だし……
「そんな話しとらんかっただろうが! 誰かがそう言ったのか!?」
「な、なん、なんだよっ、俺のことなんて何でもいいだろ、べつに。何怒ってんだ」
「怒ってるんじゃない! きみのことを気にかけてるの!」
……妹でもないのに?」
「はあ!? あっ何だまたその話の続きか!? そーいえば途中だったないいぞ第二ラウンドと行こうじゃないか鐘だ鐘を鳴らせッ休憩を挟みましたがこれより第二部ロナルドの認識を改めさせようの開幕で」砂ッ。鳴らし続けていたタンバリンが塵の上に落ち、塵が舞う。ジョンがヌーと泣いてシャンシャン小さいタンバリンを鳴らしながら塵を掻き集める。
 ようやくドラルクを殴って殺したロナルドは、困惑しきった顔で、「ほんとお前、たまに本気でわけ分らんよな」と言った。「兄貴でも、妹でもないのに。俺は放っといても大丈夫なんだから、放っときゃいいのによ……」俺は強いし、と言う。

 誰かが。
 誰かがそう言ったのか? ドラルクはまた思った。きみは強いから、放っといても大丈夫だと? もしくは、そう。ドラルクの脳内でラジオのように知らない家庭の知らない言葉が飛び交っていく。“妹は一番小さいんだから、気にかけてあげないと駄目”“一番上のお兄さんは頼りになるから、あんたも見習いなさい”“真ん中の子は我慢しなさい”“あの子は放っといても大丈夫だから”──脳内の不快なラジオのせいで再生が追いつかない。ありそうだ。小さなロナルドに向かって、誰だそんな大人の都合を勝手に押しつけてきた馬鹿は。全部ドラルクの勝手な想像だというのに、一人っ子で溺愛されて育ったドラルクにも、その想像があながち間違いじゃないのではと思わせるくらい、ロナルドは他人や物に対して無欲で我が儘も言わずひとに頼るということを知らなかった。ドラルクだけだ。
 勝手に家に上がり込んでそのまま居着いている我が儘不躾自己愛あるドラルクだからこそ、ロナルドはドラルクに自由に接せることができているはずなのに。
 それを制限されるのは、つまらない、楽しくない、我慢ならない。

「とりあえず、走ってくっから。テメーもしっかりやれよ」
「あっオイ待っ……っだー、クソッ、速いなあのゴリラ……
 脇目もふらず出て行ったロナルドのためにドラルクに何ができるか、とりあえず分かっていることは、毎晩自分が食べない夜食を作っておくことだけだ。今夜のメニューは決まっていたが、もう一品増やしてから実家に連絡しても、構わんだろう。ドラルクは唸り声ともつかぬ溜め息を吐き、心配するジョンを抱き上げてリビングにのろのろと向かった。