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柚子子
2024-12-08 21:20:09
61099文字
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ベリーベリー
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記憶喪失の話(+8)
爆豪長編『ベリーベリー』の番外編。本編最終話および掲載済の他番外編のネタバレを含みます。
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布団に入り手元のリモコンで照明を消すと、暗がりのなか
苗字
が寝返りを打って、こちらに顔を向けたのが分かった。ほの暗い闇のなか、
苗字
の目がぱっちりと開き、俺を見ているのが分かる。
初日に
苗字
にも言ったとおり、それほど広いベッドではない。だからこうして向き合っているだけでも十分に、それらしい近い距離だと感じてしまう。
苗字
と一緒に眠るのは四日ぶり。最後に一緒に寝たとき、
苗字
は俺に腹を立てていてこちらに背を向けていたから、ちゃんと一緒に眠るのは五日ぶりか。
はじめてこの家で一緒に眠った日のことを思い出す。根暗の仕事が修羅場すぎて、その晩はまったく、そんな空気にはならなかった。
それでも、自分の家で、自分のベッドで、
苗字
が眠っている。たったそれだけのことがなかなか信じられない程度には、あの日の俺は浮かれていた。
「勝己くん、いい匂いするよね。いい匂いというか、落ち着く匂い」
こちらを向いた
苗字
が、すんすんと鼻を寄せてくる。こいつ、まじでバカか? 好きでもねえ男に、たとえそれが夫である俺であろうと、そういうことをすんな。
さりげなく
苗字
との距離をとるため、俺は身体をずりずりと後ろに下げる。背中のすぐ向こうはベッドのふちだが、壁があるのでベッドから落ちることはない。壁にめりこむ覚悟は、まあ、多少必要かもしれないが。
「無断で嗅ぐな、変態が」
「別に嗅ぎたくて嗅いだわけじゃないし
……
」
「んだと」
「近いから、自然とね」
だから寝床を分けていたのだということを、きっとこいつは分かっていないのだろう。
苗字
に俺のにおいが分かるということは、俺からだって、
苗字
の髪のにおいくらい分かるということだ。
数日間、触れることもしないようにしていた
苗字
の肌や髪のにおいが、手を伸ばすまでもなく、すぐに触れられる距離にある。生き地獄かよ、と内心で悪態を吐く。
悔し紛れに、
苗字
のことを睨んでみる。俺の方を向いて寝転がった
苗字
が、楽しそうににまにま笑っているのに気付く。
その表情を見ていたら、俺はあることに気がついた。と同時に、俺のなかに悪戯心がむくむくと湧き上がってくる。
「おい、根暗。無断で嗅いだぶん返せ」
試しにそう言ってみると、俺の言葉に、
苗字
が「えぇ? そんな無茶な」と怪訝そうな顔をしたのが分かる。その反応で、理解した。
「嗅がせろとは言わねえ。そのかわり、」
ベッドの上に放り出されていた
苗字
の手のひらに、俺は右手の人差し指の、指先だけで軽く触れた。暗闇のなか、
苗字
が短く息をのんだのが分かる。
俺が根暗に指一本ふれねえとでも思っていたのだろうか。だとしたら、ご愁傷様だ。
苗字
に拒むそぶりがないことを確認してから、俺はその指で円を描くように、ゆっくりと
苗字
の手のひらをなぞった。
「嫌だったら言え」
「
……
嫌ではないよ」
「好きでもねえのに?」
「またそれ言うし
……
。嫌ではないけど、ちょっとこそばゆい」
そう言うだろうと思っていた。
苗字
の言質をとってから、今度はぴたりと、
苗字
の手に俺の手を重ねる。
「
……
っ」
俺の手より一回り小さい
苗字
の手は、互いの手を重ねるとすっぽり俺の手に覆われて、見えなくなってしまう。
苗字
は、それでもまだ拒まない。ならばと思い、俺はそのまま軽く手を握りこみ、
苗字
と指をからめた。
「あの、勝己くん
……
」
苗字
の身体が震えるのが分かった。俺を呼ぶ声も、どこか戸惑いを滲ませている。それでもまだ、嫌がってはいない。記憶のあるなしは関係ない。こういうときの
苗字
の声ならば、俺はちゃんと聞き分けられる自信がある。
戸惑い、困惑はしているが、嫌がっても拒んでもいない。
そして
苗字
の場合、多少なりとも拒んでいないのならば、それは受け入れているのと同じことだ。
「嫌じゃねえのかよ」
「う
……
」
意地悪く問いかけた俺に、
苗字
が言葉を詰まらせる。嘘で嫌だと言わないところが、こいつのいいところだと思う。嫌なときにははっきり嫌というかわりに、言葉の駆け引きのようなもので嫌だとは言わない。俺のことを、冗談で拒んだりはしない。
苗字
の手を握りこみ、手の甲を指の腹で撫でさする。それだけでは満足できなくなって、布団の中で
苗字
の足に自分の足を絡めた。スウェットの布地越しに、
苗字
の足の線がわかる。
苗字
の身体がぎくりとこわばった。緊張しているらしい。バカめ、考えなしに男を布団に誘いこむから、こういう目に遭う。
「ねえ、なんかこれ、すごく恥ずかしいんだけど
……
」
「俺は恥ずかしくもなんともねえ」
「いや今は私の話してんだけど
……
。もう、本当
……
爆豪くんって
……
」
苗字
の言葉を最後まで聞き終えるより先に、身体を起こしていた。そのまま
苗字
に顔を寄せて、くちびるを重ねる。
舌を突っ込みもしない、ただ重ねるだけのキスだった。ようやく顔を離したとき、
苗字
は相好を崩して、
「なんで分かるの? 気付くのが早すぎるんだよ」
と嬉しそうに俺をなじった。
★
目の前にいる「勝己くん」が「爆豪くん」であることを、唐突に頭が理解した。理解した、というよりは、思い出した、のほうが正しいのだろうか。ここ数日分の記憶がもともとの私の記憶に重なり馴染んで、なんだか不思議な感覚がある。
ただ、私を抱きしめる爆豪くんの肌の香りに包まれて、なんだかようやく、あるべき場所に帰ってきたような、そんな心地になった。
「んっ、ふふふ
……
ふふ、えへへへへ」
「気色悪ィ笑い方してんじゃねえ、クソ根暗」
さっきまでのキスの余韻はどこへやら、爆豪くんが容赦なく私に暴言を吐く。そうそうこれこれ、という気持ちになってしまうのは、私がすっかり爆豪くんに毒されているからだろう。
爆豪くんから調子のいい悪口を聞かないと元気が出ない。本当、どんな厄介異常体質になってしまったんだと、自分で自分の正気を疑うけれども、なってしまったのだから仕方がない。
爆豪くんは私の隣に寝そべって、まじまじと私の顔を観察している。本当に記憶が戻ったのかどうか、まだ少し疑っているのかもしれない。自分では記憶が戻ったと分かるけれど、外側から見てぱっと分かるものでもない。
「というかさぁ、記憶取り戻すまで、こういうことしないって言ったよね? 爆豪くん」
こういうことというのはつまり、こうしてベッドで触れ合ったりということだ。厳密には一緒に寝ないと言われていただけだけれど、そのなかには当然、親密な触れ合いをしないという意味も含まれていたに違いない。実際、爆豪くんは私が記憶を失っているあいだ、ほとんど私に触れてはいない。
「寝る前あたりから思い出しかけてただろうが」
「うーん、思い出しかけてたってほど、明確ではなかったけど」
「最後のひと押しのショック療法だ」
「ああ言えばこう言う
……
」
「おまえもな」
いつもと変わらない軽口を叩きあううち、爆豪くんの緊張がやわらいだのが分かる。さっきの続きなのか、それとも意図があるのか、爆豪くんが私の手をとり軽く握った。爆豪くんの手のぬくもりが気持ちよくて、私もそのままされるがままになっておく。こういう他愛ないたわむれのように爆豪くんにふれられるのが、私は結構好きだった。
記憶が戻ったことにかんして、数日中という期限が切れた結果なのか、それとも爆豪くんのおかげなのか、そのあたりは私にもよく分らない。もし後者だとすれば、爆豪くんに触れられていれば心安らかでいられるということになる。そう考えると、なかなか暗示的だ。
まあ実際、爆豪くんといつも通りいられることが、一番幸せなことだしな
……
。
手から伝わるぬくもりの心地よさに、だんだんと眠気が募ってくる。このまままどろんでしまおうかと思った矢先、爆豪くんが「そういや、おい」とつっけんどんな調子で話しかけてきた。
「おまえ、『そういうとこ』ってどこだよ」
「え、何それ。なんの話?」
「何日か前、おまえがキレてなんか言っとっただろうが。昔っからそういうとこが嫌だっただのなんだの。おまえの記憶が戻ったら聞こうと思っとった」
爆豪くんに問われ、眠気ではたらかない頭をどうにかこうにか回転させる。けれど何せ記憶喪失だった数日間をはさんでいるからか、爆豪くんのいう発言について、いまひとつはっきりと思い出せない。
「あー、言ったっけ? ごめん、記憶があやふやなもので」
「殴って思い出させたろか」
「暴力に訴えかけるのやめてよ
……
」
記憶が戻った途端これだ。別にいいけれど、こうなってくるとあの優しいだけだった爆豪くんの存在が、ちょっと恋しくなってくる。もちろんそんなことは、爆豪くんには口が裂けても言えないけれど。
そんなことを考えている間にも、爆豪くんからは返事を急かすような視線が絶えず注がれ続けている。しかし、いくら考えてみても思い出せそうにはない。仕方がないので、記憶をさかのぼることは諦めて、爆豪くんの言葉をたよりに自分の思考を想像していくことにした。
「んー、でも昔っから嫌な爆豪くんの特徴かぁ。口が悪いところは別に嫌いではないし、性格も、昔はともかく今は優しいからなぁ
……
、ずっと嫌ってことないよねぇ」
「
……
おまえ、俺のこと優しいとか思ってんのか? あんだけ優しいだけの男はカスみてえなこと言っておきながら」
爆豪くんがなぜか不服げな声を出す。その声音から察するに、爆豪くんは私が思っていたよりずっと、記憶がないあいだの私のカス発言を気にしてくれているらしい。そういえばこの人、高校時代と合わせると二回、私にふられたことになるのか。知られざる爆豪くんの古傷を、何も知らない私が案外がっつりえぐっていたのかもしれない。
「いや、爆豪くんって優しいだけの男じゃないでしょ。というか私、今までも何回か、爆豪くんに優しいね、優しくなったねって言ってることない?」
「記憶にねえ」
「そう? 爆豪くんってだいぶ優しいと思うよ。いや、優しいだけではないんだけど」
なぜ私が、こんなフォローを入れなければならないんだろう。記憶がなかったときの私、本当に爆豪くんに対して恩知らずにもほどがある。
優しいだけの爆豪くん、いいじゃないか。優しくないよりは全然いい。
まあたしかに、爆豪くんの魅力って、罵詈雑言と粗暴なふるまいの下にある優しさみたいなものなので、ただの優しさだけを取り出して見せられたところで「はあ、そうすか」になってしまう気持ちも、まったく分からないではないのだけれど。それはともかく。
「爆豪くんの嫌なところかぁ
……
。しいて言えば、だけど」
これまでの爆豪くんとのやり取りを大雑把に思い出しながら、私は口を開いた。
「私が話してることに、あんまり真剣に取り合ってくれないときがある、くらいかなぁ」
「
……
覚えがねえ」
「それはだから、真剣に取り合ってないから覚えてないんじゃない? 私が真面目に話してるのに、どうでもよくなって適当に丸め込んで納得させようとすること、あるでしょ」
私がそう言うと、爆豪くんは口をへの字に曲げて黙り込む。自分でも、ないとは言いきれないと分かっているのだろう。爆豪くんが黙り込むということは、反論の目がないと分かっているということだ。
「なんせ口がうまいからなぁ、爆豪くん。茶化したりとか、適当なこと言って、なんか結局なあなあになって、こっちもそれで『そうなのかも?』って思わされちゃうことあるんだよね。それで後から、いややっぱ違うでしょって思っても、今更蒸し返すのかよみたいな空気だったりして」
爆豪くんの眉間の皺が、みるみる深くなっていく。私は慌てて、言葉を継いだ。
「でも、口が上手くて弁が立つところ、好きでもあるからねぇ。長所は短所、みたいなことじゃない? むかつくときもあるけど、いいなと思うときもあるっていう。そういう話」
言っているうちに、自分でもすとんと腑に落ちた感覚があった。
爆豪くんの粗暴さ、攻撃性の強さが、かつての私は嫌いだった。人を人とも思わない態度に、何度嫌な気分になったか分からない。
けれど今、爆豪くんの好きなところについて考えたとき、私は多分真っ先に、その強さを挙げるだろう。そしてその強さは結局のところ、あの頃私が嫌で仕方がなかった、爆豪くんの攻撃性が形を変えて研ぎ澄まされた結果だ。
中学時代の爆豪くんにされたことを、未だに私は忘れていない。それは間違いない事実だし、今更どうしようもないことでもある。もしもこの先、それを忘れることがあったとしても、私が嫌だと思った事実、そのとき持った感情までが、すべて消えてなくなるわけでもない。
「中学時代にされたあれこれは、まあ忘れないけど
……
。でも、そのうえで、ああいう嫌なことされたけど今は好き、ってところに落ち着いてるし。というか中学時代の態度の悪さって、結構私たちどっこいどっこいだよね」
「たしかにおまえの感じの悪さは群を抜いてた」
「それは爆豪くんがカスだったから
……
いやまあ、それはもういいか。よくはないけど、受け容れてる」
「ハァ? てめえ何様だ」
「お互い様のくせにさぁ」
爆豪くんの手が伸びてきて、私の髪をぐしゃぐしゃと掻きまわす。撫でるというには乱暴でぞんざいな手つきに、私はうわーっ可愛くない悲鳴をあげる。距離をとって逃げようとしても、布団の中で絡まった足が、私の逃亡を許さない。ばかみたいなじゃれ合いが愛おしくて、私はたまらず噴き出した。
好きだと思う。爆豪くんのことが、どうしようもなく。
愛していると言い換えてもいいくらい、世界で一番好きだと思う。
もちろん私たちだってもういい大人なのだし、高校生のときのような、純度の高い恋心ではなくなったかもしれない。たとえばこうしてじゃれあっていたって、明日も仕事だからセックスはしないだろうなとか、そういうことを考えられるようにもなった。良くも悪くも爆豪くんは私にとって、生活の一部になったのだと思う。
そしてきっとそれは、何にも代えがたい幸福なのだろう。
ようやく爆豪くんが私を解放する。私は身体をずらし、爆豪くんの方へと距離を詰めてから、暗闇のなか彼の顔を覗き込んだ。
闇の中でもわかる、燃えるような真っ赤な瞳。いつでも私を射止め、心を縫い付け続けるきれいな焔。
「爆豪くんさ、私がどうして爆豪くんのプロポーズに待ったもなく頷いたと思う?」
私が尋ねると、爆豪くんがつかのま黙った後、静かに答える。
「自分で言ってただろ。俺と一緒にいたいって」
「うん、まあ最終的にはそうなんだけど」
突き詰めれば、その一言に尽きる。爆豪くんと一緒にいたい。これからもずっと、爆豪くんと一緒の人生を歩んでいきたかった。
けれどそれは、いろんな言葉を包み込んだ先にある、一番大枠の形でしかない。包み込んだそのなかには、もっとたくさん、いろんな気持ちと理屈がある。
「私たち、一回別れてるじゃん。だから、爆豪くんのいない人生っていうのがどういうものなのか、想像がつくというか、まあ、分かってるんだよね。付き合う前の、そばに爆豪くんがいない、いなくて当然の人生じゃなくて
……
、そばに爆豪くんがいてくれることを知っちゃったあとの、爆豪くんがいない人生、というか」
「
……
言いてえことは分かる」
爆豪くんの声が低くなったのは、多分私と同じ理由だろう。別れてしまった時期のことを、お互いに苦々しく思っているからだ。
別れてよかったと思ってはいるけれど、そういう問題ではない。あの八年間のあいだにだって、ずっと私のなかには爆豪くんがあり続けていた。
私のなかに爆豪くんはあって、けれどそばに爆豪くんはいない。不在をずっと身にしみて感じ続ける、私にとってはそういう八年間だった。
もう二度と、あのつらさを味わいたくないと思う。プロヒーローである爆豪くんと一緒になっていて、覚悟も何もしていないわけではないけれど、それでも、願わくば、この先もずっとずっと爆豪くんと一緒にいたいと思う。
喧嘩して、笑って泣いて、言いあって、そうやって爆豪くんのそばにいたい。
「この先もずっと、爆豪くんには腹を立てたり、むかついたり、怒ったりすると思うけど」
「今この瞬間におまえが俺をむかつかせてんだが」
「怒りながら、たまにはもしかしたら本気で嫌になりがら
……
、それでも爆豪くんのそばにいたいなって、私はちゃんと思ってるよ」
束の間のしじま。ひそやかな沈黙は、気づまりなものではない。
まもなく、爆豪くんの腕が私の腰に回り、そのまま強く引き寄せられた。
「今の言葉に、二言はねえな」
「うん。忘れないかぎりは大丈夫」
「死んでも忘れんな」
「約束できないよね、こういうことがあったから」
あはは、と笑うと、爆豪くんがごつんと額をぶつけた。「痛い」とうめく私に、爆豪くんは額をぶつけたまま「うるせえ」とかぶせてくる。
「反省が皆無じゃねえか、ふざけんな」
「反省した方がいいことあったかなぁ。むしろ爆豪くんこそ、反省することないの? さっきの話だと、記憶をなくす前の私って、爆豪くんに怒ってたはずなんだけど。それに対する反省とかは」
「うるせえ。誰がするか」
「えぇー
……
」
それ以上の文句は、爆豪くんからのキスによって封じられた。押し付けるだけのキスは、何度も角度を変えながら、終わることなく繰り返しつづける。爆豪くんが私の腰を抱き寄せて、ふたたび足でしっかりと私の身体を固定した。逃げるつもりもなかったけれど、こうされると捕獲されているような気分になって、やたらとどきどきしてしまう。
くちびるの隙間をねろねろと舐められる。たまらず私は、まるで爆豪くんのことを迎え入れるように、薄く口を開いてしまった。
爆豪くんが舌を強引に挿し込む。私の舌と爆豪くんの舌で、あっという間に口の中がいっぱいになった。深くまで求める爆豪くんのキスは、数日間ふれていなかったのを取り戻すように性急で、けれどどこまでも優しく私を求めてくる。
「んっ
……
んん
……
、ん
……
ぅ」
腰に回っていたはずの手が、いつのまにか私の頬を両側からつかみ、挟んでいた。爆豪くんの大きくて固い手のひらが、私の頬をするすると撫でる。指先が耳朶をなぞり、耳の裏をこすった。
「ふ、っんぅ
……
んっ」
全身が熱くなってきて、たまらず身をくねらせた。爆豪くんから逃れようとするけれど、まさか爆豪くんが易々と私を離してくれるはずがない。これ以上されると、ちょっとその気になってきてしまう。明日は爆豪くんも仕事だし、記憶が戻った以上は私も事務所に出勤しなければならないのに。
うっとりとして流されてしまいそうな気持ちを抑え込み、どうにかして自制心を奮い立たせる。両手を爆豪くんの肩に乗せ、ぐいと身体を押し返すものの、爆豪くんの頑強な肉体は私ごときの腕力ではまったく、微塵も微動だにしない。
「ちょっと、ねぇ
……
っ」
顔をそらし、キスから逃れる。その途端、爆豪くんが身を乗り出して、私の耳にかみついた。耳殻にべろりと舌を這わされ、うひゃぅと哀れっぽい声がもれる。
しかし、この耳への攻撃を受けて、私は確信した。爆豪くん、絶対ふざけてる
……
!
「っ、ば、ばくご、く
……
っ、ちょ
……
ちょっと、あの
……
ねえ、待って!」
今度こそ、私は本気で爆豪くんの身体を押し戻した。すると爆豪くんは、ようやく私が本気だと悟ったのか、渋々ながらも私への攻撃の手を止めてくれる。ほっとしたのも束の間、チッと耳元でひとつ、聞きなれた物騒な音がした。
「ねえ、今舌打ちした? うそ、本当にこのままする気だったの?」
「んなわけねーだろ。ド平日だぞ」
「そ、そうだよね
……
」
びっくりした。あまりにもキスが本気のやつすぎて、本当にこのまま始める気なのかと思ってしまった。もちろん、爆豪くんが本気でその気だというのなら、多少の無理をして付き合う気概くらいはある。けれど、爆豪くんはそういう無理を強いてくるタイプではない。
露骨に安堵してしまう私に、爆豪くんは鼻を鳴らして言う。
「火ィつけるだけつけといて、いざおまえが本格的に盛りだしたら、そこで放置して寝てやろうと思っとった」
「うわ、最悪すぎる
……
本当にありえないんだけど
……
?」
「そんくらい、こっちゃこの数日振り回されてんだ。ちょっとくれえやり返しても罰当たんねえだろ」
「私だって被害者なのに
……
」
とはいえ、爆豪くんをかなり振り回したのは事実なので、あまり強く言い返せるものでもなかった。私は好きでやっている仕事だから、何かあってもこういうこともある、とある程度諦めがつくし割り切れる。けれど、爆豪くんはそうではない。それこそ、巻き込まれただけの被害者だ。
今回は爆豪くんに悪いことをしてしまった。今夜はこのまま寝るとしても、週末あたりにきちんと、何らかのかたちでお礼をした方がいいのだろう。どういう形でのお礼になるのか、それはまた別の話だけれども。
私らしからぬ不埒な想像が頭のなかに発生し、私は慌てて鼻の下まで掛け布団をずり上げる。さいわい爆豪くんには、一連の挙動不審を見咎められるずに済んだ。ほっと息を吐いたところで、爆豪くんが口を開いた。
「
……
もし、おまえが最初から生意気さの欠片もねえ女子中学生だったら、俺は多分、おまえを個人として認識してなかった」
一瞬、何の話かと首を傾げかける。けれどすぐ、それがキスを落とされるより前の話からつらなる、私たちの今と昔の話だと気付いた。爆豪くんの言葉を反芻し、私はうなずく。
「そうだろうね。でも、逆もまたしかりっていうか。記憶失くしてるときにも言ったけど、結局さ、優しいだけの爆豪くんなんか、私は絶対好きにならないんだよ」
優しいだけの人を好きになれたら、どれだけよかったかと思わないでもないけれど。それは今更、言ったところでどうなるものでもないことだ。
もしも爆豪くんと出会わなければ。そうすればいつかは私だって、優しいだけの誰かを好きになれたのかもしれない。優しくて、暴言を吐かず蔑称で私を呼ばない、退屈な誰かを。
けれどそれはあったかもしれない、なかった話。私は爆豪くんと出会ってしまったし、なかば事故のようなものではあっても、彼と恋に落ちてしまった。爆豪くんを好きになってしまったから、もうほかの誰かなんかじゃ満足できない。爆豪くん以外の誰のことも、好きにはなれないし、なりたくもない。
ふと見れば、爆豪くんがほとほと呆れ果てたという目つきをして、私のことを眺めている。
「おまえ、ほんっと、男の趣味が
……
」
「悪すぎる?」
「ハァ? んなわけあるか。つーかこの俺を捕まえときながら、男の趣味が悪いなんてぜってえ言わせねえ」
爆豪くんが顔を寄せてきたから、てっきりもう一度キスを落とされるのかと思った。まぶたを閉じたその直後、額にすさまじい衝撃が走る。
「痛っっっ」
唐突なデコピンにびっくりして目を見開くと、キスしてしまいそうなくらいの至近距離に、爆豪くんの意地悪な笑顔がある。
「根暗のくせに男の趣味が良すぎるとこだけは、まあまあ賞賛に値する」
「そうやって自分で言っちゃうところがなぁ」
「うるせえ、黙れ」
私の心の底からの感想を、爆豪くんはキスであっさり封じ込め、言葉を全部取り上げた。
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