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柚子子
2024-12-08 21:20:09
61099文字
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ベリーベリー
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記憶喪失の話(+8)
爆豪長編『ベリーベリー』の番外編。本編最終話および掲載済の他番外編のネタバレを含みます。
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何から何まで必要な物品の位置を教え、夕食を終えた
苗字
をどうにかこうにかシャワーに送り出してから、俺はさて、どうしたものかと、ひとりダイニングテーブルについて思案する。夕飯も入浴も済めば一段落、話をするのにもうってつけの時間帯だ。
話さなければならないことは、当然それなりにあるはずだ。記憶云々を差し引くとしても、今の
苗字
にとってこの状況は、他人と一つ屋根の下に暮らすことになっているも同然。
であれば、ある程度のルール作りが必要になるのは言うまでもない。もちろんそれだけでなく、記憶を取り戻すための会話も必要になってくる。
苗字
の方でも、俺に聞きたいこと、確認したいことは山ほどあるだろう。夕飯を食べているあいだもずっと、
苗字
は何か口を開きかけては閉じるのを繰り返していた。そろそろ頭の中で質問したいこと、話したいことがまとまってきた頃合いだ。
病院から帰り今に至るまで、その都度ごと必要事項の説明こそしたものの、それ以上の話は特に何もしていない。気が重いが、仕方ない。ドアの向こうからは、
苗字
が立てる物音が断続的に聞こえてくる。舌打ちをひとつ打ち、俺は考えをまとめる。
話さなければならないことといって、まず真っ先に思いつくのは、ひとまず俺と
苗字
の関係についてだ。これは何をどの程度話すべきか、そのあたりが問題になってくる。
詳細を話せば長くなるので、詳しい話は明日以降に回すにしても、さすがに「俺はおまえの旦那だ」以上の説明がまったくないのは、今夜から一緒に暮らすうえであまりにも不親切だろう。
考えているうちに、
苗字
が入浴を済ませ、リビングダイニングに戻ってきた。
「シャワーありがとうございました。換気扇回してきたけど、あってた?」
風呂上がりの
苗字
は、そんな生活感にまみれたことを言いながら、のこのこと俺の前に顔を出す。帰宅したときに比べれば、少しはリラックスしてきたようだ。
俺が用意した
苗字
愛用、というかぐったりしているだけのスウェットを着た
苗字
を、俺は目顔で呼ぶ。
苗字
はちょっときょとんとしたが、すぐにこちらに寄ってきた。
「さっさと寝てえだろうが、ちょっとここ座れ」
「うん、分かった。あ、でもその前に、お茶だけ飲んでいい?」
「いちいち確認とんな」
「そう言われても」
呑気な調子で言い返しつつ、麦茶で喉を潤してから、
苗字
はテーブルを挟んで俺の対面に座った。
「大事な話かな。いや、大事な話しかないか」
「雑談に付き合えってか?」
「それは明日以降で大丈夫だよ」
受け答えする
苗字
の表情から察するに、
苗字
にも腹を割って話す心づもりがあるようだ。
苗字
はいたって真剣な表情で、俺からの言葉を待ち受けているように見えた。
どう切り出すべきか。先ほど考えたいくつかのパターンを脳内で参照する。とはいえ、焦りは禁物だ。考えた結果、俺はひとまず、無難なところから話を始めることにした。
「一緒に暮らすっつーのに、まだろくに俺が誰なんかも話してねえからな。まあ、軽く
……
」
「自己紹介?」
「必要だろ。俺はともかく、おまえには」
苗字
は少し考えるそぶりをしてから、ああ、と一拍遅れて納得した。いまひとつ緊張感のないリアクションに、俺は呆れて眉根を寄せる。大丈夫か、こいつ。記憶喪失ついでに、脳の思考回路が若干にぶくなってんじゃねえか。
「自己紹介するのはいいんだけど、私は紹介できる自己を知らないよ」
「誰がてめえの自己紹介しろっつった。人の話聞いとったか?」
「こういうのって、双方向であるべきなのかと」
「してえなら聞いてやるが」
俺が言うと、
苗字
は頬に手を当て、思案する格好をする。そして、
「うーん。じゃあ、私が今のところ認識してる自己について話すから、間違ってるところがあったら、勝己くん教えてくれる?」
考えながら話すような調子で、ゆっくりとそう提案してきた。
なるほど、それならまあ、悪くはない。意外にも建設的な提案をしてきやがったなと、俺は内心、少しだけ感心した。
個人的な記憶が失われているといったって、実際にどの程度の記憶が失われているのか、明確なところは判然としていない。
苗字
自身にも、それは分かりっこないだろう。
何をどの程度、どのように理解しているのか。そうした基礎になる情報を共有しておくだけでも、この後の話がずいぶんと楽になる。
俺が了解したのを見て、
苗字
が口を開いた。
「じゃあ早速
……
私の名前は、爆豪
名前
……
、職場だと旧姓使ってて、
苗字
名前
って名乗ってるんだよね。職場は、ええと
……
『ライトリーラボ』で、研究職についてる」
「運動器官を代替する義肢装具で個性因子を感知させて、特定の反応を発生させる、ヒーロー活動の補助具としての装具開発」
仕事の内容を補足してやると、
苗字
はぽかんとした後、眉尻を下げて苦笑した。
「すごい。難しいことやってるんだなぁ、私」
「小学生みてえな感想やめろ」
「仕事のことは、まあそのくらいかな。で、私生活のほうは、勝己くんの奥さん」
テーブルにつけて伸ばした人差し指の先を、
苗字
は俺のほうへと向けた。
「勝己くんとは結婚して、まだ一年は経ってないんだよね? 合ってる?」
「合ってる。なんで知っとんだ」
「さっき自分の携帯のカレンダー見て確認したから」
生体認証で開けてよかったよ、と
苗字
。そういえば
苗字
は、俺と共有しているカレンダーアプリ以外にも、昔から機種変更するたび引き継いで使い続けている、カレンダーアプリがあると言っていた。SNSのたぐいはやっていないが、それでも携帯を見られるのなら、そこから得られる情報量は莫大だろう。
「携帯見られんなら話が早ェ。俺が説明するまでもなく、大体のことはそっから分かるだろ」
しかし
苗字
は、ふいと視線をそらして歯切れの悪い返事をする。
「んだよ」
「や、それはそう、そうなんだけど
……
、メッセージ遡ったりとかは、ちょっと
……
抵抗があって、まだやってない」
「ハァ? 抵抗って、何の抵抗だよ」
「なんか、知らない人のやりとりを盗み見してるみたいで、ちょっと気が咎めるんだよね
……
」
もごもごと言い訳めいたことを言う
苗字
に、俺ははばかることもなく嘆息した。そんなことを言っている場合か。
「くだらねえこと言ってねえで、見るもん見て思い出せ」
「うん
……
。それはまあ、
……
また明日からかな」
どうやら、本当に気乗りしないらしい。そのあたりの情緒が、俺にはまったく理解できなかった。記憶の有無がどうであれ、
苗字
が昨日と今日とで同一人物であることは疑いようがない。
苗字
本人だって、そのくらいのことは分かっているだろう。にもかかわらず、一体なんで気が咎めるのか、俺にはさっぱり分からない。
テーブルに漂う空気が微妙に気まずく重くなる。その重さをごまかすように、
苗字
が話題を変えた。
「そういえば、勝己くんと私が結婚して一年経ってないのは分かったんだけど、そもそも私と勝己くんってどういう知り合いだったの? やっぱり仕事関係?」
にこにこと聞かれ、なんとも言い難い気分になる。そもそも惚れた腫れたの話なんざ、まったく好きでもなんでもない。そのうえ、その当事者のひとりから興味津々の顔をされるというのは、俺ばかり辱めを受けているような不公平感がある。
「
……
中学の同級生」
「わ、すごい。ずいぶん長い付き合いなんだねぇ。中学かぁ
……
覚えてないなぁ
……
」
「そうだろうな」
中学のことに限らず、何も覚えちゃいねえだろうが。そう言いかけたのを、すんでのところで飲み込んだ。今の
苗字
に対しては言動に注意が必要だと、ついさっき自分で猛省したばかりだ。
「まあ、そこまで中学に思い入れがあるわけでもねえしな。俺もおまえも」
「ふうん、そうなんだ
……
?」
苗字
には大戦のときに避難所で再会したところから、交友関係が復活した中学時代の友人が何人かいる。が、中学そのものには、
苗字
は何の感情も持っていなさそうだった。むしろ底辺公立中学として、嫌悪していた節すらある。
「んな気になんなら、卒アル見りゃいいだろ」
「あるんだ、卒アル」
「どっかにな。なけりゃ実家から送ってもらえば」
苗字
の親は忙しいだろうから、頼るならうちの親だ。同じ中学に通っていたのだから、俺か
苗字
か、一冊あれば事足りる。
「じゃあアルバムのことはまた明日考えるとして
……
。それで、私たちって中学のときから付き合ってるの?」
「付き合いだしたんは高校んとき」
「へえ、どっちから告白したの? やっぱ私?」
「『やっぱ』って何だ、『やっぱ』って」
「なんとなく、私の方が先に好きになってそうだなと思って」
特に深い考えもなさそうに、
苗字
はへらへらと言った。
実際には俺の方が先に好きになったし、俺が追い込んで付き合った。別れを切り出したのは
苗字
で、復縁を迫ったのは俺の方。ついでにいえば、結婚を切り出したのも俺の方。そう考えると、なんでもかんでも俺の方から持ち出しているように思えるが、事実そうなのだから仕方がない。こいつのペースに合わせていると、一生話が進まない。
もっとも、それをこいつにわざわざ教えてやる必要もない。
「忘れた。知りたきゃさっさと思い出せ」
「ええー、教えてくれないんだ。てことは、勝己くんからなのかなぁ」
「知るか。つーか、俺からだったらどうなんだよ」
「昔の私が、よっぽどうまくやったんだなって感心する」
「なんだそりゃ、アホくせ」
話が一段落したので、立ち上がる。キッチンで麦茶を喉に流し込み、俺は今の会話を頭の中で整理した。
とりあえず、
苗字
が俺との関係について納得しているのは分かった。もしも逆の立場で俺が記憶喪失になっていたとしたら、俺はまず間違いなく「なんっでこんなパっとしねえ女と結婚なんかしてんだ、嘘だろ。詐欺か?」くらいのことは言ったはずだ。そういう面倒なことを
苗字
が言い出さなかったことに、まずはほっとした。
使ったコップを流しに置き、
苗字
の待つテーブルに戻る。
「あと聞いときてえことは」
俺の問いに、
苗字
は首を傾け考えていたが、特に何も思いつかなかったらしい。
「うーん、今のところは大丈夫、かな。さっき私の両親と電話で話したときも、勝己くんに任せておけば大丈夫、って言われたし」
「おい」
「信用されてるんだね、勝己くんって」
それはまあ、そうだろう。伊達に高校時代から社会人数年目まで、欠かさず近所付き合いを続けてきていない。
苗字
の両親は、下手すると自分の両親よりも全面的に、俺の味方をしてくれる。
「聞きてえことねえなら、今日はここまでだな。明日になったら、また何か思いつくかもしんねえし」
「明日になったら思い出してるかもよ」
「死ぬほど楽観的か?」
「希望だけは持っておいた方がいいかなって」
あはは、と呑気に笑う
苗字
。記憶がないというのに、いやに楽観的だ。まあ、めそめそされるよりはいい。ふつうに笑っていられるということは、心安らかに過ごせているということだ。
キッチンの片づけを済ませて、今日のところは就寝することにした。
「俺はこっちで寝る。ベッドはおまえが使っていい」
ソファーを指さし俺が言うと、
苗字
は「えっ」と声を上げる。
「勝己くんはベッドで寝ないの?」
「おまえが記憶を取り戻さないかぎり、俺らは夫婦つっても形だけだ。おまえだって、よく知らねえ男が同じ布団で寝てりゃ落ち着かねえだろ」
「それは、そうかもしれないけど
……
」
もごもごと、
苗字
が反論ともつかない繰り言を口にする。
苗字
はいかにも物言いたげにしているが、しかしこればかりは、それならそれでと引ける話ではない。
苗字
は本来、かなりパーソナルスペースを広くとるタイプだ。というより、親しくない相手に対してガードが堅い。記憶を失ってなお、俺に対しては「結婚相手」として接しているが、それでも当然、普段の
苗字
に比べれば、パーソナルスペースはかなり広くとっている。その証拠に、
苗字
は記憶を失ってから一度も、俺に直接触れていない。
今のところ、
苗字
はかなり俺に対して友好的な態度をとっている。というより、俺しか頼ることができない以上、どうしたってこういう感じにはなるんだろう。しかし、そこで調子に乗ってしまうと、たいがい後から痛い目を見るはめになる。こいつはそういう女だ。
俺が他者の事情を慮れる人間であることを、まずは
苗字
のなかに、しっかり印象として刷り込む。あとのことは、その印象のうえに成り立っていくものだ。
「そうでけえベッドでもねえ。よく知らねえ男が、そこそこの距離で横で寝てるとこ、想像してみろ。どう考えても嫌だろ」
「それは
……
」
苗字
が口ごもる。そりゃあそうだろう。今の
苗字
にとっちゃ、俺の横で寝んのも、見知らぬ人間の横で寝んのも、そう大差はない。
それでもしばらく
苗字
が悩んで見せたのは、この家の家主が俺であるという、その意識があるからだろう。となれば、次に
苗字
が言い出すことにも想像がつく。
案の定、
苗字
は、
「わかった、じゃあ私がソファーで」
そんな提案をしてきた。その提案を俺は当然、光のはやさで却下した。
「おい。てめえの、今の、最優先事項は?」
「記憶を取り戻すこと
……
?」
「分かってんじゃねえか。で、そのためにゃ、心安らかにって医者の話だっただろ。分かったらちゃんとベッドで寝て疲れをとれ」
俺が言うと、
苗字
はむっと口をつぐんだ。
記憶がないなかで、ここまで泣きも喚きもせずについてきているのだ。身体的な疲労はともかく、精神的に疲弊していないはずがない。口をつぐんだのは、反論の目がないからだろう。ダメ押しとばかりに、俺はもう一手打った。
「こっちはもともと雑魚寝上等の仕事してんだ。一日二日、ソファーで寝ようが平気だわ。つーか、このやりとりやっとる分、睡眠時間が減ってんだ」
捲し立てるようにそう言うと、
苗字
はようやく折れた。
「わかった、じゃあ、今日は私がベッドをお借りします」
「借りるも何もおまえんちの家具だろうが」
のろのろと寝室に引き上げていく
苗字
の背中を見送る。ドアが閉じ、その背が見えなくなってから、俺はようやく長く息を吐き出した。
もしも昨晩、
苗字
の背を引き止めていたら。話をしていたら。
それでこの事態を回避できたというわけではないにせよ、もしもそうしていたらきっと、今頃俺の心持ちは、もう少しましなものになっていただろう。
今更考えても仕方がない、益体のないことだ。分かっているにもかかわらず、頭の中をそんな思考ばかりが埋めていく。
「個性事故巻き込まれるにしても、タイミング悪すぎんだろ、クソが」
八つ当たりにもほどがあるセリフを口にして、俺はソファーに転がった。
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