旅と夢の狭間にて

FF14の二次創作です。
暁月のフィナーレ(6.0)までのネタバレを含みます。


 星空の果てには何があるのだろう?
 幼い頃、見上げた空へ問いかけたことを思い出した。
 アゼルは星空の中を歩いていた。
 星空と称してみたが、本来のそれではない。周囲には深い闇がどこまでも広がっている。その色は、まるで夜という夜を集めて織り上げたもの。頭上にも足元にも、星の代わりに無機質な煌めきが不規則に明滅していた。
 聞こえてくる音はない。生命の気配がない中で、己の息遣いだけがやたらと大きく聴こえた。
 ここはどこだ。見たことのない場所だった。綺麗ではあるが、体の深いところで原始的な恐れが掻き立てられる。天の果てで見た彼の地に少し似ている気がした。
 アゼルはただ前へ、前へと歩いている。目指す場所はない。とにかく進まなくてはいけない。じりじりとした焦燥が、彼の足を動かし続けている。
 いったいどれだけ歩いているのだろうか。一日? 十日? それとも……。わからない。体内時計がすっかり狂ってしまっている。ずっと歩き続けているのに、飢えも乾きも感じない。その代わりに、目指すところのない道程は、彼の心をじわりじわりと削り取っていった。
 体が重い。まるで鉛でも背負っているようだ。足取りは少しずつ重くなっていく。足先の感覚も徐々に薄らいでいる。
 それでも、それでも前へ進まなくては。
 その歩みを止めようと、昏い何かがアゼルの足元でざわざわと蠢いていた。
「どうして俺はこんなところを歩いているんだ?」
 思考が口から漏れ出ている。そうでもしないと気が狂ってしまいそうだった。
(立ち止まったっていいじゃないか)
 囁くように、惑わすように、何処からか聞こえてくる昏い声。
「この先には何がある?」
 こんなにつらい思いをしてまで、そこは行かなければいけない場所なのか?
(何も無い)
(目指す場所なんて無い)
(もともと仲間達のように立派な志も持っていないだろう?)
 そんなことはない。否定したいのに、何故かそれを口にすることができない。
……寒くなってきたな」
 先程まで温度の変化は感じなかった。今は寒さに体が震えている。冷たい指先は氷のようだ。やめてくれ、寒いのは苦手なんだ。
(帰ったらどうだ?)
(あの暗い森へ)
 故郷の森。母さんと姉さんは今頃どうしているだろう。いや、今更帰れない。捨てるように飛び出してきた、あの場所には。
(ああ、星を救った英雄様は、自分が持て囃される場所の方がいいんだろうな)
 違う! ああ、まただ。どうしてこの声を否定してやれないんだ。
 いったい自分が何と対話をしているのか。アゼルにはわからない。それも次第にどうでもよいことに思えてきた。
 それよりも寒さが身に堪える。体が重い。足を上げるのがつらい。早く暖かいところで休みたい。取り留めのない思考が、頭の中で渦を巻いては星空に滲んで消えていった。
 その時、アゼルの行く先に光球がひとつ現れた。
 その輝きは、陽の光を浴びて煌めく刃金の色。
 アゼルは光球を両手で掬い上げた。暖かい。触れているところから温もりと力強さと、どこか懐かしさが伝わってくる。
 体の震えは止まっていた。
 光球はアゼルの手から飛び出すと、彼の周囲をぐるりとひと回りして、すっと隣に落ち着いた。アゼルの歩みに着いてくる。
 ひとりとひとつが、寄り添いながら、昏い星空を進んでゆく。光球は時折アゼルを追い越して、こっちだと先導するかのように輝きを強くした。
 そうしてしばらく光球と共に歩いている内に、アゼルは自分の中で張り詰めていたものが解けていくのを感じていた。気付けば足も、体も、すっかり軽くなっていた。
 このまま最後まで一緒に行こう。だからもっと近くに。刃金の光へ手を伸ばした。
 しかし光球は、アゼルが触れようとした途端に輝きを失い、星のように流れ落ちていった。
 待ってくれ!
 追いかけようとしたが、その姿は既に見えなくなっていた。
 言葉が出ない。胸に冷たい何かが降ってくる。
 それでも足は止まらない。
 重い体を引きずるように歩いていると、今度は冬の湖の色をした光球が現れた。
 掬い上げると、付かず離れずアゼルの後を追ってきた。その距離は少しずつ、本当に少しずつだが縮まっていく。
 やっと隣にまでやってきた光球に、もう一度手を伸ばす。
 触れることはできなかった。色を失った光球は、アゼルをその場に置いて流れて消えた。
 何かが軋んだ音を立てた。胸が冷たい何かで溢れてしまいそうだ。
 それでも足は止まらない。
 次は陽を浴びた麦穂の色。その次は清らかな月の明かり。光。光。光。たくさんのいろのひかりが、近付き、掬い上げ、寄り添っては、アゼルを置き去りにして流れて落ちていく。
 頼む、行かないでくれ。アゼルは願った。しかしそれは叶わない。
 流れ落ちていく光を見送るたびに、無数の悲しみが冷たい刃となってアゼルの内側を引き裂いていった。どんなに叫び声をあげても、血も涙も枯れることを知らないままに。
 底冷えに身体の震えは止まらない。指の先には切り刻まれるような鋭い痛み。歯の根はガチガチと音を立てている。
 星空の中で一人抗うアゼル。足は止まらない。どんなに重くなろうとも、足を前へ踏み出すことだけは決して止めない。それだけが今の彼を彼として繋ぎとめている。
 どうにかしてそれを止めてやろう。アゼルの足に絡みついた昏いものが、締め付けを強くしていく。
(触れようとしなければよかったのに)
 違う。
(出会わなければよかったのに)
 違う。
(お前が彼らの運命を狂わせた)
 違う!
(お前と出会わなければ生きて幸せになれたかもしれないのに)
 やめてくれ……!!
(お前は)
「俺は……
 それでもまだ進むのか?
 その先で、また何かを失うのかもしれないのに?
 足が上がらない。次の一歩を踏み出すのにとんでもなく時間がかかる。まるで雪に埋もれた道なき道を無理やり行軍しているようだ。荒い息遣いが星空に虚しく響いている。
「前へ……前へ……
 次の足を上げるんだ。前へ踏み出せ。もっと遠くに。そうだ。もう一度。次の足をもう一歩……。何度も何度も繰り返せ。
 昏いものがニタニタと嫌な笑いを浮かべている。アゼルの首筋に這い上がってきたそれは、甘い声で耳元に囁きかける。
(どうして無理に進もうとする?)
(また何かを失うのかもしれないのに?)
(傷付くかもしれないのに?)
 獲物は弱っている。昏いものは牙を剥き、今にも急所を突こうと鎌首をもたげた。
(このまま終わりにしてしまえばいい)
(そうすれば楽になれる)
(ほら、周りもみんな終わっていく)
 アゼルは星空を仰いだ。
 落ちて行く。星たちが落ちていく。頭の上で、足の下で、静かに明滅していたいくつもの光が、次々に流れて落ちて行く。一つ、また一つ。
 それは満天の流星群。アゼルを中心にして星空が終わっていく。
 手を伸ばす。一つでもこの手に掴めないかと手を伸ばす。しかし手の内に残るものは何も無い。隣でまた一つ星が落ちていった。伸ばした手が力を無くし項垂れる。
 一歩。もう一歩。その次の足は……上がらない。どれだけ経っても上げることはできない。
 一度止まってしまった足はもう動かない。
 立ち尽くす。何もできずにただその場に立ち尽くす。その間にも周囲の光はその数を減らし続けている。星空だったものが虚無へと塗り替えられていく。
(そうだ、それでいい)
(お前もそう思ったから、あの男の言葉に頷いたんだろう?)
 ああそうだ。あの時、これで終わりにしてもいいと思ったんだ。
 アーテリスは救われた。これ以上無理して前へ進む理由も無くなった。だったら、ここで命を燃やし尽くしてしまえば、もう誰かの運命を巻き込むこともない。誰も傷つかないで済む。
 失うのは怖いんだ。傷つくのはつらいんだ。あんな思いを何度もするのは嫌なんだ。
 本当の俺は、周りが言うほど強くない。
(だったら)
 終わらせてくれ。ここは、寒すぎる。
(英雄でも冒険者でもなく、ただの弱いお前としてここで終わっていけ)
 足元が消失した。
 落ちる。星の一つとなって落ちていく。アゼルだった意識は、暗い底を目がけてどこまでも落ち続けていく。
『そっちへ行っては駄目……!』
 誰かの声が聞こえた気がする。だがそれもどうでもいい。もう手を伸ばすことはない。俺はここで終わっていくのだから。
 静かに閉ざされていく昼と夜の二色。なにもかもが幾重の黒に滲んで消えていく。
 終わりゆく星空の中に、最後に一つ、小さな光が現れた。花弁が渦巻くようなそれは、空を染める夕暮れの色。
 落ちる、落ちる。落ちて行くアゼルを茜色が追いかける。くるりくるりと虹の螺旋を描いて、アゼルのことを追いかけていく。
『思い出して……
 始まりの時、何を願ったのかを。
『思い出して……!』
 はるか天の彼方で、何を願ったのかを。

 思い出して、私の大切なあなた……