旅と夢の狭間にて

FF14の二次創作です。
暁月のフィナーレ(6.0)までのネタバレを含みます。


 クリスタリウムを初めて訪れた者は、まずその美しさに息を呑む。続いてその精緻な都市設計に唸りを上げる者もいるだろう。
 この街の構造は一見入り組んでいるが、馴染んでしまえば案外歩きやすく出来ている。街の四方八方に点在する様々な設備。これらは役割ごとに分類されて、主たる七つが円蓋の座を中心に北と南に振り分けられている。
 文法、修辞、論理。北の三つを総じて三学科の座。
 幾何、天文、音楽、算術。南の四つを四学科の座。
 施設に与えられた自由七科の名。総合的な知の錬成が、真に人を不自由から解放する。混迷の時代において人が人らしく生きられるように。そんな祈りを、名付けた者は込めたのだろうか。
 南の最奥に位置するのは、算術の座を冠したペンダント居住館。その優美な白壁を望みながら、アゼルは街路を歩いていた。
 左手には大きな紙袋を抱えている。袋の口からはバゲットが顔を覗かせて、焼き立ての香りを辺りに振り撒いていた。先ほど立ち寄った商業区画、ムジカ・ユニバーサリスで貰ったものだ。
「ほら闇の戦士様、これも持っていきな!」
 菓子に薬に、何故か可愛らしい水蛇様の玩具まで。威勢の良い露店の商人達が、なかば押し付けるようにアゼルの手にねじ込んでいった。どんどん膨らんでいく買物袋。さすがに申し訳なくなり、いくらかは丁重に断ろうとしたのだが、彼らの逞しい笑顔と勢いにはアゼルも敵わない。たまには厚意に甘えるのも悪くはないだろう。最後には開き直ることにした。
 ペンダント居住館の白壁が間近に見える頃になっても、背中の向こうからは賑やかな呼び込み声が聞こえてくる。それは鳴り止まない音楽のよう。なるほど、これがムジカ・ユニバーサリスが音楽の座たる所以なのかもしれない。
 そんなことを考えている内に、居住館の前に辿り着いた。
「おかえりなさいませ、アゼルさん」
 穏やかな低音の持ち主は、カウンターにいる管理人の青年。アゼルが入ってきたのを見て、エルフ族らしい優雅な仕草で一礼をした。すっかり顔馴染みになった青年に、アゼルも空いている方の手を上げて応えた。
「おかえり、か。そう言ってもらえるとやっぱり少し嬉しいな」
 少しはにかみながら言う。
「ええ、ここはあなたの居室がある場所ですから。いつでも帰っていらっしゃるのをお待ちしていますよ」
……ああ、ありがとう」
 滞在の手続きをしながら「ただいま」と小さく口に出した。照れ臭さが混じる声に、青年が穏やかな笑みで返した。
「先ほど、ライナさんからあなたがいらっしゃると連絡をいただきまして。居室の清掃は済んでおりますが、何か入り用な物があれば仰ってください」
 それからすぐに「その様子ですと、大丈夫そうですね」と管理人は付け加えた。視線はアゼルが抱えている紙袋に向けられている。微笑み交じりの口調は、ムジカ・ユニバーサリスでのやりとりを全て察しているかのようだった。
「それでは、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
 手続きが済むと、管理人から真鍮の鍵が手渡された。それを持って進む。
 開放感のある吹抜け。ゆるやかに掛かる螺旋階段を登っていくと、下の方に水が流れているのがよく見えた。上水に関わる都市設備を館の構造に組み込んでいるのだろう。水の音を聞きながら階層をいくつか上がり、南西に面した部屋の前で足を止めた。
 先ほど受け取った鍵で扉を開いた。
 まず目に入るのは、壁の煉瓦と鉄材の黒、それと床のストーンベージュ。織りなす色彩はクリスタリウム特有のもの。居住スペースとしてはやや主張が強い配色だが、落ち着いた色遣いの調度品が良い塩梅に設置されてバランスをとっている。
 ここはアゼルに貸し与えられた居室。少し狭いと管理人は言っていたが、単身居住者用の平均的な間取りと備え付けられた家具は旅の拠点として扱いやすい。
 中でもアゼルが気に入っているのは、入口正面の大きな窓だ。
 荷物を置き、まずは窓を開け放った。新鮮な外気が流れ込んできて心地よい。
 窓の外には、山と山の合間を縫って紫色の木々が生い茂っている。遠くには始まりの湖が見えた。景色を縁取る空は、暮れなずむ少し前。青に茜色が滲み始めている。
 アゼルは外套を脱ぎ、クラヴァットの結び目を解いた。このまま部屋着に替えたい気持ちも湧いてきたが、来客の可能性を考えるとそこまで寛ぐわけにもいくまい。
 置いた荷物を片付けて、奥の調理台で湯を沸かした。戸棚から茶器を取り出し、沸かした湯で紅茶を淹れる。葉の量も蒸らす時間も目分量。ヤ・シュトラあたりに見られたら顔をしかめられそうだ。
 入口近くの長椅子に移動して、ゆったりと体を預けた。カップを傾けると、鮮やかな紅色から爽やかな香気が立ち上り鼻腔をくすぐった。温かい。少々疲れた体に紅茶の温度がちょうど良かった。
 ふと、窓に目を向けた。この位置からは外の景色がよく見える。
 アゼルはここから眺める空が好きだった。
 かつてノルヴラントの空は、無尽の光に押し潰されていた。光と言えども度を過ぎれば害となる。空は人々の嘆きの声で満ちていた。
 この空に夜を取り戻した日。安らぎの色が光を割り、空が歓びの声で満たされたあの時のことは、生涯忘れないだろう。
 だから、この空が再び嘆きの色に染まる前に終末を退けることができてよかった。窓の外に広がる鮮やかな色彩を眺めながら、アゼルは心からそう思った。
 再び紅茶に口をつけようとした。その時、鳩尾の奥にずんと重い痛みが落ちてきた。
 反射的に右手でそこを押さえる。左手は紅茶をこぼさぬようにカップを避難させていた。目を閉じて深い呼吸を一度、二度、三度。しばらく繰り返している内に、痛みは次第に治まっていった。

 終末をめぐる旅路は、アゼルの身体の内側に深い爪痕を残していた。
 世界を駆け巡り、次元すら超えて、ついには遥か遠い宙の彼方にまで及んだ旅。その最果てで、星々の嘆きと絶望を前にして、生きて帰れぬ覚悟はできていた。只人たる己は、命くらい賭けなければ世界の命運を変えることなどできはしない。
 最後にあの男と対峙した時もそうだった。
 ゼノスによって身体中に刻まれた夥しい数の傷。それは戦うことを自ら望んだ代償。魔導船ラグナロクへ転移した時には、この身のあまりの惨状に、その場にいた全員が息を呑んだと聞く。あまりよく覚えていないのは血を流しすぎたからか。アリゼーの泣く声だけが、今も耳について離れないでいる。
 仲間達があらゆる治癒の手を尽くしてくれたおかげで、アゼルは一命を取り留めた。帰還後はオールド・シャーレアンで手厚い治療と看護を受け、順調に回復していき、思っていたよりも早く病人用のベッドを出ることができた。
 日常が戻り、元の生活を取り戻していく内に、無数にあった傷跡も次第に目立たなくなっていった。
 しかしある時、アゼルは体に生じていた異変に気が付いた。時折、腹の奥の方に、鈍くて重い痛みが落ちてくる。予告無く現れるその痛みは、日常のふとした時に存在を主張して、アゼルのことを苛み続けていた。
 天の果てにおける戦いは熾烈を極めた。特にゼノスとの相対で負った傷は、内臓にまで届いたほどの深手もあった。痛みの原因はきっとそれに違いない。四肢や身体機能を失わずに済んだのは、余程の幸運に恵まれたと思うべきか。
「こっちの本業は癒し手だっていうのに、無茶な戦いをさせてくれたもんだ……まったく」
 痛みに辟易して独りごちる。腰に佩いた魔導書の表紙の革を、指先が無意識になぞっていた。
『血の一滴も余さず、この刹那に喰らいつこうぞ!』
 使い込まれた革に刻まれた傷の感触が、血に塗れながら吠えるゼノスの姿を瞼の裏に呼び起こした。
 決戦の地。夜明けの水平のような星の海には、互いを定めるものは存在しない。
 英雄ではない。英雄の敵でもない。冒険者と追放者ですらない。彼らはただのアゼル、ただのゼノスだった。
 大鎌を振るう。魔力を練る。返す刃で払い抜く。
 燃え盛る炎を解き放つ。鎌の切先が肉を抉り取ろうとする。すかさず防御の陣を展開する。
 飛び掛かって押し倒す。取っ組み合う。一進一退の攻防に、互いの技の粋を尽くした。最後には互いに武器をもかなぐり捨てた。
 肉を打つ音。骨の砕ける感触。己を鼓舞する咆哮。
 殴る、蹴る、穿つ。そして殴る。殴る。殴る。
 血反吐に塗れ、息も絶え絶えになってさえも、二匹の獣は命を削り合い続けた。目の前に立つ獣を星の海に還す。ただそれだけを考えて。
 ゼノスは笑っていた。端正だった顔は傷つき歪み、見る影がなかった。殺気の溢れる目を爛々とさせ、アゼルのことだけをずっと見ていた。悪鬼のようにも見えるそれは、しかしいっそ清々しいとさえ思えた。
 なぜなら、己もきっと同じ目をしていたからだ。
『なぁ……《冒険者》よ』
 戦いの前に、ゼノスから投げかけられた問い。頷けばおそらく自分は生きて帰れない。負ける気もなかったが、帰還の可能性は限りなく低くなるだろう。仲間達の顔が幾度も浮かんだ。アリゼーには泣かれるだろうな。ふとそう思った。
 それでも、頷く己がいた。
 覚悟は既にできていた。今ここに在るのは残り火のようなもの。今一度その炎を燃え盛らせて、ゼノスが言う「それ」をこの手に掴む。それが己の命運、この物語の幕引きとなるのであれば、そんなに悪くもないだろう。
 鳩尾がふたたび疼いた。
 この鈍い痛みは、あの男が残していった足跡なのかもしれない。しかし、いつまでもそれに付き合う義理は持ち合わせてはいない。いい加減に手放したいところだ。
 顔を上げ窓を見ると、いつの間にか外は茜色が濃くなっていた。カップを手に取ったが、紅茶はすっかり冷めてしまっている。
 紅茶の残りを一息に飲んだ。眼鏡を外して、瞼を閉じる。
 鳩尾には軽く締め付けられるような不快感が残っているが、我慢できないほどではない。大きく息を吸って吐き、それを散らそうと試みた。
 深い呼吸を繰り返す。その内に、アゼルは眠りの底へ深く深く沈んでいった。