02.さようなら池袋、おいでませ八十稲羽
目が覚めたら、そこは違う世界だった。
……なんて、笑えない。
(
………どこだ、ここ
…………)
つう、とこめかみから汗が伝うのを感じる程に、
三琴は焦っていた。
窓から見える景色はやけに田舎臭く、僅かに開いた窓から流れこむ空気は都会のそれより澄んでいる。
周りを見回しても人の気配は感じられず、車内はまるで初めから
三琴以外には誰も乗っていなかったかのように閑散としていた。
あらたまってよくよく見れば、座席のタイプすらまるっきり違う。それでも、夢にしては、やけに現実感を持っている。
(
……………携帯、)
ぐるぐると巡りかけそうになる思考を抑えて
三琴は膝に抱えていた鞄をまさぐった。突き当たった固い感触を掴みとり表面のボタンを押すと、真っ暗な画面に日付と時刻、それから「不在着信のお知らせ」が浮かび上がった。日付は間違いなく今日のものだ。時刻はわからない。
どれくらい寝ていたんだろう、などと寝起きのせいか少しずれたことを考えながら、
三琴は世間一般のだいたいの人が普通そうするように、何の気なしに不在着信の履歴の詳細を確認した。
着信は数分も間のないうちに知らない番号で二件、伝言一件。
間違い電話の可能性もあるが、伝言を残すほどの用件なのだろうか。
そう思うのとほぼ同時に、通話ボタンを押して伝言サービスに接続する。
このとき
三琴はもはや、思考の無駄な回転を抑えようとするあまり逆に考える事を止めてしまっていた。
何を疑問に思うこともなく、ただ機械的な案内メッセージの通りに画面をタップする。
『新しい伝言は一件です』という音声の後、たぶん空気のせいか、少しだけざらついたような音がした。
『こんにちはー、平和島さんのお電話でよろしかったでしょうか、こちら稲羽不動産ですー。本日鍵の受け渡しをさせていただきますので、申し訳ありませんが八十稲羽駅に到着次第折り返しご連絡いただけますでしょうかー。お手数おかけしますがよろしくお願い致しまーす』
「
………………やそ、いなば
……………?」
*
「
…………あ、もしもし、私先程お電話いただいた」
『あ、平和島さん?ご連絡ありがとうございますー!ご到着なさったんですね、今車出してそちら向かいますんで、すいませんがもう少々お待ちくださーい』
やたらとハキハキした声が電話口に出ると、用件を云うなり通話は切れた。
客商売がそれで大丈夫なのだろうかと少し考えはしたが、すぐにそれはどうでもいいことと割りきって思考から排除する。
三琴は役目を終えた携帯を握りながら、「八十稲羽」と書かれた看板を眺めて立ち尽くしていた。
(
…………どういうことだ
……………)
彼女は先程からそればかり考えている。
何故、ついさっき池袋にいた自分が、ついさっき話題にしていたゲームの舞台に立っているんだ?
しかし、答えは一向に出てこない。
暫くして
三琴が再び思考停止に陥った頃、一台のエンジン音が彼女の耳に入り込んだ。
音の方向に振り向くと車体に「稲羽不動産」と書かれたミニバンが駅前の小さな駐車場へ停まっている。
エンジン音が止み車がぴたりと静止して運転席側のドアが開き、帽子を被った細身な男が出てきたかと思うと、迷いなく
三琴の方へ歩み寄ってきた。
三琴のすぐ側まで来ると、彼は丁寧なお辞儀と人の良さそうな笑みを惜しみなく見せつけた。
「やーこんにちは平和島さん、稲羽不動産の
世持です。どうぞよろしくお願いします」
電話と同じハキハキとした物言いに思わず内心でやや怯みながらも、
三琴も軽くお辞儀を返す。
「あー、どうも、よろしくお願いします」
「えーと、こちらお部屋の鍵と、契約書類ね。あとこれ、稲羽市の地図。小さいしなーんもない田舎町だけど、まぁ一応ないよりはあった方がいいかなってことで、粗品代わりとでも」
そう言って男が差し出した書類の一番上をざっと見ると、
三琴はなんだか知らないが勤務先等の記述欄に「八十神高校」と書かれていることに気づいてしまった。しかしこれはどう見ても自分の字だ。
まったく状況が掴めず狼狽しかけながらも、
三琴は一先ず平然を装うことに一念する。
「あぁ、ご丁寧に、どうも」
「それじゃ、ちょっと細かいことの説明もしておきたいですし、取り敢えずお部屋までお送りしますねー。この時間、バスなかなか来ないもんで」
「あ、はい、ありがとうございます」
(完全に呑まれてるな、これ
…………)
助手席に乗り込んでからようやく
三琴は自分で自分に悪態を吐いた。どうかしている。
もしもこの人が不動産の人間じゃなくて誘拐犯とかだったらどうするんだ。
というかそもそも不動産ってなんだよ、引越しでもすんのか。
些か自暴自棄気味になり始めた
三琴を知ってかしらずか、不動産の男、世持は運転片手間に
三琴へ言葉を投げ始めた。
「平和島さん、都会から来たんですっけ?」
「え、あー
…はい」
「都会と比べちゃうと、ホントなんにもないところでしょ?すんごい退屈すると思いますよー。特に学生なんて、遊びたい盛りじゃない?」
「いや、そんなことは
…静かなところでゆっくりするの、好きですし」
「ははは、それなら結構ですけど、きっと3日で飽きちゃいますって!」
(あー、こんな会話、どっかで聞いたな)
言葉を交わすうちに張り詰めていたものが和らぐのを感じ、そこで
三琴は初めて自分が緊張していたことを知った。
たかが夢に緊張するなんて、とは思うが、少し心に余裕ができた気がするのは悪くない。
できればこのまま何か肝が冷えるようなことが起きてそのまま目が醒めてしまえば良いのだけれども、なんて思いながらゆっくりと移り変わっていく景色を眺める。
流石空気が澄んでいるだけはあって緑が多い、いかにも田舎といった風景。高い建物なんて殆ど無い。
水が美味しそうだなと
三琴がまた少しずれたことを考えていると、世持は相変わらずの様子で彼女に呼びかける。
「そういや、平和島さんのお部屋のお隣りさんも都会から来た人で、刑事さんなんですって。まー都会に比べたらここらへんなんて全然物騒じゃないですけど、それでもご近所に刑事さんがいるとやっぱ夜も安心って感じですよねー」
「あー、確かに、そうかもしれないですねえ」
「あら、噂をすれば」
世持が言うやいなや、車が緩やかに失速する。どうやら目的地に到着したようだ。視線を前に移すとそこは小さなアパートだった。
二台分しかない駐車場の片方へ車を停めると、世持はすぐさま運転席から出て、丁度階段を上がっていくところの人影に向かってお辞儀をした。
「どうもーこんにちはー刑事さん、稲羽不動産でーす。良いお天気ですねー」
「え、あー、どうも。こんにちは」
少し歯切れの悪い挨拶を聞いて、
三琴は人影が世間話もそこそこにして早く部屋へ帰りたがっているような印象を受けた。
不動産のお兄さんとは相性悪そうだなあ、と思いながらおもむろにドアを開け車を降りると、いつの間にか世持が助手席側のドアの方へ来ていて、またにっこりと笑われる。
三琴が笑いを返すべきか否かと悩んでいるうちに世持は
三琴の肩に手を置くと、彼女の身体をぐいっと少し前に押し出すようにした。
「あ、こちら、今日こちらに越してきた平和島さん。刑事さんのお隣りさんですよ」
「、っは」
急に入れられた力に驚きつつも前方に目をやった瞬間、
三琴は己の目を疑った。
それはもう、強烈に。
「あー、初めまして、足立です。よろしくね、平和島さん」
「
……あ、っと、初めまして、平和島
…三琴、です。
……よろしく、お願いします」
「いやー、刑事さん、平和島さんなんですけど、実はついさっき稲羽に着いたばっかりでしてね。一人で知らない土地に来てまだまだ右も左も分からないと思いますし、暫く色々と良くしてあげてくださいよ。僕からもお願いしますんで」
三琴は今にも飛び出しそうになる動揺を必死で抑えこみつつ途切れ途切れに挨拶を返したが、そんなこととは露知らず世持はずっと呑気な様子でにこにこしている。
それもそうだ。この世界の、ペルソナ4の中の人間は、足立透が殺人を犯すとは知らない。
目の前にいる猫背気味で寝ぐせ頭のいかにも冴えないといった男はどうやってもそんなことができる人間に見えないが、この世界の事の顛末を既に知っている
三琴からすれば、しかしむしろ凶悪犯にしか見えない。
「さて、それじゃ僕はこれで
………っと、あ」
三琴がどうか足立の前で冷や汗が出てこないようにと念じている一方、世持は無慈悲にもこの場を去ろうとしていたが、ふと気がついたように
三琴の方へ向き直った。
「そういえばウチ、今流行りの家具付き物件ってやつじゃあないんですけど、もうご購入はされてます?それに生活用品なんかも」
「
…………え」
それを聞いて図らずも
三琴の緊張は解けたが、同じくして別の焦りが生じる。
家具無しの生活用品無しでどうやって生活しろって?
買いに行くにも大荷物になるだろうし、交通手段はどうすればいいんだ?
生命に直接響く危険を感じて思わず言葉を無くした
三琴を見てその心中を察したのか、世持は困ったような顔をしながら腕組みした。
「あらら
…そうですか。どうしますかねえ
…流石に家具一つないんじゃ困るでしょうし、もしアレだったらこれから買いに行きます?」
「え、いいんですか」
「ええ。困っている人がいたら見過ごしてはおけませんからね」
にっこり笑う世持がこの瞬間、
三琴には神のようにも見えた。
否、実際生活に必要不可欠なものの調達を手伝ってくれるのだ、神といっても過言ではない。
しかし、神は時に残酷なものであると、
三琴は次の瞬間に身をもって知ってしまった。
「刑事さん、今の時間にいらっしゃるということはお非番ですよね?
もしお時間よろしければ、この子のお買い物付き合ってあげてくださいよ。」
<了>
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