よるうみはる。
2026-06-08 22:44:06
52790文字
Public パロ
 

If you wanna Dance,

マジックマイクとダンスは僕の恋人を参考にしてます。
叶がストリッパーやってて、投資家の敬一くんに出会うという話。とんでもねえな。
あんまり媚びることはしてほしくないものの、ある程度性的な行動をしてますのでご注意を。




 気分は、最悪だった。
 全身を苛む気怠い疲労感と、腰の奥で未だに燻る鈍い熱。そして何よりも、シーツに染み付いた甘く退廃的な香水の残り香が、昨夜の狂態をこの上なく鮮明にフラッシュバックさせる。
 己だけの領域だったはずなのに、他者の色に侵食された残滓が不愉快だ。目覚めた瞬間から否応なしに突きつけられる敗北感に、獅子神はシーツを頭から被り、腹の底から湧き上がる呻き声を押し殺した。
 ソファでの攻防のあとの記憶は、ひどく白く濁っている。快楽に溺れる過程で自分がどんなはしたない言葉を吐き散らしたのか、思い出すことすら恐ろしい。寝室に運ばれているところを見ると、居住区の暗証番号を自ら口にしてしまったんだろうか。朦朧とする頭を抱えて、獅子神は身体を丸め込み深いため息を吐きだす。シーツの中にも男の匂いが残っているような気がして、眩暈がした。
 力ずくで跳ね除けることなど、体格を考えれば不可能ではなかったはずだ。それなのに、あの男――叶黎明の指先が這うたび、理性を嘲笑うかのように身体が熱を帯び、最後には自身の口からあんな甘ったるい声を上げてしまった。あらゆる物事をコントロール下に置いてきた獅子神の自尊心は、もはや見る影もなく砕け散っている。
……あ、起きた? おはよう、敬一くん」
 不意に寝室のドアが開き、屈託のない声が鼓膜を揺らす。
 警戒しながらのそりと顔を出すと、叶が獅子神のキッチンから勝手に持ち出したマグカップを片手に、ドア枠に寄りかかっていた。昨夜、獅子神が強引に剥ぎ取った黒のシルクシャツを素肌に羽織っただけの、無防備かつ扇情的な姿だ。胸元から覗くしなやかな筋肉には、獅子神自身が抵抗の末につけた赤い痕がいくつも散らばっている。
 その視線の先に気付いたのだろう。胸元の引っ掻き痕や、肩口の指の鬱血を見せびらかすようにしてシャツをするりと肌蹴てみせる。
「あ、気付いた? すごいよね、愛の証みたい」
……っ、うるせえよ! 愛だのなんだのあるわけねえだろ!」
 昨夜の己の乱れっぷりをこれでもかと見せつけられているようで、獅子神はカッと顔に血を上らせながら、手元の枕を思い切り叶に向かって投げつけた。枕は叶の長い腕にあっさりと受け止められる。琥珀色の瞳が三日月のように細められ、喉の奥でクスクスと楽しげな笑い声が鳴った。
「つれないなぁ。昨日の夜はあんなに可愛くオレの名前を呼んで、すがりついてきたのに。パトロン様は朝になると随分と冷酷になるんだね」
 わざとらしくおどけて首を竦めて見せる叶に、獅子神は掠れて痛む喉を無理やり張り上げる。
「~~ッ誰がパトロンだ! オレはまだ、お前の事業計画に首を縦に振った覚えはねえよ!」
 直後、無理が祟ってケホ、とむせるように咳き込む。叶は「ほら、叫ぶから」とまるで駄々をこねる子供をあやすような呆れ顔を作り、ゆっくりとした足取りでベッドへと近づいてきた。
「でもさぁ、オレの『商品価値』は骨の髄まで堪能できたでしょ?」
 叶はベッドの縁に腰を下ろし、身動きの取れない獅子神の頬に、熱を持った長い指先を這わせた。ビクリと肩を跳ねさせる獅子神の反応を愛おしむように、叶の瞳にどろりとした情欲が灯る。びくり、と獅子神は肩を震わせた。
 頬を撫でていた指先は、そのまま吸い付くようにして獅子神の下唇へと滑り落ちた。そっと押し開くように、くちびるを下げると、叶がふう、とくちびるをすり合わせようとするのを躱そうとするが、上手く力が入らない。
「ん、ぅ……
 逃げ道を探すより早く、あっさりと後頭部を固定され、叶からの口づけを受け止めたまま、押し倒されるような形でベッドに沈み込む。微かな抵抗も虚しく、重なる唇から流れ込んでくる叶の匂いに脳が痺れる。いつの間にか、持っていたマグカップはサイドテーブルへと置かれている。
 シーツを握りしめようとした獅子神の手を、叶の長い指先が器用に絡め取る。繋いだ手の中で、叶の指がつつつ……と、這い上がるように獅子神の人差し指の付け根や関節の折れ目を撫でた。たったそれだけの、皮膚と皮膚が擦れるだけの繊細な愛撫が、昨夜何度も繰り返された濃密な交わりの記憶を脳髄に直接フラッシュバックさせる。
「ゃ……、めっ……もう、んぅっ、……ふ、ぁ、ぅン……っ」
 絡みつく舌の熱さと、身体の奥底を直接嬲り上げられるような錯覚に、再び甘い声が零れ落ちる。たまらず叶の胸元を力弱く押し返すと、銀色の糸を引いてようやくその唇が離れていった。
「最高だったよ、敬一くん。オレ、敬一くんのこと本気で手放したくなくなってきた。……オレを買わないって言うなら、オレが敬一くんを強引に連れ去る手段を考えなきゃいけなくなる」
 冗談めかした口調だが、その瞳の奥には捕食者のような獰猛な光が宿っていた。
 獅子神は乱暴に叶の手を払い除け、シーツを掻き寄せて上体を起こした。痛む腰を庇いながらも、ビジネスマンとしての鋭い眼光をどうにか取り戻す。翻弄されてばかりなど、許されるわけにはいかない。
 自分のことが欲しいなど、それこそこの男の商品価値と同じようなものだ。欲しいのは自らの金だけで、獅子神を女のように堕としてしまえば良いと考えているだけに違いない。
 こいつにとっては一種の賭けなのだ。獅子神敬一が、叶黎明に堕ちるかどうか、一世一代のギャンブルなのだろう。目をつけられた理由なんて簡単だ。女なら、こんなことになれば後々面倒だからだ。
(オレなら上手くいくとでも思ったのか)
 苦々しく、顔をしかめる。昨夜の計画書にしっかりと目を通してはいないが、新規事業は胸が高鳴るものだ。成功してもしなくても、何かを始めることは楽しいに違いない。それだけのことをこの男は熱量として持っている。
……オレは、感情じゃ金を出さねえ」
「知ってる。だから、敬一くんが納得してくれるように置いていくよ」
 叶は音もなく立ち上がり、獅子神をやんわりと見下ろした。
「今日はもう帰るよ。昨日の事業計画書、敬一くんの冷静な頭でちゃんと審査してよ。オレは、連絡を待ってるからさ」
 最後にちゅ、と音を立てて獅子神の額にキスを落とすと、叶は嵐のように部屋から去っていった。
 扉が閉まる重い音が響いた後、獅子神はしばらくの間、虚空を見つめたまま動けなかった。額に残る生温かい感触が、いつまでも消えないままだった。
 どれくらいそうしていただろうか。唐突にじっとしたままではいられないという気持ちが起き、ベッドから抜け出した。
 シャワーを浴び、濃いめのコーヒーを胃に流し込んだ後、獅子神はオフィスのテーブルに放置されていた分厚い事業計画書と対峙していた。昨夜、叶が持ち込んだそのファイル。感情に任せてゴミ箱に放り込むか、シュレッダーに掛けてやりたい衝動に駆られるが、投資家としての本能がそれを許さない。
 舌にじわりと広がるコーヒーの苦味で無理やり頭を覚醒させようとするが、それすらも昨夜味わわされたあの男の甘いキスの味や、首筋に残る熱を際立たせるようでひどく疎ましい。
 表紙に印字されたタイトルを睨みつけながら、ため息とともにペラリ、とページを捲る。
 何度見返しても、その内容は驚くほど洗練されていた。
 そこに並んでいたのは、あの狂騒の地下ステージで女たちを欲情させていた男の熱量とは対極にある、冷徹なまでに計算され尽くした数字の羅列だった。
 現在のクラブの売上推移から始まり、独立後の専用劇場における収益モデル、ターゲット層の拡大戦略、初期費用の回収シミュレーション。すべてが緻密で、現実的な数字の裏付けがあった。誰かに入れ知恵されたものではない、現場の空気を知り尽くした叶黎明自身にしか導き出せない、隙のないロジック。
 叶黎明という男は、ただステージで女たちを狂わせるだけのパフォーマーではない。自身の持つ魅力――あるいはその魅せ方をいかにしてビジネスとしてスケールさせるか、その道筋を完璧に描き出している。
……気に入らない)
 獅子神は奥歯を噛み締めた。
 書類の束を見つめ、無意識のうちに、手元にあったボールペンに力がこもる。網膜の裏にチカチカと焼き付く、叶の鮮烈な赤。まるで百合の雌蕊のような赤い眼。それを外してしまえば覗く、艶やかな飴玉みたいな色の目、そうして己の身体を意のままに操ったあの長躯ばかりだ。惹かれている。理屈ではなく、本能のレベルで。その事実を認めることが、獅子神には何よりも恐ろしかった。
 これ以上、あの男に関われば、自分が築き上げてきた平坦で合理的な世界が完全に壊されてしまう。気がつけば身も心も彼の領域へと引きずり込まれ、最後には骨の髄まで喰い尽くされるかも知れない。そんなことにはなりたくなかった。
 だが、ここでこの計画を突っぱねれば、それは「叶黎明への恐怖からの逃亡」を意味する。投資家として、これほどのポテンシャルを持つ案件を私情で蹴ることは、敗北と同義だ。それに、ここで逃げたと思われれば、あの傲慢な男は面白がって地の果てまで追ってくるだろう。
 ならば、どうする。
 恐怖に怯えて逃げ回るくらいなら、いっそ自らその劇薬を飲み下し、相手の首に鎖を繋いでやるしかない。
……上等だ。オレのルールで飼い慣らしてやる」
 獅子神は手元のペンを強く握りしめ、覚悟を決めたようにスマートフォンの画面をタップした。相手を支配しているつもりがいつの間にか依存させられている、そんな叶の筋書き通りには絶対にさせてやらない。
 ここから先は、オレのフィールドだ。……


 ――三日後。都内の外資系ホテルに併設された会員制ラウンジ。
 白を基調としたスーツを完璧に着こなした獅子神は、重厚な革張りのソファに深く腰を掛け、氷の浮かんだペリエを見つめていた。周囲には身なりの良い同類の客たちが静かに談笑しているが、獅子神の意識は入り口に向けられたままである。
「や、敬一くん」
 静かな空間に、場違いなほど華やかなオーラを纏った男が現れた。
 顔を見るまでもなく、叶黎明の存在はいつだって華やかである。まるで彼自身がピカピカと発光しているように。獅子神がここまで上り詰めたのは努力故だが、入口から席巻して歩を進めてきた男は間違いなく天才の類なんだろう。
 身体のラインに沿った仕立ての良い深いワインレッドのようなスーツを着込んだ男は、あの日のステージ衣装のようにも見えた。髪は後ろへとゆるく撫でつけられ、普段は片方が前髪で隠れているが今日は両方の目が覗いている。その眼光は、獲物を突け狙う獰猛な肉食獣に見える。
 一見すると気鋭の実業家に見えなくもない。しかし、その内側から滲み出る隠しきれない色気は健在で、すれ違う給仕の女性たちが思わず視線を奪われていたのを獅子神は見逃さなかった。
「こんな堅苦しい場所で待ち合わせなんて、敬一くんらしいね。ホテルの個室ならベッドの中で語り合えたのに」
 向かいの席に優雅に腰を下ろすと、叶は楽しげに目を細めた。軽口に、ふんと獅子神は鼻を鳴らしてその手には乗らない姿勢を示す。
「お前の提案がピロートークくらいぬるいなら、そうしてやってもいいぜ?」
「はは、言うじゃん。白熱した話題なら敬一くんの嬌声を聞きながらでもやりたいってことだよ」
 獅子神は顔を大きくしかめた。自分の痴態の話なんてされたくもない。誤魔化すようにケースから書類の束を取り出し、テーブルの中央へ滑らせた。
「お前の事業計画書、ちゃんと読んだ。――結論から言えば、出資には応じる。ただし、条件がある」
 叶の表情が、わずかに引き締まった。パフォーマーとしての顔から、ビジネスの当事者としての顔へ切り替わったのがわかる。
「新会社の株式の五十一パーセントはオレが保有する。つまり、経営の最終決定権はオレにあるということだ。お前は代表取締役として現場の指揮を執るが、資金繰りや事業拡大のフェーズにおいては、オレの承認なしには動けない。エンターテインメントの場はお前の独断だ、好きにやればいい。オレはそこのプロじゃないからな」
 獅子神は淡々と、しかし絶対的な圧を込めて告げた。
 これは、主導権を奪い返すための宣戦布告だ。ベッドの上では圧倒的な力と経験値でねじ伏せられたが、ここは獅子神の場である。金という首輪をつけ、叶を完全にコントロール下に置く。それが、獅子神が選んだ防衛策であり、反撃だった。
 叶は書類の条件にざっと目を通すと、長い指先で顎を撫でたあと、くちびるの先を摘まんだ。少しだけ逡巡したあと、獅子神にゆるりと視線を向ける。
「なるほど。オレを敬一くんの所有物にしたいってことか」
「言葉を選ぶつもりはないが、そういうことだ。お前の言う通り、お前という『商品』には価値がある。だが、その商品が勝手な動きをしてオレの投資をフイにすることは許さねえ」
 獅子神の厳しい視線を正面から受け止めながら、叶はふっと息を漏らし、それから低く響く声で笑い出した。
「あははっ、いいな。それくらい強気じゃなくちゃ。オレの手綱を引く気でいるんだろ、楽しみだな」
「笑い事じゃない。この条件が呑めないなら、この話は白紙だ」
 どうするのかと、目の前の軽薄な男を見つめる。いつまでものらりくらりとした調子の男の真剣さを見届けてやるように。
――呑むよ」
 叶は即答した。なんの躊躇いもなく、獅子神が差し出したペンを取り上げ、契約書に流れるようなサインを書き込む。
「さあ。これで、オレは正式に敬一くんのものだぜ。オーナー」
 書類を突き返し、叶はテーブルから身を乗り出した。顔が迫ってきて、思わず身を引く。叶の指先が、テーブルの上で組まれていた獅子神の手にそっと触れた。
 ただそれだけの接触なのに、シーツの上の記憶がフラッシュバックし、獅子神の背筋を電流のような痺れが駆け抜ける。肌の奥底が、あの濃密な雄の匂いを思い出して粟立った。
……勘違いすんなよ。オレが買ったのはお前のビジネスであって、お前自身じゃねえからな」
 獅子神は震えそうになる手を必死に抑え込みながら、叶の指を振り払った。
 心臓が嫌な汗をかくように早鐘を打っている。自分が優位に立ち、彼を己のルールの下に縛り付けたはずなのに、なぜか叶の手のひらの上で踊らされているような感覚はぬぐえない。
 でも、この感覚はきっと合っている。叶を出し抜くためにどうしてやるかは難しいことだ。
「ふーん? でもさ、ビジネスを動かして金を産み出すのは、このオレ自身だよ。敬一くんが手綱を握るってことは、オレの全部を隅から隅まで管理しなきゃいけないってことだぜ?」
 叶は妖しく微笑みながら、テーブルにのさばる指先を弄ぶように、鍵盤をたたくように蠢いた。「オレはさ、敬一くん」叶はまるでワイングラスを救い上げるかのように、てのひらをひっくり返すと指先をゆるりと曲げる。「お前のことなら思い出せるよ、中指だけでもね」
 言葉のレトリックに思わずカッと頬が熱くなる。羞恥に今すぐにでも走って逃げ出したくなった。けれども叶はそんな妖しい空気感を切り替えるようにパッと立ち上がると、にっこりと笑って獅子神を見下ろしてくる。その圧倒的な長躯の陰に、獅子神はぱちくりと瞬きをした。
「さて、素直じゃないオーナー様のために、まずはオレの価値をもっと肌で感じさせてあげなきゃな。――さあ、行こっか」
……行くって、どこにだよ……
 唐突なことに、獅子神は釣られて立ち上がるような真似はしない。椅子に腰かけたまま、目線だけを上に寄越して、叶の話の続きを待つ。
「新劇場の候補物件。本当は明日って言おうかと思ったけど、今すぐ見てほしくなった。もちろん、仕事としてね」
 有無を言わさぬ口調と、すでに退路を断つように差し出された手。
 ここで拒絶すれば、それこそ叶のペースから逃げ出したことになる。獅子神は小さく舌打ちをすると、残っていたペリエを一息に飲み干し、叶の手を無視して自ら立ち上がった。
――案内しろ。ただし、意味もなさそうな場所なら即刻やめてやるからな」
「あは。オレはいつだって本気だよ、敬一くん」
 叶はやり場のない手を獅子神の腰へと回すと、さあさあと押しやりながらひとつウインクを寄越してきたのだった。