よるうみはる。
2026-06-08 22:44:06
52790文字
Public パロ
 

If you wanna Dance,

マジックマイクとダンスは僕の恋人を参考にしてます。
叶がストリッパーやってて、投資家の敬一くんに出会うという話。とんでもねえな。
あんまり媚びることはしてほしくないものの、ある程度性的な行動をしてますのでご注意を。




 ステージが完全に跳ね、フロアの照明が元の薄暗いラウンジのものに切り替わっても、客席の喧騒は一向に収まる気配がなかった。隣にいた先輩は、あり得ないものを見たとでも言うようにしばらくは獅子神を眺めたまま、そうしてはっとしたように我に返ると無遠慮に獅子神の太ももを強く叩いた。
「いたっ、何するんですか……先輩」
「敬一連れてきてよかったわ……。イケメンの絡みってすごい、心が潤う」
 何言ってんだこの人。獅子神はわずかにげんなりとした表情を向ける。
 隣で先輩がまだ顔を真っ赤にして興奮の余韻に浸っている間も、獅子神は押し黙ったまま、手元のグラスをじっと見つめていた。
……なんだ、あれは)
 ドクドクと、嫌な速さで心臓が脈打っている。耳の奥にはまだあの、『よそ見、しないでよ』という低くて甘い声がこびりついて離れない。男に背後から抱きすくめられた、あの規格外の体躯の質量と、鼻腔を掠めた濃密な香水の匂い。
 完璧にペースを乱された。普段、ここまで何かに心を動かされることは少ない。そもそもこんな風にいちいち感情を跳ねさせていたら、仕事にならない。数字を追って利益を求めることを生業にしている分、常に戦況をコントロールする側にいるはずの自分が、文字通りまな板の上の鯉にされたような、ひどい苛立ちと焦燥感がチリチリと胸を焼いていた。
 早くここを出たい。そう思って、獅子神がジャケットの襟を正して腰を浮かせかけた、その時だった。
 不意に、フロアの奥からどよめきが波のように広がってきた。
「え、なんで……
 先ほどまでだらしなく口元を緩ませ切った先輩が、息を呑んで前方を見つめている。
 視線の先、控室へと続く通路から、仕切りのないオープンなホールへと一人の男が悠然と歩み出てくるのが見えた。濃紫のスーツのジャケットをルーズに肩に引っかけ、ステージ衣装だった光沢のあるベストの胸元を大胆に開けたままの男――【REIMEI】だった。
 滅多なことではステージ後のフロアに降りてこないという絶対的な看板スターの登場に、ホールの熱狂は再び頂点に達しようとしている。しかし、周囲の客たちが悲鳴を上げて色めき立つ中、男は誰一人として視界に入れていないかのように、迷いなく真っ直ぐに獅子神たちのテーブルへと歩み寄ってきた。
「ごきげんよう」
 テーブルの縁に軽く手をつき、男が獅子神を見下ろす。ステージの上の狂気じみた笑顔はなりを潜め、どこか愛嬌まで感じられるような、余裕を含んだ視線がそこにあった。
 カラーコンタクトの赤い右目が、薄暗いフロアの光をまとって怪しく光る。丁寧に挨拶を零した割に、気品というよりはどこか獰猛さを覚える。もう一度「ごきげんよう」と言葉を吐いた。
 大勢の視線が自分たちに突き刺さっているのを感じながら、獅子神は警戒心を悟られまいと表情筋を微かに引き締め、あくまで客の一人としての礼儀を保つように「……どうも」とだけ短く返した。
「どうだった? オレのステージ」
 男は機嫌が良さそうに小首を傾げる。言葉遣いこそ崩したが、その声音には周囲の空気を支配するような抗いがたい引力を孕んだままだ。どうしてだろうか、この男の目に晒されると、どこまで逃げても捕まえられてしまいそうな恐怖すらあった。今は、すでに逃げ場のない距離感。獅子神は表面上の冷静さを必死に取り繕い、静かに男の真っ赤な右目を見返した。
……素晴らしいパフォーマンスでした。ただ、俺には少々刺激が強すぎたようですが」
 なるべく他人行儀に。あくまで見たままの感想を崩さないように気を付ける。感情を入れてはいけないと思った。先輩の推しという奴なのだろうし、ひどい言葉を言うわけにもいかない。
「そうだな、今度は服を脱いで相手してくれよ」
 男の言葉に、先輩を含め、周囲の女性の悲鳴を飲み込むような声があちらこちらで漏れ出ていた。一部からは殺気のような気配すらある。恐らく、この男に本気で惚れこんでいる客なんだろうと思う。そんな客達の気持ちを知っていて、尚且つあえて口説き文句のような言葉を使う男に、獅子神は何と返したらいいのか分からずに口を噤む。
 その様子を見た男は、内心面白さを隠し切れないまま、獅子神の顎先を掴んで自分の方を向かせた。
「何、その顔」
 面白がられていることを自覚しながら、それでも抵抗する気にはなれず、獅子神はされるがままに男を見上げる。濃紫のベストの胸元で存在を主張する赤いカラーコンタクトが照明を反射してテラテラと光っている。その目に映りこんでいる自分は、きっとすごく嫌な顔をしているのかも知れないと、獅子神は思った。しかし、そんな表情も男にとっては興味深く見えるんだろうか。
 今の【REIMEI】の瞳には、先ほどステージ上で見せた狂気じみた熱量はなく、むしろどこか気だるげな印象すら受けた。その酷く無防備で、それでいてひっそりと底知れぬ捕食者のような気配に、獅子神は背筋を粟立てる。これ以上、この引力に巻き込まれるのは危険だ。理屈ではなく、本能がそう告げていた。
 獅子神は小さく息を吐くと、顎に添えられた男の指を払うことはせず、ただ静かに視線を逸らせる。次の言葉を考えていた。何をどうしたらこの男から興味をなくせるのだろう。いやそもそもどうしてこれほど構われているのかもよく分からない。男性客はそれほど珍しかったのだろうか。
「おしゃべりは苦手?」
「こんな状態で何を話せば?」
 質問を質問で返す。失礼なやり方だとは思ったが、顎を捉えられ、すぐそばに男の顔が眼前に迫っている。ステージ上のショーも終わり、客との接触、お遊びも終わったはずだというのに、今も獅子神はこの男の手によって見世物にされている。その状況判断が正しいのなら、決して今、このテーブルだけを切り取って見ると、甘いラブロマンスのワンシーンであるように見えなくもない。茶番劇だ。獅子神は内心、短くため息を吐いた。
……オレはね、オマエが今、何を考えてるのかすごく知りたい」
 男はわざとらしく獅子神の顔を覗き込み、長い指先で縁をなぞるように首筋へと触れた。ひやりとした感触が、獅子神の皮膚の上を這う。獅子神の動きの一つ一つに神経を研ぎ澄ませて、彼がどう反応するか、どう返してくるか、それを楽しんでいる節すらあった。男は目を細め、自身の瞳に灯った欲を隠そうともせずにじっと獅子神の瞳を見つめたまま、形良い唇から言葉を紡いだ。
「例えば、こうやって触ろうとしたらどんな反応をするんだとか。どこを触って欲しいとか……たとえばキスされるならどこ? オレの唇と舌と……どっちが好みかな?」
 男らしい見た目からは想像も出来ないような、甘く掠れる声で囁かれる。まるで口説くような言葉の数々に、獅子神は内心舌打ちをした。この茶番劇をいつまで続ける気なのだろうか。獅子神は脳内でこのショーのことを思い返し、そうして冷静な分析を試みた。
 この男が望んでいるのは、観客を熱狂させるための「記号としての客」であり、オレという人間そのものではない。であるならば、この過剰な挑発も、すべては対価に見合ったサービスの一環に過ぎない。加えてこのあとには、客からのチップタイムだ。いつもと違う趣向、それに払われる金額はきっと普段以上になるに違いないのだろう。
 獅子神は自分が良いように使われているという事実に、頭痛がしてくる。どうせならば、この男も観客も度肝を抜かして、そうしてこんな空間からとっとと出て行ってやる。
 この手の夜の街の住人が何を最も欲し、何に最も跪くかなど、数字の世界に生きるオレには分かりきっている。
 獅子神は、首筋を這う男の長い指先をあえてそのままにしながら、空いた左手で内ポケットから最高額の紙幣が詰まったマネークリップを滑らせた。周囲の女たちが固唾を呑んで見守る中、金属の硬質な音を響かせてそれをテーブルに置く。チップ用にと店に入る前に準備をさせられたものだった。
 そうして獅子神は両手で、男のベストの襟元を掴むと思いっきり引っ張った。がぶりと、そのヌーディーなカラーの塗られたくちびるへと噛みついてやる。散々好き勝手させられた仕返しでもあった。演者に触れるなというのはあくまでステージで演技をしている最中だけという認識のまま、硬直した男のくちびるをべろりと舐めた。
 驚いたままに目をぱちくりとさせた男は、獅子神の顔を凝視している。その手は離れ、獅子神はこれ幸いとさっさと腰を上げた。
「キスの詫びと、お遊びの対価としては十分すぎるだろ?」
 冷淡極まりない、しかし確実な実利と強烈な一撃を伴った大人の対応。場は一瞬にして静まり返り、地鳴りのような悲鳴がフロアを震わせる。予想外の苛烈な反撃に、男の赤い目が一瞬だけ丸く見開かれ、直後、ひどく愉快そうに細められた。
……最高。オマエ、魅せるじゃん」
 男の唇から、驚嘆とも歓喜ともつかない溜息が漏れた。周囲の女性たちから再び上がる狂乱の声を他所に、獅子神は完璧に構築されたビジネスマンの笑みを張り付け、隣で硬直している先輩へと向き直った。
「先輩。申し訳ないんですけど、明日は朝から重要なアポイントがあるんで、オレはここでお先に失礼しますね」
「えっ、ちょっと敬一っ!?」
「すみません。飲み物代、今度返しますね」
 有無を言わさぬ低いトーンで告げると、獅子神は素早く立ち上がり、再び男へと向き直った。そして、先ほどまでの動揺を微塵も感じさせない、隙のない笑みを浮かべて軽く会釈をする。
「本日は素晴らしいショーをありがとうございました。それでは、良い夜を」
 REIMEIが何かを言いかけるより早く、獅子神は逃げるようにその狂騒の空間に背を向けた。背中に突き刺さる強烈な熱と視線を振り切るように、足早に出口へと向かう。喧騒から逃れ、重い扉を押し開けて夜の冷たい空気を肺の奥深くまで吸い込んだ時、獅子神はようやく自分がずっと息を止めていたことに気がついた。――

 ……一方、喧騒のホールに取り残されたREIMEIこと叶黎明は、テーブルの上のマネークリップを拾い上げ、自身の唇に残る微かな痛みを長い指先でなぞった。足早に去っていく真っ直ぐな背中を、面白そうに瞳を細めて見送る。
あんなに警戒して、それでもどうしようもなく噛みついてくるほどの熱を秘めた碧の目。最後に向けられたあの完璧な大人の作り笑いが、見事に構築された防御壁のようで、余計に本能を刺激してやまない。
……行っちゃった」
 ふわりと甘い息を吐き出し、放心状態になっている女性──彼が『先輩』と呼んでいた女へと視線を移した。この女はよく来ている。いつも節度はわきまえていて、模範的な観測者だ。いつもであれば、同じような女と連れ合ってきているが、今夜はずいぶん面白い人間を連れてきた。
 名前は知らないが、彼が呼んでいたように、叶はその女に「えーっと、先輩?」と尋ねる。「は、はいっ?!」突然自分に声を掛けられたせいで、ひどく声が裏返った返事だった。弾かれたように背筋を伸ばし、ずいぶんと慌てた顔をしている。叶はステージ上の完璧なスターの笑みをふっと緩め、人懐っこく、それでいて有無を言わさぬ引力を持った低い声で囁いた。
「ケイイチくん? だっけ? 彼、面白いな」
 狂騒の余韻が残るフロアで、叶の赤い瞳が、逃げた獲物の痕跡を辿るように妖しく光った。そうして、彼女の顔を間近に見つめながら、にっこりと呟く。
「こんな大金もらったんだ。お礼がしたいから、彼について教えてくれるか?」
 手元に残された分厚い紙幣の束。そして、唇に残る鈍い痛み。勝手にゲームを切り上げて逃げたつもりのようだが。――オレのルールはそんなに甘くない。叶はにんまりと暗い笑みの底で、目の前の女から情報を聞きだそうと口を開いたのだった。