花筵シヂマ
2026-05-22 12:04:36
24424文字
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蛇蝎1~3

妻生存if、父と水は愛人関係、ゲタくんとは体関係なしの婚約者.いずれ黒父になる話



 来た時よりも晴れやかな気持ちで、二人で暮らした家を出た。
 薄暗い空を見上げて手を伸ばすと手首に巻いた組紐が天へと伸びていく。一度はちゃんちゃんこになってしまった組紐だが、ゲゲ郎の髪で新たに編みなおしたものだ。
 紐に引っ張られるようにからだが浮いて導かれるように天へと吸い込まれていく。差し込む光がゲゲ郎のからだを照らし、その眩さに目を細めた。気づけば音という音が耳から脳に突き抜けていく。現世は何と五月蠅いことだろうか。
 ふらついた足で家路を急いだ。家の垣根が見えてくると、ゲゲ郎は胸元から急いで手を離した。無意識に握りしめていたようだ。まるで水木の魂を盗んだみたいに後ろめたいような心地になる。
 ふと、水木が言っていたように妻が帰ってるのではと垣根を越えて玄関を覗くと家の戸が開いているのを見た途端、走り込むように飛び込んだ。
 慣れ親しんだ家の木の匂いが腹の奥に溜まっていくように感じる。重ねて水木とこの家で、妻のいない間に交わったという事実が生々しく思い出されてしまった。
 玄関には妻のハイヒールと、見慣れた下駄、そして革靴が揃えて並んでいた。
 この家にいつものように踏み込めない。あんなに息巻いていたくせに、日常が腰を下ろした途端に罪悪がゲゲ郎の足首を掴んでいた。そのまま廊下に足を踏み入れることなく、呆然と立ち尽くしていると、廊下の奥からエプロン姿の岩子がいつものように姿を見せてくれた。
「あらあなた! どこへ行ってたの?」
 妻の心配そうな表情に、心の柔い部分が素手で握られるような痛みが走る。
「少し、散歩にのう……お前や、帰ってきておったのか」
 嘘を並べ立てながら妻のからだを抱き寄せれば、いつものように静かに身を寄せてくれた。
 妻は何も知らない。
 その事実がゲゲ郎を余計に追い詰めていた。次に続く言葉が喉奥に引っかかって出てこない。
 そんなゲゲ郎を見て何かを感じたのか、妻は何気ない話題を振り始めた。
「お土産を買ってきたの。水木さんもお招きしてるのよ」
 妻に連れられるままに居間に足を向けると、水木と息子が歓談している。肘をついて目を細めて、嬉しそうに話を聞いている水木の視線の先にはゲゲ郎はいない。
 まるで息子の一言一句を聞き逃さないようにと身を乗り出して、花が咲くように笑う。
 その眼差しを向けられるべきはゲゲ郎だったはずなのだ。
 ゲゲ郎は苛立ち紛れに襖の縁を手のひらで思い切り叩いていた。
水を打ったように二人の会話は止み、ばらばらに視線がゲゲ郎に向けられる。息子は、唇だけ弧を描いた偽物の微笑みを浮かべた。
「父さん、おかえりなさい」
 先程までゲゲ郎に抗戦的な眼差しを向けてきたとは思えないような息子に、ゲゲ郎もまた年長者との余裕を見せる。懐に腕を入れ、口角を吊り上げた。
「おお、来ておったんじゃな。ゆっくりしていくと良い。……何なら今夜は泊まっても構わないぞ」
 息子ではなく、水木の視線が急に泳いだ。今までのゲゲ郎を惑わせてきた水木が、初めて動揺している。
 気づかなかったが、水木と息子と妻とゲゲ郎の四人で揃うことはあまりない。
 ゲゲ郎との関係を鬼太郎に知られているのなら、そんなに焦る必要もない。ならば、水木が苦手としている存在は別なのだ。
「それなら布団を準備しないといけませんね」
 嬉々として喜ぶ妻は、あれやこれやと用意しなければと指を折っている。
 水木は苦笑いを浮かべていた。見せつけるように妻に回す腕に力を込めると、あからさまに水木は顔を逸らした。
 水木は、妻と共にいるゲゲ郎が苦手なのだ。
 ーーーー寂しくて、お前に抱かれたくて。
 水木はそう言ってゲゲ郎に抱かれながら喘いでいた。あれは嘘ではなかったのだ。
 途端、水木が何でもない人間のように思えてきた。もっと虐めたい、そんな加虐心が目覚め始める。
「水木とも仲良くなれたしのう、ゆっくりと話もしたいのじゃ。そうじゃ……酒でも買いに行かぬか」
 水木が断れないと知って誘ってやった。俯いていた水木が唇の色が変わるほど噛み締めた。そして諦めたように、音も立てずに立ち上がった。
「ええ、ご一緒しますね」
 営業職として培った貼り付けた笑みを浮かべた水木は、それでも身から溢れるひりついた空気を少しも隠せていなかった。何か言いたそうに息子は水木に手を伸ばしていたが、水木は浅く頷くだけで何も口にしなかった。
「じゃあ、私は久しぶりに息子とご飯でも作ろうかしら」
 何も知らない妻は息子の腕を引いている。