花筵シヂマ
2026-05-22 12:04:36
24424文字
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蛇蝎1~3

妻生存if、父と水は愛人関係、ゲタくんとは体関係なしの婚約者.いずれ黒父になる話



 一人息子が結婚するらしい。
 らしい、というのは、実際はまだ相手に会っていないからだ。
「そんなに動き回らなくても」
 そう言って先程から何度も姿見でイヤリングをいじっている妻は、ちゃぶ台の上に花瓶をのせた。花屋で買って来たのだろう、白い霞草が柔らかな春風に揺れている。
「あの鬼太郎が、こ、婚約者だというのだ。儂はのう、どんな妖怪かと思うと気が気でないのじゃ」
 ゲゲ郎はもう一度、正座を正して深呼吸を繰り返している。やがて、小さくため息を吐き、妻の置いた湯呑みに手を伸ばそうとした。
 その動きは、玄関の扉が開く音で停止する。
「あらあら、来たみたいね」
 妻、岩子が立ち上がっていそいそと玄関に消えた。
 あッ!という妻のか細い声にゲゲ郎は思わず立ち上がり、ちゃぶ台で膝を強かに打ちつけた。
 よろめきながら玄関に踊り出る。
 妻の背中越しに、息子と共に誰かの姿が見えた。
 それは黒いスーツ姿で、遠目でもおとこだとわかる。
 ああ、そうか、倅はおとこを愛したか。
 別に不満はない。
 ただ、妖気の一つも感じないので嫌な予感がした。
 妻が不安そうにゲゲ郎を見る。ゲゲ郎は恐る恐る、相手を見た。
「どうも、はじめまして。水木、と申します」
 丁寧に頭を下げるおとこの顔を、ゲゲ郎は嫌と言うほど知っている。いや、忘れられないと言っても良い。
 おとこは手を差し出し、満面の笑みを浮かべる。
「初めまして。“お父様”」
 濃紺の双眸の奥、燃ゆる炎を見た。
 息子はこのおとこを忘れている。関する記憶を妻と共に抜いたからだ。
 ただ一度、ただ一度の不貞の相手は驚くほど優雅に家の敷居を跨いだ。
 

 ガラス製の風鈴が涼やかな音色を鳴らしている。
 妻がどこかの教室で作ったというそれは、今日はやけに姦しく聞こえる。
 息子は緊張しているのか、何度も俯いては妻におとことの出会いを語っている。
「水木さんとは、依頼を解決しているときに出会って……
「まぁ、依頼人だったの?」
 妻はまるで恋する乙女かのように目を輝かせ、続きを急かしている。水木のほうは見れない。
「いや、水木さんは僕の依頼人の行きつけの喫茶店の店長さんなんだ」
 ただ、湯呑のなかをのぞき込むだけだ。小鳥の囁きのように話を進める二人の、浮足立つような話題が遠い。 
「そうだったの。私も水木さんのコーヒーを飲みたいわ」
「そんな大層なものじゃありませんよ。道楽でやっているようなものですから」
 耳馴染みの良い声は確かに何年も前に別離したあの水木のものだ。
 妻の愛嬌のある顔がゲゲ郎をのぞき込み、ねぇ、と腕を引く。
「あなたも。水木さんの喫茶店に行ってみましょうよ」
 今日ほど自分の前髪が長いことを感謝したことはない。
 引き攣った口角を、緩やかな笑みに変える。
「そうじゃな。水木……
 恐る恐る水木の方へ視線を向けた。りん、と風鈴が強く鳴る。
 漆塗りの艶のある机の上に、日に焼けて節くれだったおとこの手が置かれている。ジャケットの金色の釦が煌々と光り、その先を目で追う。首を傾け、微笑の奥底に影のある花を宿した眼差しがゲゲ郎を見つめていた。絡み取られるような、その目が伏せられた。
「水木さん」
 そう呼べば水木は唇を弛ませた。
 他人じみた呼び方は、この悪人を、愛人にどう印象づけたろうか。
「ええ、ぜひ」
 水木が何か言いたそうに口を開いたが、息子が水を得た魚のように話し始めた。
「水木さんとはまだ一緒に暮らせていないんだ。僕も良く出払うし、僕らのことも教えられてない。だからできたら……お母さんたちから僕らの種族のことを説明して欲しいと思って……
 岩子は二つ返事で構わないと言った。
 心の臓が不安定に跳ねる。気持ち悪い。何か悪いものでも胃の中に入れたように、吐きそうだ。
「つまり、通われるのね。ここへ」
 冷えた汗が額を滑る。
 水木。
 水木は、笑っていた。
 快活に、白き歯を見せて。
「良いでしょうか。何せ僕も、こういったことは初めてで……お父さま、宜しくお願いします」
 ゲゲ郎はため息のような返事をひとつだけした。


 水木はそれから店が休みだという日に家に来た。必ずといっていいほど、手土産を持参して現れる水木は勤め人としての処世術に長けていた。あっという間に妻を虜にした。妻だけでは無い、隣近所にも同様であった。いつの間にか隣の奥方と親しくなり、何かを手土産で貰っていたくらいだ。
 ゲゲ郎にできることと言えば、水木を避けることだった。なるべく二人にならない。それだけを意識した。
 しかし常にそれも完璧ではなかった。
「悪いけど、買い物に行ってくるわね」
「何も今いかなくとも」
 妻は耳飾りを撫でながら、でも、と悩ましげに言う。
「足りない食材もあるし、回覧板も回さないといけないから。水木さんと仲良くしてね」
 夕飯を共にと水木を引き留めたのは妻だ。
 ここで渋りすぎるのもおかしな話だ。
 口籠ると、妻は励ますようにゲゲ郎の背を叩いた。
「あなたに貰ったこのイヤリング、身につけて出かけたいのよ」
 妻の耳飾りは結婚記念日にゲゲ郎がプレゼントしたものだ。スズランの形をしたその耳飾りをとても気に入ってくれていた。
「そうか……
 そう言われると断れない。
 春風に絡め取られるように妻の背は曲がり角に消えた。
 柔らかな妻の香りの代わりに、焼けたような匂いが鼻腔を掠めた。
「随分と幸せそうだな。お前は真に大事な相手にはそうなのか」
 左肩に人の生温い体温がのし掛かる。
 もたれかかった水木は、煙草の煙をやんわりと吹きかけてきた。煙がゲゲ郎の首を這い回るような感覚があった。
「水木、頼む……
 つい漏れたのは懇願に似た言葉だった。
 水木は目を丸くし、やがていやらしく両眼を歪めた。
「頼む……何を?」
「倅との結婚を諦めてくれぬか」
「へぇ、そうくるか」
 水木は煙草を咥えなおし、鼻を鳴らした。
「嫌だね」
 せせら笑うようにそう言う態度が、ゲゲ郎の押さえつけていた感情を揺り動かす。
「お、お主は自分のしておることがわからぬのか!」
 振り返れば、驚いたというように両手をあげて戯けて見せられた。
 こんな状況でそんな余裕があることが憎らしい。
「わかるさ。耄碌してないし、正気だ。残念ながら」
 煙草を吸いながら水木は壁を撫でている。
「随分良い家だ。あの廃寺を出てどこへ消えたのかと思っていたが……
「水木、聞いておるのか?」
「羨ましいくらい良い暮らしをしてる。俺は今だに借家住まいだが」
 壁をノックし、水木は煙草の煙をゲゲ郎の顔に吹きかけてきた。甘ったるく絡む匂いに、頭を掻き回される。
「存外に良い気分だな。過去に地獄に堕としてきた相手の懐に忍び込むのは」
 水木の手のひらが着流しの胸元を撫で回す。首元の襟から、胸元まで真っ直ぐに手を滑らせたかと思うと、感嘆の息を吐いた。
「ゆっくりと温度をあげて、煮溶かしていくような気分だ」
「倅も妻も……お主と儂のことは知らぬ、じゃから」
「知るわけないだろうな。ああ、安心しな。まだ何の行為もしてないさ。婚前交渉は無理なんだと伝えている」
 水木の手のひらが胸元に滑り込んできた。汗ばみ、肌に吸い付くような触感がした。急に抑えきれないように水木が胸元にしなだれてきた。妻とは違う温かい肉の体温にからだが震える。息が、できなくなる。
「言えるわけないだろう……あんたの親父は、寂しい寂しいと言って未経験の男の体を蹂躙して邪魔となれば地獄に捨てるような奴だと」
 幼さの残る垂れ目が色を纏い、睨みつけてくる。
 寒々しいほどに、蠱惑的なその眼差しは以前の面影はない。放心したゲゲ郎の手を掴み、肉厚のある尻をつかまされた。水木のそこは、スラックス越しでもわかるほど張りがあり、老いを感じさせないほどだった。
「安心してくれよ……ここは、お前以外挿れてないさ」
 水木の人差し指が、ゲゲ郎の鎖骨をなぞる。
「楽しみだ、お前を同じ地獄へ落とすのが」
 乱暴に切り離すように胸を押された。よろめいている間に水木は居間に消えてしまった。手のひらにまだ、柔らかな肉の体温が残る。
 握りしめようとして、そっと己の唇に寄せた。
 あの布を取り払えば、柔らかな皮膚があり、肉の間にはゲゲ郎のかたちを覚えた穴蔵があるのだろう。
 ゆるゆると伸ばした舌で、ぬろりと舐め上げる。
 下半身が熱を帯びていくような気がした。