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ぶ
2026-03-28 02:25:27
10733文字
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短編SS
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雪の森RP関連小話
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036 名のない実
西の集落を抜け、森が深くなる手前。
山道から少し外れた、風の溜まらない窪地に、低く抑えられた畑がある。
背の高い作物はない。
雪を完全に払ってはいないが、畝の輪郭だけは崩れないよう、踏み固められている。
踏み雪が、朝のうちに歩幅を揃えて通った跡だ。
渡り手は、その端に立っていた。
手を出せとも、離れろとも言われない。
ただ、そこに立つ場所が、自然に残されている。
「今日は、掘る日じゃねえ」
畑を見る人が、腰を落としたまま言う。
渡り手は頷き、足先をわずかに引いた。
畝を跨がないように、踏み跡を増やさないように。
「見る日だな」
採取人が膝をつく。
手袋を外し、雪を払って、指先で葉をかき分ける。
現れたのは、小さな実だった。
丸みを帯びた木苺のような形だ。
雪の下では淡く、乳白がかった琥珀色をしている。
表面には、霜を被ったような白い粉が薄く付いていた。
「最近だ」
採取人が言う。
説明というより、確認の声だった。
「去年はなかった」
「雪解け水、流れを変えたろ」
「日陰のほうが、実が締まるみてえでな」
畑を見る人が、短く補う。
踏み雪は、その少し後ろで、畑の縁を踏み直している。
採取人は、実をひとつ外した。
潰さぬよう、指先だけで持ち上げる。
割ると、すぐには匂いが立たない。
だが、少し遅れて、澄んだ香りが上がってくる。
甘さを主張しない、冷たい森の匂いだ。
渡り手は、その様子を見てから、口を開いた。
「
……
雲苺に、似てんなァ」
言ってから、渡り手は一拍置いた。
比べただけだ、という距離を、自分でも守るように。
畑を見る人が顔を上げる。
「外に、あんのか」
「似たのがな。寒ィ森で採れんだ。
外じゃ、もう少し橙に寄ってっけど」
採取人が、割った実を指先で転がす。
「食い方は?」
渡り手は、少しだけ考えてから答えた。
「そのままも食うけど
……
煮て、ジャムにしたり。酒に沈めたりもしたな」
「酒?」
「濃いのじゃねえんだ。
冬越す前に仕込んで、春まで寝かせるやつでさ」
踏み雪が、足元を踏み固めながら、低く言う。
「宝物扱いだな」
渡り手は、肩をすくめる。
「森の宝石、なんて呼ばれたこともあったぜぃ。
甘え過ぎねえのが、好かれてた」
採取人が、小さく息を吐く。
「宝石。言い得て妙だ」
そう言って、実をひとつ渡り手のほうへ差し出した。
渡り手は受け取り、指で白い粉を軽く払う。
一度、匂いを確かめてから、口に含んだ。
指でつまむと、皮の内側に張りがあるのがわかる。
噛めば、薄い皮が静かに裂け、
中に溜め込まれていたものが、少し遅れて舌に届いた。
甘さは強くない。
先に立つのは、ひんやりとした水の気配と、
木の実らしい、淡い苦みの縁。
だが、飲み込んでから、遅れて香りが戻ってくる。
口に残るというより、
胸の奥に、かすかな熱が落ちてくるような感覚だった。
冬の中で育った実が、
体の内側で、ゆっくりほどけていく。
渡り手は、そこで初めて言った。
「
……
こっちは、静かだなァ。
口に残るってより、体に来る」
踏み雪が、踏み跡を揃えながら応じる。
「雪の中で、締めてるからだ」
話は、そこで終わった。
誰も名前を口にしない。
決める話も、残す話も、しない。
渡り手は、空になった指先を軽く擦り、
一歩、畝から距離を取る。
畑はそのままだ。
雪も、実も、呼び方も、途中のまま。
ただ、外の森で使われていた言葉だけが、
踏み固められた道の上に、薄く置かれていた。
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