2026-03-28 02:25:27
10733文字
Public 短編SS
 

雪の森RP関連小話




019 森が醸す酒


雪の森の酒場は、灯りが少ない。
留まる灯りに灯橙花は使われない。代わりに壁に埋め込まれた淡い苔灯と、炉の赤い残り火だけが空間を照らしている。

それでも、不思議と暗くは感じなかった。
積もった雪が放つ白い光が、窓と扉の隙間からやわらかく入り込み、
木の梁や床に反射して、店の中をぼんやりと満たしているのだ。

渡り手は、入口に近い長卓に腰を下ろした。
木の杯を持つと、指先に微かな冷たさが残る。

「お前さん、今日は何にする」

女将が、素焼きの壺を並べる。

「辛ェやつ、ある?」

「ほう」

彼女は、赤茶色の液体を注いだ。

「オニヘビ酒だ。
オニヘビモドキと、鳴皮麦を一緒に発酵させた」

渡り手がひと口飲み、目を細める。

……お、効くな」

「喉が燃えるだろ」

「こりゃいいや」

卓には、いくつかの皿が並べられていく。
ノトリの木の薄切りを焼いて、ウロコネギを散らしたもの。宵闇芋の酢漬け。マダラメカボチャの煮込みに、頑固豆を潰して練った塩辛いペースト。
どれも物珍しく、しかし素朴でどこか懐かしいと感じる香りをしていた。

「肉って、あんま見かけねえな」

「ここじゃ、森の肉が主だよ」

「なるほど」

「メレの肉は、祭りか客用さ」

渡り手は、ノトリの木を噛む。
驚くほど、肉の弾力だった。噛むほどに香ばしいナッツのような香りが鼻を抜ける。不思議な感覚だ。

……意外といける」

「自然の肉だからね」

隣の卓では、踏み雪の男と、数え人が杯を傾けている。
誰も大声では笑わない。
酒場なのに、ざわめきはない。

「あのさ」

渡り手が、女将に問う。

「ここって、焼き酒とか、蒸留酒は造んねえの?」

女将は、少しだけ首を振る。

「この森じゃ、火は道具であって、器じゃない」

「へェ。そりゃどういう」

「蒸留は、酒を火で追い詰めるだろ。
この森じゃ、そういう作り方は好まれない」

「だから全部、発酵か」

「雪と菌に任せるんだ。自然に動かして、止めないのさ」

渡り手は、オニヘビ酒をもう一口。
辛味はすでに薄れ、かわりに鳴皮麦の甘い匂いと、オニヘビモドキの青い香りが鼻に残る。

……森らしいや」

「酔いも、ゆっくり来る」

確かにと、言われてみれば頭がぼんやりと温かい。
強く殴るような酔いではなく、雪に包まれるような感覚だ。

「悪くねェ夜だ」

「渡り手には、そういう夜がいい」

女将は、そう言って笑った。

「名を預けない人は、
酔いだけ預けていけばいいのさ」

渡り手は、杯を掲げる。

……そりゃ、助かるな」

周囲の卓では、誰かが小さく笑い、誰かが器を置く。
それらの音も、外の雪に吸われて、すぐに遠ざかっていった。

渡り手は、杯の底に残った赤茶色の酒を、ゆっくりと飲み干した。