冬暁
2025-12-08 23:01:01
10766文字
Public 鳴保
 

NRHS Calendar 2025 No.2

12/08〜12/14の鳴保カレンダーまとめ。


12/10 『夕暮れ』


 黄昏時。誰そ彼時。地平線に太陽の大半が沈み、薄暗くなった時間帯をそう呼ぶ。完全な夜ではなく、仄かな明るさが隣にいる誰かの顔を隠してしまう。それは本当に自分が知る人なのだろうか? それ故に逢魔時とも呼ばれている時間だ。
 
 コン、とつま先に当たった小石が転がっていく。地平線に真っ赤な太陽が沈み、群青色が濃くなった空の下。竹刀袋を肩にかけ、一人の学生が帰路についていた。
 学生——保科の家は住宅街から少し外れた場所にある。代々続く旧家で、広い土地を持っているが故に学校からは少し遠い。段々と人の気配が遠のいていくような感覚が昔は怖かった。
 高校生ともなると流石に恐怖心も薄れる。不審者が出なきゃいいな……と思うくらいだ。季節問わず、下校時間には不審者も出やすい。
 保科は明かりの灯る家を全体的に眺めながら歩く。部活帰りも相まって、何処かから漂う夕飯の匂いが空腹を募らせた。些か急足になるのは致し方ない話だ。
 住宅街の十字路に差し掛かったとき、角に黒い影が立っているのが見えた。散歩だろうと判断するには些か不審な気配を感じた。。それはこちらをじっと見つめている。背丈は保科より少し低い。服装ははっきりとはしないものの、学生服に似ているような気がする。ふらふらと重心が安定せず、そのくせ視線だけが射抜くようだった。
 ぬるり、と滑るようにそれは動く。人間の動きにしてはあまりにもおかしい。
 警戒心が跳ね上がる。ギュッと竹刀袋を握りしめたところで、目の前が翳った。
 違う。
 思考より先に体が動いていた。確かな手応えと、僅かに頬を掠める熱。
 ナイフよりも明らかに鋭い何かで竹刀が切り落とされていた。もし間に入れなければ、体を引かなければ。それは保科の首を落としていたかもしれない。
 ドッと噴き出すように汗が出る。声を上げるより先にただひたすらに走った。
————ッ、しぬ」
 荒い呼吸の合間に漏れた言葉が、より現実を突きつける。そうだ。アレは命を狙っている。
 アレは、何だ? 眼前に迫ってなお、全体が黒く輪郭さえもハッキリしないなんておかしい。
 恐怖に引き攣れた肺は、普段よりも全然動いてくれない。息が苦しくて、目の前が滲んだ。
 誰か。何処か。
 家には程遠く、かと言って近隣の家に駆け込んだところで助けてくれるかわからない。説明をしている間に追いつかれたら。聞いて尚、拒絶されたら。
 思考だけが嫌に回る。死の恐怖を目前にしている事実が怖くてたまらない。叫び出したいのに、酸素が足りない。
————ッッ!」
 パァンッ! と空気を弾いた音がした。何の音かはわからない。
 わからないのに、保科の足はそちらへと向いた。それは無意識にも近い行動だった。
 そこにいる誰かを巻き込んでしまうとか、むしろ更なる危険を呼ぶとか。そんな思考もなかった。ただただ、引き寄せられるように。
 そんな保科に憤るように背後で音がした。怒鳴っているようにも、叫んでいるようにも聞こえる。振り返ることはしなかった。
 ひたすら走って、走って……。見えたのは石階段だった。住宅街にある割には少し長い、神社の石階段だ。毎年正月には厄除け祈願に人が集まる。保科家も毎年ここだ。
 石階段に足をかける。
 もう随分長いこと走っていたような気がした。元々居た場所からここはそう遠くはなかったはずなのに。身体中が重くて、気を抜けば足を止めてしまいそうだった。
「ハッ、は、ッふ……っ、はッぁ!」
————————
 背後からキィキィと虫が鳴くような、或いは金切り声のような音がする。耳が痛い。吐き気がする。
 地面の向こうに朱塗りの鳥居が見えた。
「た、すけ……ッ」
 ただ漠然と手を伸ばせば助けてもらえるような気がした。それだけが保科の足を突き動かした。
 倒れ込むように鳥居を越える。
「ひ、ィっ……! や、なに……ッ!?」
 何かが足に纏わりつく。越えたはずの鳥居からずるずると引き離されていくかのようだった。
 石畳に爪を立てる。そんな抵抗を物ともせず、まだ未熟な細い体を何かが囲い込んでいく。
 息を吸い込む。花のような柔らかな香りが肺を満たした。
「助けて!」
 パァンッ! と再びあの音が聞こえた。重たい体が軽くなる。辺りの空気がガラリと変わった。凛と冴えた、清廉な空気——弦音つるねだ、とそこで気づいた。妖魔を祓う退魔の弓矢。それが保科をここまで引き寄せ、そして魔を祓う。
 視界の端でしなやかな弓が再び引き絞られるのが見えた。
「散れ」
 背後から断末魔が聞こえた。つい、そちらへと目を向けようとして目元を覆われる。爽やかで仄かな甘さを含んだ花の香りが強くなった。
「見るな」
 語気は強いが、何処か優しい声だった。こくりと頷けば、「良い子だ」とその声が囁く。
 少しして手が離された。先程までいた何かはもうどこにもいない。
 包み込むような腕の持ち主を見上げれば、そこには保科の兄と変わらないくらいの青年がいた。
 ただし、その服装は随分と古風だ。神主が纏うものともまた違う。
「ありがとう、ございます……?」
「君は、保科の子か」
「知ってはるんですか」
「知ってるも何も、ボクを祀ったのは君たち保科家だからな」
「祀った……?」
 そっ、と体を離す。色の薄い前髪を上げた彼は、そんな保科を見て目を細めた。
「ボクがこの鳴海神社の主人だ」
「は? いや、そんな……。え? ホンマに神様っておるん?」
 あまりの衝撃に礼儀も何も飛んでいく。目の前にいるのが、本当に————
「保科といえどこうも代を重ねれば致し方あるまい。現代の悲しい現実だな」
 言う割に悲しさの欠片も見えない顔で頷いている。
「昔の神様みたいやのに、結構現実的やな……
「ボクは現代社会、割と好きだからな」
 ポン、と煙と共に服装が変わる。烏帽子を被っていた頭は短髪になり、狩衣はパーカーにスラックスと随分とラフになった。片手には弓の代わりにゲーム機を持っている。
「神様ちゃうん!?」
「神様だからって娯楽がなくても平気なわけないだろ」
 ゲーム機の電源を入れたかと思えば、慣れたように遊び始めるものだから唖然としてしまう。
 ついさっきまでの威厳はどこにもなかった。
 毎年厄除け祈願に来ていた鳴海神社の神様は、現代ゲームが好きらしい。
「そんなんあり!?」

Posted by 冬暁/薄明